056:ロビン・ラックと死への階段-2-
どうすれば良いか分からなかった。
話を聞くに、ミアは命を狙われていて、それはデマイズに依頼される程の確実性を求められている様だ。であるならばこのまま放っておけば、近い将来ミアは先ず以って死んでしまう。
あの強くて優しいミアが。
本の大好きなミアが。
死ぬ。
自分に何が出来るかなど分からない。だが確実に言えるのは【何もしなければミアは死ぬ】という事。こんな恐怖は初めてだった。
足が震えていた。
動悸も激しく、頭は回らない。自分が痛めつけられたり厳しい状況におかれるくらいならまだ前を向いていられた。それにアルヴィスが捕まった時も、まだ役割があったから正気を保てていた。だが今は違う。圧倒的な部外者。そして金と権力が総出でミアを殺そうとしている。仮にそこに飛び込むと言うのなら、自身の命の補償もない。自分はまだ良かった、だがもし誰かに頼るというのなら。その人の命まで脅かされてしまう。
故に一人で解決するしかない。
だが、一人では何も出来ない。
(ミアが死んじゃうミアが死んじゃうミアが死んじゃう。なんとかしなきゃ。何を? どうすれば? でも早くしないとミアが死んじゃう。これは現実? でもこの人たちの本気の表情、嘘な筈がない。俺に何が、一人で? 何処にいるかも分からないのに? 誰に聞けば、聞いて良いの? 迷惑が、これは命掛けの話なんだから、誰かに頼るなんて……でも俺の力じゃ……み、ミアが死んじゃう……)
この矛盾が只管にロビンを追い込んでおり、「どうしよう」と何度も口にしては既に青い表情を更に深刻化していった。
「悪ぃな、急に呼び出して」
「いや、今は問題ないタイミングだった」
「なら良かった。因みにこいつが依頼人だ」
ラディックが目の前で誰かと話していた。
彼はその人物と顔を合わせると、ロビンへ向けて親指を示した。自分も知り合いだろうか、朧げな頭でそう考えるも、顔を見ても声を聞いても知らない人物だった。そしてその人が徐に手を出すとロビンへと挨拶をした。
「情報屋をやっているゼラニスだ。よろしく」
「え、えっと……」
「握手」
「はい」
手を差し出すゼラニス、そしてロビンの手を誘導してくれたラディックによってどうにか握手が成立する。頭が混乱したままで、未だ要領を得ないロビン。
「こいつは昔馴染みの友人でな、開眼出来てなかった俺を笑わなかった数少ない友人の中の一人だ」
「ラディの……友達?」
友人に友人を紹介される。それはロビンにとってとても嬉しい事の筈なのだが、今はそれでさえも何一つ頭に入って来ないのだ。彼の脳のリソースは全て「ミアが死んじゃう」に埋め尽くされていた。
「あの時は本当にすまなかったな、ラディック」
「気にしてねーよ、寧ろお前の存在には救われてた」
「いや、本当は正面切ってお前を守りたかったんだ。けど一族の事だ、俺の我儘が罷り通る様な空気じゃなかった。何も出来なかった事を後悔していた。謝らせてくれ」
ゼラニスは深く頭を下げた。
「俺に出来ることがあったら何でも言ってくれ。今の俺はそれなりに役に立てる筈だ」
「助かるよ。なら早速だが、こいつの力になってやってくれ。任務として俺が引き受ける」
「そう言う事か……、かなりヤバい話になるぞ?」
「おい、お前何のつもりだ。ラディック」
ゼラニスに加え、族長までもがラディックの言葉に苦言を呈している。だがラディックは毅然とした態度でこう答えた。
「こいつの顔を見ろよ。「助けてくれ」って書いてんじゃねーか。なら俺は俺は助けるね。仲間が仲間を助けたいって言ってんだ。身体張るのにこれ以上理由が要るのかよ」
そのあまりの堂々たる様に、族長さえもが目を見開いて呑まれてしまう。これがあのラディック? 眼に拘る奴らなんて全員下らないと言っていた、あの? それは長く彼を見てきた友人ですら、俄かに信じ難い程の変化だった。
そしてラディックは続けた。
「悪いなロビン、お前を置いてけぼりにしてよ」
「え……どう言う事?」
「お前、そのミア・ホワイトニュートを助けたいんだろ?」
その言葉に、漸く少しずつラディックの話が頭に入り始めてきたロビン。目が覚めるかの様に生気が戻って行き、やがて頭が動き出す。
「俺は……俺には何か出来る事が……あるの?」
「それを決めるのは俺じゃねーだろ。お前だロビン。それに出来るかどうかじゃねーの。やるかやらないかだ」
そう言ってロビンの胸にドンと拳を突きつける。少しだけ照れ臭い様な感じが見受けられるが、それでもラディックに迷いは無かった。
「お前はどうしたいロビン・ラック」
