第7話 オークと雨漏り
晩餐会からちょうどひと月が経とうとしていた。
その間、グォッカの頭には絶えずあの光景があった。
オデと同じ顔をした魔法使い――。
アルバートが死んだということは、あの時に見たことは間違いない事実なのだと受け入れるしかなかった。
自室のベッドに寝転びながらグォッカは思う。
これは、他人の空似で片付けてはいいものじゃない、と。
誰かに相談したいが、信頼できる人間はいなかった。
このひと月近く、自分の中で悶々と悩みを抱えていた彼は、遂に限界を迎えた。
魔法使いのことなら、同じ魔法使いに聞けばいいのではないか。
そう思いたち、使用人を介してブラッディを自室に呼んだ。
数分後、ノックの音がした。グォッカは居住まいを正した。
「はい」
ドアが開かれ、ブラッディが入ってくる。
彼女はドアを閉めると、グォッカの方に向き直った。
「……私も暇ではないのだが?」
「それは、すまん。だが、ちょっと尋ねておきたいことがあって」
「クラレンス殿ではいけないのか」
どうやらブラッディは、元はオークである自分に呼ばれたことを快くは思っていないらしい。
グォッカは少し言葉を選んだあと、話し始める。
「あの爺さんじゃなく、おめぇに話した方が解決できそうな話なんだ」
その言葉を聞くと、ブラッディは興味深そうにグォッカを見つめた。
「ほう、ここ一か月何もなかったはずのお前に降りかかった問題か。興味があるな」
ブラッディはそう言うと、置かれてある椅子に腰を掛けた。
「前の晩餐会の時だ」
グォッカが話し出した。
「おめぇ、オデが慌ててたのを見たよな?」
「……ああ。それがどうかしたのか」
「信じられねぇかもしれねぇが……オデはあのとき、オデと同じ顔をした魔法使いを見たんだ」
グォッカはブラッディの反応を見た。が、少しもその表情を動かすことがない。
「変な話に思われるかもしれねぇ。でも、見たものは見た」
「……仮にそうだとして、それのどこが問題なんだ?」
ブラッディのこの言葉に、一瞬言葉を失う。
だが、重要なことを思い出し、グォッカはまた口を開く。
「その何日か後に、南王が死んだだろ」
「ああ」
「その南王にそいつが怪しげな魔法をかけていたのを、オデは見た。はっきりと。間近で」
「だから、それがお前の何に影響するのだ」
ブラッディは若干いら立ったように言う。
「仮にお前にそっくりな人間が南王を殺したとしよう。それがお前、ひいてはこの北王家に何をもたらす」
グォッカは何も答えられなかった。
「事実を言えばお前に同情するとでも思ったか。大方、その事実を言うことで少しすっきりしたかったのだろうが、相手が悪かったな」
ブラッディは椅子から立ちあがり、出口に向かって歩き出した。
「勘違いをするな。私はお前の味方でも敵でもない」
ブラッディはそう言い残し、部屋を出ていった。
グォッカはうなだれるしかなかった。
――
グォッカからの告白を聞いたブラッディは、その足で速やかに執務室へと向かった。
静かにノックをする。
「入れ」
ベルベットからの返事を聞いて、できるだけ音を立てずにドアを開けて入室する。
「失礼いたします」
ベルベットは机から目を離さない。
「少々、ご相談させていただきたいことがあり、参上いたしました」
「ふむ」
彼は書類に記入する作業をしながら生返事をした。
「先日の晩餐会にて、オークが『地下牢の子』を目撃したそうです」
ベルベットの書く手が止まる。
「オークが言うには、南王を暗殺する現場まで見たとのこと」
「……」
ブラッディからの報告を聞き、ベルベットは宙を眺めた。
「……『地下牢の子』は今回が初の任務だったな」
「はい」
「見られたのがオークだったからよかったものの、これが他の人物であったら大騒ぎになっていたな」
「……はい」
「オークは動揺していただろう」
「はい、それはもう、傍から見てもわかるほどに」
ベルベットはじっとブラッディの目を見た。
「ブラッディ。『地下牢の子』にはお前からじっくり『教育』してやれ。任務を完璧に遂行できなければ、どうなるかを思い知らせろ」
「……はい」
ベルベットは再び記入作業に戻る。
「今回は不問に付すが、お前の監督責任が問われる事態だ。次はないと思え」
「……申し訳ございません」
