18 新しい家族
トントントン!!
「お母様、入ります!!」
私は、急いでお母様たちの部屋に入った。お母様は、ソファーに座って、書類を見ているようだった。
「あら、シャル。おかえりなさい」
全くいつも通りのお母様の姿に、私はほっとして、呼吸を整えながら、お母様の隣に座った。
「エイドから、弟か妹が出来ると聞きました」
お母様は、私の頭を撫でながら、嬉しそうに微笑んだ。
「ふふふ。そうよ。シャルは優しい子だから、ずっとこの家の将来のことを心配してくれていたでしょう? でもね。男の子が生まれても、女の子が生まれても、この家の将来は、このお腹の中の子に託しますからね。もうシャルは、なんの心配もしなくて、自分の幸せのことだけを考えていいのよ」
「あ……」
なぜだろう。
私がお嫁に行くと決まってから、この家がどうなってしまうのか、確かにエマに泣きついてしまうほど、心配していた。
それに、ずっとエマとエイドの関係に憧れていたので、私も弟や妹が欲しかった。だから、弟や妹が出来るのは素直に嬉しい。
それなのに、心にぽっかりと、穴が空いたような、不思議な感覚になった。
「この子とたくさん、遊んであげてね、シャル」
お母様は私の頭を撫でながら優しく微笑みながら言った。
「はい。もちろんです!!」
私は慌ててそう答えたが、私の心にはずっと何かがひっかかっているように思えた。
☆==☆==
食事が終わって、エマと一緒に寝室に向かった。そして、寝室に入るとエマが私の手を取ると、手を繋いだままベットに座らせると自分も私の隣に座った。
「お嬢様、どうされたのですか? 元気がないですね。……まさかとは思いますが……ハンス様のご両親に何か酷いことを言われたのですか?」
「えええ!! 違うわ。全く違うわ!! ハンスのご両親は、お優しくて、私のことを大切にして下さって、とても素敵な方々だったわ!!」
私は元気に振舞っていたつもりだが、エマには、私の態度が変だということが、バレてしまった。だが、まさか『ハンスのご両親が原因だ』と思われていたとは、夢にも思わず私は急いで否定した。
「それは、大変喜ばしいですが……では、どうされたのですか?」
エマは相変わらず心配そうに、私の顔を覗き込んでくる。
私は、自分の思いを口に出すことにした。
「私に、弟や妹が出来ることは、本当に本当に嬉しいのよ? でもね……胸の中がソワソワしたり、落ち着かない気持ちになるの……自分でもどうしてなのか、よくわからないのよ……」
私は自分でもよくわからない感情を、エマに伝えてみた。すると、エマが私のもう片方の手を取り、両手を握った。
「お嬢様。それ、私も8年前に体験しました」
「え? エマもこんな気持ちになったの?」
私は驚いてエマを見た。
「はい。私とエイドが、ウェーバー子爵邸の前に捨てられていた話を覚えていますか?」
「ええ」
実は、エイドとエマは、幼い頃にウェーバー子爵領の邸宅の前に、捨てられていたらしい。その時、エイドは2歳。エマは1歳。エイドが、ようやく歩けるかというエマを抱きかかえて、門の前に座っていたらしい。
エマとエイドを見つけた時、お父様はまだ結婚をしていなかったし、貴族学院を卒業したばかりで、仕事が忙しかったので、一度は施設に預けようと思ったらしい。だが、どうしても、2人のことが心配で、『自分が2人を育てる』と言って引き取ったらしい。エイドが言うには、自分たちがいたから、お父様の婚期が遅れたと言っていたが、お父様は『エイドとエマがいてくれたから、こんなに愛情深い妻と出会えた』といつも惚気ている。
この話をエマもエイドも普段と変わらない様子で話してくれるので、私も知っている。
だが、なぜ今、その話をするのだろうと不思議に思ってエマを見ていると、エマが懐かしそうに笑った。
「実は、お嬢様がお腹にいるとわかった時、エイドと私も、今のお嬢様と同じ気持ちになったのです」
「え? エマとエイドも?」
「はい。こんなことを言っては、申し訳ないかもしれませんが、旦那様と奥様は、私たちにとっては、父と母のような……兄と姉のような……そんな存在でした。だから、お嬢様にお2人を取られてしまうように思って寂しくなってしまったのです。実際、旦那様と奥様はお嬢様がお腹にいる時からとても溺愛していましたから。……ちなみにお腹の中にいた時のお嬢様の呼び方は『天使ちゃん』か『天ちゃん』でした」
「天使ちゃんに、天ちゃん?! ああ、でも想像出来てしまうわ」
お父様が、お母様のお腹に向かって『天使ちゃん』と話かけている姿は容易に想像出来てしまった。
「ふふふ。そうでしょう? だから、今のお嬢様のように寂しい気持ちになったのですが……」
「ですが?」
エマは満面の笑顔で答えてくれた。
「ふふふ。生まれてきたお嬢様は、本当に『天使の生まれ変わりではないか?!』と心配してしまうほど可愛くて、エイドも本気で『どうしよう。俺、天使にしか見えねぇ。神さまが取返しに来るんじゃ……』と言って心配するくらい可愛くて、可愛くて、寂しいなどいう気持ちはどこかに吹き飛びました」
「エマ……」
エマとエイドは、いつも私にたくさん愛情を注いでくれたので、私もその話は自然と心にしみ込んで、まるで乾いていた大地が水で潤っていくように、私の心は満たされていた。
「そうか、私、寂しかったのね」
「……そうだと思います。でもね、きっと『ああ、エマの言った通りだった』って日が来ますよ」
エマが私に向かって片目を閉じたので、私は自然に笑っていた。
「ふふふ。そうね」
「さぁ、お嬢様。ベットに入りましょうか」
「ええ」
私はベットに入ると、エマが私のおでこにキスをしてくれた。
「おやすみなさい、お嬢様」
「おやすみ、エマ」
バタンと扉が閉まる音がして、エマが部屋から出て行った。
私は、じっと天井を見つめた。
――寂しい。
もしかして、ハンスが乗馬を頑張ったのは、ご両親に会いたかったからかもしれない。大会のようなきっかけが無ければ、きっとお忙しいホフマン伯爵領にいるハンスのご両親がハンスに会いにくることは難しそうだ。それなのに私は、ハンスが自分とは違う道を選びそうで寂しいと思った。
私を視界に入れなかったゲオルグに対しても、ずっと仲がよかったのに、寂しいと思った。
弟か妹が出来て、領を任せると言わせたことが、まるで私はもう必要ないと言われたように感じて寂しいと思った。
「私、寂しかったんだ……」
ずっとモヤモヤしていた感情に名前を付けてみると、どこか落ち着きを取り戻した気がする。すると、急に眠気がやってきた。私はそのまま静かに目を閉じたのだった。