66 優秀な秘書の誕生
――エイドが、秘書の勉強を始めて5日目のステーア公爵家にて。
エイドの目の前には、この5日間、秘書のことを教えてくれた、ステーア公爵家の第三秘書であるテオドールが、真剣にエイドの作った書類をチェックしていた。
ハワードに連れてきてもらって5日。
エイドは、公的な文書の作成はもちろんのこと、シャルロッテが、学生を続けながらでも、仕事をしやすいように、スケジュール調整する方法を学んだり、他の貴族とのやり取りなどのルールを覚えるなど、とても多くのことをテオドールに教えて貰った。
そんなテオドールに、これで最後となる書類に、不備がないかの確認をしてもらっていたのだ。
エイドがゴクリと息を飲むと、テオドールが書類から顔を上げた。
「はい……完璧ですね」
エイドの作った書類を確認した、テオドールが笑顔で言った。
「ありがとうございます。テオドールさんのおかげです」
エイドは、ほっとしながら書類を受け取った。
この5日間。
エイドは、3日目に洋服仮縫いに、一度だけ外に出たが、それ以外はずっと、ステーア公爵家に籠って秘書になるための勉強をしていた。
ハワードに、ここに連れて来て貰った当初は、町の幼い子供たちが通い、簡単な読み書きを教える学校しか出てないというエイドに、テオドールは、書類を読むことさえ難しいかもしれないと思っていた。
ところが、エイドはテオドールが、信じられないほど、高度な語学力を持っており、学術書クラスの本は問題なく読みこなし、貴族でも貴族学院でやっと勉強するような計算力も完璧に持ち合わせ、驚くべきことに、貴族学院のSクラス程度の知識を持っていた。
不思議に思ったテオドールが、『エイドさんは、どこでこの知識を?』と尋ねると、『昔からお嬢と一緒に勉強していましたので……お嬢は、幼い頃から家庭教師がするテストや、学院のテスト問題を持ち帰って、お嬢と俺とエマというウェーバー子爵家で働かせてもらっている俺の妹と、3人で、誰が一番点数が取れるかって、ゲームをしてたんです。きっとそのせいですかね~~』とエイドは、恐ろしいことを、笑いながら言ったのだ。
それを聞いたテオドールは驚愕した。
ウェーバー子爵家の令嬢は、幼い頃から、本人が意識していたか、どうかはわからないが、ただの下働きの者たちに高度な教育を施していたわけだ。
テオドールは、息を飲んで、エイドに尋ねた。
『今のお話ですと、Sクラス主席のシャルロッテ嬢と同等の知識を持つ者が、ウェーバー子爵家には、もう一人いるということですか?』
エイドは呆気なく頷いた。『ええ、いますよ。エマっていうですけどね、歴史、植物、土木関係の知識では、俺たちの中で一番です』
エイドの話を聞いたテオドールは、言いようのない興奮を覚えた。
それほどの人物がもう一人いるのであれば、もしかしたら、エイドは将来的には、ステーア公爵家で引き抜くことができるかもしれない。
これだけの男がこれまで全く表に出てこなかったのだ。そして、その男を世に送り出すのが自分になる。テオドールは、エイドをいずれ、ステーア公爵家に迎え入れることが出来るレベルまで引き上げようと決めたのだった。
――テオドールは、目の前にいる5日前とは、違い成長して、秘書の風格まで出てきたエイドを見ながら言った。
「いえいえ、エイドさんは、基礎力がありましたので……未経験者とは思えない理解力で驚きました。正直、ハワード様があなたをお連れした時は、5日など無理だと思ったものです。ですが……やり切りましたね。お疲れ様でした、エイドさん」
「テオドールさんが親身になって教えてくれたおかげです。それに俺……私の主が、涙を耐えて進む道です。絶対に側で支えると決めたので、5日でなんとかなって、ほっとしてます。もう、1人にはしたくないんで」
エイドの真剣な顔を見て、テオドールは、困ったように笑った。
「本当は、あなたを、ステーア公爵家の秘書にスカウトしたいですが、それほどハッキリと言われてしまうと、諦めざるを得ないですね……」
トントントン。
2人が話をしていると、扉がノックされて、ハワードが部屋に入ってきた。
「どうだ? 今日で5日目だが、延長するか?」
ハワードは機嫌よく、テオドールに尋ねた。
「いえ、とんでもない。もうどこに秘書として出しても問題ありません。王宮でだって働けるレベルです」
テオドールが自信満々に答えると、ハワードはどこか落ち込んだように見えた。
「そうか……では、もう帰るのだな。せめて今日の夕食は、一緒に過ごせるだろう?」
エイドとしては、夕食までには、ウェーバー子爵家に戻ろうと思っていたのだが、よく考えたら自分が急に戻っても、奥様が大変なだけなので、ハワードの提案に頷くことにした。
