第24話 閑話ーケルべベスのお留守番ー
魔王の執務室のドアがノックされた。
執務室で仕事をしていたケルべベスは顔を上げ、ノックをした主に入室を促す。
入って行きたのは戦争推進派の筆頭トリムだった。背は低く、紺のローブのフードを深くかぶり顔は良く分からない。白い口髭が胸元まで伸びている。茶色い杖をついて、ケルベベスのいる机の前まで来て、紙の束を差し出した。
「嘆願書だ」
ケルベベスは立ち上がり、呆れた顔でそれを受け取る。
「トリム様も毎年よくやりますね。リリトヴェール様に却下されるのが分かっているのに……」
トリムはふんと鼻を鳴らした。
「あの小娘は分かっておらん。最後の戦争から二百年が経つ。人類はどんどんと幅を利かせ、我ら魔族を舐めくさっておる。そろそろどちらが上なのか、分からせなければならん」
それだけ言い残し、トリムは部屋を後にした。
ケルベベスは溜息を吐き、書類をパラパラと流し見た。それには戦争推進派の魔族たちの署名がつらつらと並んでいる。ケルベベスは未決の箱に書類の束を入れた。
「これはリリトヴェール様の決裁が必要だな」
ケルベベスは椅子に座り、日々届く書類に目を通していく。
すると、また執務室のドアをノックする音がして、ケルベベスは小さくため息を吐いた。
「今日はやけに訪問者が多いな……。どうぞ」
ドアから顔を出したのはエヴァリーヌだった。室内をきょろきょろと見回して、ケルベベスに尋ねた。
「リリトヴェール様は?」
「外出されている。報告があるなら、わたしが聞こう」
エヴァリーヌはゆっくりとした足取りで、中に入ってきた。そして、ケルベベスが作業している机に腰かけた。
「勇者に会ったから、報告に来たんだけどなぁ~」
ケルベベスはそれに耳をピクリとさせて、顔を上げた。
「勇者に会った?」
「そうなの。ルグラン王国で遊んでいたら、勇者に会ったのよ。仲間が増えていたわよ。茶髪の女の子と、赤髪の女の子」
それを聞いたケルベベスは顔に手を当てた。
――茶髪の女の子はリリトヴェール様だな。まだ勇者と旅をしているのか……。
そんな様子のケルベベスに気づかず、エヴァリーヌはけらけらと笑った。
「なーんか勇者は変な奴でさ、わたしの恰好を見て、寒くないかとか風邪ひかないかとか言っちゃって、魅了の魔法が全然効かなくって、困っちゃったわよ」
「で、エヴァリーヌはルグラン王国で何をやっていたんだ?」
「ん? 勇者を一目見ようと待っている間、他の冒険者たちと遊んでいたのよ。魅了の魔法で仲違いさせてさ、それ見ているの。おっもしろいわよ~」
ケルベベスは呆れた顔でエヴァリーヌを見た。
「そんなことしているとリリトヴェール様の怒りを買うぞ。この間も、オリロ=ロリオが人類の少女を拉致監禁していたとかで、リリトヴェール様に粛清されていた」
エヴァリーヌは不快感全開の顔で言った。
「ええ! オリロ=ロリオの奴、そんなきもいことしていたの? そりゃ、粛清されて当然よねぇ」
「リリトヴェール様は人類との諍いを嫌がる。お前も気をつけないと粛清対象だぞ」
エヴァリーヌはふふんと高を括った。
「わたしはそんなヘマはしないわ! リリトヴェール様にばれるような失態はしないもの!」
――いや、リリトヴェール様もその場にいたから、ばれてはいるけど……。
ケルベベスはそう言いたかったが、リリトヴェールが勇者と共に旅をしていることは極秘事項なので、心の中で呟いた。
エヴァリーヌは腕を組んで、不思議そうに首を傾げた。
「それにしても、リリトヴェール様は何を考えてらっしゃるのかしら。勇者を殺すなって指示を直接受けたのは、ケルベベスでしょう? どんな感じだったの? 大層お怒りなのかしら」
ケルべベスは勇者誕生の知らせを伝えた時のリリトヴェールを思い出し、頭に手を当てた。
――すっごく喜んでいたとは言えない……。
ケルべベスは少し悩んでから答えた。
「リリトヴェール様にしか分からない深いお考えがあるのだ。わたしたち下々が推し量ることはできまい」
「ふーん。それにしても今年も戦争推進派が嘆願書を提出している。懲りない奴らね。リリトヴェール様が許可するわけがないのに」
エヴァリーヌは嘆願書の束を手に取った。
「あんまりむやみに触るな。大切な書類ばかりなんだから」
エヴァリーヌはふふんと笑って、書類仕事を片しているケルべベスを見た。
「それにしても、憤怒のケルべベスが書類仕事ねぇ~。すっかりリリトヴェール様に懐いちゃって」
ケルべベスは顔を上げた。その顔は恍惚としている。
「リリトヴェール様は素晴らしい方だ。二百年前に魔王に就任された時のお言葉は、今でも忘れない……」
エヴァリーヌは思い出すように視線を上げた。
「なんだっけ?」
ケルべベスは立ち上がり、手を前に差し出した。
「『皆の者、心して聞け。戦いの時代は終わった。これからは、無暗に人類と争うことはしない。異議のあるものは、わたしに挑んでくるがいい。わたしが直接相手になろう』、そうおっしゃられた」
エヴァリーヌは呆れた顔でケルべベスを見た。
「まさか一語一句、覚えているの……?」
「もちろんだ! その言葉通り、戦争推進派の武将二人を退け、戦争を起こしていない。あの方こそ、真の魔王陛下であらせられる」
「ふーん。あんたがリリトヴェール様大好きなのはわかったわ。じゃ、わたしはそろそろ帰るわね」
エヴァリーヌは机から降りて、執務室を出て行った。
ケルべベスは窓から空を見上げた。
――リリトヴェール様はいつお戻りになるんだろうか。早く帰ってきてください。でないと、仕事がどんどん溜まっていきますよ。
リリトヴェールが書類の多さに頭を抱えて唸っていた時を思い出して、ケルべベスはくすっと笑う。
「さてと、リリトヴェール様が戻った時のために、わたしにできる仕事はしておいて差し上げよう」
ケルべベスは伸びをしてから、机に戻った。
その頃、リリトヴェールは盛大なくしゃみをしていた。
「風邪ひいたかな……」
ニコルがリリトヴェールから少し距離を取った。
「うつさないでよね……」
アランが宿屋を見つけて指差した。
「本当に風邪だったら大変だよ。今日は早めに休もうよ」
リリトヴェールは少し考えてから頷いた。
「そうだね。本当はもうちょっと進みたかったけど、たまにはゆっくり休むとするか」
アランとニコルは「イエーイ」とハイタッチした。
ケルべベスの気持ちを知る由もないリリトヴェールは、相変わらず勇者と共に旅を続けていくのだった。




