8 突然の申し出(2)
呆然としている私たち一家に、ホフマン伯爵はにこやかな笑顔で言った。
「ふふふ、驚いているね。驚きついでにもう一つ、いいことを教えてあげよう」
「え?」
正直に言うと、これ以上話を聞くのは怖かったが、きっと聞かないわけにもいかないのだろう。
「君の選んだドレス。実は、子供用のドレスの中で一番高額な生地を使った最高級のドレスだ。ちなみに、ウェーバー嬢の選んだドレス1着で、他のご令嬢の選んだドレスの10着分くらいだ。ははは」
「……」
「……」
「……え?」
お父様とお母様が青い顔をして無言になった。
私も思わず声を上げてしまった。
私たちの顔を見て、ホフマン伯爵はにっこりと笑った。
「あのドレスは特別でな。『一番高いドレスはどれか?』と『一番安いドレスはどれか?』と聞かれた場合のみ、表に出せと伝えてあったのだ」
え?
あのドレスって、そんないわくつきのドレスだったの?!
「そうだったのですか……」
私がなんとか答えると、ホフマン伯爵は楽しそうに目を細めた。
「実はあのドレスを用意したのは、数年前なのだが、その間何度も『一番高いドレスはどれですか?』と聞かれて、表に出たことがあった」
「……?」
私はそれを聞いて疑問に思った。
一番高いドレスだと表に出てきたのに、なぜ、まだ残っていたのだろうか?
それとも毎年同じ物を作っているのだろうか?
「ふふふ。あのドレスはこれまで、一度も選ばれたことはないのだ。
あのドレスは物は最高にいいが、子供向けの色合いではない。だから大抵の令嬢はあのドレスを嫌がって、自分で選び直すものなのだ。それなのに、ウェーバー嬢は、ドレスを即決した。
しかも、一番安いという理由で!! 確固たる意思がなければ、君くらいの年頃の令嬢が、あのドレスを選ぶことはない」
確かに、『物がいい』『お買い得』という言葉で即決した。
だが、何も考えていなかっただけで、あのドレスの価値を見抜いたわけではないのだ。
「あの……確かに、すぐに決めましたが、あの、そんな見る目があったわけではなく、値段で決めただけですので……審美眼があったわけじゃないですよ?」
私は、誤解のないようにホフマン伯爵に真実を伝えた。
「ふふふ。わかっている。君がドレスを決める経緯は店の者に聞いているからね」
筒抜けでしたか……。
どうやら、私たちは、タダでドレス貰う代わりに、どんなドレスをどのように選ぶのかを、全て伯爵に見られていたようだ。
『タダより高い物はない』と昔の偉い人は言っていたが、本当にそうかもしれないと実感した。
「そうですか」
ふとお母様を見ると、無心の石像のように表情が全て消え去っていた。
エマを見ると、真っ赤な顔で俯いていた。
お父様の顔を見ると、真っ青になっていた。
ホフマン伯爵はそんな中、私を見て穏やかに微笑みながら言った。
「人はどうしても迷う生き物だ。自分の中に指針を持ち、それに従うという姿勢が見事だと言ったのだ。7歳の幼い子供が、『どれでも好きな物を選んでいい』と言われ、中には、華やかなドレスもたくさんあったにも関わらず、『ドレスが食べ物にしか見えないから値段で選ぶ』と言って、本当にそうしたのだろう? 見事だとしか言いようがない」
もしかしたら、こんなに褒められるのは人生初じゃないだろうか?
ドレスを選ぶ姿勢を褒められるという謎のシチュエーションだが、褒められたことは事実だ。
ホフマン伯爵は、真剣な瞳で私を見た。まるで、射貫くような視線に私は、怖くなった。
「ウェーバー嬢、明日、私の屋敷に来てもらえないだろうか? 孫のハンスと会って、互いが納得したら、婚約をしてはくれないか?」
婚約? ホフマン伯爵のお孫さんと?
え? 私、婚約するの??
私が戸惑っていると、お父様が声を上げた。
「婚約ですか?」
「左様。話によると、ウェーバー嬢は先日のパーティーで孫には会っていないだろう?
本来ならこの場で、婚約を申し込みたいところだが、お互い会って決めた方がよいだろう。この婚約は決して解消することは出来ぬ、婚約だからな」
婚約したら、解消できないのは当たり前のことなので、そこに異論はない。
だが、私は先程、ランゲ公爵家で、ゲオルグに『大嫌い』と言われたことを思い出した。
あの後、ゲオルグは誰かに諭されたのか、謝罪をしてくれたが、本心はきっと私のことが苦手なのだろう。
(確かに、何度かお会いして決めた方がいいわよね)
「わかりました。お伺い致します」
「シャル?」
お父様が声を上げたが、ホフマン伯爵は、一緒に来ていた執事から書類を受け取ると、お父様に差し出した。
「ウェーバー子爵殿。もし、ご息女と孫の結婚を認めて下さるなら、ご息女の貴族学校の授業料に、制服などの持ち物。また、今後パーティーなどあれば、全ての支度は我が伯爵家が用意しましょう。さらに、そちらの領で、行っている治水事業をホフマン伯爵家が全て請負ましょう」
「治水事業を全て?!」
実は、我が領が苦しいのは、氾濫多い川の護岸を整備して、民が安全に安定した生活を送れるようにしているからなのだ。その工事費が、我が領の財政を圧迫している。
「ただし、婚約をしたら、ウェーバー嬢には伯爵家に相応しい教育を受けるために、毎日我が屋敷に通って貰います」
「貴族の基礎教育まで……」
お母様が息を飲んだ。
実は、貴族の令嬢は貴族学校に入学するまでに、家で家庭教師などと一緒に基礎教育を受けるのが一般的だが、家ではそんなお金はないので、お母様が教えてくれていたのだ。
「では……娘と、ホフマン伯爵のご令孫殿が納得したら、婚約誓約書に喜んでサインさせて頂きます」
お父様は、ホフマン伯爵に深々と頭を下げた。
こうして私は、婚約者候補として、ホフマン伯爵のお孫さんとお会いすることになったのだった。




