【童話】かまきり君の最後の脱皮
一、最初の脱皮
俺たちは、生まれたとき、両の前足に「かま」をもった、もういちにんまえのかまきりとして生まれてくる。
卵からでるときこそ、うすい膜のなかに入っているが、そとに出たら膜をやぶる。一度に二百匹がでるので、あたりいちめんがちびっちゃいなかまたちでいっぱいだ。
しばらくにらめっこしたり、べつの枝にとびうつったり、下に落ちたりしてあそぶ。そのうちあそびにも飽きて、みんなてんでに、自分のすきなところをたんけんに行くのだ。
俺たちがうまれた雑木林には、他のいきものもたくさんいた。
竹やぶ。いちばん大きな長老の木、まわりに生えてるそのこどもや孫の木。ありとあらゆる草花、みつをもとめて集まる虫たち。
地面には、俺たちこどものかまきりのえさになる虫がいる。ぎゃくに、大きな虫やとりたちはすきあらばと俺たちをねらってた。
林のそばには川が流れてる。
流れはゆるやかにまがっていて、そのなかに河原があり、俺たちが生まれた林がある。さらにそのむこうは垂直にきりたった崖になっていた。
背がたりないのか、崖のてっぺんまでは見えない。いつか、あの崖のてっぺんを見てみたい、と俺は思った。
林にもどると、みんながくちぐちに言う。
「お前、川に行っちゃあいけないって言われてただろ?」
「聞いてないのか」
正直、そんなはなしは聞いてない。
「なんで行っちゃあいけないんだ?」
ときいたが、ほんとうの理由は誰も知らないみたいだった。ただ、
「だれかがそう言ってた」
というばかりだった。
二、ひたすら、崖をのぼる
何度目かの脱皮ののち、俺はねんがんの、崖のぼりをはじめた。
まだうでのちからが足りなくて、なんどもなんども落っこちた。
落ちるときは、のぼっているときに、べつのことを考えてる。それか、迷ってる。すると、前足のかまのぎざぎざが、岩のひょうめんのひっかかりからはずれて、落ちるのだ。
それに気づいてからは、なるべくほかのことをかんがえず、一歩一歩、かまのぎざぎざと岩のでこぼこをかみあわせるようにのぼった。
崖のとちゅうには、ほんのちょっぴりの岩のすきまに根をはっている木がある。そんな木を見つけるたびにこかげでやすんで、葉っぱにたまったみずを飲んだ。
ゆくてに、巨大なクモの巣があらわれた。
がんじょうそうな網で、岩のすきまから生えている木と崖のあいだを、いっていのかんかくで区切っている。黄色と黒のしまもようのクモが網の中心で、じいっと俺をみている。
ちからのあるおとなのかまきりなら、あばれて網をひきちぎることもできるんだろうけど。さて、どうしたものか。
俺は考えたすえ、さっきみずをのんだ木までもどることにした。
この木の葉っぱはあつみがあって、まんなかのすじからいい感じに山なりにおれてる。いちまいいただいてあたまにかぶり、ふたたび崖をのぼる。
クモの巣のすぐ下から、あたまにかぶった葉っぱごと、ぜんりょくでつっこんだ。
「うぉぉぉりゃああああああー!」
網がやぶれた。近づいてきたクモに、べたべたする葉っぱをちからいっぱい投げつける。あいてがひるんだすきに、いそいで破れ目をとおりぬけた。
クモの目は、なにもかんがえていなさそうな、まっくろな目だった。
三、トンボのおじさん
俺はようやく崖のてっぺんにたどりついた。でも崖の上は、おもいえがいていた、ゆめのような場所ではなかった。
ごつごつとした石がおもいおもいの場所にころがり、そのあいだに、白や黄色の花をつけたたけのひくい草が葉を広げていた。
ただ、風だけはつよかった。崖のしたからふきあがる風が、うずになったりからまったりしながら、舞い舞いしていた。
まいあがり、円をえがく風をみあげているところ、トンボが一匹やってきた。
ふるさとの林によくいたシオカラトンボに色や形はにているが、そいつらよりひとまわり体がおおきくて、がっちりしている。筋骨たくましい、って感じだ。
石のうえにさっととまり、四枚のとうめいな羽をななめまえにがちゃっとそろえる。
