9 三者面談
[小春視点]
あれから数日が経ち、三者面談がやってきた。今は、春斗と教師の前の廊下に置いてある椅子に座っている。春斗は、どこか緊張しているようで、膝の上に置いた手が少し震えていた。春斗は、こちらを向いた。
「ママ、何話すのかなぁ」
「きっと、成績や生活の事についてじゃないかな」
「...そうかなぁ」
正直、私は三者面談が苦痛だ。元恋人である、結斗先生と面と向かって話すのなんて気まずすぎる。保護者として接しなければならないのはわかっている。だが、再会してから意識している部分もある。春斗以上に私の方が緊張しているのかもしれない。
数十分経つと、教室から面談していた子が出てきた。椅子から立ち上がり春斗は、その後に駆け寄る。
「くるみちゃん、やほ」
「お、春斗くん」
2人はハイタッチを交わす。胡桃ちゃんを見ると、こないだのガラス事件の事が頭によぎる。胡桃ちゃんは、母親がいない事を気にしていた。それを知った父親の宗一郎さんは妻と離婚した過去を後悔していた。胡桃ちゃんは、母親がいない環境に慣れていた。だが、それは環境に慣れていただけであり、気にはなっていたのだろう。そして、片親がいないと揶揄われあの事件が起きた時。初めて父親の前で自分の本当の気持ちを吐いたのだろう。胡桃ちゃんとバイバイしてお別れした。胡桃ちゃんのお父さんと、軽く会釈をお互いにする。私は、椅子から立ち上がり春斗と手を繋ぎながら恐る恐る教室へ足を踏み入れる。
「どうぞ、桜庭さん」
「しののめせんせーっ」
「...ありがとうございます」
春斗は、東雲先生が見えた瞬間、緊張がほぐれたようで元気に挨拶をした。私と春斗は、椅子に座る。東雲先生は、目を閉じ一回深い深呼吸をし、目を開く。東雲先生も緊張しているのだろうか。
「...改めまして、こんにちは。僕は、担任...の東雲結斗と申します。この度は、三者面談にお越しいただき、誠にありがとうございます」
面談が始まった瞬間、空気が重く感じられた。彼は教師として落ち着いて、面談に臨んでいる。私は春斗の母として落ち着いて望まなければ。
「...春斗がお世話になっております。春斗の母の桜庭小春...です」
何も余計な事は考えず、声に出していた。だが、その声は震えていた。東雲先生の視線が私に向けられる。緊張している事を勘付かれてしまったのか。
「大丈夫です。そんなに堅くならないでください」
彼は私に笑顔を向けた。胸の奥が熱くなる。だが、それとともに彼が私に向けている笑顔は、他の保護者にもきっと向けられている事務的なものだろう。私だけに向けられている笑顔ならよかったのに。
「それでは、授業中の彼について話したいと思います。まず、友達思いのいい子です。うちのクラスには引き算苦手な子が沢山いまして、友達と考えながらやってみようという時に紙に絵を描いて、友達にわかりやすく教えていました。君のおかげでたくさんの友達が引き算できるようになったんだよね」
「うん、かえで君や、くるみちゃんにありがとうって言われた」
「良い子ね、春斗」
自慢してくる春斗の頭を撫でた。絵を描いて友達に教えるというのも、絵を描く事が好きな結斗からの流れている血の証でもあるのかなとも考えた。それと同時に、東雲先生が春斗の事を名前で呼べば良いのにこの子や君と言っている事が気になった。
「はい。こないだのガラス事件の時以降、この子...は、胡桃ちゃん、蒼夜君とたくさん遊ぶようになりました」
話は、こないだの教室のガラスが割れたあの事件への移る。春斗は、勇気を出して胡桃ちゃんを守る為に、立ち向かったがそれが裏目に手でしまった。ガラスが割れてしまった後、校長室に呼ばれた時に見た胡桃ちゃんと宗一郎さんのやりとりを思い出すと心が痛む。だが、あの事件以降、春斗が蒼夜君や胡桃ちゃんと遊ぶようになったと聞き少しだけ心が軽くなった。
「...それはよかったです」
蒼夜君や胡桃ちゃんと仲良くなったと言う話は安心するが、彼が春斗の名を口にしない事が少し気になっている。蒼夜君や胡桃ちゃんの名前は口に出す癖に。彼は、息子の名を口に出さないのは、偶然か、それともわざとなのか。どっちにしろ私が考えすぎなのか。そして、次の話題へと移り変わる。
