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第5話 ばあちゃんとおばあ様

「ベッドは買ったから……次はパジャマ」

「ストップストップ!」


 百均に入るかのように高級ブランドショップへ入ろうとする澪を、夏斗は慌てて制止する。

 ちなみにベッドはといえば、当然持ち歩くことはできないので、夜までに豪邸へと届くことになっている。


「どうしたの?」


 澪は慌てて自分を引き留める夏斗を、不思議な気持ちを抱いて見つめた。

 彼女は別に、お金持ちアピールをしようとか、高級ブランド品で夏斗を釣ろうとか、そういうことを考えているわけじゃない。

 これが彼女にとっての普通なのである。

 夏斗が一生袖を通すことがないであろうブランドが、彼女にとってはユ●クロとかジー●ーみたいなものなのだ。

 実際、澪が今着ているワンピースも、白を基調としたシンプルなものではあるが、月の手取りに嘆くサラリーマンが聞いたら卒倒しそうな値段のものである。

 暑さ対策と髪を守るために被っている品のある帽子も、靴も、どれも一流の高級品だ。


「パジャマ、いらないの……? はっ……まさか夜ははだ……」

「裸で寝るタイプの人間ではないから安心して。いや、パジャマにしても服にしても、というか生活に必要なものは、基本的に持ってるからさ。だから新たに買うよりも、俺の家に取りに戻った方がいいんじゃないかなって」

「私からのプレゼント、いらないんだ」

「いや、そういう意味じゃなくて! その、使い慣れたやつの方が良いというか何というか……」

「冗談」


 澪は夏斗の動揺を絶対零度でばっさり切り捨てると、高級ブランドショップに入るのを断念した。


“表情も口調も変わらないから分かりづらいんだって……。”


 夏斗は頭を抱えつつ、再び歩き始めた澪の隣を進む。


「夏斗の家は、どの辺りにあるの?」

「この辺りからだとバス1本で行けるかな。たぶん、20分くらいのはず」

「じゃあ、行こう」

「分かった」


 夏斗が返事するとほぼ同時に、澪はすたすたとバス停へ向かう。

 ちょうど良いタイミングで目的の方向へ進むバスが来たので、2人はそれに乗り込んだ。

 直射日光は避けられるものの、バスの車内はまた違った類の暑さで満ちていく。

 ただ座っているだけでも、夏斗の頬をつーっと汗が伝った。

 しかし横の澪を見てみれば、まるで汗などかいていない。

 それどころか、至って涼しい顔をしている。


「暑くないの?」

「暑いけれど?」


 ちっとも暑くなさそうな様子で答える澪。

 むしろ、バス車内の気温が少し下がったようにすら感じられる。


“暑いというより、夏斗くんが隣にいるから温かい……。”


 澪のそんな気持ちは、もちろん夏斗に伝わるはずもない。

 どう頑張ったところで、その表情や佇まいからは読み取れそうにないのだった。




 ※ ※ ※ ※



「ここだよ」


 夏斗の住む場所は、どうということもない普通のアパートの一室だ。

 決して広くないが、ひとりで暮らす分にはちょうど良い。

 普段から掃除などの家事が行き届いているため、慌てて片付ける必要もなく、夏斗はすんなり澪を招き入れることができた。


「暑い暑い……」


 夏斗はとりあえずフルパワーでエアコンを稼働させると、澪にリビングの適当な場所へ座ってもらう。

 そして冷蔵庫からキンキンの麦茶を出して、コップ2つに注いだ。


「どうぞ」

「ありがとう」


 炎天下を歩いたため、すでに喉はカラカラに渇いている。

 夏斗は冷たい麦茶を一気に飲み干した。

 澪も半分くらいまでは一気に流し込み、一呼吸おいて残りを飲み干す。


「ふぅ……」


 一息つくと、夏斗は立ち上がって物置から大きめのキャリーケースを取り出した。


「これに必要なもの詰めてくるから、何もない部屋だけどゆっくりしてて」

「分かった」


夏斗はひとまず風呂場兼洗面所に向かうと、パジャマやらパンツやら必要そうなものをとにかく入れていく。

 さらには普段着る服、夏休みの宿題、ゲーム機や充電器、イヤホンなどなど。

 とにかく絶対に使うものだけを選んだのだが、それでもキャリーケースはいっぱいになった。

 ギリギリでファスナーを閉めて、元のリビングに戻る。

 エアコンがようやくやる気を出し始めた部屋の中で、澪は壁に掛けられた写真を眺めていた。

 そして夏斗が戻ってきたことに気付き、写真から振り返る。


「それで全部なの?」

「うん。必要なものは入れた」

「そう。ちなみにこの写真は……」

「ああ、それは俺の父方のじいちゃんとばあちゃん。それで真ん中に映ってるのが、小学生の時の俺かな」

「この方々が夏斗くんのおじい様とおばあ様……」


 澪はもう一度、写真に視線をやってから言った。


「優しそうな方たちね」

「めっちゃ優しいじいちゃんとばあちゃんだよ。田舎でずっと農家やってる」

「そう、農家なんだ」

「ちなみに澪のばあちゃん……じゃなくて、おばあ様ってどんな人なんだ?」

「無理に様をつけなくていいよ」


 澪は壁から離れると、椅子に座り、自分で新たに麦茶を注いだグラスを握る。

 そしてぽつぽつと言葉を紡いだ。


「私のおばあ様は、霜乃木麗子(れいこ)

「霜乃木麗子……。何だか聞いたことがあるような……」

「フロストグループの会長……ああ、今は名誉会長だったかな。どちらにしても、おばあさまが実権を握っていることに変わりはないけれど」

「フロストグループって……あのフロストグループか……!」


 フロストグループは日本有数の大企業だ。

 たくさんの子会社を持ち、物流や飲食チェーン、旅行サービスなどその業種は多岐にわたる。

 そんな一大グループの創業者の妻であり、現在は会長を退いて名誉会長となったものの実権を握り続けているのが、澪の祖母である霜乃木麗子なのだ。


「さあ、家族の話はこれくらいにして、そろそろ行こうか」


 澪はあまり話したくないと言った様子で、早々に話を切り上げる。

 夏斗としては聞いてみたいこともあったのだが、彼女が話したがらない以上、さらに深く追求することはなかった。


「この部屋ともしばらくお別れか……」

「そうね」


 エアコンを切ったかなど最後のチェックを済ませて、夏斗は玄関の鍵を閉める。

 そして2人は、再び蝉が大合唱する炎天下を歩き始めたのだった。

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