第5話 オーク、目撃す
会場を抜け出したグォッカは、ひとり宮殿内の庭園に佇んでいた。
月明かりに照らされた植物たちを見ながら、深いため息をつく。
……オデは何をしてるんだろう。
そう思わずにはいられなかった。
オークとして生きていた日々が頭を駆け巡る。
あの頃は立場も何もかも考えず、楽しく充実していた。
人間にさせられて、人間の目にさらされて、人間の立場を考えて過ごすことになるなんて考えもしなかった。
オデはなんて不幸なんだろうと、グォッカは泣きたい気持ちになった。
確かに、メアリー・エーブリーとして振舞わなければ、このまま一生人間のままだろう。
だが……と彼は考える。
だがもしも、人間からオークに戻ったとして、オークらしく生きていくことはできるのか?
人間をなぶり、殺し、食うことが、オークの姿に戻ったときにできるだろうか?
オデはなまじ人間としての考え方や生き方を知ってしまった。
オデは……中途半端に人間になって、中途半端にオークの気持ちを残して生きている。
……オデは、何者なんだ。
考えれば考えるほど、グォッカは胸をかきむしりたくなった。
一体誰が、オデの気持ちを知ってくれるというのだ。
この孤独を、誰が理解してくれるというのだ。
この虚しみ溢れた問いに、誰が答えてくれるのだ。
彼は、ひどく嘆息した。
――
そのとき、後ろの生け垣からガサリと音がした。
グォッカは驚いて振り向く。
「……誰か、おりますの?」
彼の問いに答えは帰ってこない。
しばらく生け垣とにらみ合っていた彼は、視界の端に人影を捕らえた。
視線を向けると、宮殿の人間らしき男が庭を歩いていた。
――妙だ。
グォッカは直感した。宮殿で働いている者たちは、守衛でもない限り晩餐会に付きっ切りのはずだ。こんなところにいるのはおかしい。
訝しんだ彼は、その人物の後ろをつけていくことにした。
気づかれないように、足音を忍ばせながら、男について行く。
男の後ろを歩いていると、その先に別な人物がいるのが目に入った。
南王、アルバート・エイミスだ。女性と話をしている。
グォッカはブラッディから聞いた話を思い出す。
「……南王は昨年の暮れに夫人を亡くしている。今は再婚相手を探しているらしい……」
ちょうど、この晩餐会で貴族の女性と縁を持とうとしているのだろう。
そんなことを思っていると、尾行していた男が柱の陰に隠れだした。
ますます怪しくなってきた。宮殿の人間がなぜそんなこそこそとしたことをしだすのだろう。
すると、男は胸元から何かを取り出した。
紛れもなく、魔法使いの使う杖だ。
グォッカは驚いた。あいつはただの宮仕えの人間じゃない。
すると、男は話に夢中になっているアルバートに杖を向けた。
その瞬間、黒い光が飛び出し、南王に命中した。
あっ、とグォッカは声を出しそうになり、懸命にこらえる。
男はすぐに杖を仕舞うと、その場から足早に立ち去ろうとした。
グォッカも慌ててその後を追う。
男は先ほどの庭園まで来ると、きょろきょろと辺りを見渡した。
次の瞬間、男の姿が変わった。
グォッカはその姿を見て、仰天した。
自分と同じ顔が、そこにいる。
どういうことだ!? 何が起こっているのだ!?
