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文章の48手

作者: アシカ

この文章は、自分自身を知ることが文章の基本であり、恥を知り、恥を掻き、恥を書き成長できるということを伝えています。また、文章を書くことは不便なことであるが、それでも人生において大切な体験であると述べています。

【1〜24手:根源のイデア】

1.汝、己を知れ

2.恥を知り、恥を掻いて、恥を書け

3.不自由こそが文章だ

4.感情は不変であり、文章の不変を味わう

5.身近な人の擬人化

6.文章を書く喜び

7.無駄な文章を書こう(月を文章にしるしてみよう)

8.視覚的文章の硬さ

9.表現の紋切りがた「なぜ」の追求

10.空想から生まれる創造性

11.人に寄り添う文章を書く

12.文章は答えを知っている

13.生きとし生けるものすべてにリスペクト

14.文章の系譜

15.よく見聞きしそして分かる

16.隣の山の芝生の文章は青く見えるが、あなたも立派な文章の山

17.山びこの文章

18.時間と空間を超越しろ

19.いましかない文章

20.幸福なる文章

21.統合と分裂を繰り返す文章

22.生きとし生きるすべてのものは自らの軌道と運命を持つ星

23.すべては己の星のフォログラム

24.無から有 有から無


【25〜48手:法や構成のイデア】



1.汝、己を知れ

隣の山は美しくはっきりと見えるが、自分の山となると見失う。目の前の木々、石々、砂々しか見えないからだ。

文章を創造するのも、同じだ。

他人の文章の欠点はよく見聞きし分かるのに、自分の文章は見聞きできない。

そこには、自分のエゴがあるからだ。

可愛い自分をみてしまい。

正当で客観的な評価ができないのである。

文章は自分の中の他者を見出すことで上達していく。

「汝、己を知れ」が、文章の基本なのだ。

一晩寝かせて、翌日に原稿をチェックしてみよう。すると、客観的に自分を見ることができる。

汝、己を知る一つ方法だ。

その時の感情、環境、生活により文章は影響をうけて書くため、面白い文章を書いているつもりがゴミクズの文章になるのだ。

己を知るために己のことを書け。書いて書いて書きつくせばゴミクズの一つが宝石とまではいかぬとも、木々、石々、砂々の特性を学び自分の山を薄っすらと理解できるだろう。

2.恥を知り、恥を掻いて、恥を書け

恥を隠したがるのは、人間の性だ。

自分の中のコンプレックスを曝け出すのが怖いのだ。

アダムとイブが毛皮の衣をこしらえ、恥を知った。

恥を知って、恥を掻いて、恥を書け。赤裸々の恥にするのだ。

己の恥を赤裸々に2つ書く。

1つ目はウンチマンの話だ。

己は、小学4年生のときハワイへ行った。

機内食や現地の食材があわず、お腹を壊し下痢となりトイレがなくうんちを漏らした。

その場には、家族や親族がいて皆に迷惑をかけた。

それ以来、ワタシはうんちをするのに怯えていた。

朝起きた直後にウンチをし、一日持つか不安になるのだ。

しかし、あるときから赤裸々にそのことを話せるようになりウンチの問題は解決した。

恥と知り、恥を掻いて、恥を書いたのだ。

己は、ウンチマンの称号を手に入れた。

もう一つは、借金マンだ。20代に親に100万円を借り賃貸料も3ヶ月滞納した。

強がってお金に困っていないふりをしていたが、貧乏を味わったのだ。

わたしは20代半ばまで人並み以上に裕福な生活を送っていた。両親や親族は借金をせず運用していたのだ。だが、「自分で稼いで飯を食ってみたい」と思い行動に移したところ、世間で言う貧乏を知ることになった。

