第30話 ある少女の死
「……この方は、助かりません」
診察室に、医者の言葉がこだまする。
メアリーが倒れた後、グォッカは処刑台の周りにいる人間を押しのけ、急いで病院に駆け込んだ。
その姿を見かけたブラッディ――彼女曰く、ベルベットの最期を見届けようとその場にいたという――も、彼についてきた。
しかし、医者はメアリーのタタラレ化の傷を見て険しい顔をした後、グォッカに先ほどのセリフを言い放った。
「助からねぇ、だって……?」
グォッカは足が震える思いだった。
「じゃあ、メアリーは、どうなるんだ」
医者は、ベッドに横たわるメアリーの姿を一瞥すると、申し訳なさそうに言った。
「じき、亡くなるでしょう。我々も、手の施しようがない」
グォッカは思わず、医師の胸ぐらをつかんだ。
ブラッディがすぐに引き離す。
「おめぇ、医者だろ! なんとかできないのかよ!」
ブラッディに抑えてもらわなければ、彼は今にも医者を殺してしまわんばかりに暴れそうであった。
「これまで見たタタラレ化の傷の中でも、最もひどいものです。おそらくは、体内の至る所にも見えない傷があると見受けられます」
医者はそういうと、ため息をついた。
「私だって、治せるものなら治したいです。ですが、ここまでになるともう……」
グォッカは力が抜けた。
その場にだらりと座り込む。
「……もう一つ、残念なお話があります」
医者は険しい顔を崩さずに言った。
「なんです?」
返事のできないグォッカに代わり、ブラッディが問う。
「タタラレ化がある程度進行し、それによって死を迎えると、どうなるかはご存知ですか」
ブラッディの顔が固まる。
グォッカは2人の顔を見比べた。
明らかに、良い表情ではない。
「……教えてくれ、どうなるんだ」
ブラッディは少し躊躇いの表情を見せた後、口を開いた。
「タタラレ化はその名の通り、『祟られる』という言葉からきている。大昔の魔法の書物にも、『祟られた』人間のその後の姿が載っているのだが……」
ブラッディはそこで言葉を切った。
「『祟られた』人間は、その後、怪物と化すと書かれている」
グォッカは頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。
「じゃあなんだ……このままだと、メアリーもその怪物になるってことか……?」
「しかし、これはあくまで私が見た書物の中の話。本当に怪物になるとは信じがたいが……」
ブラッディが困惑していると、医師が話し出した。
「いえ、怪物になるのは本当です。古くからの医学書には、タタラレ化が進んだ怪物の解剖の詳細が記されています」
場が静まり返る。
「……つまりは、こういうことか」
ブラッディが小さな、力のない声で言う。
「このまま死なせるのではなく、我々で命を奪うという選択肢を取らなければならないということか」
グォッカは、今度はブラッディに掴みかかった。
「おめぇ、どういうつもりだ! メアリーを殺すだと!」
ブラッディは目を細め、しっかりとグォッカの目を見て言う。
「ではお前は、メアリーが怪物になるのに賛成なのか」
この言葉を聞いて、グォッカは掴んでいた手を離した。
そして、力なくうなだれる。
「怪物になった場合、帝国魔法部隊によって殺されるでしょう。どちらにせよ、死んでしまうということは避けられません」
医師が言うと、ブラッディはグォッカの顔を覗き込むようにして見た。
「どうするかは、お前に任せる。メアリーの最後の時間を、共に過ごしたのはお前だ。メアリーが起きない以上、選択はお前にゆだねられる」
グォッカはブラッディの顔を見、医者を見、そしてメアリーを見た。
すやすやと眠っているように見える。
いずれにしろ、死ぬことは避けられない。
であるならば人間のまま死なせてやるのが、人としての情けではないのか。
グォッカは自分を嘲笑した。
オークにもなり切れず、人間にもなり切れない自分が、人としての情けを書けようとしている。
それでも、と思う。
メアリーは懸命に生きた。
怪物になる選択を、こいつがとるはずがない。
長い沈黙の後、グォッカは口を開いた。
「……人間として、逝かせてやってくれ」
彼の目に熱いものがこみあげる。
「……分かった」
ブラッディは懐から杖を取り出し、メアリーの元に向かう。
そしてその先端から、紫色の閃光を放ち、メアリーに当てた。
「……安楽死の魔法だ。痛みや苦しみをやわらげ、眠るように死んでいく」
グォッカの目から涙があふれた。止めることができない。
「少し経てば、目を覚ますだろう……最期を看取ってやれ」
ブラッディはその場を後にした。医者もそれに続いて部屋を出る。
診察室には、グォッカとメアリーだけが残された。
――
やがて、メアリーが目を覚ました。
「起きたか、メアリー」
グォッカが優しく声をかける。
「……ここ、どこ?」
「病院だ。倒れたのを覚えてないのか?」
