第8話 オーク、惚れる
宮殿の舞踏の間にワルツが流れている。
その音色に合わせるようにして、何組もの男女が踊っていた。
グォッカは部屋の隅で若い男と話し込んでいた。
男は、ファンゲル家の貴公子である。
ファンゲル家は皇帝を中心とする一族と、レッド・ブルー・グリーンの3つの分家に分かれている。
グォッカと話し込んでいる貴公子は、レッド・ファンゲル家の長男であった。
「なるほど、北王はあまり感情を表に出さないのですか」
貴公子は微笑みながら相槌を打つ。
グォッカも笑顔を崩さず、父であるベルベットのことや北都で最近起こった事件などについて話している。
オデも慣れてきた、とグォッカ自身驚いていた。
初めの晩餐会では――あんな事件があったにしろ――戸惑いの感情の方が多かった。
ところが今日は、上手く話せているし、落ち着いている。
はじめこの男に声をかけられたときにはさすがに驚いたが、話してみるとなんてことはない人間の若造だ。
「そうですわ、帝都ではどのようなことが起きていますの? 私、興味があります」
グォッカは相手が話したくなるように意識して言葉を選ぶ。
「帝都は平和ですよ。ただ、この前面白いことがありましてね……」
貴公子は話をしたくてうずうずしていたのだろう、帝都で起こった出来事を饒舌に話し始めた。
しばらくして、曲調が変わる。
「どうでしょう、一緒に踊りませんか」
貴公子はグォッカに手を差し出した。
グォッカはドキッとした。目の前の貴公子がかっこよく思えた。
バカ、何がドキッだオデは! オデはオークだぞ、何を惚れようとしているんだ!
彼は自分を叱り飛ばす。
「あの、どうでしょう」
貴公子はやや不安げに再度訪ねてきた。
「……失礼いたしました。喜んで」
グォッカは貴公子の手を取る。心臓がどきどきとしているのが分かった。
2人は手を取り合い、舞踏の間の中央に向かって歩き出した。
自然と、貴族たちの目が2人に注がれる。
「まるで物語の主人公とヒロインのようですわ」
「レッド・ファンゲルの貴公子様……やはり釣り合うのはあの北王の娘ですのね」
「絵画のような美しさがありますな」
貴族たちはひそひそと語りだす。
音楽に合わせて、2人はステップを踏んだ。
間違いなく、この場においての中心であった。
やがて音楽が止む。
静寂が一瞬その場を包み込み、そして徐々に拍手が起きた。
それは瞬く間に広がっていった。
グォッカと貴公子は丁寧に一礼する。
「この場を抜け出しませんか」
貴公子がグォッカに耳打ちする。
グォッカは一瞬、迷った。
しかし思い直す。自分はなにも、レッド・ファンゲル家とだけ交流しに来たわけではないと。
「……せっかくのお誘いですが、お断りいたしますわ」
貴公子は少しショックを受けたようだった。
「あなたのこと、嫌いになったわけではありませんわ。でも……少し、時間をください」
グォッカはそう言いながら、自責した。
何含みを持たすような言い方をしてるんだオデは! この男に未練があるようじゃねぇか!
断るならはっきり断りやがれ!
