第1章 第1話 オーク、変身する
にぎやかな街から離れた、人も滅多に来ない山の奥の奥。そこに、オークの村があった。
村の入り口の前に、2体のオークがいる。
そのうちの1体――名をグォッカという――は、自身の20歳の誕生日ということもあり、上気しながら門番の任を請け負っていた。
「ついにオデも成人したんだな」
「おめぇ、これで何回おんなじことを言ったんだ? いい加減しつこいぞ」
グォッカの顔を呆れながら見て言うのは、もう1体のオーク、ジェリーであった。
「これでオデは晴れて大人になったってわけだ。これからは1人で人間を喰うぞ」
「人間かあ…しばらく喰ってねぇなぁ」
「なに、オデが捕まえたらおめぇにも喰わせてやるぞ、親友」
グォッカは誇らしげにそう言った。
オークたちは人間を食らう。それが、この世界の常識だ。
町から来た無防備で非力な人間をなぶり、そして食う。
オーク族には20歳になったら、成人のしるしとして群れではなく1人で人間を襲ってよいという決まりがあった。
グォッカが上気しているのも、それが原因だった。
ちなみに彼の幼馴染でもあるジェリーは、1年先に成人している。
「おめぇ、成人したはいいがちゃんと人間を襲えるんだろうな?」
「馬鹿言うな、オデは人間狩りには失敗したことねぇんだぞ」
「それは周りに大人がいたからだろ……まて、なんか聞こえねぇか」
ジェリーはそう言うと、耳を澄ます。グォッカもそれに倣った。
小さいながらも、ザッザッと、こちらに向かってくる音が聞こえる。
2体は目を合わせ、そして醜悪な顔に笑みを浮かべた。
足音の大きさからして、人間に違いない。
「ここはオデに任せろ」
グォッカはひそやかに、しかし胸を張って言った。
「馬鹿言え、オデもやる。おめぇにだけうめぇ思いさせねぇぞ」
ジェリーが反論したが、グォッカの耳には入らないようだった。彼は目を凝らす。
森の奥の方に、鎧を身にまとった人間の女が見えた。
「見ろ。人間の女だぞ。なぶりがいがあるってもんだ」
「なに、それは本当か! 女はたっぷり痛めつけるのがいいんだよな」
2体は興奮して鼻を鳴らす。口からは粘度の高いよだれが垂れてきた。
その音に気付いたのか、女はこちらに向かって速度を上げて歩いてくる。
「そこにいるのはオークか!」
見ると、黒く長い髪を揺らした、凛とした表情を称えた女だった。女騎士だということは一目でわかる。
「へっへっへ……人間の女だぁ……」
グォッカが前に進む。身長は圧倒的に彼の方が高い。
「おい親友、俺も混ぜろ」
ジェリーも女騎士の前に立ちふさがる。
2体のオークに囲まれ、騎士は絶体絶命のピンチを迎えた――ように見えた。
突然、2体の前から女騎士の姿が消えた、と思うと、グォッカの隣からドサリと音がする。
ジェリーが倒れていた。
「親友! おめぇ、よくもやったな!」
醜い顔面に憤怒の形相を称えたグォッカは、女騎士を探し辺りを見回す。
「こっちだよ、ブサイク」
声がした方向を見ると、女騎士が立っていた。その手に、杖を持ちながら。
「なっ、おめぇ、魔法使いか――」
グォッカが驚いた声を出すのと、その杖から黒い稲妻のようなものが放たれるのが同時だった。
衝撃を受けた彼は、その場にゆっくりと崩れた。
――
幾分の時が経っただろう。
グォッカはゆっくりと瞼を開け、辺りを見回した。
――ここは、どこだ。
そう思って、目をきょろきょろとさせるが、何か違和感がある。
手足に力を入れてみる。確かに力は入る。しかし、自分の思っているよりも力みきれていない。
目の前に広がるこの光景。清潔感があふれている天井が広がる。こんなところは、村のどの建物でも見たことがなかった。
自分はどうなって、どこにいるのかもわからない。グォッカは軽くパニックに陥った。
体を起こしてみる。すると、思ったよりも勢いよく起き上がった。
この感覚は一体なんだろう。
ふと、手に目をやる。
彼は悲鳴を上げた。
これは、人間の手だ。悲鳴の声も、オークの成人らしからぬ非常に高いものだった。
これは何だ、いったいどうなっているのだ。
突然、バンと音がする。音のした方を見るとドアが開いていた。
全身を黒いローブに身に包んだ人間がそこに立っている。男か女かは、その目深にかぶった帽子によってうかがい知ることはできない。
人間はグォッカの方に歩み寄った。自然と、体がこわばるのが分かった。
目深にかぶった帽子を少し上げる。その顔を見たとき、グォッカはあっと思った。
こいつ、村でオデと親友に技をかけたやつだ――!
