第3章 第12話 決行前夜
「ここを、抜け出す……?」
メアリーはまだ痛む右腕をかばいながら、呆然とした表情で言った。
「そうだ」
グォッカは頷いてみせる。
「そんなこと、できるはずがないわ」
メアリーがはっきりと言う。
「地下牢から抜け出そうとすれば、必ずブラッディに気づかれる仕組みになっているの」
「だけどよ、おめぇ、このまま北王の駒として生きるのでいいのか?」
「それは……」
メアリーは言葉を失う。
「オデは、何とかしてオークに戻りてぇ」
グォッカは、どこか自分に言い聞かせるように呟いた。
「オデの呪いは、ブラッディにしか解けねぇらしい」
「じゃあ、なんでこの館を出たいの?」
その問いに、グォッカは静かに答えた。
「確かに、あの女の近くにいた方が都合いいのかもしれねぇ。だけどよ、あいつも結局は北王の駒だ。結局、オデを元に戻すかどうかは、北王が決める」
だんだんと、彼の声量が大きくなってきた。
「それだと、いつ元に戻れるのか分からねぇ。大体、オデが貴族と結婚しちまったら、オークにいつ戻れるんだ」
グォッカの顔が険しくなる。
「だったら、いっそのことこの館を出て、仲間つくって、北王をぶっ飛ばしちまえばいい。そうすれば、オデを人間にしておく理由もねぇ」
メアリーは目を見開いた。
「じゃああなたは、父を相手取って戦おうとしてるの?」
「いや、これは思いつきだ。オデが言いたいのは、環境を変えなきゃいつまで経っても北王にこき使われるってことだ。それは、おめぇもおんなじだ」
グォッカはメアリーの目を真っすぐ見る。
「オデはそんな生き方、嫌だ。おめぇはどうなんだ?」
しばらく、静寂が場を支配した。
メアリーが口を開き、小さな声を出した。
「……私だって、父の支配に置かれる人生なんてまっぴらごめんよ。だけど」
話しかけたメアリーをグォッカが手で制す。
「だったら、やるしかねぇだろ。大丈夫だ。オデは意外と何でもできる」
グォッカはにんまりと笑った。
メアリーも思わず笑みをこぼす。
「……そうね。やるしかないわ」
そのセリフを聞いたグォッカは、手を檻に入れた。
「こういう時、握手ってのをするんだろ?」
メアリーは声を出して笑った。
「なんだよう」
「いや、少し面白くって。自分と同じ顔したオークと、握手することになるなんて思ってもいなかったわ」
メアリーはグォッカの手を取った。
「よろしくね、グォッカさん。私のことはメアリーと呼んで」
「わかった。こちらこそよろしくな、メアリー」
――
握手を終えると、メアリーとグォッカは館を出る計画を考え始めた。
「どうしても避けられないのは、ブラッディね。彼女を出し抜いて、さらに追跡を振り切らなきゃならない」
「そんなにすげぇのか、あの女は」
「ええ。闇の魔法使いの中でもトップクラスの実力者よ。魔法学校を首席で卒業、帝国魔法部隊からも勧誘を受けたんだから」
メアリーはため息をつく。
「……もし彼女が父に帯同して出かけることがあれば、その時がチャンスね。逆に言えば、それ以外は脱出なんて不可能よ」
グォッカは唸った。
「あの女もそうだが、そもそも北王が普段外出するなんて聞いたことがない」
「それと……」
メアリーは厳しい表情のまま言った。
「今、極秘の任務が私に課せられているの」
「極秘の任務?」
彼女は少し躊躇った後、グォッカに耳打ちした。
「……アリスター・ファンゲルを暗殺するという任務よ」
これにはグォッカは驚いた。
「アリスター・ファンゲルっておめぇ、最強の火の魔法使いじゃねぇか!」
「なぜ父が殺したがっているのかは分からないけど、任務として課せられたのよ……」
吃驚して固まるグォッカを前に、メアリーはまたため息をついた。
「……そうだ、こういうのはどうだ?」
グォッカは何か思いついたような顔をしてメアリーに話しかける。
「いっそのこと、アリスターに計画を漏らして、北王を怒らせる。それをなだめるブラッディの隙をついて、脱出する」
「それは難しいわ」
メアリーは切り捨てた。
「じゃあ、これはどうだ?」
グォッカはある提案をメアリーにした。
「それは……成功するかしないかは私次第ってこと?」
「まあ、そうなるな。だけど上手くいけば、味方が増える」
メアリーはしばらく迷った後、口を開けた。
「わかった。やってみるわ。決行はいつにする?」
「できるだけすぐの方がいいんじゃねぇのか?」
「それもそうね。じゃあ、明後日にしましょう」
そういうと、メアリーは大きな欠伸をした。
「……ごめんなさい。少し疲れているの。今日は寝かせてもらえるかしら」
メアリーの申し出に、グォッカは頷く。
彼女は部屋の隅にあるベッドに向かった。その姿を見て、グォッカももと来た道を戻っていった。
足音を立てないように、ゆっくりと階段を上っていく。
すると、階段を上りきった先に何やら人影のようなものが見えた。
まずい、ばれたか!?
