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第10話 初めての感情

「んんっ……」


 首筋を襲う優しい刺激に、澪が思わず声を上げる。

 ただし、何も夏斗と澪はそういうことをしているわけではない。


「気持ち良いことねぇ……」


 半ばほっとしたように呟くと、夏斗は力加減に注意しながら澪の首を指圧した。

 澪のお願いはマッサージである。

 昨晩、あまりにも眠っている夏斗に密着しようとし過ぎた澪は、変な姿勢で寝てしまい首筋を痛めたのだ。


「違和感があるのはこの辺りであってるか?」

「うん。そこと、もうちょっと下の方も」


 ソファーにうつぶせになった澪の首筋を、丁寧に丁寧に押していく夏斗。

 彼女の首筋は、その手と同じようにひんやりしている。

 白く、そして繊細で、少しでも力を入れ過ぎると壊れてしまいそうな怖さがあった。


“こういうことをお願いされるってことは、俺に対して心を開いてくれてるって受け取っていいんだよな……?”


 夏斗からすれば、クラスで見ていた澪が誰かと身体的接触を持つなど想像もつかないことだ。

 階段での一件が不可抗力だったとはいえ、今となっては澪の方からそれを求めてきている。

 そのこと自体は、夏斗にとって素直に嬉しいことだった。

 不純な気持ちを一切抜きにして、前から夏斗は少し澪のことを気にかけていたからだ。


「なあ、澪」

「何?」


“今これを言うべきか分かんないけど……。でもちゃんと言っとくか。”


「そのさ……俺にできることあったら何でも頼って。答えられる限り、答えるから」

「どうしたの、急に」

「似てるんだよ、俺の知ってる人と」

「私が?」

「うん」


 澪の背中を優しくマッサージしながら、夏斗はぽつりぽつりと語る。


「ずっと前の知り合いなんだけど、そいつも感情が表に出てこないっていうか、意図的に出さないっていうか。とにかく、周りの人に対して心閉ざしまくってるような人間で」

「……私もそうだって言いたいの?」

「あ、いや、その……」

「ううん。合ってるからいいよ。怒ってない。だって私は『氷姫』だから」

「知ってたんだ、そう呼ばれてること」

「もちろん」


 澪はソファーで目を閉じ、マッサージの心地よさ、夏斗の温もりを感じながら続けた。


「でも何でもいいかなって。『氷姫』だか何だか知らないけど、私のことは分かってもらえないし」

「俺の知り合いもそう言ってた。『どうせ分かってもらえない』って。でも運良く、助けてくれる人に出会えたんだよ」

「助けて……くれる人……」

「そう。その人出会ってから、そいつは泣けるようになったし、笑えるようになったし、言いたいことも少しは言えるようになった。だから今度は俺が、澪にとってそういう存在になりたい」


 夏斗はマッサージの手を止めて、最後に優しく澪の背中をさする。

 その最中、心の中で呟いた。


“似すぎなんだよな。いつぞやの誰かさんの表情と、『氷姫』澪の表情が。”


「もしそんな存在いらないって言うなら、はねつけてもらって構わない。でも澪が俺に心を開いてくれてるなら……」

「……」

「遠慮せず、好きなように甘えてほしいな」

「……っ」


 澪はそっとクッションを引き寄せると、顔の下に置いた。

 布地に涙が染み込んでいく。

 昨日と同じような温かい涙。

 さすってもらっている背中にも、澪が何度も何度も味わいたいと求める温かさを感じる。

 そして今はなによりも、『氷姫』として閉ざした心にじんわりと熱が広がっていくのが分かった。

 もうしばらく泣いていなかったはずなのに、昨日の夜からの数時間で、澪の涙腺は2度も決壊している。


“泣いてない……泣いてない……!”


 必死に涙をとどめようとする澪の脳内に、夏斗の優しい声が響く。


 ――遠慮せず、好きなように甘えてほしいな。


“泣いてもいいのかな……。夏斗くんなら、私が泣いても許してくれるかな……。”


「ねえ、夏斗くん」

「なに?」

「本当に甘えさせてくれるの?」

「うん。約束する」

「約束破られたら、私死んじゃうかもよ……?」

「重いな……。でも、これは俺の感情の押し付けになっちゃうのかもしれないけど、どうしても澪を放っておけない」

「じゃあ……」


 澪がゆっくり体を動かす。

 夏斗は背中をさするのをやめて、澪の足があった方へと腰かけた。

 そして体を起こした澪が、その横に座る。


“泣いてるの、見られちゃった……。”


 頬を伝っていく涙と、赤く充血した目。

 寂しそうで、不安そうで、それでも光を掴もうという表情。

 澪が久しぶりに他人に感情を見せた瞬間だった。


「私の話、聞いてくれる?」

「いくらでも聞くよ」


 夏斗はそっと澪の背中に手を伸ばし、再び優しく撫で始める。

 それだけで、温かな安堵の気持ちを感じた澪から涙がこぼれる。

 しばらく黙って涙を流し続けた後、澪はそれを拭って口を開いた。


「聞いてほしいのは、私の家族の話なんだ」


“不思議なくらいに、夏斗くんとは初めて会った気がしない。不思議なくらいに、夏斗くんになら何でも話せてしまう気がする。”


「私さ……」


 澪はゆっくりと、今まで言いたくて言えなかった、心に閉じ込めてきた自分のことを話し始めたのだった。

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