10冷たい空
#再び縁結び
[3人称視点]
三者面談が終わり、家に帰った後の小春と春斗の間には重い空気が流れていた。春斗の前で感情的になってしまったこと、春斗の教師になりたいという夢を否定してしまったこと。いつもは楽しい食事の時間も今日は気が重い。春斗もいつもママの料理美味しいと笑顔を見せてくれるが、今日は小春と顔を合わせずひたすらに料理を口に運んでいる。静かな食事が終わると、春斗はすぐに自室に引っ込んでしまった。いつもなら、絵本を読んだり、一緒にテレビを楽しんだりする時間なのに。彼女は食器を片付け終わるとソファに座り込んで置いてあったクッションを両手で握り締め、顔を埋める。
「(どうしてこうなっちゃったの)」
心の中で過去を引きずり、後悔をしていた。そんな彼女の心を表すように、しとしとと雨が降り始める。小春は、クッションを放り投げ、立ち上がった。タンスの引き出しを開けた。奥に眠っていた恋人時代に結斗と撮った写真を手に取り、じっと見つめた。2人で休日に縁結びの神様が祀られている鈴蘭神社へ行った時の写真だ。紅葉を前に、はにかみながら手を繋ぎ写真に写る2人がそこにはいた。小春は、少し目を細める。だが、小春は首を横に振り、またタンスの奥へと閉まった。幸せだったあの頃を封印するかのように。
翌朝、学校はお休みだが雨は土砂降りだった。リビングで目を覚ました小春。どうやらソファで眠ってしまったようだ。思い身体を起こし、春斗を起こしに部屋へ向かう。ドアを開け、春斗の身体を揺すった。
「起きなさい、春斗」
彼は、目を擦りながら上半身を起こす。小春は、昨日の事を思い出しながらもいつものように接する。
「...おはよう、まま...」
「朝ごはん作るから、顔洗ってきなさい」
そう言い残し部屋を出た。朝食を作りながらも結斗と恋人時代に撮った写真の事を頭に浮かべた。
「(駄目よ、そんな事考えては。だって、もう彼と私の間に愛なんてないもの。とっくに愛なんて捨てたから)」
心の中で自分に言い聞かせながら、包丁で人参を切っていた。春斗は、顔を洗い終わったようで、食卓につく。春斗も昨日の事を気にしているようで、いつもの元気さは失っていた。そして、食事の支度が終わり、2人は食べ始めた。また昨夜のような静かな食事の時間となってしまった。無言で食べ進めていて、2人が食事を終えた。
「ねえ、ママって、しののめせんせーのこと嫌いなの」
春斗は、眉を顰め小春に質問を投げる。春斗を見つめたまま小春は、予想外の息子からの言葉に固まる。机を思いっきり叩くと共に言葉を放つ。
「東雲先生の話はもうやめなさい」
小春の鋭く冷たい言葉が響き渡る。春斗は、ビクッと肩を震わせ顔が青ざめていく。彼女は、春斗を睨む。だが、春斗も小春に対して、尊敬する先生を侮辱されて腹が立っていた。母親を睨み返す。
「なんで、ママはそんなことばっかり言うの。しののめせんせーは、良い先生だよ。ママが、せんせーのことわかろうとしていないだけっ」
「...あんたって子は...」
その瞬間、バチンと言う音が部屋に響き渡る。小春は、春斗の頬を叩いてしまったのだ。春斗は、ジンジンと痛みが走り両手で、叩かれた頬を抑えた。春斗の目から涙がこぼれ落ちる。小春は、振り上げた手を下に下ろし、青ざめた顔で春斗を見つめた。小春は咄嗟に膝を屈め、春斗の目線に合わせる。そして、彼の肩に手をのせるが、春斗はその手を振り払う。そして、泣きながら一言だけ浴びせる。
「ママなんて、大っ嫌い」
そう言い、部屋を飛び出してしまった。玄関のドア閉まる音がする。小春は、どうせすぐ戻ってくるわよねと自分に言い聞かせた。そして、1人取り残された小春は、玄関の閉まったドアを見つめ、呟いた。
「...もうどうにでもしなさい」
それから、1時間が経過した頃だった。春斗がいまだに帰ってこない事で胸がざわついていた。春斗の部屋、バスルーム、お手洗い、リビング、ベランダを何回も見て回るがどこにも春斗の姿がない。雨はまだ土砂降りだ。春斗が愛用している傘も玄関の傘立てに置いたままだ。小春は、春斗を追いかけなかった自分に失望していた。玄関のドアに寄りかかる。彼女は、自分の母親としての未熟さに泣き崩れた。もしかしたらと学校や友達の家に電話をかけてみた。だが、春斗は来ていないと返答されるばかりだった。小春は、他に当てがありそうな電話番号を探してみたが駄目だった。小春は、ある電話番号が目に入る。それは、結斗の電話番号だった。業務連絡用に交換した電話番号だ。彼が忙しいのは知っている、だが彼に頼るしかなかったのだ。小春は、恐る恐る結斗に電話をる。耳にスマートフォンをあてた。