しかし、貧乏も悪くないアイデアが浮かぶ。

腹が減ったら、頭が働く。

裕福なときは意外とお金のありがたみを知らない。

人は、無くなってそのありがたみを知る。

予め、ありがたみを知っている人は幸せものだ。

しかし、無いありがたみを知ることによりさらに成長もできる。

恥だと思っていたことも、いまでは誇りになのだ。

恥を知り、恥を掻いて、恥を書くことで、生きた体験となり智慧となるのだ。

それが、文章に現れる。心打つ文章が、48手の奥義が生まれる。

恥がなくなることはない。忘れるな。人類は服を着ているだけで、恥であることを忘れるな。

人として生きている限りは、無知であり恥そのものだ。

3.不自由こそが文章だ

文章はとても不便だ。

考えてほしい。

書いた後に、脱字を確認し全体の流れを工夫する。

さらに、海外に翻訳までされ、どれだけの時間を費やしているだろう。

時代ごとに改訂され、一生を文章にかける人までいる。

文章がなければ、そんなことを煩わしいこともしなくてすむ。

だが、不自由が有るからこそ美しさもある。

自由だったら、何をどうすればいいかわからなくなる。自由はある意味で、露頭にくれる可能性が高いのだ。

制約があるから、迷わずにすむ。つまり、登山で太陽の位置、月の位置、植物の生え方で方角がわかる目印に文章もなるのだ。

文字を繋いで知識が生まれ、つぎの時代に生きていく。

不自由の中から生まれた艶がたくさんあるのだ。

文書に絶対の答えがないように正解がないから人生を楽しめる。

答えのわかっている映画や小説を読んでも心踊らない。

あなたという体に入って不自由があり、その不自由の中の自由の選択が美しく輝くのだ。

文章も美しく輝く不自由の中の輝きにすぎない。

4.感情は不変であり、文章の不変を味わう

小さい頃読んだ「星の王子さま」を大人になって読むと表情がまるで違う。

理由は、簡単だ。感情は不変であり続ける。子供の頃のあなたといまのあなたは別人なのだ。そもそも脳内の記憶の伝達の仕組みを知れば、うなずける。

数週間、数ヶ月で人間の細胞組織はすべて生まれ変わる。

細胞が受け継ぎ大切だと感じていることは記憶として残り、常に壊れては新しく変わり続ける。

死んでは生まれ、生まれては死んで・・・

感情は不変であり、文章の不変を味わえばいい。昨日と今日では全くの別人であり、連載小説を書くと、キャラクターが成長や衰退を繰り返す。

更に追求すると成長も衰退もなく、すべてが不変であることにたどりつくだろう。

長期連載の漫画のキャラクターなども長期に渡るうちに勢いが無くなる。キャラクターが固定化され、見失ってしまうのだ。キャラクターの匂いだけ残る。

善悪ではなく、感情も不変であり、不変を味わえばキャラクターの味が出て楽しくなるだろう。幼少期だったはずのキャラクターが青春期になり、それを文章にすれば良いだけなのだ。文章が、偉大なる不変を遂げるだろう。


5.身近な人・物からのキャラクター

身近な人をあなたのメガネでキャラにしてみよう。

あの人はその時、その場で、性格が変わっていく。そのことを楽しむのだ。

エゴをむき出しにしていた少年がある時、無意識から受け取るインスピレーションを楽しむように文章の成長をしよう。

そこでは、鳥のように空だって飛べる。

登場人物はもう出来上がっているのだ。

スーパーで衝動買いするおばちゃんは、独り言で「あの商品が安い」とブツブツ言っている。「安い」に取り憑かれたオバタリアンのキャラクターができるだろう。

どんなところにでもキャラクターは生み出せる。

駅前に置いてある100台ちかく並ぶ自転車の一つに感情をのせてみよう。

「きゃあ、雨が降ってきた。今日は最悪。チェーンが酸化するわ。ペンキの剥がれているところは錆びて、油が流れちゃう。なんで、屋根ありのところに停めてくれないかしら。」このように、自転車マンが生まれ無限の文章が溢れ出てくるだろう。



6文章を書く喜び

深く的確な文章を表現しようとすればするほど壁にぶつかる。

表現のもどかしさである。

腐りかけているぎりぎちの卵を表現してみよう。

卵を割り悪臭が若干漂い、ぎりぎり食べれそうだ。黄身の色は艶がなく、どこか水っぽい。食べられるのか、どうか熟考する。

的確に伝えようとしても腐りかけの卵の味を表現できない。人によって腐りかけの基準は違うのだ。

卵の成分の一つである硫化水素などの有毒などを深く知り、消失点まできちんと書き込み腐敗を定義することは可能だが、腐りかけは人間の感覚的な水準で判断するためこのようなことが起きる。

卵は、少なからずの硫化水素があり腐っているが、人間の消化できる範囲は健康上問題ないとされているだけなのだ。


7.無駄な文章を書こう(月を文章にしるしてみよう)