「……かっこいい!」
おもわず、声がでてしまった。
トンボのおじさんはまんざらでもない風で、
「お前、そんなこと言って。オレを油断させて、食っちまおうってハラじゃねえだろうな」
という。
「ちがいますよう」
あわてて右足のかまを振ると、
「そうかあ? まあ、お前のようなこどものかまきりにつかまるようなオレでもねえけどよ」
ふん、と胸をはるおじさん。
「でもなあ、お前もすごかったよな」
「なにがですか?」
とたずねると、
「オレはなあ、お前が崖をのぼるところを、ずっと見てたんだよ。まだこどものくせに、なんべんも落っこちながら、よくのぼりきったよな。
クモの巣をやぶるところなんか、感動したよ。あの野郎、風の通りみちのぜつみょうなところに網をはってやがって、オレらの仲間がだいぶやられてたんだ。胸がすかっとしたぜい」
ずうっと見てくれたうえで、ほめられると、やっぱりうれしい。トンボのおじさんとはすっかりなかよくなった。
おじさんはふきあがる風にのってがけの上にやってきて、いろんなはなしをしてくれた。
崖のとちゅうにはえてる木のこと。クモのこと。川のこと(おじさんも俺たちがいた林のそばの川でうまれたそうだ)。
崖を川上にさかのぼると、「滝」(たき)があるとか。滝っていうのは、高いところから水がすごいいきおいで落ちてくるばしょのことらしい。
それから、崖の上から見えるいろいろなもの。いちばん遠くにみえるぎんのお盆みたいなものは「海」(うみ)といって、「しおみず」のかたまりらしい。
「しおみず? しおみずってなんですか」
「オレも知らねえけどよう。なんでもたいそうしおっからいってはなしだぜ」
「しおっからいってなんですか? どうして、かたまっているんですか?」
「馬鹿野郎。なんでもかんでもオレに聞くな! オレだってわかんねえんだから」
しまいには怒られた。
そうこうしているうちに、脱皮がちかくなった。体のまわりがかたあくなり、なかにいるじぶんが、のびあがりたくてうずうずする。
どうじに、大雨がふるよかんもする。
しょっかくの先、目、「かま」にはえてるぎざぎざに、いままでかんじたことのない湿気と、圧迫をかんじる。
うちがわからは脱皮、うえからはなんだかわからない圧力がかかって、からだが痛い。頭がおかしくなりそうだ。
トンボのおじさんに不安をうったえてみる。
「なんだかすごい大雨がふりそうな気がしませんか? もうすぐ脱皮するからかもしれませんが、からだがすごくくるしいんです」
おじさんは、
「ああ、オレも感じてるよ。今年は梅雨になっても雨がふらねえから、あぶないんじゃないかって仲間うちでも噂になってる。
お前はこれから脱皮か。気をつけろよ。よほど大きな石のしたにかくれたほうがいいかもしれねえな」
とおしえてくれた。
崖のうえでいちばん大きい石をさがし、下にもぐりこんで脱皮をまつ。
降りだした雨が、はば一センチもあるんじゃないかってくらいの大きな雨粒になって、石をばしゃばしゃばしゃばしゃたたいて落ちる。外には出られないが、音や、石からつたわる振動でわかる。
林にいたころは、木が雨から俺たちを守ってくれていたのだな、と思った。
脱皮にもふだんより時間がかかった。二日後、ようやくからだをかわかして、石のしたからはい出した。
しゅういをみまわしてみたが、とくにかわったことはない。いつものとおりごろごろ転がる石のあいだで、ひらべったい草がしろやきいろの小花を咲かせている。ただ、いつも花にあつまってるハエやあぶ、シジミチョウがいない。
トンボのおじさんが俺をみつけて、飛んできた。
「お前、しばらく見ないうちにおおきくなったな。もうすぐ羽がはえるんじゃないか」
言われて、せなかのしたをみる。腰のところに羽のようなものができ始めていた。
トンボのおじさんは、石にはとまらず、羽をはばたかせながら言った。
「あのなあ、お前のふるさとの、河原にあった林な。大雨で流されて、あとかたもないぞ」
「ええっ、うそ。ほんとですか?」
