49 ハンスSIDE 5
それから、シャルと話をするチャンスはあった。久しぶりに、ホフマン伯爵で、シャルとお茶をしながら私たちは話をしていた。
「ハンス! 今度の大会も応援に行くわね」
「うん……」
私はシャルの顔を見つめた。シャルは昔と変わらずに可愛いし、好きだ。
話をして、将来のことを相談したい。そう思っているのに、言葉が出なかった。
「どうしたの? ハンス?」
「いや……なんでもないよ。シャルは今日も可愛いね」
「ふふふ、ありがとう。ハンスも素敵よ」
「……ありがとう、七色の噴水に行ってみる?」
「ええ!!」
笑顔のシャルが立ち上がると、私は思わずため息をついた。
「……はぁ」
「どうしたの?」
「なんでもないよ、行こう」
私は急いで誤魔化すと、シャルと一緒に噴水に向かった。
結局その日は、シャルと話をすることは出来なかった。
それだけではなく、シャルと一緒にいることが、息苦しいとさえ、感じる自分がいたのだった。
☆==☆==
大会が近づくと、訓練は厳しくなった。最近では、騎士団の演習にも参加しているので、尚更だった。それに私の頭の中には、騎士団長に言われた言葉が渦巻いていた。
『自分の思い通りの政策をしたいなら、侯爵になれ』
『騎士になるなら、後ろ盾になる』
騎士団長の言葉を思い出して、ぼんやりしていると、ヘルマ嬢が心配そうに言った。
「ハンス様、大丈夫ですか?」
「ああ、ヘルマ嬢。いつもすまない」
今日も私は、ヘルマ嬢に、勉強を教えて貰っていた。
「そんなことはいいのです。私、あなたの剣を振るっている姿、好き……ですし。剣の時だけではないですが……」
「え?」
好き?
私を?
顔に体温が集まるように感じた。シャルによく好きだと言われるし、私もよく好きだというが、その時には感じない熱だった。
「後悔しないように!! 全力で訓練して!! 出来ないところは私が支えます」
ヘルマ嬢が、顔を真っ赤にしながらも、真っすぐに私の顔を見て言った。
その顔がとても綺麗で目が離せなかった。
ダメだ。
これ以上はダメだ。
私にはシャルがいる。
シャルがいるんだ!!
思わず、ヘルマ嬢に伸ばしそうになった手を必死の思いで止めた。
「ありがとう。後悔しないように全力を尽くすよ」
私が答えると、ヘルマ嬢が少しだけ、俯いて呟くように言った。
「ケガは、しないで下さいね……」
その瞬間、身体中の血が押さえられない感覚があった。
これまで、耐えていた何かが全て壊れて行く感覚。
私は、ヘルマ嬢の髪に手を伸ばすと、自分を押さえられずに髪にキスをした。
愛しい。
この女性が愛しい。
ずっと一緒に居たい。
「ハ、ハンス様?!」
ヘルマ嬢は顔を真っ赤にして、私を見ていた。その顔からも目が離せず、私の視線は、ヘルマ嬢の唇に釘付けになった。ヘルマ嬢も、私をじっとみていた。
気が付けば、私はヘルマ嬢を腕の中に抱きしめていた。ヘルマ嬢も私を抱きしめてくれた。
愛しい。
愛しい。
愛しい。
私が初めて出会う感情、愛しいという感情。
この人が欲しい。
17歳。私は、生涯を共にしたいと思える女性を見つけたのだった。
そして、同時に私は騎士になると誓ったのだった。
☆==☆==
ヘルマ嬢にプロポーズをして、全てをシャルに伝えようとしていた時。
おじい様が亡くなった。
私にとっては、最悪のタイミングだった。
おじい様という宝石に関する重鎮がいるうちに、鑑定士に仕分けを教える制度を整えたかったのだ。
だが、その時は、おじい様にお墨付きを貰った自分の考えは、全ての人に認められると思っていたのだった。
おじい様の告別式が終わり、両親に全てを打ち明けると、泣かれてしまった。
私としても、円満に婚約解消をしたかったので、婚約破棄は想定外だった。
だが、もう、後には引けない。
私は、シャルに、婚約破棄を言い出すことにしたのだった。
☆==☆==
次に日、私たちがシャルの家に行こうと思ったが、契約により、それは出来なかった。
幼い頃の婚約だったので、色々と無茶な条件がたくさん課せられていた。
(ああ、私は、幼いシャルを、こんな理不尽な決まりで縛り付けていたのか……)
シャルに対して、申し訳ないとしか言えなかった。
「……シャル……すまない……君との婚約を破棄……したい」
私がそう告げた途端、いつも可愛い笑顔を浮かべていたシャルの顔がつらそうに歪んだ。
今にも泣き出しそうなシャルの顔を見たのは初めてだった。
その顔を見た途端、急に罪悪感に支配された。
シャルを傷つけたかったわけじゃない。
シャルを泣かせたかったわけじゃない。
愛しているとは言えなくても、家族のように好きなのだ。
もし、シャルと友達として出会っていたら、お互いにこんな思いをしなくても済んだのかもしれない。
――こんな風に彼女を傷つけてしまう出会いではなく、友人として出会いたかった。
シャルと一緒に励まし合って勉強した時間は本物のだ。
シャルと一緒に笑った時間は本物だったのだ。
シャルのことは好きだ。
心から好きだ。
シャルが困っているなら、世界の果てからでも助けに行くと思うくらい好きなのだ。