フォーマットの文書は、一般的な作業の繰り返しになる。

違うサイトの真似をしたコピーライターは、似たようなものを作る作業になるのだ。

しかし、それでは文章に面白味が生まれない。

つまり、文章が息づまるのだ。

苦しくなって、苦しくなって、苦しさが文章に滲む。

文章に滲むと、読者は毒をキャッチする。毒を楽しむことができるが、一時的な楽しみでしかない。

快楽を求めてアルコール中毒や薬物依存、砂糖中毒になるようなものだ。

一時的な美味みに走っていくうちに、毒に自分が感染し、書く気力を失い枯れていく。

自然の摂理である。

息が詰まってきたら、月について文章にしてみよう。

むだなあがきに見えるかも知れないが、月には古来よりさまざまな表現がされる。

上弦の月、下弦の月、三日月。

月に浮かび上がった偉大なるウサギの天変地異が無駄な文章から受け継がれるだろう。



8.視覚的文章の硬さ

哲学の本を目にし3行で眠くなることがあるだろう。その理由は簡単だ。

哲学・思想は専門用語が多いからだ。自分のいままでにない情報なため頭がフリーズをおこし、考えることをやめてしまう。

例えば「共産主義と資本主義のように弁証法は、支配的・管理的な便利な道具になっている」と漢字が多くなればなるほど、真っ黒な文章になり余白がなくなる。 人は、印象で物事を判断するクセがある。4秒で異性と付き合えるか、付き合えないか判断するようなものだ。 このように、文章に重みを置きたい場合は硬い表現をする。反対に、軽いノリでいい場合は、ひらがなとカタカナで空白をもたらす。

音楽と文章は、非常に似ている。 リズムで刻む。常に、フルスロットでリズムを刻むとやかましいだけの雑音になる。スペースが、リズムが必要なのだ。そして、ビートに刻まれる。ビートからリズムが生まれ音楽が生まれるのだ。

ビートからリズムが生まれ音楽が、哲学が、文章が生まれるのだ。


文章の一つのリズムが余白である。 理屈をこねたいときに、余白だらけの「あい」をつかうよりも「愛」としたほうが、重みがでる。哲学なれてしまうとそのうち主義が一つの造形にみえる。


「愛」は、形而上学のロゴスであり、対なるものとして唯物論、物質主義などがある。 「」カッコも、リズムとしての空白をもたらす。 英語と違い、日本語は文字から文章へ流れる。ビートそのものが日本語には含まれている。 その反面、喋り言葉やシンプルな要約は得意としない。 芸術性に卓越した文章とも言えるだろう。


共通語はシンプルな英語。芸術性に特化させたいのであれば「生」まれ、そのものであるひらがな「あえうえお」や「カタカムナ」「古代文字」「AEIOU」に習って言葉を失う必要がでてくる。


9.表現の紋切りがた「なぜ」の追求

「あのケーキ屋やばくない?日本やばくない?」と、やばいの紋切り型には、数多くある。 一体なにがやばいのであろう。 この「やばい」の正体を追求するだけで、あなたのなかのやばいの幅が拡がる。

あのケーキ屋のショートケーキは、口の中で甘くとろけるシフォンケーキとクリーム、苺の甘さとバランスが絶妙で「やばいほど美味しい」という意味がある。

砂糖の塊を溶かして空気をいれ、依存させるショートケーキは体にとってやばいともいえなくもない。

このように、言葉にできないやばいをやばくすることで、紋切り型の追求ができる。


永遠に続く答えのない文章の冒険が始まるのだ。

そして「なぜ?」の追求をすることで、文章の深さが生まれるのだ。


10.空想から生まれる創造性

小さい頃は誰もが空想家だった。 小さい頃に、空を飛んでいた人は多いだろう。 まるで、寝てみる夢のようにだ。

頭の中では、現実と空想の差はない。起きて「思考が勝ってようやく、夢だった。あれは現実ではない」

と、判断できる。

しかし、空想が思考より勝つと存在そのものが曖昧になってしまう。存在するためには、思考が重要になってくる。思考が勝てば東経122から154度に位置し、北緯20度から46度で、東経135度が日本の標準時子午線とわかるのだ。 空想の世界に一つの目印をつけ、わたしたちはクリエイティブを思考しているのだ。 現実世界に、水面の「0」の高さを決めそこから私の家の標高は20mで、富士山は3776.12mと印ている。0mという空想から現実が生まれるわけだ。