「疑うなら、自分で見てみろよ」
崖のさきまでいって、腹ばいになって下をのぞく。が、よくわからない。
おじさんに言うと、ニンゲンがつくったという、崖のうしろから(遠回りだけど)川におりる道を教えてくれた。
おじさんは「道」っていってたけど。倒れた木、折れた枝がぐしゃぐしゃにおりかさなり、あいだに葉っぱやら草や泥がたまってじくじくして足をとられる。道なんてものじゃあない。
越えられる木はのりこえ、下をくぐれそうなところはかいくぐって進むうちに、方角がわからなくなってしまった。
四、かまきりの女の子
みちに迷ったことは、しかたない。あした、お日様がでれば、方角はわかるだろう。それまでしのげそうな場所をさがそうと、茂みのなかにはいった。
「あなた。いつぞや崖をひたすらのぼってった子じゃない?
生きてたのね! よかったわあ」
声がかかる。ふりむくと、じぶんとおなじくらいな背かっこうのかまきりの女の子だった。
「そうだよ。よく、俺のこと覚えてたね」
と聞くと、
「あなたはひだりの後ろ足に、茶色いすじがあるでしょ。だから覚えてたの」
と言う。ひだりの後ろ足なんて自分ではあまり見ないから、おどろいた。
「こないだの大雨で、ふるさとの林がながされたって聞いてね。心配でようすをみにきたんだけど、ここで道に迷ったんだ」
と話すと、女の子は、
「そう。じゃあ、案内するわ。ついてきて」
先頭にたってあるきだした。
あいかわらず道だかなんだかわからないところをしばらくすすむ。と、とつぜん目の前がひらけた。
見覚えのある崖のしたを、見覚えのある川が流れてる。みずの量はかわらないが、茶色ににごっている。ゆるやかにまがっていた流れが崖すれすれになり、崖の根元はえぐれている。そこにあったふるさとの林は、河原ごとなくなっていた。
「これはひどい。みんな、流されちゃったの?!」
というと、女の子は、
「そうね。林から出なかったものは、全滅したでしょうね」
とつぶやく。
「君は? どうやって脱出したの?」
とたずねると、
「あなたが崖をのぼって行ったあとね。十五匹くらいのなかまが『あいつがあんなにまでして崖をのぼるのは、なにか理由があるはずだ。危険がせまっているのかもしれない。俺らもここを出る』て言いだしてね。
わたしもその子たちについていこうと思ったんだけど、悩んでいるうちに出遅れてしまって。で、さっきあなたと会ったあたりで、脱皮がはじまったの。木のうろのなかでじっとしているあいだに、大雨が降ってきたのよ」
という。
かんがえてみれば、俺も大雨のときちょうど脱皮で石のしたにいた。だから生き残れたんだ。
「じゃあさ、さきに林をでた十五匹のなかまは、生き残れているかな?」
「ええ。そうだといいんだけど」
女の子はかまの手入れをはじめた。
この子はとてもかしこいな、と俺はおもった。俺や、まわりのこともよく見ているし。ひとのはなしもよく聞いて、じっくりかんがえる性質みたいだ。
「ねえ、いくとこないんだったら、崖のうえにこない? なんにもないけど、いいところだよ」
と誘ってみた。
「あなたは崖のてっぺんにいけたのね。どんなところ?」
と、聞かれたが。石がごろごろしているだけで何もない。ただ、風だけがうずをつくって、空のたかいところでいろんなもようをえがいている場所としかいえなかった。
「そうなの」
女の子はうなずき、悲しそうにいった。
「でも、一緒にいくと、わたしはあなたを食べてしまうわ。だから一緒にはいけない」
「ええーっ?? なにそれ? なんで食べるの」
意味がわからない。
「それをわたしに言わせるわけ?!」
あいては逆ギレした。
「あなたって、人の話をぜんぜん聞いてなかったものね」
ぜったいれいどの眼で俺をみる。しまいに、
「あなたなんか知らない! もう、あっち行って! どこへでも行けばいいのよ!」
かまをふりまわして怒りだした。
ふたたび崖のてっぺんをめざして、道なきみちをのぼる。
なぜいきなり彼女は怒ったのか。俺はなにか悪いことを言ったのか?
