058:ロビン・ラックと死への階段-4-
断頭岳、その下層区域【死者の森】。
山岳をグルリと囲う様に存在するそこには周辺の村々でまことしやかに語り継がれる古い言い伝えがあった。それは、この地に眠る数多の死者達は今なお救いを求め彷徨っている、恨みや苦しみに穢された魂達はやがて生者を呪う様になり、襲い掛かってくると言う物だ。そしてその話はこう締められる。夢々忘れるな、お前達の歩くその足の下に眠る者たちの深き怨念を。目に見える亡者は氷山の一角に過ぎない事を。
「うぇ、気味が悪いぜ」
時折現れるアンデッドの魔獣を蹴散らしながら進むジーマら一行。ここには多数のアンデッドが徘徊しており、やがてそこから紐付けられる様に噂は拡がっていった。悪さをすると死者の森に置いていくよと。そんな事してると、死んだ後にあの森に捕まっちまうよと。親が子へ、子が孫へと話す内に、やがて森には本当にアンデッドが生息する様になり、現在に至っている。嘘から出た真の様な言い伝えであった。
今でこそ死者の森と名付けられるほど木々が生い茂っている状態だが、最初は何もないただの平坦な大地が延々と広がるだけの土地であったという。死者の骸が栄養となり、枯れた大地に命を育んだのであれば、それはこの上ない皮肉な話であろう。
「さて、では話していた通りの隊列で行きましょう」
そんな中、前触れもなく声を発したのはジーマだった。彼らはこの地でミアの殺害すると決めていた。故に結託しており、前を行くのは【海鳴り】、そして【元山薙】が両脇を支え、中央にミア、後ろに【黄砂】と【ジーマ】が歩いている。ミアの魔力は極力温存したまま魔核へと至り、破壊に成功と同時にミアを先頭に離脱。実にシンプルな作戦だった。
敵が人ではなく魔獣、今回は魔核である為、計略を張り巡らせる必要はなく、如何にコストを抑えて目的地に到達するかの方が遥かに重要であった。
稀に群がってくるアンデッドを軽く葬りつつ、一行はやがて【死者の森】を越える。ここを安全に越える為、時刻は昼を狙ってこの地を抜けていた。アンデッドの出現数が減るというのはメリットでしかないのだから。そして森を越えるとそこからは谷、川といった光景に変わり、出現する魔獣の種族も大きく変わってくる。景色はと言うと、逆にここからは草木がまるで見られない、死の大地の様な雰囲気を漂わせていた。
死者の眠る地は木々に覆われ、それを越えると死んだ大地が現れる。断頭岳とはそういう場所なのだ。
「ジーマさんよ、道は合ってるんだろうな。さっきまでも大概だったが、ここから先は地図に道が示されていないんだろ? テメーも前にいけよ前」
「ふむ、仕方ないデスね」
ジーマはこの発言に対してすぐに了承した。彼も役割が全う出来ないのは本意ではない。与えられた任務は熟すつもりだった。その上で、少しばかり自信の実験が出来れば……そんな下心も持ちながら。
ジーマの先導で一行は特に問題も起こす事なく順調に進んで行った。ある程度行った所で「一旦区切りを付けましょう」とジーマが休憩を促した。
彼らが今居るのはいつか戦場の跡地。そこには野営に必要な石や、雨風を凌げる場所など、風化しているとは言えまだ使えそうな状態で残されている。元山薙のメンバーが石を集めて焚き火を起こし、それを囲う様に各々が座り休み始めた。
火を起こそうが起こすまいが、魔獣達は目も鼻も人以上に効く。見つかる時は見つかる事を知っている彼らは休む事を優先したのだ。
「今回の魔核はどれくらいの強度になっていると予想できる?」
火を囲う【黄砂】の一人が声を出す。
「恐らく、上級魔法三発以上は必要デスね」
「チッ、破壊にしくじったら……」
「やめろ、そんな事を考えたくもねぇ」
強い魔核には、当然強い魔獣が宿っている。卵の様な状態でその強度。考えただけで恐ろしいが、間も無くそれは破壊される。産まれた後の事など想像するだけ無意味だった。実際、産まれたとて倒す必要はなく、逃げるだけなのだから。
殺し、奪い、犯す、ここに居る面々は本来表沙汰に出来ない様な依頼ばかりを受注しており、その一方でその恩恵にあやかり、蛮行の限りを尽くしていた。
「へへっ、まぁ顔は悪くねぇよな」