ラディックに問われる。
振動が拳を介して身体に伝わり、心臓に響く。
思考がクリアになり、シンプルな言葉が思い浮かぶ。
そしてロビンの返答はー
「助けたいに決まってるだろ!!!」
それは心からの言葉だった。
そしてその返答を聞いたラディックは、僅かに口角を上げていた。そうこなくちゃとでも言わんばかりの表情だ。
「あの子はこんな形で死んじゃダメなんだ。死なせない、死なせるもんか」
言葉にする事で、やがてその顔に決意が宿り始める。
「絶対に助けるんだ、殺させやしない!」
そんなロビンを見て、少しだけ表情を緩めていた黒に紅い紋様の入ったローブを身に纏った隻眼の男、ゼラニス。まさかラディックにこんな友人が出来ていたなんて……、そんな思いだった。
が、彼は「おっといけない、これは任務だった」と気を取り直して引き締めると、改めてロビンへと説明を始めた。
「ここから北東に行った所に【断頭岳】という山がある。そこはかつて多くの人間が戦争によって命を落とした山だ。死の理由は敵軍捕虜となり虐殺されたという事。首を落とされた人たちが大量に埋められたその山岳地帯を断頭岳と呼んでいる」
何故今、突然地理の説明が始まるのか。
少し不思議そうにするロビンだが、ラディックやゼラニスが真面目な顔をしている為、必要な話なのだと解釈し、その一言一句に集中する。
「故に、あそこはアンデッドの魔獣がかなり出没する。魔素も濃く、湧いている数もかなりの物だろう。そこが今回ミア・ホワイトノートを殺害する現場として選ばれている。日程は三日後。皮肉で薄気味悪い場所の選択だと思うよ」
「断頭岳、そんな所にミアが?」
「三日……か」
「彼女は魔獣の討伐を依頼されてそこに行く様だ。そして知ってる通り依頼主はホワイトニュート」
その発言に不快感を示すロビン。親族が、身内を使って魔獣退治。それだけでも許容し難いにも関わらず、今回その身内が本当のターゲット。到底理解出来る話ではなかった。
「それだけでも厄介なのだが、デマイズの他に既に声をかけている連中が何組か居てな。【黄砂】【海鳴り】それに【山薙の残党】、黄砂と海鳴りには上級魔法を操る奴らがいる。正直、この面子が揃っててまだデマイズに声をかけてくる辺り、ミアって少女の実力は相当なのだろう」
「ミアは確かに強いけど、無闇に人を傷つける様な子じゃないよ」
「悪い、そういう意味じゃ無かったんだ。気を悪くしないでくれ」
「こっちこそゴメン、なんか俺落ち着かなくて……」
「いや、心中穏やかではないのは理解している。だが、まだ話は続くんだ」
隣で一緒に聞いていたラディックが「まだあんのかよ」と少し眉を顰め始めていた。このままだと許容を越え過ぎてしまう、そう感じていた。
「ジーマ・キャンベルって奴が居てな。どうもこいつがその連中を仕切るらしい。かなり気味の悪い奴だ。因みにどうやったのかは分からないが、魔獣を用意したのはコイツみたいだな」
「その魔獣を用意ってよ、族長も普通に言ってたけど、どうやるんだよ。連れて来るのか?」
「いや、そうじゃない。もっと拙いんだ」
「もっと拙い?」
額から汗を流し「これ以上何があるんだよ」と小さくごちるラディック。そんな彼の思いを他所に、問題は更に積まれていく。
「魔核だ。奴らはどうやったのか魔核を断頭岳に用意してるらしくてな。魔獣の討伐というより、魔核から発生する魔獣を討伐しつつ魔核を破壊するという依頼がミア・ホワイトニュートに与えられた様だ」
「魔核だと? まさか……」
「そう、それら全てを以ってミア・ホワイトニュートは殺される」
信じられない話を聞かされているとラディックは驚愕している。そもそも魔核は土地に根付く物であって持ち運べる様な類いの物ではない。移動させる手段はない筈のなのだ。と言う事なら場所の選定は魔核を基準に進めてられていた可能性が高い。魔素の濃い場所であるなら然もありなんと言った感じか。
「マジか……早くやらないと孵化してからじゃ遅いだろ?」
「孵化のタイミングはコントロール出来るらしい。適切なタイミングでなければ産まれるモノも半端になるみたいだが、コントロール出来る事自体が驚愕だ」
「……ならその魔核の魔獣まで相手にするつもりじゃなきゃって事か」
「魔核自体から産まれる魔獣は少なくとも帝級相当、ならば発生する魔獣の数は……」
「概ね数百、ってとこか」
「その通り。そして薄々分かっていたとは思うが。集まっている連中は全員が全員、ミアの殺害後に互いに殺し合う様に仕組まれている。狂気の布陣だ」
「チッ、どれだけ自己都合で殺してーんだよ」