「で、君は将来の夢あるかな」
東雲先生が笑顔で春斗に聞くと、春斗は元気に頷いた。そして、目がキラキラと輝く。
「うん。僕、誰かに勉強教えるの楽しいから、学校の先生になりたいっ」
東雲先生は、「おぉ」と小さく声を出し、嬉しそうな顔をしていた。その言葉に私は言葉を失った。息子の夢を応援するのが、親の役目でもある。だが、自分が本当になりたかった教員と言う職業になれなかった身だ。それは自分のせいでもある。だが息子の夢でも、肯定することはできなかった。一緒に同棲しながら、勉強に励んだ結斗とのあの時間。だが、全てが崩れ去った。春斗の夢が学校の先生だなんて、まるで私達の過去を思い起こさせるような、皮肉な巡り合わせに感じた。
「春斗、学校の先生になるのは難しいの。だから、他の道を選びなさい」
自分らしくない冷たい否定の言葉が出てしまった。はっと我に返る。自分の過去の都合で息子の夢を否定してしまった事に、酷く失望する。
「桜庭さん、気持ちはわかります。ですが、この子が先生になりたいと自分で決めたんです。だから、一緒に応援をしてい...」
私の鋭い視線に、彼は言葉を途中で切ってしってしまう。目の前の彼は、自分の夢が叶い教師になれた。血を分けた息子が同じ職業を目指すなんて、彼にとってはとても嬉しいことだ。そんな夢を叶えた彼に、私は嫉妬していたのかもしれない。これではまるで、息子の夢を肯定する父親と否定する母親の対立みたいだ。
「東雲先生は、教育者の立場から子供達どんな夢でも応援されると、そう仰っているのですよね」
「いいえ、そんなことではありません。この歳から夢を持つことはとても良いことです」
彼の無責任な言葉に更に血が頭に上る。私が教師という道を諦め、どれくらい大変な思いをして春斗を1人で育ててきたのか。東雲先生は父親として何もしてくれなかった。いや、タイミングが悪かっただけなのかもしれない。それなのに、担任になったからと言って春斗の夢を軽々しく応援するなんて。自分でもわかる、私の今の顔はとんでもなく醜いものだ。東雲先生の表情は笑顔が薄れ硬くなっていた。小春は、机に両手を置き椅子から勢いよく立ち上がる。
「東雲先生、軽々しく応援するなど言わないでもらってもいいですか。夢を叶えた人間に、挫折した人間の気持ちなんてわかるわけありませんよねっ」
私は、東雲先生に対してではなく結斗に対して言葉を吐く。結斗は、私と目が合わないように目を逸らした。春斗は、私と結斗のただならぬ雰囲気に怯えた顔をしている。結斗も勢いよく椅子から腰を上げる。
「桜庭さん。確かに桜庭さんの言い分もわかります。ずっと勉強頑張って教師になれなかった未練もあると思います、ですが」
「未練ですって...東雲先生、貴方は悠々とよく教師になれたましたね」
「悠々って...俺だってそんな簡単に教師になったつもりじゃないんですよ」
大切な息子の面談で、彼と言い合いになってしまうなんて思ってもなかった。こんなのはまるで誰かに取り憑かれられているみたいだ。枯れた笑いを浮かべる。その笑いが私のイライラを更に沸騰させる材料になってしまう。
「簡単とかそういう話ではないです。けど、でも」
「しののめせんせーも、ママもやめてっ」
私が言葉を言いかけた時、春斗が叫んだ。その声は教室に響く。春斗の頬に一粒の雫が垂れ落ちる。結斗も私もその涙を見て、静かに席に座る。私は、春斗の背中を撫でる。春斗からすれば、目の前で母親が担任と喧嘩していて、怖かったはずだ。
「...ごめん。春斗を怖がらすつもりじゃなかった」
優しく言うが、春斗の涙は止まらない。
「ごめんね。ママは、きっと君の将来を考えて、必死になっただけだからな」
彼の声は柔らかく、春斗を安心させようとしていた。だが、私の心のモヤモヤはまだ消えない。春斗を名前で呼んでくれればいいのに。彼が春斗を『君』や『この子』と呼ぶたびに、距離を置いている気がする。父親として何も出来なかった罪悪感から目を背けているだけなのか。数分経って、春斗は涙を拭い、静かになった。そして、結斗と私を交互に見つめた。
