48 ハンスSIDE 4
それから、私は相変わらず、『シャルが好き』だという気持ちを持ちながら、『シャルとは分かり合えない』と相反する気持ちを抱えたまま、貴族学院に入学した。
入学してみると、シャルはSクラスだった。
私も勉強を頑張ったので、シャルと同じクラスになれると、本気で思っていたので、Bクラスだった時には落胆したが、シャルと離れて比べられることもなくなるので、どこかほっとした。
「まぁ♡ ハンス様も、Bクラスですの?」
「あの方が、ホフマン伯爵家の?! 素敵な方ねぇ……♡」
「この学院にいる間にお近づきになりたいわ!!」
私は、ホフマン伯爵家というだけで、多くの令嬢に声を掛けられた。
私とシャルの婚約は、まだ個人契約の段階で、正式な物ではないため、『婚約者がいる』とは言えない。
17歳までは正式な婚約はできないからだ。だから、学院に入ったばかりの時に、婚約者を気にする者はほとんどいない。
当たり前のように、私に婚約者がいるとは思われていなかった。とはいえ、私はすでにシャルがいるので、私に触れたり、一緒にいたいという令嬢からは距離を置いていた。下手に『婚約者がいる』と言ってしまうと、『幼い時の婚約は無効です』と騒ぎ立てる令嬢もいるため、関わらない方が賢明だったのだ。
だから、どうしてもしつこい令嬢には『好きな人がいる』と言って断った。
私は令嬢と距離を置いていたが、シャルはそうではないようだった。
シャルはSクラスのため、学院で姿を見ることはほとんどなかったが、噂はうるさいほど聞こえてきた。
「今年の生徒代表、ランゲ侯爵子息のゲオルグ様でしょ? さすがね~~素敵だわ~~」
「女性の方は、ウェーバー子爵家のご令嬢でしょ? 聞いたことのない方だわ」
「でも、いつも一緒にいて、とても仲が良いというお話よ」
「もしかして、ご婚約されるのかしら? 確か、歴代の生徒代表の方々って、ご結婚されている方が多いわよね」
「え~~~ゲオルグ様~~~。でも、ゲオルグ様のお相手なら、生徒代表くらいでないと務まらないわよね……」
学院の至るところで、シャルとゲオルグ殿は噂をされていた。
噂が聞こえる度に、心の中で――シャルの婚約者は私だ。
そう何度も呟いて、学院内から聞こえて来る噂を聞き流していた。
だが、不思議なことに、シャルがランゲ侯爵子息と、仲良くしていると聞いても、嫉妬のような感情は全く持たなかった。この時の私は、『シャルとは絆があるから、妬くことはないのだろう』と、のんびりと2人の噂を聞いていたのだった。
☆==☆==
学院に入って半年ほど経った頃、テーマ学習があった。
私は騎士の防具について興味があったので、騎士の持ち物をテーマを選んだ。すると、騎士の持ち物をテーマに選んだ学生は2人だけだった。
しかも、意外なことに、私の他にこのテーマを選んだのは、男性ではなく、女性だった。
「はじめまして、ヘルマ・ナーゲルと申します」
ナーゲルという名前を聞いて、驚いて尋ねた。
「はじめまして、ハンス・ホフマンです。ナーゲルとは、もしかして、フィル殿の妹さんですか?」
「はい。フィルは、私の兄です」
「私は、フィル殿に剣を教わっているのです」
「そうなのですか?」
「はい、ところで、ナーゲル殿のテーマは?」
「私は、武器についてです。あの、私のことはヘルマとお呼び下さい」
「私はハンスと、お呼びください。それにしても武器ですか……」
私は、ただ確認するために口に出しただけだったが、ヘルマ嬢は、少し不機嫌な声を上げた。
「あら? 女が武器に興味を持っては、おかしいですか? 武器というのは、おろそかにすると、命を失ってしまうほど、大切な物なのです。戦う者にとっては、どんな宝石よりも価値があるのですわ!! 私はそんな命を守る武器が好きなのです」
ヘルマ嬢の言葉に、私は思わず、大きな声を上げてしまった。
「ヘルマ嬢は、宝石よりも、武器が好きなのですか?」
「当たり前です!! 私は宝石を頂くより、剣や、槍を頂いた方が嬉しいですわ」
宝石よりも剣や槍……。
「あはははは!!」
ヘルマ嬢の言葉を聞いて、私は自分の身体から力が抜けて行くの感じた。まるで張り詰めた風船の空気が抜けるように身体が楽になり、思わず緩んだ口元から、自分でも初めてではないかと思うほどの笑いが出た。
きっと、こんなに笑ったのは人生で初めてだった。
心が緩んだのだ。
「ハンス様? 何がおかしいのです?! 失礼ですわ!!」
ヘルマ嬢は、不機嫌そうな顔をしていたが、その顔も好ましく思えた。
「あははは、いえ、すみません、バカにしたわけではなく、嬉しくて」
「嬉しい??」
「はい。私の家は、宝石業を生業としています」
「え? あ……ホフマン伯爵家……そうでした。宝石を生業にしている方に私は、大変失礼なことを……心から謝罪申し上げます」
ヘルマ嬢は深々を頭を下げたが、私は急いでそれを止めた。
