021:ロビン・ラックと修行の成果-3-
それから暫く、学校生活は順調に進んでいった。授業を受け、知らない事を知り、新しい技を学び覚える。これまで学問などという上等な生活環境に縁が無かったロビンにとって、実に有意義な日々が続いていた。
そんなある日の昼食時。
「あっやべっ!」
「げっ」
混雑する学食にて、接触事故が起こった。
ランチの揃ったプレートをテーブルへと運ぼうとした時、突然出てきた人物とぶつかり、その中の汁物が衣袋へと飛散したのだ。片や「あーあー着替えないと」といった表情をしており、もう片方は「死んだ」と言わんばかりの絶望的な表情をしていた。
その二人とは、他ならぬアルヴィスとラディックであった。
「あ、あの……で、殿下に大変な失礼を……」
「ん? お前確かクラスメイトの」
「あ、はい、ラディック・デマイズです」
「え? あのデマイズ?」
「はい、まぁ、その、一応」
しどろもどろになるラディックに対して、「やべっ、気付かなかった」という顔をしているアルヴィス。
実はこの時、人知れず二つ目の事故が発生していたのだ。アルヴィスは自国の統治下にデマイズの里がある事は認識していた。彼の里からは優秀な人材が多数排出されており、小規模ながら他国からも声が掛かる程の人材獲得源として機能していたのだ。
問題は、その里の出身者がまさかのクラスメイトだったという事だ。
ラディックは自身の立場から、担任であるジャミールに「極力発言を求めないで欲しい」と要求しており、彼の優秀さでそれは一定保たれてしまっていた。それ故に、ラディックが【ラディック・デマイズ】であるという認識が遅れてしまったのだ。
クラスメイトの中には国内の要所から送り込まれ在籍している者も多数居た為、過度な追及は互いに御法度。ともなれば、学年としてスタート初期であるこの段階で認識漏れがある事も無くも無い状況であった、が。やはり、これはアルヴィスの落ち度と言わざるを得なかった。
故に、両者共に気まずい瞬間である。
片や加害者としてのラディック。被害者であるアルヴィスは王族としてデマイズの血族を侮ったある種の加害者。落とし所を間違えば、何かに繋がったとて不思議は無い偶然が重なった不幸な事故であった。
そしてそこに。
「あー!」
現れたのは一人の純朴な救世主。
「アルヴィスが汁まみれ!!」
「うるせーよ馬鹿。何か拭く物くれよ」
それは他でもない、我らがロビン・ラックであった。
「え、じゃあこれ」
「上着を渡すなよ! これで拭いたら絵面がおかしい事になんだろうが!」
「えー、もーアルヴィス我儘過ぎない?」
「我が儘ってお前……。いやほら、普通にタオルとかあるだろ?」
「アルヴィスも持ってないじゃん」
「ぐっ」
いつの間にかアルヴィスとロビンで空気が形成されていき、ラディックはと言えば空気として客観視する立ち位置になりつつあった。疎外感は多少あるものの、呆気に取られつつ行く末を見守っていた。現状、彼もまた直ぐにタオルを用意する等の行動余地はあった筈なのだが、事が大き過ぎて頭の許容範囲を超えてしまっていたのだ。
「寮に行った方が早くない?」
「そうだな、そうするか」
「アルヴィスの席取って待ってるね!」
「あー悪いな、助かるよ」
そしてアルヴィスとロビンのみで状況は進行され、周囲の人だかりも見守る中、事は決着の時を迎えていた。アルヴィスがこの話をどう落とすのか、全員の注目の集まる中、彼はラディックへと静かに歩み寄った。そしてー
「悪かった、味噌汁今度奢るから勘弁してくれ」
「「「!!?」」」
彼の選んだ結末。
それは【非を被る事】であった。
「あ、いや、そ、その……」
これではラディックの立つ瀬が無い。だが、現実として穏便かつ平和的、一切の角が立たずに話を落とせてしまう。それが理解出来ていたラディックは「いいやこれは俺が悪かった」と言い出す事によって話が拗れてしまう可能性を懸念してしまった。何故ならその贖罪は【デマイズ】として支払う事になりかねないのだから。故に、言葉に詰まってしまったのだ。
そんな彼の反応を見て、これでいけると踏んだアルヴィスは僅かに笑を浮かべると踵を返した。そしてー