「...しののめせんせー、ママ...僕強いから。もう泣かないよ」
そして、ニコッといつもの笑顔を浮かべた。春斗の笑顔は、結斗が笑った時にとても似ていた。やはり、この子は彼と私の血が混ざり合っているのだ。
「偉いね」
彼はその言葉だけ呟き、柔らかな笑顔で春斗を見つめるが、どこか寂しそうな表情もしていた。教室の丸い壁時計を見ると、面談は予想の時間より5分も伸びていた。本当は、春斗の事をもっと話さなければならなかった。それなのに、結斗への嫉妬や、苛立ちが爆発してしまい大人気ない言い争いをしてしまった。なんて私は愚かな母親なのだろう。私は、春斗の手を握り席を立つ。
「...では、お時間なので。今日は本当に申し訳ございませんでした」
「...こちらこそ、申し訳ございませんでした」
彼に対して頭を深く下げた。彼も、頭を深く下げる。そして、同じタイミングで頭を上げる。
「春斗の学校生活についてもっと沢山お話聞かなければいけなかったのに、取り乱してしまって...。こんなんじゃ、母親失格ですね。では失礼します」
「そんなー...」
そう言い教室の扉を開け、廊下に出た。最後に東雲先生が何か言いかけ、私は立ち止まった。だが、今の私にとって必要なのは、旦那なんかじゃない。春斗にとって未来が必要なのだ。結斗に助けてもらった思い出も、一緒に教員免許取るために励んだ日々も今の私には必要ない。今の私に必要なのは、春斗にとって明るい未来だけなのだ。涙が出そうなのを必死で堪え、春斗の手を握り教室を後にした。昇降口に出るまで、ずっと結斗の事を思い出してしまい、気分が重い。ぼーっと、歩いていると、私を呼ぶ声に気がつく。
「春斗くん、桜庭さんっ」
後ろを振り返ると、飛竜先生がいた。飛竜先生は、元気な表情だ。春斗も、飛竜先生に手を振る。そして、2人がハイタッチをする。
「ひりゅーせんせだーっ、やっほー」
「...桜庭さん、なんかすごい元気がないみたいですが、何かありましたか」
飛竜先生は、私の事を見透かしていたらしい。東雲先生との事が重くのしかかっていた。誰にも気持ちがバレたくないと、いつもの笑顔を貼り付けていたつもりだったが、どうやら飛竜先生の鋭い観察力には無効化だったようだ。
「いや...そんな事ないです。ふふ、心配してくれてありがとうございます。飛竜先生」
飛竜先生は、私に少し近づいて、自信満々に言葉を紡ぐ。
「桜庭さん、何か悩んでいる事があれば、この飛竜にいつでも声かけてきてください。俺は、担任ではありませんが、俺にとって春斗君も大切な生徒の1人ですので」
その言葉は何故だかかっこよく聞こえた。そして、私の頑張りが少しだけでも報われるような言葉だった。すると、また後ろから足音が聞こえた。
「飛竜先生、何話してるんですか」
「よお、秋海棠先生」
「やほー、詩織先生」
新たに話に加わってきたのは詩織先生と呼ばれる先生だった。入学式の時にぼんやり見た気がしたくらいだったが、詩織という名前を聞いた瞬間、ある事を思い出してしまった。こないだ春斗が学年集会であった事を話してくれた内容。
『でね、しののめせんせー、2組のしおりせんせーとめっちゃ仲良くて、手と手がふれあってたんだっ。でね、左手がしおりせんせーの手、右手がしののめせんせーの手で、しおりせんせーがね、右手でしののめせんせーの肩を叩いてたら、しののめせんせーも、右手を左にもっていって、しおりせんせーの肩に手を置いたんだ』
春斗は、自慢げに話していた。そして、自分の両手で2人の手が触れ合った時の再現をしていた事を思い出す。結斗と仲が良い異性の教師。それが今目の前にいる、彼女なんだと。私は、詩織先生と話すのが気まずくなり春斗の手を引く。
「帰るよ、春斗」
「えー、まだひりゅーせんせーと、しおりせんせーと話したい」
息子は駄々こねるが、私は無言でその場を立ち去った。後ろから、「春斗君バイバイ」という声が重なり聞こえてくるが、私には関係ない。