「いえ! ヘルマ嬢の言葉に、これまで宝石のことばかり考えて、縛られていた自分が、なんだか愚かに思えてきただけです」
「お言葉ですが、領主の御子息が、生業のことを考えているのは、当たり前ですわ!! 上に立つお方が、宝石のことばかり考えて、愚かだなど、その仕事につく全ての方に失礼です! 撤回されるか、今後一切そのような戯言は口にしないことをおすすめいたしますわ」
「は、はい。気を付けます」
ヘルマ嬢は真っすぐに私を見て、叱ってくれた。
こんな風に私のことを考えて叱ってもらったのは、初めてだった。
それから、ヘルマ嬢と共に、騎士の持ち物について、調べているうちに、ヘルマ嬢といるのが、とても楽だと思えるようになった。
「ハンス様!! さすがですわ。これは素晴らしい結果になります」
私が、自分でも頑張ったと思うような時は、いつも嬉しそうに褒めてくれた。
「ハンス様。ここは手抜きではありませんこと? もっと、真摯に向かい合って下さい」
私が、手を抜くと、いつも本気で叱ってくれた。
そんなヘルマ嬢に私はいつしか、自分の思うまま、感じるままに自然体に接することが出来るようになっていたのだった。
☆==☆==
「ハンス、おまえは、もしかして、宝石のことはシャルロッテ嬢に任せて、領主に専念しようと思っているのか?」
2年に上がった頃、私はおじい様に執務室に呼ばれた。最近では、学校の勉強と、剣や乗馬が忙しくて、宝石の勉強まで手が回らなかったのだ。
「いえ……そういうわけでは……」
「ハンス。もし、シャルロッテ嬢に宝石を任せて、お前が領主に専念するというのなら、それでもいい。だが、領主になるには、学院でしっかりと領の経営を学んでおきなさい」
「はい」
おじい様の言葉を聞いて、私は目の前が開けるようだった。
――シャルに宝石を任せる。それならば、自分が宝石をこれ以上学ぶ必要はない。
私は、おじい様との話を終え、自室に戻る途中の廊下で、立ち止まった。
「シャルと私の宝石の知識はそれほど違うのだろうか?」
その時の私は、シャルの通うSクラスのことなど全く知らなかったので、シャルが、Sクラスの研究内容として、宝石採取の現地に視察に行っていたことは知っていたが、何をしていたかは、よく知らなかった。それに、おじい様の手伝いをしているとは知っていたが、どんな手伝いをしているのかも知らなかった。
だから、シャルの知識は自分の知識とはあまり変わりがないと思っていたのだ。
「私の知識と変わりがないなら、鑑定士を訓練すれば、シャルを助けることができるのではないだろうか? シャルは、領の経営のことなど、何も知らないはずだ。私がしっかりと学ばなくては!!」
私は、シャルがすでに、領の経営の学びを終えていることなど知らずに、勉強をすることにしたのだった。
☆==☆==
勉強を頑張れば、何かがおろそかになる。
私は元々、多くのことを平行して行える性分ではなかった。案の定、剣や、乗馬の訓練がおろそかになってしまった。それだけではなく、自分が領経営に専念して、シャルに宝石に専念してもらうことや、宝石の鑑定に仕分けができるように育てようと計画していることも、シャルに相談できずにいた。そんな全てが重なり、私は、調子を落としていた。
カーン!!
いつもなら楽々と弾ける剣を弾けずに、剣を地面に落としてしまった。
「ハンス!! 一体どうした?」
フィルが練習を中断して、私のことを心配してくれた。
「申し訳ございませんでした」
私が頭を下げるとフィル殿が困ったように言った。
「は~~。今日は、もう、訓練は終わり」
「え?」
「それより、話をしないか?」
「はい」
フィル殿について行った。
「それで、どうしたんだよ? どうして、ハンスはいつもそんなにつらそうなんだ?」
私は、思わず全てをフィル殿に話をしてしまった。
「なるほどな……本当に、幼い頃の婚約っていうのは、つらいものなのだな」
フィル殿はまるで、自分のことのようにつらそうな顔をしながら言った。
「つらいですか?」
「ああ。そんなのつら過ぎるだろ? もしかしたら、ハンスが動けなくなっているのは、幼い頃の刷り込みのせいかもしれない」
「え……?」
フィル殿は、どこか遠くを眺めるように言った。
「子供の時の関係を変えるのは、案外難しいんだよ。騎士でも、充分に訓練して、強盗なども跳ねのけるという屈強な男が、自分の親の言葉には逆らえず、殴られたりしている。
ハンス。今が最後のチャンスだ。その子と本心で話し合え。今、出来なきゃ、一生無理だ。
それに、その子の好きだっていう宝石の件だって……相手はきっと悪気は全くない。それなのに、彼女が宝石を好きだという度に、おまえが、傷ついていたなんで知ったら、相手だって悲しむ。ハンスは今年、17歳だろ? 決断するなら今だ。今のうちに決めろ。そして、向き合え」
「……やってみます」
私は、シャルと話し合う決意をしたのだった。