舌舐めずりをする様にミアを品評する男、周りの同業者を殺す瞬間を楽しみにする者。これが成された後の大混乱を心待ちにする者。それらを全て理解した上で、それを楽しむ者。まともな神経を持ち合わせた人間はここには一人も居なかった。
否、一人だけ居る。
「……」
沈黙を貫き、この状況にそぐわぬ見た目と雰囲気を備えた少女が一人だけ。彼女はやはり空を見上げており、月も太陽も見えない曇った空を見上げて、残念そうな顔をしていた。
「それでは最後に軽く打ち合わせをしましょう」
暫くの休憩の後、そう切り出したのはやはりジーマであった。依頼者によってここを仕切る様に頼まれていた彼が先導する事で状況は円滑に進む。全員納得の状況だ。
「作戦は単純です、ミアさんと海鳴りのメンバーで魔核を攻撃、他は魔獣の掃討。魔核への攻撃をサポートし、成され次第撤退。その際海鳴りはそのまま殿となり、ミアさんには先頭に出て貰います」
その言葉に全員が頷く、そして。
「行きましょうか」
一同が一斉に立ち上がり、再び歩みを進める。次に休む時は全てが終わった時。つまり、任務が終わる時だ。各々が決意を新たにし、歩みを進めた。
魔素が濃くなっているのか、辺りには霧が出始めていた。そして現れる魔獣も段々と強力なモノが増えてきている。そして辿り着いた目的地、眼前に広がる信じられない数の魔獣を前に一同は言葉を失っていた。
魔獣、約500体。
言葉にすれば簡単だが、それはもう間を擦り抜けるなどという生優しい言葉が通用しない、正に肉の壁に守られた魔核がそこには存在していた。
「まともにやるなら時間が掛かり過ぎちまうだろうな」
一人が呟いた。
「ですが、あれを倒す必要はありません。目的は突破デス」
魔核は既に考えられない程の魔力を内包していた。そして周りに従える魔獣の数は500。確かなのは、目の前の敵を突破すれば終わるという事。それ以外を考えるには余りにも圧巻の光景。
「やるべきをやり、撤退する。良いデスね?」
ジーマのその言葉に全員頷いた。
「行きますよ」
そして、隊列はそのままに全員で走り始める。
「【燃ゆる炎の種、我願いに応え炎塊に秘めし大いなる力を顕現せよ】、燃え盛る大火炎!」
ジーマによる中級魔法の詠唱。正面の敵の塊に向かって突き進む火球を放ち、そこに生まれた僅かな隙間から全員が突入する。襲い掛かる魔獣を薙ぎ払い、側面の敵をいなし、全面の敵だけに集中しながら魔獣の中を突き進んだ。例え500体の魔獣が居ようとも、突破時に倒すべき数など30体以外。この人数感で攻め込み、突破だけが目的ならば容易に届くだろう。
後は引き返すタイミングで上手く先頭にたち、500体からなる魔獣を利用しつつ後続へと不意打ち攻撃をしかければパーティは全滅する。そして自分達は助かる、万事丸く収まるのだ。問題と言えばそれらを為す細かいタイミングだけ、やる事に変わりはない。
「氷の刃」
時折迫り来る魔獣を斬り払うくらいにしか参戦していないミアは、先程見たその尋常ではない魔核の破壊に必要な魔力を考えていた。詠唱を破棄する余裕はない。完全詠唱で上級魔法を二発、或いは三発か。となりで共に魔法を放つ予定の者がどれ程機能するのかにも寄るが、余裕が無い事は間違いない。
間も無く、魔獣の群れを突破する。
「抜けたぞ!!」
「優雅に流れる水の旋律、積年の厚みから成される氷柱たちよ、我願いに応えに氷雪に秘めし大いなる力を顕現せよ」
「優雅に流れる水の旋律、積年の厚みから成される氷柱たちよ、我願いに応えに氷雪に秘めし大いなる力を顕現せよ」
突破すると同時に紡がれる上級魔法の詠唱。これは事前の打ち合わせで互いに理解していた。ミアと【海鳴り】は同じ上級魔法が行使出来たのだ。故に威力を集中させ易いという理由から、同じ属性、同じ階級、同じ魔法を行使出来る海鳴りがミアの隣に立つ事となっていた。
「散在する地表の砂、集い固まりて岩となし、岩やがて巨岩となる、我願いに応えその大いなる姿を顕現せよ」
やや遅れて詠唱を始めたのは【黄砂】、打ち合わせには無かったが、後ろから援護射撃が貰えるのは素直に有難いミア。
頭の中で必要な威力、回数を計算し直し、攻撃後の撤退も視野に入れ始める。