彼女とはなしたことを一字一句おもいだしてみる。でも、なにが気にさわったのかわからない。
彼女が俺と一緒にはいけないと言ったとき、なぜ食べるのかって聞いたのがよくなかったのかな?
でも、なぜ怒るのかわからない。
俺はたしかに人の話をきいてないらしい。それは前にほかのやつにもいわれた。
いや、待てよ。あの子もしかしたら「怒りんぼ」なのか? それともあれか、ツンデレってやつ?
そんなふうにはみえなかったけど。
これを百七十六回くり返したころ、崖のてっぺんにたどりついた。
五、最後の脱皮
崖のてっぺんにはだれもいなかった。トンボのおじさんも現れない。
あいかわらず、石がごろごろして、丈の短い草が白やピンク色の花を咲かせている。
お日様が照りつけてくる。こころなしか、前より空の高い位置にあるようだ。天気はいいのに、風のなかの湿気がこく、空気が重くかんじる。
前回脱皮をした石の下にはいりこみ、ひといきついて外をのぞく。
なにも変わらないようだけど、なにかが変わっているようだ。
そのうちに、からだのひょうめんがかたくなって、はりつめたからだがむずむずいらいらして、ちからがわいてきた。
つぎの脱皮では羽がはえる。いつもよりたいりょくがいるだろう。
ふるさとのようすをみにいったり、女の子とけんかしたり、よけいなことばっかりしてないで、もっとたくさんえさをたべておけばよかった。
後悔さきにたたずで、いやおうなしに脱皮はすすむ。
背中の「から」がぱりぱりぱりとやぶれていく。
さいしょに頭をぬく。からだがひとまわり大きくなっているので、まえの身体の「から」はきゅうくつだ。
頭をまえにまげ、むねからはらにかけてをちからいっぱい伸ばす。
そこからはうしろ向きに頭をそらし、ほそい触角を、「から」からするんと抜く。
つぎは前足の、かま部分。こまかいとげも生えてて、ふくざつなので、まだとうめいなみどりいろの足を傷めないよう、
「うんしょ、うんしょ」
声をだしながら、引っこ抜く。
それから、なかの足、後ろ足のじゅんで、抜いていく。
つぎは、背中にわだかまっている新しい羽を、のばす番だ。
飛べるようになったら、どこに行こう?
トンボのおじさんがいってた「滝」を見にいこうか。
いや、いっそ、ぎんのお盆「海」を見にいこうか。
塩水のかたまり……うーん、みてもしょうがないかな?
林から脱出したっていう、十五匹のなかまを探しにいこうか。みんな、いま最後の脱皮をしてるだろう。
なかまをさがしあてたら、あの女の子もよろこんでくれるかな。いや、また意味のわからないことで、おこりだすかも。なにしろ、怒りんぼだから。
俺は体のむきを変え、しろい、すきとおった羽がゆっくりとおしりのしたまで広がり、やがてみどりいろになってかたまっていくのをみまもった。
【終】
『能登の朝日』by志茂塚 ゆり様
お読みいただきありがとうございます。
志茂塚 ゆり様のイラスト『能登の朝日』は、武 頼庵(藤谷 K介)様の「【能登沖地震復興支援!!】繋がる絆企画」に寄託されたものです。
本作のモデルの、崖からの風景にすごくアングルが似ておりましたので、お願いしてお借りしました。