040:ロビン・ラックと王子の邂逅-完-
自室を出て寮を見返し、その建物内に居るであろうアルヴィスやクライブ、またロビンやラディックの事を考え、少しだけ歩みを止めたサジ。
「まさかこの俺がこんなしがらみに身動きを制限されるたァ驚きだ。もっと自由な奴だと思ってたのによ」
決心に対して思いの外足が重く、身体がなかなか歩みを進めない事実に驚いていた。彼は自身をもっとドライな人間だと認識していた。必要な物は確保し、必要無ければ切り捨てる。その必要ない物の対象が例え自分自身だとしても、感情を挟まずに切り捨てられる自信があったのだ。
だが今の彼はそうではなかった。
「いや、これで良いんだ」
もう心に区切りは付けていた。
彼は旅立つ事には慣れていたから。
思い返せば一番最初に村を出た理由は、村を救ってくれた王子に報いる為だった。サジの村にとってアルヴィスは恩人どころの話ではない、命の恩人だった。また一方で、鼻持ちならない王族貴族の類いが、偏見のない目で見た時に、実際はどうなのかというのを自分自身で確かめたくなったのも理由の一つだった。そして何より、アルヴィスという人物をより知る為に、彼は村を出る決心をしたのだ。
そんな彼がアルヴィスに付き従う事約五年。
卒業する頃には二十歳となっており、このまま順調に行けば彼が政治的に重要な人物となるであろう事は明白だった。
理由は二つ。
一つは勿論アルヴィスが王子であるという事。
そして二つ目は、アルヴィスに王たる器が備わっているとこの五年で確信していたからに他ならなかった。
「大将は必ずこの国に必要な人物になっていく、絶対だ。そこに……俺みたいな背中から刺すタイプの人間が混ざってちゃいけねぇのさ」
今回、事の真相がどうあれサジはアルヴィスを裏切った。彼が横流しした正確な情報によって、ゼルドリスたちはより綿密な作戦を立てる事が出来、実際アルヴィスを捕獲するに至っていた。アルヴィスが身を粉にしながら臣民に尽くしている事は百も承知で、敬愛する主君にそんな仕打ちを仕掛けたのだ。
それに彼はこうも考えていた。
村一つを守る為にアルヴィスを犠牲にしようとしたが、アルヴィスの価値は村一つに留まる様な物ではない、と。彼は国の宝となるべき存在だ。それを自身の私欲の犠牲にしようとした罪は重い。サジは自分自身を何よりも許せなかった。
だがきっとアルヴィスは、サジを許してしまうだろう。だからダメなのだ。それ故に彼は、自ら身を引く選択をした。「これで良い」と何度も自身に言い聞かせながら。
ふぅと一息吐いた後に、寮を背にし学校に一礼。そして彼はゆっくりと歩き始めた。この時まだ行き先は決めていなかったが、ある程度金を稼いでから村に戻るくらいに軽く考えていた。
が、そんな彼の考えはどうしようもなく甘く。
「よ、遅かったな」
「大将……」
アルヴィスが、そんな彼の考えに気付かない筈もなかった。
「どうしたんですかこんな夜中に。一人だと危ないですぜ、何せ大将は特級の引換券だ」
「うるせぇよ、人をチケットみたいに言うな馬鹿」
さみーと身体を震わせて、持っていたらしい布を肩から羽織るアルヴィス。
「一応、一人でもねーからな」
「そういう事だ」
「クライブの兄貴まで……」
岩陰から現れたアルヴィスと、その後ろから続いたクライブ。彼らは薄々気が付いていたのだ。サジの雰囲気の変化に、これからしようとしている事に。
「で、お前は何してるんだ?」
「俺ァ、その、まぁアレですよ。用済みっていうか、用無しっていうか。まぁそんなトコでさァ」
いつもと変わらない、少し人を小馬鹿にした様な笑みを浮かべるサジ。アルヴィスはそんなサジの事が大好きだった。彼はその立場からあまり対等に接してくれる存在が居なかった事もあり、友人と呼べる存在は彼の人柄からは考えられない程少ない。
そこにきてサジという男は、対等どころか時折やや上の立場から人を小馬鹿にした言葉を平気で吐き、ふんぞり返った態度を取ってくるのだ。王子であるアルヴィスに対しても。強きに厳しく、弱きに優しい。これが面白くない筈もなく、アルヴィスにとっては代え難い貴重な存在となっていた。
「へぇ、一応理由を聞いておこうか?」
アルヴィスが優位な立場からサジを攻める、あまり無い状況なのでアルヴィスはニヤける面を隠し切れずにいた。それに対してばつの悪そうな顔をするサジ。問われた言葉に対して答えに困った挙句、
「ダメでしょ、俺みたいな裏切り者を野放しにしちゃ」
と、そう返答した。さぁいよいよ思い通りの答えが来たと更に笑みを深くするアルヴィス。