「じゃあ、夕食までごちそうになります。ハワード様、5日間、お世話になりました」
この5日間、ハワードは、勉強漬けのエイドに、軽食を差し入れしてくれたり、ハワードが仕事がない時は、朝食や夕食を一緒に摂ったりと、随分とお世話になったのだ。
エイドが心から感謝したのに、ハワードは眉を寄せながら言った。
「気持ち悪い!! エイドにハワード様など……普段通りにしろ」
エイドは、テオドールの手前、ハワードをいつも通り呼び捨てにするのも気が引けるが、ハワードがそう言うのなら普段通りの呼び名にしようと思っていると、テオドールがハワードに向かって言った。
「ところで、ハワード様、エイド様には妹さんがいらっしゃるそうですが、その方をスカウトしてはいかがですか?」
「え?」
急にエマの話題が出て、エイドが驚いていると、ハワードが顎に手を当てながら口を開いた。
「あ~~エマか……」
エイドはここ数日のエマの様子を思い出した。
実は、シャロン様にずっと勉強を教えてくれていた家庭教師の方が、再婚して別の領に行くことになり、やめることになったのだ。新しい家庭教師を探そうと話をしていると、シャロン様が『ねぇ、エマが教えてよ。僕、エマが先生がいいな~』と言った。すると、旦那様をはじめ、ご家族みんなも頷き、当のエマも乗り気で『シャロン様、やるからには、Sクラス狙いましょうね』『うん!! お願いしま~す、エマ先生』とノリノリなのだ。
「あ~~エマは……無理だと思います。シャロン様が、家庭教師をエマに依頼されているので……エマは、今、シャロン様もSクラスに入れると燃えています」
エイドは、2人の様子を思い出して、小さく笑った。シャロン様とエマは全力で頑張っているので、きっとSクラスに入れてしまうのではないかと思っている。
「優秀なシャルロッテ嬢と同等の知識を持った方を家庭教師……なるほど、それは合理的ではありますね。まぁ、そのような方をウェーバー子爵家もみすみす手放すはずは、ないですよね」
テオドールが納得して頷いていると、ハワードが声を上げた。
「あ、そうだ、エイド。シャルロッテ嬢のお披露目式をするとの連絡が入ったが、礼服は、持っているのか?」
エイドは思わず眉を寄せた。
「礼服? 先日作った服ではダメなのか?」
エイドの言葉に、ハワードは呆れたように言った。
「当たり前だ。だが……今は、イーグルたちも忙しいだろうからな。俺の数着持って帰れ。イーグルも直しくらいなら可能だろう」
「え? 服を2着も貰ったのに、礼服まで貰って、本当にいいのか?」
エイドが驚きながら尋ねると、ハワードが頷きながら言った。
「問題ない。後で執事に届けさせる」
「ハワード、ありがとな」
エイドが笑顔で、ハワードにお礼を伝えると、ハワードが口の端を少し上げながら呟いた。
「これでようやく、18年前の借りが返せたな」
「借り? なんのことだ?」
エイドが不思議そうに尋ねた。
――そうだ、エイドという男はこういう男なのだ。自分が他人にした親切など、この男にとっては当たり前で、見返りなどを求めたこともない。
だから、ハワードはずっとエイドに恩を返せずにいた。
そして、ようやく恩返しのチャンスが巡ってきたのだ。
――大切な女の子を助けたい。
エイドにとって、シャルロッテという存在がどういう存在なのか、聞くだけ野暮な質問だが、エイドが必死に線引きしている境界線を他人の自分が壊すわけにもいかない。
だから、ハワードが手伝えるのはここまでだ。
ハワードはエイドを見て真剣な顔で言った。
「なんでもない……エイド、ここからが勝負だぞ? 大切なお嬢を貴族連中から守り抜けよ」
本当は、ハワードだって表に立って、シャルロッテ嬢を守りたい。
だが、シャルロッテ嬢のためにも、ステーア公爵家である自分が、他の貴族の手前、公の場で、表立って手を貸すわけにはいかない。
「当たり前だ。絶対にお嬢に舐めたマネはさせねぇ」
エイドも真剣な瞳を向けた。
ハワードも、きっとエイドがいれば、シャルロッテ嬢は大丈夫だろうと思えた。
それならば、自分はエイドが大切にしている彼女を、間接的に助けよう。
それが、ハワードが唯一、心からの信頼を寄せる友人へできることだ。
「ふっ、エイド。シャルロッテ嬢の所がイヤになったら、ここに来い。私が雇ってやるよ」
ハワードがニヤリと笑うと、エイドもニヤリと笑った。
「有難いお誘いだが……それは絶対ありえないな」
「ははは、だろうな」
次に2人が会うのは、きっとシャルロッテのお披露目式だ。
ハワードは、友の活躍する姿が楽しみだと思えたのだった。