しかし、この空想が暴走をすると水面の「0」の高さを自分で「ー21m」とも思い込める。 その結果、私の家は海に沈んでしまった。

空想から創造されている存在だが、空間と時間の干渉があり、クリエイティブには時間の誤差が生まれる。 例えば、売れない画家の空想のクリエイティブが、時間を超越したとき死んでから人気の画家になるわけだ。 意識の向こうで日常生活を超越すると問題が発生する場合がある。身体的感覚と調和させ忍耐力を持ち投影していくとスムーズに創造性が生まれ、 文章が生まれる。

ヨガやスポーツなどは自分の体と心を結びつける効果がある。 もちろん、他の方法も無限にある。 そして、空想して現実に投影しようとしても完璧で、完全に成ることは人類では無理である。

それこそ、神のみぞ知る世界になってくる。

また、他人との干渉問題も発生してくる。 よくよく見ると、人類は誰もが空想家であり、創造家である。

それを飲み込んでしまえば、空想癖などとるにたらない問題だろう。むしろ、インスピレーションするための原動力でありそれが文章である。



11.人に寄り添う文章を書く

無意識的に文章をインスピレーションすると、自分の中の頭のゴミにより文章が偏る。

つまり、専門用語で片付けてしまうわけだ。

ご存知のように利己的な生物こそ「人間」だ。利己的な人間しかそもそもいないのだ。

いくら他人になろうとしてもなれないからだ。

世間では「利己的な人間」であると知らない人は一定数いる。 「利己的な」とは、自分の利益だけを求めるという意味だ。

すべての日本人に文章を伝え他人に寄り添うときに、噛み砕いていくとすべてがひらがなだけになってしまう。なぜなら、小学生でも読める必要があるからだ。

そして、ひらがらの一つずつの意味を備考に載せ書く必要も生まれる。

1万ページでは収まらない。それこそすべての文章そのものになってしまうだろう。

噛み砕けば噛み砕くほど、文章は行き場をなくす。

まるで、噛み切れない餅のように飲むタイミングを失う。

どうすれば、この専門用語と文章の校正のバランスがとれるのか。

己はこの答えを知らない。完璧な文章がないのと同じである。 ただ、利己的な自分のなかでも人に寄り添って、文章を書こうとすることはできる。


12.文章は答えを知っている

文章を読んでいると、言いたいことを「表現」するプロに出会う。

自分の感情を示す表現をしてくれるのだ。

文章は、潜在意識の奥深いところではずっと繋がっている。

超越した物語なのだ。

ときには比喩を使って面白く伝え、またあるときは物語として表現する。

歴史を超えて文章は鳴り響く。

その証拠に私たちは、2500年前のプラトンや1200年前の古事記など、時間を超越し存在する。

もうすでに、プログラムは組み込まれ、文章も答えを知っているのだ。


13生きとし生けるものにリスペクト

すべての有ることは活かすことのできる材料である。

体調が悪いことも活かすことができる材料だ。

自分で体調を変化させることができたのであれば、その情報や食べ物を配るようにすれば多くの人に喜ばれる。

文章も同じだ。あなたに怒るすべてのことは無駄ではない。

生きとし生けるものにリスペクトができるだろう。

さぁ、文章を書き給え。


14.文章の系譜

ありきたりの綺麗な文書を目にする。

確かに読みやすいが、その内容は全く頭に入ってこない。

桃太郎を思い出してみよう。小さい頃、目にした平仮名は正解とされる文章にはほど遠い。

にも関わらず、その内容を忘れない。

アベレージの文章でなく、ぶっちぎった文章を書くのだ。

書き方がわからない?

分からないことを書けばいいのだ。

その中から、気づきが生まれる。

分かっていないということが、いまのあなたの創造なのだからありのままを書け。

度重なるが恥を知り、恥を掻いて、恥を書け。

芸人が恥を捨て脱ぐというが、書くことにより恥を捨て脱げるのだ。

ピンチはチャンスとはこの事を言う。


15.よく見聞きし、そして分かる

一から十を学べ。

なにも難しいことではない。

文章だけでなく日常的にわたし達は常に意図を検知できる。

相手の意図が分かることがあるだろう。

たとえば、子供が嘘をつく。その嘘は透けて見える。

子供は自分でペンをなくして「ペンをお父さんが隠した」というが、ペンは子供のおもちゃ箱に入っている。

自分で片付けたことを忘れていることがわかるだろう。

言葉の意図から嘘と判断し、一から三のことが分かる。

しかし、本当におもちゃ箱にペンがあるだろうか?


