舞い降りる桜⑤
いちごside
小さな池では、5匹の鯉が優雅に泳いでいて。
松は丸みを帯びた形に整えられていて。
玄関の手前までは、白っぽい砂利が一面に広がっていて。
な、なんと言いますか……草むしり、必要ないのではないでしょうか……
ザワついていた心をも忘れさせてしまうほどに、榎本さん宅のお庭は手入れが行き届いていました。
確かに所々に雑草は生えていますが、綺麗なお庭に見事に溶け込んでいて気になりなんかしません……
こーくんも同じく驚いているようで、顔色一つ変えないのは魁星先輩だけ。
以前も来られたことがあるのでしょうか。
魁星先輩はズンズンとお庭に足を踏み入れ、玄関扉の横のインターフォンを人差し指でトン、と押されました。
その数秒後、ガラガラッと音を立てて玄関扉が開きました。
中から出てこられたのは、お上品な気が漂う20代ほどに見える女性でした。
丈が短いハイネックの黒いニットにジーパンといった一見普通のファッション。
しかし、ショートヘアと整った顔立ち、落ち着いた色のリップとピアス、口元のホクロが、目が離せないほどの魅力を生み出していました。
……あれ?
榎本さんは58歳女性だと伺っていますが……
状況が呑み込めない私を置いて、魁星先輩はサッと会釈をされて。
「里香さん、お久しぶりです」
「あっ、魁星くん?身長伸びたね!一年ぶりかな?」
「そう……ですね。去年の3月以来……?」
「うん!それで今日は……」
「美智子さんからの依頼で、草むしりに」
「あ〜、またお母さん依頼しちゃったの?草ほとんどないのに……」
お母さん……?
ということは、こちらの女性は榎本美智子さんの娘さん?
やっと理解が追いついてきた私とこーくん。
そして里香さんも、魁星先輩の後ろに隠れていた私たちに気が付かれたようで。
「あれっ、もしかして君たちも平和部の子?見たことないってことは、もしかして一年生?」
その質問にいち早く反応するのは、やはり私ではなくこーくんで。
「はいっ、住岡航太です!よろしくお願いしますっ」
「ふふっ、元気があっていいねっ。よろしくね」
「はい!」
元気があっていい……私も、こーくんみたいに!
「はっ、初めまして!片倉いちごですっ。よろしくお願いしますっ」
「あははっ、そんなに緊張しなくてもいいよ。よろしくね、いちごちゃん」
「!は、はいっ」
や、やりました……っ
緊張してることはバレてしまいましたが、ちゃんと声出せましたっ。
それが嬉しくて、こーくんの方を向くと。
ナイス、といった感じで、ウインクをして下さいました。
そこから私が浮かれてしまっていると、いつの間にか魁星先輩とこーくんは軍手をされていて。
わわわ、置いていかれてしまいますっ。
私も急いで軍手をして、早速草むしりを始めます。
どうやら、里香さんのお母さん、美智子さんは、野菜の苗を買うために外出中だそうで。
そして里香さんはというと、美容系のお仕事の長期休みが取れたらしく、1週間ほど前からご実家のこちらへ帰省されているそうです。
草むしりを初めてから10分ほど。
里香さんがコップに麦茶を入れてきて下さいました。
縁側に腰を下ろし、視線をおぼんに落とされて。
「麦茶入れてきたから、よかったら飲んでね。あ、あとマシュマロも持ってくるね」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます!」
「あ、ありがとうございますっ」
そして池の中の鯉を眺めながら、里香さんはぽつりと呟かれました。
「お母さんってば、こんな若い子たちに草むしりなんてやらせて……」
その言葉からは、申し訳ないといった思いが窺えました。
その里香のご様子に魁星先輩は、既に汚れてしまっている体操服も無視して、優しい笑顔で、
「いえ、俺たちがしたくてするので」
と仰いました。
「いい子だねぇ。自分が汚れてるみたいに思えてくるな」
里香さんが……汚れている?
「そ、そんなことありませんっ」
「え?」
まだ出会って数十分だけれど、これだけは分かります。
「里香さんはとってもお綺麗ですっ……だから汚れてるなんて……そんな、こと……」
そこでハッとします。
わわわ私、初対面の方に何を言ってしまっているのでしょう……!?