だが、この時海鳴りが立って居たのはミアのほんの少し後ろ。突破時の声、勢い、雰囲気からすると僅かに違和感を覚える遅れ。これがもし偶然でなくワザとであるならば。
「死ねぇ!!巨岩を砕く氷針の十!!」
「……!! 巨岩を砕く氷針の十」
向けられた先は何処なのか。
歴戦の勘でそれに間一髪気が付いたミア。
最早回避は間に合わない、紡ぎ切った詠唱から放たれる上級魔法を眼前の魔核に放たず、自身の真後ろに向けて放った。
瞬間、激しい衝突音が辺り一帯に響いた。
彼女の魔法発動は真後ろに向けられた。
にも関わらずこれが綺麗に相殺となる。
激しい衝突音とぶつかり合った氷槍達が破片を撒き散らして周囲に溢れる。これは手元が狂ってしまった誤射などではない、その事にミアは気が付いていた。それは魔法に込められた殺気が魔核に向けられるそれではなく、人を殺す時のそれだったから。
近距離で高威力の魔法が衝突した事で大きく吹き飛ばされ、地面に手を着きながら後退する事で何とかバランスを取り体制を整えようとするミア。
そして魔法の相殺と時を同じくして、気が付いてしまう。その殺気が、もう一方からも自身に向けられている事に。
これが【何故か】と言うのは、最早彼女はカケラの思考すら行わなかった。往々にして起こり得る事態、それその物は心積りをしていたのだ。だが、そんな強靭な精神性をしてもこの攻撃はー
「地を揺らす巨岩の来訪!!」
高速で放たれる巨岩の砲撃。
上級魔法は中級のそれに比べて威力や速度が桁違いに高くなる。この魔法はどちらかと言えば威力が凄まじい魔法だ、速度は飽くまで速いの範囲を逸脱しない。普段のミアであれば回避出来たであろうスピード感。だが今はー
(ダメ……躱せない)
魔法を放った反動で魔力的に一瞬硬直しており、移動に使う魔力を足に構築する事が出来なかった。使い魔もこのタイミングでは最早間に合わない。
地面を砕きながら迫り来る巨岩。
その強大さは凄まじく、地を砕く音圧力も相まって、彼女の視界全てが岩に支配されたと思える程、その全てが岩に塗り潰される。逃げ場の無い死が目前に迫っていると言っても過言では無い程の状況下で、
(ここで、死ぬ、か)
少女は何処か、命に諦めがついていた。
幾度となく繰り返される強敵との対戦。
越えても越えても尚も当てがわれる命の危機。自分が命令に背けば母が酷い目に遭ってしまう。故に断るという選択肢は無い。
だが痛いのは嫌いだった。どれだけ経験しようと、自身で回復魔法を覚えようと、痛いのはものは痛い。慣れる事などなかった。しかしながら彼女が相手取る敵はいつも生半可なモノではなく、常に死と隣り合わせで。いつも傷だらけで。
だがもし、努めた上で死ぬのなら。
精一杯戦った上でどうにもならなかったのなら。
母だけは許されるかもしれない。
願わくば、もしも願いが叶うのであれば。
あともう少しだけ生きて。
英雄の様な景色を。
或いはその隣に共に立つ、そんな景色を。
見てみたかったなと。
全てを諦め、力無く魔杖を手放した。
「閃光神の守護!!!」
「……ふぇ?」
突然、目の前に扉が立ち塞がった。
それはまるで自身が今ここで死んだと、そう錯覚しそうになる程に神々しい姿をした金白色の神々の盾。神が舞い降りたと、ミアにはそう見えていた。そして、自身は今ここで死んだのだと思った。命尽き、絶命の果ての光景なのだと。
そう思える程に、死の直前で圧縮された時間の中で見る閃光神の守護は、美しかった。
だが、そうではなかった。
何故らならばー
ーグガァァァァァァァンー
「!!?」
それは耳を劈く凄まじい衝突音が鳴り響いたからに他ならない。余りの音圧に思わずその場にへたり込んでしまうミア。無理矢理、意識を現実に引き戻される。
「グギギギギ……や、ら、せ、る、かぁぁぁぁ!!!」
そして、何やら自身の隣で大きく叫ぶ声が聞こえる。ゆっくり、恐る恐るそちらに顔を向けるミア。
目を疑った。
見開き、瞬きひとつせずに見入ってしまった。
空いた口は塞がらないのに、ぽっかり空いた口から言葉の一つも出てこない。それ程までの衝撃。
そう。
そこで見たモノは、自身のよく知っている。
一人の頼りない、クラスメイトの姿だったのだ。