末期の魔核から生成される大量の魔獣。
複数のチームからなる殺し屋勢。
そして魔核から産まれる桁違いの魔獣。
ジーマ・キャンベルという存在。
これらを全て解決せねば、ミアは助からない。
一体幾つの問題が彼女を襲っているのか。
ミアという少女は今、死の中に居た。
「ゼラニス、悪いがお前はこの手紙を頼む」
「……分かった」
ラディックから何かを受け取ると、ゼラニスはその場から消えて居なくなった。彼は情報屋であって戦闘要員ではない。戦場には参加出来ないのだ。
「って話らしいぞロビン。どうする?」
「助けたいけど、正直俺じゃ……」
場所を移動しながら話をする二人。
ロビンはゆっくりと歩みを進め、そんな彼に合わせつつラディックが自宅へと誘導していた。猶予は三日。今ミアを救おうにも、学校がある訳でもなければ連絡手段もない。今どこにミアが居るのかすら分からないのだ。唯一分かっているのは【三日後の断頭岳】に彼女が現れるという事だけ。故に、今の時点ではそのタイミングで助け出す以外に方法はなかった。
「ゼラニスにさ、話を聞くまでは身動きすら出来ない状況で。立ってる事しか出来ない俺なのに、立ち竦んでいたらミアが死ぬって。もう本当にどうしようも無くて、頭が回らなかった。でさ……」
涙を瞳に貯めるロビン。拳
を強く握り、奥歯を噛み締め、全身に力を入れながら震えていた。
「話を聞かせて貰って、漸く状況が理解出来て……」
そんな彼の瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
「身動きした所で自分もミアも死ぬって分かった」
無力だった。権力から繰り出される圧倒的な暴力を前に、一人の力など高が知れている。
「ラディを巻き込めない、けど俺が何かしたってミアは死んじゃう。どうすれば……」
魔核から産まれる帝級魔獣を相手取るには、産まれる魔獣にも寄るが安く見積もっても上級の魔法使いが少なくとも5人、叶うならば帝級の人材の協力すらも必要だった。それも魔獣討伐にある程度の経験のある人材だ。ラディックやロビンは鍛えられたと言ってもまだ上級レベルと評する他ない。その上に孵化する前の段階でかなり強力な魔獣が相当数出現する。
かつて買い物途中、二人で壊した魔核の時でさえ一度に4体の魔獣が出現していた。今回の規模ではこの処理だけでも骨が折れる事は間違いなかった。
そしてミアの命を狙う殺し屋たち。
ゼラニス曰く、上級魔法を操る者が少なくとも二人居る。そいつらからミアを守りながらの戦いになるのだ。
「ミアだけ逃すにしても、魔核から産まれる魔獣をどうすれば良いかわからない。そもそも逃げ切れるのかも難しい……よね」
ロビンは余りの難題に、複数の問題が絡まり過ぎていてどこから解決すれば良いのか分からなくなってしまっていた。
だが、今の彼にはー
「だから俺が居るんだろ」
「ラディ……」
この問題が露呈してから「一緒に死んでくれ」とは言えず、ラディックを頼りきれなかったロビン。そんな彼の目の前に、ラディックは堂々と立っていた。
「俺はお前とニクス師が居なければアルヴィスへの恩返しの時点で死んでいた。俺はまだ誰にも恩を返せていない。それは俺が弱かったからだ」
「そんな事……」
いつものロビンではなかった。どうしようもない巨大な困難が彼を飲み込み、塞ぎ込ませてしまっていた。だがラディックは。
「まだ俺は弱い。だがそれでも、あの時アルヴィスを助けようと思えなければ、もっと弱いままだった。俺は強くなりたい。大切な人たちを守れる、恩義を粗末にしない、俺の理想の【漢】になりたい。だから俺はお前を助ける」
「ラディ……」
「俺は今回の一件で強くなるぞ。死ぬつもりだってない。お前もそうなんだろ、ロビン」
「……うん、逃げたくない。優しい子だって知ってるから。色々な事を教わったし、あの子はいつも一生懸命だから。だから助けてあげたい。周りが敵だらけな気持ちはよく分かるから。こんなに酷かった俺よりもっと酷い事になってるミアを助けてあげたい」
ロビンは涙と鼻水まみれになっていた。
だが。
「俺が助けるんだ!」
「あぁ、お前の事は俺が助けてやる。二人でやろう」
「ラディ……」
「考える事は山積みだ、策を練るぞ。正面から当たって勝てる問題じゃねーからな」
「オッケー、ごめんね俺弱音ばっかりで」
「いや、良いよ。気にするな」
「ありがとラディ、もう大丈夫だから」
ロビンは前を向いていた。
涙も鼻水も拭き取り、決意に満ちた目で、こう吠えた。
「絶対に助けてやる、負けるもんか!!」
ロビンは決意に満ちた顔をしていた。