「えっ、私、倒れたの?」
メアリーはきょろきょろと辺りを見渡す。
そして起き上がりながら、肩を回した。
「すごい……体のだるさも痛さもなくなってる……」
ふと、彼女は自分の右手を見る。
そして一瞬、はっとしたような顔をして、すぐ思案顔になった。
「病院の医者が、治してくれたんだ」
グォッカが優しい嘘を言うと、メアリーは切なげに笑った。
「……ねえグォッカ。本当のことを言って?」
彼はドキリとして、つい顔をこわばらせた。
「なんのことだ」
「とぼけないで……見て、私の右腕」
メアリーが腕をまくる。
そこにあったはずの傷が、きれいさっぱりとなくなっていた。
「……どうしたんだよ、そんな、腕なんか見せて」
「あれだけ深い傷が、一瞬でなくなるわけがないわ」
メアリーはじっとグォッカを見た。
「私に……そうね、ブラッディあたりが魔法をかけたのよね」
「なんのことだか」
「そうね、魔法は、安楽死の魔法。タタラレ化が思った以上に進行していて、治しようがなくなって使うことになった」
「なんだよ、それは。おとぎ話じゃねぇのか」
「ちゃんと聞いて」
メアリーはグォッカの袖を引っ張り、半ば強引に自分の隣に座らせた。
「私、そんな気がしていたの。もう、体が限界だってわかってた」
「そんなことはない、そんなことはないんだ、メアリー」
「ねえ、最後になるなら、ちゃんと話がしたいの。だからグォッカ、逃げずに教えて。今の私の話が本当かどうかを」
沈黙が流れた。
長い長い沈黙だった。
「……本当だ」
グォッカがぽつりと言う。
涙が頬を伝い、彼の手に落ちる。
――ぽた、ぽたり。
その量が増えていく。
「……私たちが出会ったのも、私が泣いているときだったね」
メアリーがそっとグォッカの手に自分の手を重ね合わせる。
「最初に会った時、本当に殺されるんじゃないかと思ったんだから」
彼女は冗談めかして言うが、グォッカは泣き止む気配がない。
「……本当はね」
メアリーがぽつりと言う。
「すごく、あなたに嫉妬していたの」
この言葉に、グォッカは吃驚して涙が止まった。
「……嫉妬? オデに?」
「だって考えてもみてよ。自分と同じ顔をしている人間が、いい服を着て、背筋をピンと伸ばして、充実した表情でいきなり現れたのよ?」
でもね、とメアリーは続ける。
「あっという間に、そんな気持ちは吹っ飛んだ」
「なんでだ?」
「握手の時よ! ふふふ、今でも思い出すと面白いわね。いきなり檻に手を突っ込んで、握手しようなんて言うんだもの」
メアリーは本当におかしそうに笑う。
グォッカにはそれが眩しく見えた。
「その時からかな、本当に頼っていいんだって思えたのは。傷ついて体力的にも精神的にもつらい私に、いろんな景色を見せてくれた」
メアリーは愛おしそうにグォッカの手を撫でる。
「私に広い世界を見せてくれたのは、グォッカ、あなたです。本当に、ありがとう」
メアリーはグォッカに頭を下げる。
グォッカの目に、また涙がこみあげてくる。
「よせよ……オデだって、おめぇと一緒にいたから、いろんな考えに触れて、いろんな人に出会えた。礼を言うのは、こっちの方だ」
彼は泣きながら、なんとか頭を下げた。
「きっと私、死んでもあなたのことを忘れないわ」
「縁起でもないことを言うなよな」
「だから、死ぬのなんて怖くないの。人生の最後の最後に、素敵な思い出が作れたから」
メアリーはスカートをひらひらとさせた。
それを見て、グォッカは思い出す。
初めて2人で街に出て買い物をしたこと。
ダグラスやカールの元に2人で行ったこと。
その全てが、グォッカにとってかけがえのない思い出だった。
――
急に、メアリーの目がとろんとしてきた。
「……そろそろね」
彼女はベッドに横になろうとした。
グォッカはついに、メアリーとの別れを覚悟しなければならないと思った。
横たわったメアリーは、今にも眠りそうな顔つきだった。
「ありがとう……本当に」
メアリーが消え入りそうな声で言う。
「ああ、オデからもお礼を言いたい。本当に出会ってくれてありがとうな」
グォッカはメアリーの頭を撫でた。
「手……握って」
言われたとおりに、彼はメアリーの手を握った。
「最後に、いい……?」
「なんだ、何でも言ってくれ」
「孤児院のこと……私の代わりに……任せていい……?」
グォッカは彼女の手をギュッと、しっかりと握った。
「ああ……! 任せてくれ……!」
彼の目頭がまた熱くなる。
しかし、涙は出なかった。もう出尽くしたらしい。
それがかえって良かった。
メアリーの顔がよく見えるからだ。
「……ありがとう」
彼女の最後の言葉は、やはりと言うべきか、グォッカへのお礼の言葉だった。
メアリーの手から力が抜けるのを感じる。
「こちらこそ、ありがとうな」
グォッカは、静かに最期を見届けた。
メアリー、死す。
このことが、グォッカの生き方にどのような意味を与えるのでしょうか。




