069:ロビン・ラックと太陽と月-1-
閉ざされていた闇に光が齎され、やがて視界が鮮明に写り始める。
「ん……ここは……?」
「!?」
意識を取り戻すと、そこは知らない天井だった。何故ならこの時ロビンの視界一杯に広がっていたのは青空だったから。彼とその身を支えるミアは、彼女の使い魔であるユッキーの背に乗り、遥か上空を飛んでいた。
「痛っ……くない? あれ?」
「まだ、安静に」
ミアの身体に身を寄せる様な形で眠っていたロビン。現状を把握すべく身体を動かそうとすると、鈍い軋みはあっても痛みは引いている事に気がついた。視界は良好、身体は動く、ならばと続き様に疑問が沸き起こる。
「あれ……どうなったんだっけ?」
「……大丈夫」
「ん?」
単純に事のあらましが知りたかったロビンだが、ミアはロビンの手を強く握り、小さくそう呟いた。ロビンの使い魔であるニクスの事を詳しく知らず、闇魔法の使い手ジーマも未だ何処に居るか把握出来ずにいる現状。これはミアにとって危機を脱したというには些か不安の種が多過ぎたのだ。故に、ロビンを安心させようと。そう言ってみた。そういう運びであった。
だが、言ってみたは良いがこういった状況には慣れておらず物恥ずかしさが込み上げてくる。そんな彼女の心中を察する事なく純粋な目で見返してくるロビンの顔を、ミアは見返せずにいた。しかしながら握るその手は決して離さぬまま強く握り続け、先に発言した【大丈夫】と言う言葉に信憑性を持たせようと懸命に努めていた。至近距離が過ぎたのも良くなかったかもしれない。
「私が、守る、から」
彼女は感謝していた。幾度となく訪れる絶望、それは際限なく彼女を死の淵へと叩き落とさんとしており、またその執拗なまでの猛追から、彼女は一度生きる事を諦めてしまっていた。今なおこうして使い魔と共に空を羽ばたけているのは、全てロビンの存在あってこそと言っても過言ではあるまい。
「ありがとミア! じゃあミアは俺が護るね!」
「……!?」
だが、ロビンの口から出てきたのはミアの求めていたそれとは少し違っていた。そういう事ではないのだ。ミアは返すべく、そう在ろうとしていたのだ。貰ったモノを返せば、元通り無関心で居られるかもしれなかったから。まだ自身の感情に折り合いがつかないから、距離を取るためにそう言ったのだ。にも関わらずロビンは再び、そんなミアを護ると言い始めてしまう。これでは永久に終わらない。いつまでも、護り合ってしまう。それではまるで……。ふと、その事に気が付いたミアは。
「あれ、顔が赤いよ?」
「ふぇ!? な、え……その……」
顔を真っ赤にし、完全にロビンの事が見れなくなってしまっていた。
「よいしょっと! うわー凄い眺め!」
「!?」
ミアの腕の中から起き上がり、ユッキーの背中に手をついて景色を眺めるロビン。視界には見渡す限りの青空が広がっており、彼は得た事のない素敵な経験に興奮を隠しきれない。
「ミアは凄いね! 俺こんな景色始めてだよ!」
「……あ」
この時彼女は、自身の中に在った小さな燻りの種、それが何を意味していたのかはっきりと自覚した。青空広がる澄み切った景色の中、満点の笑顔でミアを見つめるロビンは、正に太陽そのものだったのだ。そう、あの時不意に生じてしまったロビンへの感情。ミアの憧れて止まない、その全てを包み込む様な笑顔。「そうだ、私は……」、気が付いたミアの心から感情が溢れ出し、彼女はロビンを見つめたまま、頬を伝う一本の線を描いてしまう。
「えぇ!? なんで!? どうしたの!!?」
「……うぅん、違う、の」
悲しみでもなく、憂いでもなく、嘆きでもなく、絶望でもない。これ程までに圧倒的な暖かさは、彼女には少し眩し過ぎるのだ。
ミアは太陽にはなれない。それに太陽を見る事も叶わない。それは生まれ持った属性と、彼女を取り巻く環境が只管にそう在れと促してきたから。だがもしも自分が、自らは何の光も持たずに産まれてきたこの自分自身を、優しく照らしてくれる存在が居たのなら。もしかしたら、少しくらい、ほんの少しくらいだけなら。輝く事を赦されるのかもしれない。
そう、そこにロビンが居てくれるのであれば。
「えっとね、さっき一瞬居た強そうな人はね、俺の使い魔なんだ。だからね、怖くないんだよ?」
「……うん」
「ニクス先生が来てくれたから、多分あいつももう戻ってこないと思うよ?」
「……うん」
「えーっと、えーっと、ユッキー最高だよ!」
「……うん」
涙が止まらなかった。嬉しくて嬉しくて。こんなに暖かい心を感じたのは一体いつぶりなのだろうか。暗い空の中、輝く事を諦め、死ぬ迄の時間を生きていければそれで良かったのだ。死が隣に常駐する人生を歩んできたミアにとって、只生きるという事ですら遠過ぎる願いで。
「えぇ!? なんで泣いちゃうの!?」
「……あの、ね」
だから彼女は少しだけ前を向く事にした。暖かい光はやがて種を芽吹かせ、花を育む。もしこの心に生まれた小さな種が、今この時芽吹こうとしているのなら。彼女はその種を守りたいと思えたのだ。例えそこに死があろうとも、躱し難い絶望があろうとも、いつ枯れるとも分からずとも。光を与えてくれる彼がそこに居てくれるのであれば、せめて自分は、自分が望んだ種を育てていこうと。
月であろうと、決意したのだ。
「ありがとう、ロビン」
「……良いよ! 俺もありがとう、ミア!」
長きに渡って憧れ続けたきた太陽と月の関係。今改めて、太陽を目の前に月たらんと決意したミア。彼女は少しだけ、月に申し訳ない気持ちを抱いていた。
太陽に照らされて、闇夜に輝いている月が羨ましく、また少し妬ましくもあったミア。その月の立場たらんと決意した今だからこそ理解できる、月という立場の厳しさを、難しさを。
自ら輝きを持つ太陽ではない自分が、それでも輝こうとする事の苦しさを。
「俺さ、ミアが生きててくれて凄く嬉しい!」
「……はぅ」
それでも彼女は前を向こうと決意する。いつも満月である必要は無いのだ。臍を曲げて三日月になったり、不安になって半月になったり、落ち込んで新月になっても構わない。月にだって、色々な気分があるのだから。
けれどもきっと大丈夫。
何故なら彼女は太陽を見付けられたから。
彼女自身が月で在れる限り、きっとまた何度だって。
満月へと向かえるのだから。