もしかしたら、本当にお父さんが持っていったのかもしれない。

また、旦那がペンが壊れてゴミ箱に捨ててしまったかもしれない。

さまざまな仮説や想像が生まれる。

文章を練っていく上で柔軟な考えは役に立つ。

よく見聞きして表現すればいい。


16隣の山の芝生の文章は青く見えるが、あなたも立派な文章の山だ

自分の文章を読み返すと下手な文で虫唾が走る。そして、他人の本や雑誌の文を読むと美しく自分の文章に価値がないように思う。

つまり、隣の山の芝生の文章は青く見える。人間はないものねだりになのだ。

そこで、書くことを諦め放棄する。

こうして、創造のチャンスを失う。

周りから見たら、あなたも十分立派だ。

読書感想文の文字を思い出してみよう。

「。」の形がみんな違う。

大きく書く子供もいれば、小さく書く子供もいる。

四角い枠の中の真ん中に書く子供もいる。

消しゴムの使い方がヘタで真っ黒の原稿になっている子供もいる。

同じ文章だとしても、同じものは一つとしてない。

同じ芝は一つとしてない。

にも関わらず、読書感想文の書き出しはみんなと一緒にする必要があると思い「私は、・・・です」と書きはじめる。

つまり、小さい子供の頃から、わたしたちは他人を意識する。

同調圧力による文章が生まれるわけだ。

確かにはじめに、結論を持ってくることは読者の目線でわかりやすい。

同調圧力など捨ててしまい、徒然なるままに書き始めればいいのだ。書いてみて、出てきた文章をまとめてみよう。

山には、芝生だけでなく多種多様の植物がある。無限に広がり、無限のレパートリーがわかるだろう。

あなたももうすでに、立派な山であることが分かるだろう。

価値など他人の戯言でしかないのだ。


17.山びこの文章

自分の山に無断で立ち入ると怒る人たちがいる。

それは、自由への執着と主張し自分の山を枯らすことになる。

砂漠化し痩せた土地のように水がなく、水がないのは隣の山のせいにする。

隣の山のせいにしていては、いつまでもあなたの山は生い茂ることはない。

自分の山に好きな木を植えればいいのだ。

忍耐力がいるが、必ずいつか芽となり立派な木になる。

はじめから、完璧を目指しても、完璧など捨ててしまおう。

完璧なものなど存在しないのだから。

他人をみるのは、自分の山を知るための目印になるがそれ以上にはならない。

あなたは、隣の山にミサイルを打っていないだろうか。

「あの人はここがダメでブサイクなのよ。」「え〜〜、そんなことする人なの?信じられない」といったようにミサイルを打てば、あなたの山にもしっかりミサイルが落ちてくるだろう。

「あなたのことこんな事をいっていたのよ。」「え〜〜うそ。」とお互いにミサイルを打ち合って喜んでいる有様である。

山びこなのである。「やっほー」といえば、「やっほー」と返ってくる。

文章も同じだ。あなたの出した文章は、あなたの文章として返ってくる。

罵倒を浴びるのであれば、それはあなたが罵倒したからかもしれない。

罵倒を許容すれば、許容が返ってくる。

許容ができるようになれば、罵倒の面白さがみえてくる。

文章として面白く罵倒を書き給え。面白さが返ってくるだろう。


18.時間と空間を超越しろ

言葉が存在しない時間と空間の外に位置する場所を覗け。

寝て見る夢に文章は存在するだろうか?