「で、今まさに野放しになろうとしていた馬鹿が何か言ってたみたいだが?」
「ぐっ、いや、そういう訳じゃ……」
「罪も償わず?」
「ぐっ……」
隣から「もう止めてやれ」とクライブが溜息を吐きながら助け舟を出す。笑いが我慢出来ないアルヴィスはとても楽しそうで、少しだけクライブに背中をこつかれた。「悪い悪い」とニコやかに返事するアルヴィスに「悪い」と思っている雰囲気はまるで見られず、クライブは「やれやれ」といった顔をしていた。こういった苦労はクライブの役目なのだ。そしてそんな中、アルヴィスは徐に語り始める。
「お前が居なければ俺は危険に晒される事はなかった」
「……ですね」
「お前が居た事で俺は危険に晒された」
「その通りでさァ」
「そしてその危険の見返りとして返ってきたのは、実質被害なしで山賊【山薙】を一網打尽にし、王国の地方運営に大きく貢献、その手柄を一人で成したという事実が手に入った訳だ」
「……そりゃ結果論だ。途中で死ぬ可能性もあった」
「ないね」
「……?」
サジは可能性の話をしたのだが、それは即座に否定される。さしものアルヴィスの発言だとしてもそれはまかり通らないと眉を顰めるサジ。そんな彼に対してアルヴィスは答えを与える様に言葉を続けた。
「俺はその為にロビンを連れて行った」
「は!?」
「そしてお前もな」
「……え?」
どういう事か分からないという顔をしていた。
サジのする表情としてはかなり珍しく、アルヴィスは笑いを堪えるのに必死になっていた程に珍しい事態たった。そしてアルヴィスはコホンと佇まいを直すと、話を始めた。
「お前の事情にゃ気付いてやれなかった、これは本当に悪かった。けどな、俺は人を見る目には自信があるんだ」
「……成る程」
「だからお前が【何かを】抱えているのは分かっていたから、実力的にはやや足りなかったロビンだが、連れて行く事にした。幾らロビンに甘いっても、流石に公務に私情を挟むつもりは無かった。つまりロビンは必要だったんだ、今の俺たちに足りない物を持った、新たな信用出来る存在として」
「……」
「で、我ながら流石と思うが、俺の目に狂いは無かった訳だ」
「……ですね、その通りだ」
アルヴィスはサジの事を疑っていなかった、むしろ心配していたのだ。そして彼の高いポテンシャルに対して、クライブの強い信頼に対して、それでもまだ足りない部分がある事にも気が付いていた。故に、ロビンを試したのだ。
もしかしたらその足りない物を持った存在かもしれないと、アルヴィスはそう考えていた。
「そんな俺の目に、お前は必要だと写っているのだが?」
「……裏切り者を手元に置くのは良くないですぜ」
「何勝手に沙汰を決めてんだよ、それを決めるのは俺だろ?」
「……! 確かにそう……ですね」
「ならお前には罰を与えよう」
「……はい」
歯切れの悪い言葉しか出せないサジに対して、一切目を逸らさないアルヴィスが沙汰を言い渡した。
「俺を支えろ」
「……え?」
「結局俺は、お前が居ないと近い将来どこかで死ぬ」
「いや、大将?」
「今回もそうだ、お前が居たから死にかけた。だがお前が居なければマジでそのまま死んでた可能性もあった。何故ならサジの存在の有無に関わらず、近い未来で山薙は俺を狙っていた筈だから」
「それは……」
「つべこべ言うな! お前は俺を支える柱の一人になれって言ってんだよ! 俺にはお前が必要だ、勝手にどっか行くな馬鹿!」
「痛っ!」
パシッと頭を叩かれるサジ。
そして。
「痛っっ!!」
「俺はこれで二発目だから、もう許してやるよ」
拳骨を放ったのはクライブ。
そして、拳骨ついでにもう一言。
「アルが罰だっつってるのに断る奴があるか」
「……」
歩き始めるアルヴィス、そしてクライブ。
「おーいサジ、部屋に戻るぞ。寒くて震えてきた!」
「早くしろ、夜中みたいな寒い時間に外を彷徨かせるなよな」
「大将、兄貴……」
ふたりは談笑しながら先に寮へと戻って行った。サジから返事を聞く事もなく、そそくさと。そんな二人の背中を見つめるポツンと置いて行かれたサジは、こんな状況に思わず少し笑ってしまった。
「全く、これだから王族は身勝手な奴ばっかで……危なっかしくて見てられねぇや」
そしてその場に立ち尽くし、空を見上げていた。
「罰……か。こんな罪人の俺に、支えさせる事が罰? だとしたら俺は……いや、俺が命を掛けて守ってやらねぇとなァ」
決意に満ちた彼の表情は、今までのどこか硬い部分は抜け落ちて。憑き物が落ちたかの様な晴れやかな顔で。
「仕方ねぇ、支えてやるかー!」
それは真の意味で。
サジがアルヴィスの側近となった瞬間だった。