「おい、お前」
グォッカは声を出した。相変わらず変な声だ。
「オデに何をしたんだ、言え!」
できる限りの怖い声を出したつもりだが、様にならない。
目の前の人間はにやりと笑うと、懐から鏡を出した。
「やはりオークといえども、こうなってしまっては何をしてもかわいらしくなるだけだな」
人間はグォッカに鏡を差し出す。
グォッカの本能が、受け取るのを止めろと言っていた。
――ろくなことにならないぞ、見るんじゃない。
しかし、好奇心の方が勝った。グォッカは鏡を受け取り、自分の姿を恐る恐る見た。
その瞬間、悲鳴が部屋に響き渡った。
鏡に映っていたのは、金髪碧眼の、人間の少女だったのである。
――
「なんだこれは、どういうことだ!!」
グォッカは悲鳴にも近い声を出す。
「なんだもなにも、お前が少女の姿になっただけのことさ」
人間はどこか楽しんでいるように言う。
「おめぇ、オデに何をしたんだ……いやまてよ、オデの親友はどうした」
「質問はひとつにしてほしいものだ」
人間は苦笑しながら言う。
「まず、お前には、人間になる魔法をかけた。変身魔法というものだな。それと、お前の親友は村で過ごしているさ。気絶させただけだからな」
グォッカはひとまず、ジェリーが無事なことを知り安心した。しかし、まだ聞きたいことはある。
「オデを人間にしただと? なぜそんなことをするんだ。オデも気絶させるだけじゃダメなのか」
「おお、なかなか鋭いことを言う。お前を人間に変身させた理由は――」
「悲鳴がしたと思って駆けつけてみれば、オークが目覚めたのか」
再び入口の前から声がした。見ると、ひとりの人間の男が立っていた。
「北王様、お越しになられたのですか」
「叫び声が我輩の部屋にまで聞こえてきたからな」
男はグォッカを一瞥すると、顔をしかめた。
「ブラッディ、ここまで我が娘に似せると気味が悪いものだな、本物に似すぎている」
ブラッディと呼ばれた人間はそう言われると、恭しく頭を下げた。
「すべては北王様の仰せのままにしたことです」
「それもそうか」
グォッカは呆気にとられていた。その様子を見た男は彼を見下しながら言う。
「お前、名を何という」
「お、オデか?」
「そうだ、我輩はお前に問うている」
少しの間が空いた。
「オデの名前はグォッカだ」
「ふん、下品な名だな」
男は嘲笑した。グォッカは頭に血が上るのが分かった。
「な、名を聞いておいてそれは失礼じゃないのか」
甲高い声を精いっぱい張り上げながら、彼は反論した。
「中途半端に失礼という概念を持っているのも薄ら寒い。オークはオークらしく、知能を下げておけばよい」
グォッカは、いよいよ激怒した。飛び上がり、男の胸ぐらをつかむ。
ここで、彼は気づいた。普段は人間を見下しているのが、全く逆転していることに。
そして本能で悟る。今、オデはこの男に力で勝つことはできない、と。
グォッカは絶望した。その場にへたり込む。
その姿を蔑視しながら、男はグォッカの頭上から声をかける。
「我輩は北王、ベルベット・エーブリーである。ここにおるのは我が家に仕える魔女、ブラッディ。オークよ、お前はこの女に変身魔法をかけられたのだ」
グォッカはまるで意味が分からなかった。
突然村に来た人間の女に、魔法をかけられる謂れもない。
「なぜ自分が、思っているのだろう」
北王――ベルベットは冷たい声で続ける。
「別にお前でなくともよかった。ただ、2体いたうちの1体が必要だった、それだけだ」
「……理不尽、というやつじゃねぇか」
グォッカが絞り出す声で言う。声が震えているのが自分でも分かった。
ベルベットはそれを無視する。
「お前には、私の娘として振舞ってもらう。そのための変身だ」
グォッカが吃驚して顔を上げる。
「オデが、おめぇの、娘……?」
「そうだ。そして、我がエーブリー家の令嬢として社交界に出てもらう」
あまりのことに、開いた口が塞がらない。
このときようやく、ベルベットがグォッカと目を合わせた。
「元の姿に戻りたいか」
「そりゃそうだ、もちろんだ」
グォッカが飛びつくように言う。
「なら、私の言う通りに生きろ。私の言うとおりに振舞え。お前の生殺与奪の権は全て私に渡せ」
「なにを馬鹿なことを」
彼は再び声を荒げた。
「さもなくばお前のその姿は、一生戻らないと心得よ。我輩の忠実な僕であるブラッディが魔法を解かない限りは、お前の姿はそのままだ」
グォッカはちらりとブラッディの方を見た。その表情から、何を思っているかは分からない。
しかし、自分に味方している表情ではなかった。
彼はここでようやく、自分がどうしようもない、抗いようのない運命のただなかにいることを悟った。
新作です。
できる限り毎日更新していきます。
人間の女性に変身してしまったグォッカを待ち受ける運命とはなにか!
ご期待ください。