ベルベットは何も答えなかった。ブラッディはそれを退出せよという合図と読み取り、執務室から出ていった。
――
――ぽたり。
夜、寝ようとしたときにグォッカの頬に何かが落ちた。
またか、と彼はげんなりする。
ここ最近、天井の雨漏りがひどい。クラレンスに苦情を言って業者に点検してもらったのだが、異常はないとのことだった。
不思議なのは、毎日決まった時間に雨漏りが起こるということだ。これには点検をした業者も首をかしげるばかりであった。
まあ、そのうち止むだろう。
グォッカはそう思い、少し枕をずらして寝ることにした。
――ぽた、ぽたり。
今日の雨漏りはずいぶんしつこいな。
グォッカはげんなりして、クラレンスに再び苦情を言いに行こうとした。
ふと、天井を見る。
……なんだ、これは。
グォッカは絶句した。
今日は天井の至る所から雨漏りしていた。見たことのない光景だった。
まるでこの部屋だけ雨が降ったかのようになっている。
雨漏りの勢いは止まることを知らない。
あっという間に、グォッカはびしょぬれになった。
何とか部屋を出た後、急いでクラレンスの部屋に向かう。
グォッカにたたき起こされたクラレンスは、彼から状況を聞かされると着の身着のままで部屋に来てくれた。
雨漏りは勢いを増しているようで、クラレンスも言葉を失う。
「お嬢様、とにかく別の部屋に移りましょう」と、彼はグォッカを客人の使う部屋に避難させた。
殺風景な部屋に移動してきたグォッカは、ふと外を見る。
満天の星空がそこに広がっていた。
……星空?
ここでグォッカは思う。
なぜ雨も降っていないのにあんな激しい雨漏りが起こったんだ?
彼は摩訶不思議なこの現象がなぜ起こっているのかあれこれ考えていたが、遂にその理由を思いつくことはできなかった。
翌朝、グォッカはクラレンスから驚くべきことを知らされた。
「お嬢様、雨漏りの形跡がきれいさっぱり無くなっています」
自室を恐る恐るのぞき込んでみると、雨漏りにさらされていた部屋は何事もなかったかのような見た目をしていた。
おかれている本やテーブル、椅子、備え付けのカーテンに至るまで、水浸しになっているであろう物は何の被害も確認できなかった。
「クラレンス、私は夢でも見ているのでしょうか」
「いえ……とにかく、私は北王様にご報告に参ります」
クラレンスは急いで執務室の方へと向かった。
一体何だったのだ?
晴れているのに滝のような雨漏りがするなんてことは、あるのだろうか?
グォッカは目の前の奇妙な事態に、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
――
「北王様、『地下牢の子』の『教育』はつつがなく終了しました」
机に向かって何かを書いているベルベットに向かって、ブラッディが報告する。
「……十分にできたか」
「はい。二度と同じミスをしないと言っていました」
「なら良い。今後も何かあれば遠慮なく『教育』をしてやれ」
ベルベットは机から目を離さずに言い放つ。
「それから、これをオークに見せてやれ」
彼は一枚の紙を差し出す。ブラッディが受け取って読むと、「王家主催 秋の舞踏会」と大きく書かれていた。
「……またオークを使うので?」
「当たり前だ。そのために育て上げたのだからな。今度はファンゲル家との交流を積極的に行えと伝えよ」
「かしこまりました」
ブラッディは一礼する。ベルベットが手で退出せよと合図する。
彼女が部屋を出ようとしたとき、丁度入れ替わるようにクラレンスが入ってきた。
「失礼いたします」
急いできたのだろう、息が少し切れている。
クラレンスは、グォッカの自室がひどい雨漏りに遭っていたこと、しかし今日の朝になるときれいさっぱりその痕跡がなくなっていたことを報告した。
「奇妙なことも起こるものだな」
「はい……業者を呼び、点検させますか?」
「いや……」と言って、ベルベットはちらりと、まだその場に残っていたブラッディを見た。
「その必要はない。また雨漏りでオークから泣きつかれたら、部屋を移してやれ」
「はっ、かしこまりました」
クラレンスは恭しく一礼すると、その場を後にした。
ブラッディも、続けて退出した。
謎の雨漏り。そして「地下牢の子」というワード。
この二つが結びつくとき、物語は大きく動き出します。