生意気だって、思われてしまったかも……
雑草をギュッと握りしめて俯き、顔を上げることが出来ないでいると、不思議なほどに安心感のある里香さんの声が、聞こえてきたのです。
「ありがとう、いちごちゃん。私が綺麗だって言葉、すごく嬉しいっ」
「っ……!」
顔を上げると、里香さんはとっても眩しい笑みを浮かべておられました。
それを見てなんだか、胸が温かくなって。
里香さんを、笑顔にすることが出来た。
私は間違っていなかった。
それが思った以上に嬉しくて、私は少し泣きそうになってしまって。
そして何より、
この平和部の活動に、惚れてしまって。
人助けという行動は、思っていたよりもずっと人の心を動かすもので、私も魁星先輩みたいになれるかもしれない、そしてなりたいと、思ってしまいました。
そんな気持ちを胸に、私は1時間の草むしりを終え、里香さんとのお別れの時がやって来ました。
「わ、めっちゃ綺麗になったね〜!ありがとうみんな〜」
「いえ、こちらもお茶とかお菓子とか頂いてしまって」
「ありがとうございました……っ」
「美味しかったです!」
「あははっ、それは良かった」
里香さんは明後日、ここから離れた一人暮らしのアパートに戻ってしまうそうです。
だから次会えるのがいつになるのか、分からないのです。
そう思うと、里香さんのお顔が真っ直ぐ見れなくて。
涙で滲んでしまっているこの瞳に、気づかれたくなくて。
でも顔を合わせないのはやはり不自然だから、すぐにバレてしまいました。
「……いちごちゃ〜ん。目合わせてくれないと、里香さん悲しいな〜」
「っ……りか、さん……」
悲しいなんて言われてしまうと、そうせざるを得なくなってしまいます。
私は滲んで見える里香さんと、目を合わせました。
「やっぱり泣いてた。初対面で1時間しか話してないのにここまで泣いてくれるなんて、いちごちゃんはいい子だね」
「ちが、います……っ」
「違くなんかないよぉ。いちごちゃん人見知りなんでしょ?なのに私と頑張って話してくれた。それに私美容系の仕事だから、いちごちゃんが綺麗って言ってくれたのが余計に嬉しかったんだ。確かに会うのは難しくなるけど、実家に帰ってきて、いちごちゃんに出会えて良かったって思う!」
「っ……ぐす。わたし、も……里香さんに出会えて、良かったです……っ」
まさか入学式の日に体験入部でこんなに泣くことになるなんて、思いもしませんでした。
悲しい涙だけれど、素敵な出会いがあり、少しだけど成長も出来た体験入部になりました。
里香さんはお別れ際、私たちに缶ジュースをくださいました。
魁星先輩はりんご、こーくんはみかん、そして……
「はいっ、いちごちゃんはいちご!」
「あ、ありがとうございますっ」
私の名前に因んでいちごを選んでくださったのでしょうか?
そう思うと、缶ジュース1本が、とても特別なものに思えました。
「みんなほんとにありがとう〜、お母さんは帰ってこなかったけど……」
「美智子さんにまたいつでも行くとお伝えください」
「でも大丈夫?負担になってない?」
「全然。地域の人達に喜んでもらいたいっていう、結局は自己満ですから。それがただ、人に褒められるようなことだっただけです」
先程から、魁星先輩の言葉一つ一つが、とても重く感じるのは何故でしょう?
「……そっか、分かった。そう伝えとくねっ」
「ありがとうございました、さようなら」
「さよ〜なら!」
「ありがとうございましたっ、さ、さようならっ」
「うん!みんなありがとう〜!」
そして段々とお家を離れていく私たちに、里香さんは、両手で大きく手を振って下さいました。
きっと、私がこの胸の温かさを忘れることはないと、強く思いました。
慣れているとはいえ、草むしりは疲れます。
けれど、終わってしまったことが寂しくて、まだ里香さんとお話しながら草むしりをしていたかったと、思いました。
胸にそっと手を当てた私に、魁星先輩は尋ねてこられて。
「どうだったよ、この部活。めちゃくちゃ楽しかっただろっ?」
「!」
そう仰った魁星先輩の表情は、出会って初めて見る、少年のような無邪気な笑顔で。
ああ……魁星先輩は、心からこの春咲町を、平和部を、愛していらっしゃるのですね……
そう確信出来るほど、その笑顔は眩しくて。
「で、どうする?無理には進めないけど、入って損はさせないし、絶対いい経験になるぞ」
「……そう、ですね」
決めなければならないその時は、あっという間にやって来ました。
「私は……」