起きて、思考と意識が生まれ文章になっていく。

現代では思考がすごい人を頭のいい人と思う傾向にある。

学歴や暗記の思考が最高のものであり、記憶などの思考が優れた人を天才と思う傾向にある。

しかし、クリエイターたちは、文章を書けば書くほどいびずでスカスカで曖昧なものだと知っている。人が、無知であることを知っているのだ。

そんないびつさを追求し生まれた文章は、心を通わせる。

文章が、時代と空間を超越するだろう。


19.いましかない文章

時間と空間を超越するにはいまを知ることだ。

過去も未来もない。いましかないのだ。

いましかない一瞬に熱を放出させろ。

虫眼鏡で紙の一点を燃やすように文章を爆発させるのだ。

すれば、すべてを一瞬で呑み込むことができる。

文章が、一瞬で現れる。

いままで見たことのない、いやすでに知っていた新たな文章に歓喜せよ。

綴れ、綴るのだ。

いつ綴るのか、いまこの瞬間だ。

ほかに方法は、無いのだから。


20.歓喜なる文章

苦しみのなかにある気づきの文章は、歓喜ある。

ただ、苦しくをいつまでも喘ぐな。

苦悩中毒にはなるな。

苦悩と歓喜の狭間を思い出せ。

この狭間の文章こそビックバンのような永遠に拡がる創造だ。

永遠に拡がるなかでの狭間で歓喜がみえる。

とても静かで落ち着き荒波一つない。

無駄のない文章が己を通じ現れる。

現れは少なからずのブレが生じる。

ブレは苦しみであり気づきが生まれる。

気づきのレパートリーはオリジナリティとして己になる。

それを歓喜なる文章と呼ぼう。


21.統合と分裂を繰り返す文章

己の体はほどんどが水分だ。

水分は分裂をし統合し細胞になり、細胞が腸となり脳となり心臓となり体となる。

文章もひらがなと漢字、カタカナの一つずつにすぎない。

組み合わされ一つの文章になる。

人間は統合と分裂の無意識を意識することができる。

思考できるのだ。

しかし、思考だけではパロディだけでクローン人間になる。

では、思考のほかに何があるのだろう。

それは、意思だ。

意思はどんなものにでも宿る。

人間の場合は、「胸騒ぎがする。心がいたい」と胸に意思がある。

心がある。ハートがあるのだ。

この意思は、植物にもある。ひまわりは太陽に意思をむけ全力で向かっていく。

思考が強く勝つと、暗記のみが頭がいい人に思う。

意思が強く勝つと、スピリチュアルで現実の起きていることをないがしろする。

この2つも中道すなわち、狭間・調和が取れてはオリジナリティ・無為自然の文章が生まれだす。

しかし、この2つだけがすべてではない。


22.生きとし生けるすべてのものは自らの軌道と運命を持つ星

正確な文面は忘れたが「あらゆる人は自らの軌道と運命を持った星である」と、20世紀の魔術師A・クロウリーは言った。

確かに、近しい言葉だが生きとし生けるすべてのものは自らの軌道と運命を持つ星であろう。

あらゆる人とすると、人間至上主義が生まれるからだ。

さきほど説明したように、すべてのものに意思がある。

思考は、動物や生物に与えられこの地球(表面)の星では人間が思考が強く持った種族だ。

現代における病は、この思考ばかりに頼ろうとすることだ。

誰もが光り輝き主人公である星だが、そこに価値などない。

星があつまり太陽圏になり、星座になり、銀河になり、すべてになる。

地球も砂があり、水があり、空気があり、すべてになる。

軌道と運命を持つ星は、いまの選択でどこにでもいける。

しかし、この世界は時間と空間がある。

忍耐力も学べる軌道と運命を人間は背負っているのだ。

自分のみたい景色の軌道にのせ光り輝く作用反作用の法則が働いている。


23.すべては己の星のホログラム

作用反作用の法則をつかって、すごく長旅をしてきた。

星であった一つずつの記憶を忘れ、細胞であった記憶を忘れ、動物であった記憶を忘れ、忘れ忘れて人間になった。もちろんその忘れ具合は軌道と光加減によりかわる。

忘れた体験をしたく肉体のホログラムを楽しんでいる。

ほとんどの人は記憶が邪魔になる。

小さい子供が、あること、ないことを話すが行ってみるとそこに本当にあったことなどは多々聞く話だ。

輪廻転生をしたい軌道に乗る人はのり、輪廻転生に乗りたくない人は乗らない。

どの軌道もオリジナリティーのホログラムである。


24.無から有 有から無

文章をみても、白紙という無から、自分で生み出した有である。

有と思っているものが、無かもしれない。

色即是空 空即是色。

自分が有るかぎり有るが、無いと思っているときは無い。

これだけなのだ。

有って無いようなものなのだ。

寝ているときに、あなたは有るだろうか?

有ると意識し、思考していないだろう。

起きて、心が、脳が動き出して有ると自覚する。

己が有るうちは有るのだ。

文章も己が有るからかけるのだ。

無から有、有から無。これ以上に文章を語ることはできない。

なぜなら、すべてに当てはまる法則だから。


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