パニックになり、心臓が痛いほどドキドキしている。
グォッカと同じ姿をした人間は、再度辺りを見回すと手を前に突き出した。
すると、何やら黒くて大きい穴のようなものが出現する。
グォッカはぽかんとしてその様子を見るしかなかった。
その人間は穴の中に入り、穴は何事もなかったかのようにふさがった。
――
「……晩餐会を抜け出して、ここで何をしている」
その声で、唖然としていたグォッカは我に戻った。
声の主はブラッディだった。
グォッカは口を開こうとするが、状況が整理できておらず、言葉が出てこなかった。
「……どうしたのだ」
ブラッディもその様子を見て何かがあったと察知する。
「いや……オデの……違う……けどあれは……」
「……大方、疲れて変なものでも見たのだろう。心中察するが、お前の仕事はまだ終わってはいない」
ブラッディは厳しい口調で言う。
「早く晩餐会に戻れ」
グォッカは言われたとおりにすることにした。今は頭が回らない。大人しく会場に戻っておくのが良いと思った。
――
晩餐会は相変わらず和やかな雰囲気であった。
グォッカが席に戻ると、早速東王ダグラスが話しかけてくる。
「何かあったのかと心配しておりました」
グォッカは笑顔をもって返事する。
ダグラスは声を潜めた。
「南王にお声がけされたのですか」
自然とグォッカの声も小さくなる
「いえ、そういうわけではありませんわ」
「南王は奥方を亡くされてすぐに嫁探しを始めましたからな。今、女性であれば誰彼構わず話しかけているそうです」
「あら、そうでしたの」
「まだお若いですからな。ご子息のカール殿のためにも新しい母親を探そうとされているのでしょう」
グォッカの頭に、気弱そうな少年の姿が思い浮かんだ。
「まあ、そういう点では立派なお父上ですな」
ダグラスはそう言うと、デザートのアップルパイを大きく切って口に入れた。
――その南王は、何か怪しげな魔法をかけられたようですわ。
グォッカはそう言おうかと一瞬思ったが、やめた。
……ブラッディの言うとおり、疲れすぎて変なものでも見たのだろう。
そう思うことにした。
――
晩餐会の翌日の昼過ぎ、グォッカとブラッディはベルベットの執務室にいた。
「晩餐会への出席、ご苦労だった」
ベルベットの言葉に、二人は頭を下げる。
「オークよ、他の貴族たちとは縁が持てたか」
「はい。多くの方と話をさせていただきました」
「ファンゲル家の人間とはどうだ」
「皇帝陛下にはお会いしましたが……」と、グォッカは口ごもった。
「……まあ最初から上手くいくはずもないであろうな。しかし、『北王家の娘』を初めて見た貴族たちの様子は滑稽極まりなかったろう」
ベルベットは嘲笑する。
同じタイミングで、執務室をノックする音が聞こえた。
「入れ」
ベルベットに呼ばれて入ってきたのは、クラレンスだった。
顔には緊張の色が浮かんでいる。
「北王様、お耳を」
クラレンスは入ってくるなり、ベルベットの近くに進んでいき、何やら耳打ちをした。
「……そうか。報告ご苦労」
ベルベットはそう言うと、クラレンスを退出させた。
「何かありましたので?」
ブラッディが問うと、ベルベットはいつも通りの平坦な口調でこう言った。
「南王が死んだ」
グォッカはひっくり返りそうになった。
やはり、オデがあの時見た光景は幻覚なんかじゃなかったんだ。
ということは、オデと顔が同じ女も本当に存在するのだ。
「政局が変わる。南都は次期当主決めで慌ただしいだろうな」
ベルベットは冷ややかに言った。
「血筋で言えば息子のカールだろうが、まだ年端も行かぬと聞く……オーク、お前から見た南王の息子はどのような人物だ」
ベルベットの問いに、未だ動揺しているグォッカは声が出なかった。
「オークよ、我輩の問いに答えられないか?」
「い、いえ……カール様は、その……まだお若く、何か頼りなさそうな雰囲気でございました」
「となれば、後見人が政治を進めるだろう。南都の実権はもはや南王家ではなく他の者が握る」
ベルベットが立ち上がった。そのまま窓際に向かう。
「南王の力無き今、地方随一の産業と人口を誇る北都を治める我輩が、中央に次ぐ権力者になったも同然」
彼はグォッカの方に向き直り、こう言った。
「あとは、『娘』の良縁さえ持つことができれば、権力は盤石となる。頼むぞ、オーク」
ベルベットはそう言うと、二人に向けて手で退出せよと合図した。
退出した後も、グォッカの頭の中は自分と同じ顔をした人物のことでいっぱいであった。
リアルが忙しくなってきたので2~3日の感覚で投稿します!
これでもギリギリです……汗