「んじゃ、後頼むなロビン」
「片付けは任せて! 得意だから!!」
「不憫になるからやめてくれよ。また礼は改めてな」
「そんなのいらないよー、友達じゃん!」
「はいはい、礼を受け取るのもまた友情なんだぞ?」
「そうなの!?」
事はロビンによって綺麗に解決されてしまった。未だ、行動選択が為されずにただ立ち尽くすラディック。そんな彼にロビンはー
「何か変な顔してるけどラディは大丈夫?」
「え? いや、俺は……大丈夫だけど……」
今回の件は明らかに自分が悪かった。なのにそれを殿下が非として示してくれた事で被害者となったラディック。結果、顛末としては実に平和的に解決した。そしてこの流れを作ったのは他ならぬロビンであった。
彼は面倒は避けかったが、義理に欠けているいう訳ではなかった。寧ろ、その辺りの責任感が強いが故に【デマイズ】の名に縛られる一人であった。人一倍、そう言った面に関してはキッチリとしているタイプのラディック。我に返った時には、既に全てに決着が付いていた。
頭をポリポリと掻いて見せ、フーっと大きな溜め息を一つ。そうして、漸く頭を切り替えられた彼は地面にしゃがみ込んで掃除をするロビンと視線の高さを合わせた。
「助かったよロビン、それに悪いな掃除までさせて。俺にも手伝わせてくれ、俺の失態だ」
「ん? 全然へーき! 掃除得意なんだ!」
「凄いよなお前。正直今回のはマジで頭が真っ白になっちまった。後できっちり殿下にも謝らないと」
「アルヴィスが謝ってたし良いんじゃない?」
「いやダメだろ普通に考えて」
「むぅ、ダメか。普通って難しいなー」
故に彼はこう言葉を残した。
「前も……その、なんだ。悪かったな、態度が良くなかった」
「そうだったっけ?」
「何かあったら言えよ、俺も恩知らずにはなりたくねぇから」
「分かった! 困った事があったら頼るね!!」
こうしてラディックとロビンと、後ややアルヴィスの間に不思議な縁が出来たのであった。
この時の出来事、ロビンの中では茶飯事のそれでしか無く、寧ろかつての生活を思えば実に懐かしい気持ちですらある行いでしかなかった。
だが、ラディックはそうではない。
(ありがとな、ロビン)
国とデマイズとしての問題。
これを解決されたとあっては、小事と捉える事など不可能であった。この事は後の出来事に大きく関わってくるのだが、今の二人はまだ知る由も無かった。
故にただ。
この後二人はめちゃくちゃ掃除した。
━━━━━
「アルヴィス・アルカンシエル、すまないが前で見本をやってくれ。このジャンルはお前が一番上手い」
「分かりました」
とある日の授業の一コマ。今やっている授業は【戦闘理論】であった。状況を想定し、それに対処する。実戦だけでは拾いきれない細かい可能性の追求や解説などをする授業だ。
「残りの奴らはペアになって、このアルヴィス・アルカンシエルを攻める場合の想定を書き、5分後に紙を入れ替え、その紙に書かれた攻め方から守る方法を考えろ」
今日はクラスメイトが一名欠席していたので、一人が抜ける事で丁度偶数となった。とはいえアルヴィスを抜いたクラスメイトとの交流は最低限しか行っていないロビンは少し困惑してしまうが、ここである人物を見つけた。
「あ、魔力が綺麗な人」
「……何?」
「えっと、ペアになってくれる人がいなくてさ。一緒にやらない?」
「……分かった」
それはミア・ホワイトニュートであった。
「ねぇ君名前は何て言うの?」
「ミア」
「ミアか、よろしくね! 俺はロビン!」
「……そう」
彼女はワケアリの入学者だった。その能力は高く、高学年に編入する事すら可能だったのだが、家がそれを良しとせず、一年から始める事となったのだ。彼女の家もまた、七大貴族の一つである。貴族生まれは皆家の教育もあって魔力の扱いが上手い者が多い。その中でも七大貴族ともなるとやはり別格の様であった。
今、目の前にアルヴィスが剣を構え魔力を構築している。以前相対した事のある隙のない構え。ロビンは知っていた、あの堅い守りの形から信じられない柔軟な攻めが繰り出される事を。
アルヴィスを知った今の自分ならこう攻めるかな、と書き込んでいく。そして。