『...はい、お電話ありがとうございます』
「...東雲先生、桜庭小春です。」
『あぁ...。こは...、いやどうされましたか桜庭さん』
電話の向こうの彼は気まずそうだった。三者面談の件は、小春だけではなく結斗も気にしていたのだろう。小春は、冷静に話そうとしていが、感情が溢れしまう。
「...結斗、結斗...っ、私...、どうすれば良いのかわからないのっ」
「...ど、どうした。取り敢えず落ち着いて...」
彼女の取り乱した声に、結斗は只事じゃないと察し始めた。小春にとって、今の結斗の声はとても柔らかいものだ。教師としてじゃなく、元恋人としての声に聞こえたのだ。
「...私、春斗の母親なんて名乗る資格全くないのっ...。あの子は、結斗の事を尊敬していた、でも...私のせいであの子は傷ついて、土砂降りの中っ...うぅ...。外に行ってしまったのっ...。学校とか楓くんとか蒼夜くんの家に電話してみたけど、春斗は来てないって言われてっ」
『わかった、あの子...探すよ。いたらまた連絡する』
そして、彼は電話を切った。小春は、居ても立っても居られなく、傘を持たずに外へ飛び出した。彼女は雨に打たれながらも甘夏市を駆け回る。髪が額にくっつき靴が重くなっていく。思い当たった雨宿りができそうな場所を捜した。いつも行くスーパー、図書館、コンビニ。だが、春斗の姿は見当たらない。交番にも事情を話すが「男の子は来ていない」と言われるだけだった。ずぶ濡れの雨の中、身体が冷え切り俯いてただ道を歩く。橋の上を少し歩き、しゃがんだ。雨なのか涙かわからないものが頬を伝う。
「は...ると」
彼女は呟き、両手で顔を覆う。すると、足音が近付いてきて、自分がいる所には雨が降ってこなくなった。顔を見上げ、振り向くと結斗が傘を差していた。結斗の身体は濡れていた。
「桜庭さん、傘...持っていてください」
小春は、目を拭い立ち上がる。だが、結斗の言葉に首を横に振る。彼と目を合わせようとはしない。彼女は髪を耳にかけ目を細める。
「いいえ、結構です。保護者だからって気を遣ってくださらなくて」
だが、彼ははため息を吐き、小春に傘を強引に持たせた。小春はやっと、彼と目を合わせる。
「...ったく、そういう頑固なところ昔から本当変わってないんだからな...」
彼の声は少し苛立ちも含んでいた。小春に背中を向け、また走り出してしまう。小春も自由を落ち着け、渡された傘を握る手に力を込め、反対方向に向かい春斗の捜索を再会した。小春がやってきたのは、鈴蘭神社だ。ここにはいるはずがないと思いながらも、境内を見渡した。すると、東屋に身を縮めて座っている男の子が目に入る。雨で体温が下がり体をぶるぶると震わせていた。
「春斗っ」
彼女は走り彼の元へ行き、抱き締める。小さなその身体は震えていた。春斗は小春の背中に手を回し強く握る。
「ママ...っ、ごめんなさい」
「ごめんねっ、こんなママで本当にごめんね。春斗は何も悪くないのっ」
小春は精一杯、春斗を抱き締めながら謝る。雨に濡れた春斗の身体は冷たく、小春の胸を締め付けた。すると、小春の後ろから声がした。
「あぁ...見つかったんだ。よかった」
小春が振り向くと、ずぶ濡れになった結斗がそこにいた。結斗は、春斗の横に来ると、身を屈め春斗の頭を撫でた。
「...せんせっ」
「良かったな。ママと再会できて。...もう勝手にママのそばからいなくなったらダメだぞ」
結斗の柔らかな表情と言葉で涙で濡れていた春斗の目は徐々に温かさを取り戻す。そして、結斗に頷き、指切りを交わす。小春は、息子を抱きしめていた腕を解き、立ち上がり結斗を見つめ、深くお辞儀をする。
「東雲先生...。忙しかったと思うのに...ありがとうございました...本当に」
頭を上げ、言葉を続けようとしていたが感謝と後悔が交差し、胸を締め付けられ言葉を続けれなかった。結斗は、静かに首を横に振る。そして視線を小春から春斗に向ける。
「...いいえ、この子は俺の大事な生徒ですから。当たり前のことをしただけです」
やがて雨は止み、ドス黒い空からオレンジの空が覗いていた。鈴蘭神社の境内は、静寂に包まれ3人の温かい話し声が聞こえるだけだった。