そう思うも、貴公子に心惹かれている自分がいることをグォッカは認めざるを得なかった。
この返事を聞いた貴公子は、少し晴れやかな顔になった。
「私のこと、忘れないでくださいね」
そう言うと貴公子は、貴族の間を縫うようにして別室に向かった。
「北王家のご令嬢、次は私と……」
「いえ、次は私と踊りませんか」
貴公子がいなくなったとたん、貴族の男たちが声をかけてきた。
この日グォッカは、足が痛くなるまで貴族たちと踊り続けた。
――
「オーク、お手柄だ」
ベルベットに呼ばれ、何事かと思い執務室にきたグォッカは、突然褒められて困惑した。
「お前宛の手紙だ。中身は見させてもらった」
ベルベットは紙のようなものを高く掲げる。
「あの……どなたからですの?」
状況が呑み込めないグォッカは、とりあえず尋ねた。
「レッド・ファンゲル家の長男からだ」
瞬間、彼は舞踏会で貴公子と踊ったことを思い出す。
それだけで胸が高ぶるのを感じた。
同時に、貴公子からの手紙を勝手に読んだベルベットに嫌悪感を抱いた。
「私が読むことは叶いませんの?」
珍しく、グォッカが反論めいたことを口にする。
ベルベットは苦虫を嚙み潰したような顔をした。
「……前にも言わなかったか? お前はこの家の駒にすぎん。出すぎたことを言うな」
グォッカは押し黙った。
「それとも何か? 貴公子のことが気になってきたか?」
ベルベットの顔に侮蔑の表情が浮かぶ。
「随分とお楽しみだったそうじゃないか。貴公子の手紙にもそれは情熱的な言葉が並んでいるぞ……『あなたのことが気になって眠れません』……『あなたを思わない日はありません』……」
手紙を読み上げられると、グォッカは怒りと恥ずかしいという気持ちで顔が火照ってくるのを感じた。
「オークよ、お前に課せられたのは良縁を結ぶことだけだ。今からターゲットを1人のみに絞るのは惜しい」
ベルベットは椅子に深く腰掛けながら言う。
「次のパーティーでは、レッド・ファンゲルだけではなくその他の家にも仕掛けていけ。もちろん、例の貴公子の気も引きながらな」
ベルベットは気味の悪い笑い声を出した。
「いやなに、オークともあろう分際で人間に恋をしたかと思うと、なかなかに滑稽に思えてな……フフフ……」
グォッカは殺意にも似た感情を抱いた。
ベルベットが手で退出せよと合図する。グォッカは精いっぱいの抵抗として、ドアを思い切り音を立てて閉めた。
――
グォッカは、北王家の中庭に来ていた。
まだ淑女としての訓練を積んでいた頃、たまにもらった自由時間にここによく来ていた。
手入れされた花壇が、荒んだ心を少しずつ癒してくれた。
何か救いを求めたい、癒されたいと思った時にここに来たものだ。
過去に思いを馳せながら、グォッカはため息をついた。
……自分の心が、わからない。
貴公子に惚れてしまったというのは、自分でも認めざるを得ない。
だが、オークとして、人間という弱い存在に惚れるなんてとんでもないことだ。
この二つの相反する気持ちがぐるぐるぐるぐると頭の中を駆け巡り、グォッカの心を乱してくる。
一体オデは、どうしたらよいのだろう。
考えた挙句、グォッカは考えるのをやめた。
ぼうっとしながら、中庭を眺める。
すると、視界の端にブラッディが歩いているのが見えた。
……魔法使い、か。
グォッカの頭の中に、おぼろげな記憶が甦る。
あれは5歳くらいの頃だろうか。
相棒のジェリーと遊んでいた時のことだ。
時々、ジェリーが怖いくらいにオデの言うことを何でも聞いたときがあった。
あれは何だったんだろう。
グォッカは歩くブラッディの姿を追いながら、そんなことを考えていた。
すると、ブラッディがこちらに近づいてきているのが分かった。
「オーク、北王様からの伝言だ」
ブラッディがグォッカの目の前に立ちはだかるようにして言う。
「なんだ?」
「1か月後に再び晩餐会がある。それに出席せよとのことだ」
ブラッディが紙を渡してくる。確かに、「王家主催 夏の晩餐会」と書いてある。
「……わかった」
正直、いつもより気乗りしない。貴公子にどう顔を合わせればよいか分からないからだ。
「それから、北王様は明日から2週間この屋敷から離れる」
「ほう、それはなんでだ?」
ブラッディはため息をついた。
「この時期に何があるか、忘れたか?」
「……ああ、貴族会議か」
貴族会議とは、年に1回、諸侯が皇帝を前にして国の政治方針などについて話し合いを行う場である。
「『我輩が留守の間、気を抜かずメアリー・エーブリーを演じよ』とのことだ」
ふん、とグォッカは鼻を鳴らした。
「言われずとも、やる」
「殊勝なことだ」
ブラッディはそう言い残して立ち去った。
グォッカは再び、ぼうっと中庭の花を見ていた。
視界の端にある黒いバラが、ぽとりと落ちたが、彼は全く気にすることはなかった。
人間らしい感情を覚えるグォッカ。
この後に待ち構えるものとは。
次回は貴族たちのやり取りをご覧に入れましょう。