第26話 オーク、屠る
なんだ、これは。
どうしてなんだ。
どうして。
グォッカの頭には次から次へと疑問が湧いては消えていく。
なんでオークたちがここにいるんだ。
何が起こっているんだ。
彼はパニック状態に陥りながら、メアリーに手を引かれる形で北都中を逃げ回っていた。
町の至る所から悲鳴が聞こえる。
男の声だけではなかった。
女のすすり泣く声、子どもが親を呼ぶ声、誰かの絶叫。
そして、オークが興奮し鼻を鳴らす音。
人間は抵抗むなしく、オークたちの餌食になっていた。
親子がオークたちに貪られている様子も視界の端に入ってきた。
数度、オークがグォッカたちの目の前に出て立ちはだかったが、メアリーが杖を振るいそれらを吹っ飛ばした。
それでも、グォッカは限界だった。
メアリーの手を離すと、その場に崩れ落ちる。
「何してるの!」
メアリーが大声を出してグォッカの手を取る。
しかし、彼は立ち上がることができないでいた。
グォッカはその場に吐瀉すると、ゆっくりと蹲った。
「こんなところで立ち止まっていたら奴らに殺されるわ。早く父の屋敷に行きましょう」
グォッカは虚ろな目をしてメアリーを見る。
彼女は閉口した。
「……おめぇにわかるか……? かつての同胞が、人間を蹂躙する姿を、人間の姿で見る絶望がよ……」
自分がオークであったならば、もしかしたら襲う側になっていたかもしれない。
それをしないで済むのは、ひとえにグォッカ自身が人間の姿をしているからであった。
しかし代わりに、同胞たちがどれだけ惨いことをしているかがはっきりと分かる。
それは、彼にとって絶望でしかなかった。
メアリーはしゃがみこみ、グォッカの顔を覗き込むようにして言う。
「私にはたぶん、あなたの苦しみは分からない。わかってあげたいなんて傲慢なことを言うつもりもないわ」
彼女はそこで一呼吸置いた。
「……でも、覚悟を決めたんでしょ? だったら、もう戻らないって思わないといけないんじゃない?」
グォッカはそこで、メアリーの目を見た。
ひどく活気に満ちた目だった。
「とにかく、ここで立ち止まっていたって、何も変わりはしないわ。行きましょう?」
メアリーが手を差し出す。
グォッカはおずおずと手を握り、立ち上がった。
「よお、そこにいるのはグォッカお嬢さんじゃねぇか?」
聞き覚えのある声がした。
声のした方を見ると、見慣れた姿がそこにあった。
ジェリーだ。
口元と手を血で真っ赤に染めている。
「オデたちを裏切り、今度は北王を裏切ったか。屑だな、おめぇ」
ジェリーが卑下したように言う。
「……おめぇに、オデたちの何が分かるんだ」
グォッカの静かな声に、ジェリーはブヒブヒと鼻を鳴らして笑った。
その姿があまりに醜悪で、メアリーは思わず目を逸らす。
「『オデたち』だってよ! 立派に人間面してやがるなグォッカ。はっきり言っておくがよ、おめぇは人間でもなくオークでもねぇぞ!」
あたりにジェリーの怒声が響き渡る。
「村を裏切ったおめぇには、やっぱりオデが引導渡してやらねぇとな。かつては親友だったんだからよ」
ジェリーは背後から何かを取り出してグォッカたちの前に投げ捨てた。
メアリーが悲鳴を上げる。グォッカは目を見開き、固まった。
紛れもなく、クラレンスの首であった。
「ついさっき見かけたもんで、いたぶるついでに聞いてみたら北王の執事だってな。ちょうどおめぇらに会いに行こうと思ってたからよ、土産に首を持ってきたぞ」
ジェリーはにんまりと笑って言う。醜悪な顔に、悪意が足されていく。
「一族皆殺しにして食っちまった……しかし爺さんはダメだな、油がなくて美味くねぇ」
グォッカはクラレンスの顔をじっと見つめた。
その顔にははっきりと苦悶の跡が見て取れた。
腹の内から、何かが煮えたぎる感覚にとらわれる。
グォッカは懐から杖を取り出し、ジェリーに向けた。
その形相たるや、般若のようである。
メアリーも杖を構えていた。
その姿を見て、ジェリーはまた鼻を鳴らして笑う。
「おお、遂に人間は人間でも、魔法使いになったのか! これは面白れぇな! ついにオークとは別の生き物になっちまったか!」
「黙れ!」
グォッカの一喝で場がしんと静まる。
「それ以上何か話すようなら、ただじゃおかねぇぞ」
ジェリーは軽蔑した眼差しをする。
「たかだか人間風情に何ができる。おめぇらがオークに歯が立たねぇのは見てわかるとおりだろ」
ジェリーは、ふっと嘲笑しながら、クラレンスの頭を蹴った。
それが引き金となった。
グォッカの杖から黒い閃光が飛び出し、ジェリーの心臓に命中する。
一瞬、時が止まる。
ジェリーは驚いたような顔をした後、グォッカの顔を見た。
そして、その場に崩れ落ちる。
静寂が場を支配する。
グォッカは、メアリーに習った魔法ではない何かが出たことに困惑していた。
メアリーはそれを気に留めず、ジェリーに近づいていった。
彼の体を触り、脈を取る。
「……死んでいるわ」
グォッカは心底、驚いた。
「死んでるって……」
「あなたの怒りが負の感情となって、死の魔法になって現れたのよ」
メアリーはつかつかとグォッカの方に近づいてくる。
目と鼻の先に来た時、メアリーはグォッカを抱きしめた。
「……ありがとう」
何が起きているか分からず、グォッカは戸惑っていた。
「……これを見て」
メアリーが少し腕まくりをする。
そこには、タタラレ化の傷がはっきりと見て取れた。
確か少し前には、二の腕あたりにあったはずだ。
それが今は、手首のところにまで来ていた。
「私も杖を出していたけど、タタラレ化がひどすぎて、闇の魔法を使うことが難しくなっていたの」
彼女は腕まくりを元に戻すと、少し寂しそうな表情をして言う。
「……あなたが魔法を使ってくれなかったら、私たちはおそらくあのオークに殺されていたわ」
グォッカは呆然とした。
結果として、メアリーを守ることができた。
だが、いよいよかつての同胞を殺してしまった。
自分のしたことがようやく飲み込めてきたグォッカは、体が震えていることに気付いた。
「……大丈夫。ねぇ、見て」
メアリーがちらりと後ろを振り返る。
そこには、苦しそうな顔をしたクラレンスの首が転がっていた。
「あなたはクラレンスのことを思って怒った。それってとても人間的な考え方よ。大丈夫。その怒りを魔法の原動力にして」
グォッカは、自分のしたことが果たしていいのかどうか分からなかった。
だが、こうするしかなかったのだろう。
現に、オデたちは守られたし、クラレンスの仇を討つことはできた。
そう、自分に言い聞かせた。
ジェリーを「人間」、そして「魔法使い」の立場として殺したグォッカ。
彼のアイデンティティは、どこにあるのか。
その答えを彼が導きだすとき、物語は終結します。