グォッカはその場に止まる。よく見ると、それはもういなくなっていた。
彼は、一安心し、また一歩ずつ登り始めた。
――
その日、アリスター・ファンゲルは昼食を終えた後、自身の執務室にて皇帝の代理人として様々な書類に目を通していた。
作業をしながらも、彼の頭には北王・エーブリー家の当主の顔が頭に浮かんでいた。
……まったく、田舎の一家臣が出すぎた真似をしおって。
アリスターは、皇帝の血筋に連なる人間こそが貴族と名乗るにふさわしいと考えていた。
もし仮に自分が皇帝になったとしたら、真っ先にファンゲル一族以外の諸侯の身分を取り上げようと固く決めていた。
山積みとなっている書類の束から1枚を取った時。
視線の先に、何者かがいるのに気づいた。
「……誰だ」
静かに、しかし警戒心を抱きながらアリスターは問う。
その人物は頭からローブのようなものを被っており、素性が知れない。
「もう一度問う。誰だ」
彼は懐に手を忍ばせた。杖を取り出そうとしている。
「……突然の訪問、失礼いたします、アリスター閣下」
その人物は被っていたローブを脱ぎ、その場に跪いた。
少女であった。歳は16、7であろうか。
その顔には、10代の少年少女が経験していないであろう苦労の跡が見える。
アリスターはその少女の顔をよく観察した。
「名を名乗れ」
彼の手は依然として懐に入れられたままだ。
「北王エーブリー家の娘、メアリーでございます」
アリスターは眉を顰める。
「この部屋には結界魔法が施されていた。並大抵の魔力を持つ者は侵入することはできぬ」
「その結界魔法を無効にさせていただきました」
メアリーの言葉にアリスターは驚く。
「……どうやら只者ではないようだな。目的はなんだ。私の首を取りに来たか」
懐の手が杖をつかんだ。
「いえ、その反対でございます」
「反対?」
アリスターの表情が険しくなる。
「それは、どういう意味だ」
「近日中に、北王は配下の魔法使いをして閣下の命を狙いに来ます」
しばらく、間が開いた。
「……なるほど、北王が私の命を狙おうとする理由はなんとなしには分かる。大方、我が息子との婚姻を進めるうえで私が邪魔なのだろう」
アリスターはメアリーの目をじっと見て言った。
「だが、なぜそれを北王側のはずの娘が私に言う」
メアリーは少し間をおいてから話し出した。
「この情報と引き換えに、閣下に一つ叶えていただきたいことがございます」
この言葉を聞いた瞬間、アリスターは杖を取り出して振るった。瞬く間に巨大な炎の龍が形成される。
「無礼者! 突然現れて情報を一方的に提供し、挙句の果てにそれと引き換えにこの私に叶えてほしいことがあるだと!」
メアリーは目を伏せる。巨大な炎の龍は彼女を飲み込もうと襲い掛かる。
しかし、飲み込もうとしたその瞬間、龍は消え失せた。
アリスターは愕然とする。
目の前の少女は、当代最強と言われた自分の魔法を完璧に打ち消して見せたのである。
「……なにとぞ、私の願い、聞き届けてはくれませんか」
静かに、しかし力強くメアリーは言った。
アリスターはしばらく迷った後、杖を懐にしまい込んだ。
「……我が魔術をはねのけたこと、称賛に値する。願いを聞こう」
メアリーは一礼する。そして、こう言った。
「私と、私の影武者が北王の屋敷を逃れるのを手伝って頂けませんか」
新章に入りました。
これから、グォッカとメアリーの二人に焦点を当て、物語は進んでいきます。