――でも……愛せはしないのだ。
思わず、私の目からも涙が出てきた。シャルは、私にとって家族なのだ。その家族を傷つけた……。
「……婚約破棄を受け入れます」
そう言って、シャルは俯いたのだった。
シャルを泣かせてしまったことが申し訳なくて、涙が溢れてきた。
「(ごめん……シャル)」
私は、拳を握り、誰にも聞こえない声で呟いたのだった。
☆==☆==
シャルに婚約破棄を告げて、半日ほど経った頃。
王宮から戻ってきた、父上が、淡々とした口調で告げた。
「我がホフマン伯爵家は、宝石の仕分け事業を、シャルロッテ嬢に正式に譲渡した」
「え?」
信じられない答えに、私は唖然としていた。
「これによって、現在の我が伯爵家の収入は半分に以下になるだろう」
お父様は、表情を崩すこともなく、淡々と言った。
喜んでいるのか、悲しんでいるのかよくわからなかった。
「そう……」
お母様の表情も読めなかった。
「ただ、今後は宝石のための王都の屋敷の護衛は減らせるし、宝石保管の費用もなくなるから、実質、手元に残るのは半分とよりは多くなるだろうが……」
「鉱山はどうなるのですか?」
お母様も、まるで感情がなく、無機質に尋ねた。
「鉱山はこれまで通り我が伯爵家が、管理する。なので、採取した宝石は、我が領で、これまで通り鑑定して、ランゲ侯爵に送り、私たちは、宝石の代金をもらう。それと、地質調査も、採取したら、全てランゲ侯爵家に送ることになるな」
「宝石の仕分けがない……?」
「ああ。全て……シャルロッテ嬢が引き受けてくれた」
「……私は、今後……宝石を仕分けする必要がない?」
信じられない思いで呟いた。
「そうなるな。陛下が、領地経営だけではなく、鉱山の管理もあるので、伯爵の位を引き続き与えて下さるそうだ。元々、父上と、その前の領主が、宝石について詳し過ぎたのだ。もう一度、堅実に、領地経営を行おう」
領地経営と鉱山管理だけ……宝石の仕分けがない?
私はまだぼんやりとして現実を見ていなかった。
「ハンス、お前も騎士になりたいというのなら、ナーゲル伯爵令嬢としっかりと話し合いなさい。ただ……私たちは、お前たちと関わることは遠慮する。シャルロッテ嬢を想うと……それほど、簡単に新しい令嬢を受け入れることはできない。結婚式には出席しよう。だが、おまえたちのためではない。宝石の護衛でお世話になっている、ナーゲル伯爵家の顔を立てるためだ」
「そんな!! 父上も、母上も私たちの結婚には反対なのですか?」
父上の、まるで私を切り捨てるような言い方に、焦りが出てきた。
すると、父上は自嘲気味に言った。
「反対? そんな簡単なことではないのだ。受け入れられないのだ。シャルロッテ嬢を思うとな」
「ええ、幼い頃から、無理をさせ……あの子には私たちの代わりに、あなたの親代わりまでさせてしまった恩があるわ。そんな恩人に。婚約破棄という非人道的な仕打ちをしてしまったのよ?! 受け入れられるわけがないでしょう?」
母上もどこかぼんやりと虚ろな瞳で言った。
「領地経営についての引継ぎは書面にて行う。私の秘書に、お前たちへの引継ぎを託すことにする。おまえたちの子供が、貴族院を卒業したら、領地に戻れ。それ以降は、私たちが、社交のために王都に暮らす」
「では、本当に一緒に暮らして学ぶ期間はないのですか?」
「ない。そうだ、王都の屋敷は、人件費も高いからな。我が領から来てくれていた古参執事は、領に連れ戻す。こちらの屋敷には、執事1名、侍女2名、護衛2名、掃除・洗濯係1名、料理人1名、庭師1名、御者1名、を残し、ホフマン伯爵領から来ている者は連れて帰り、こちらで雇った者には、別の働き口を紹介する」
「残るのは、それだけ……ですか?」
「ああ。元々、おじい様が、こちらを拠点にするまでは、そのくらいだった」
「ハンス……これは一般的な人員配置よ」
「明日、この家の宝石を全て、ランゲ侯爵家に移し、王都の屋敷を整理したら、私たちは領に戻る。
ハンス、最後に一番大切なことだ。今後一切、シャルロッテ嬢には近づくな。それが、ウェーバー子爵家が今回の婚約破棄を受け入れる条件だ」
「え? 今後一切?」
「当たり前だ。お前は、ナーゲル伯爵令嬢を選んだのだろう? 彼女を幸せにすることだけを考えろ。いいな。絶対に近づくな、これは正式な書類だからな、処罰もある」
「処罰?! そこまで?!」
「ハンス、絶対に近づかないで。彼女をこれ以上、傷つけたら、許さないわ」
話が終わり、私は、自室のソファーに沈み込み、胸元を押さえた。
シャルとは、これまで通りとはいかないまでも、会えば、あいさつをしたり、話くらいはできるかと思っていた。
私は、月を見上げてシャルロッテの笑顔を思い出し呟いた。
「もう、2度と見ることはできないのか……」
自分で押さえられないほど、涙が流れた。
この涙が一体、どんな意味を持つのか私にはわからなかった。
私には、愛する女性もいて、将来だってある。
泣くことなどない。
それなのに、涙はとめどなく流れた。
もしかしたら、ずっと大好きだった女の子。
シャルロッテ・ウェーバーとの、別れの涙だったのかもしれない。