「よし、ペアの奴と交換しろ。アルヴィス・アルカンシエルの立場になったつもりでその攻めを防いでみせろ」
ロビンは隣のミアから渡された紙をみて驚いた。自身の想定したそれとまるで違う攻め方が記載されていたからだ。
「えっと、遠距離から周囲全体を氷で覆い、行動ルートを絞ったのちに、そこに最大攻撃をぶつける……」
上手い攻め方だった。行動多彩なアルヴィスをそのまま遠距離から狙い撃とうとしても、まともに当たる事はないだろう。故にまずは周囲の地形から着手し、行動を誘引してそこを狙う算段であった。
「はぁーこんな攻め方もあるんた」
仮に相対する敵がこの攻撃をしてきたのであれば、ロビンは回避出来るだろうか。色々なパターンを想定する。突然周囲に現れる氷壁、それに意識を割いた瞬間に最大攻撃。生半可な防御では凌ぎきれなさそうだ。考えに考えたが、彼の今持っている手札での対応は困難極まりなかった。
「くっそー、ミアに勝てない……」
「さて、では紙を戻して相手の出方を確認しろ」
紙は戻されてしまい、戻ってきた紙にはロビンの攻めを完封する手段が書かれていた。
「はぁーミアってホントに凄いね、魔力の扱い方を分かってるっていうか、達人みたいだね」
「……そう」
ミアは興味なさげに一言だけ返すと、教科書を読み始めた。その様子を見たロビンは、まだ自身が相対す価値のない存在なんだなと痛感させたのであった。
だが、ここで挫けないのがロビンだった。
「ねーミアってさ、魔力の修行ってどんな風にしてるの?」
「……!」
「俺はまだ基礎的な事しかしてなくてさ、勿論基礎が出来てないから基礎をやってるんだけど。どれくらい違うのかなって」
「……魔力で、遊んでる」
「遊んでる?」
「……」
遊んでいる、それは決して魔力を粗雑に撒き散らしている訳ではない。彼女は魔力上達への道を修行の様に苦しい物と捉えていなかった、そこがまず一番大きいだろう。その上で、遊びも訓練の内であると、そう示したのだ。
「どんな風に遊ぶの?」
「……氷の、人形を、作る」
「成る程、そんな修行もあるのか……」
「……もういい?」
「うん、ありがとねミア! 凄く参考になった!」
「……そう」
様々な攻め方に様々な守り方。今のロビンにはまだまだ経験が足りておらず、一歩一歩前進あるのみであった。
しかし今日の授業を経た事で、魔法を主軸にした戦闘という物を具体的に考え始めたロビンは、ミアに強い関心を抱いていた。
「魔法の話、また聞いて良い?」
「……さぁ?」
「ありがと! 俺ミアの魔法が一番好きだから嬉しい!」
「……好きにすれば良い」
稀に底抜けなポジティブを発揮するロビンであった。
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そしてそれから暫く経って。魔力を使い戦闘する事を漸く考えられる様になっていたロビンは、それが故に様々な疑問に直面していた。勿論ニクスへと質問する事も多々あったが、タイミングに寄ってはそれは叶わず、教室へと持ち越す事もあった。そういう時は。
「ねーミア、広域に展開する魔力を練る時って、発動前に一点集中するイメージと分散させるイメージが一緒になっちゃうじゃん? どうやってるの?」
「……固めて、進路をイメージ、その後爆発」
「ふむ、進路をイメージか。構築の時点では魔力を固めて凝縮、方向を指定する時点で分散、いや分割かな。爆発ってのはどの地点を起爆位置にするかって事だから……ミアは何箇所くらいイメージしてる?」
「……規模に、よる」
「この間のアルヴィス攻略の時は?」
「……あれなら、左右それぞれ、3箇所」
「合計で6箇所か、凄いコントロールだね。考えれば考えるほど難しい事なんだって気がつくよ」
それから、ロビンはミアに情報を集っていた。やや面倒そうにするミアであったが、説明が重複したりせず、的確に話が進行するので案外と苦では無かった。
「熱心だな、ロビン」
「アルヴィスー! そうだアルヴィスにも聞きたかったんだけどさ!」
「まてまて近いから、ちゃんと聞くからまず離れろ」
話しかけたのは自分だが、こうも詰め寄られては会話もままならない。アルヴィスは机を挟む様に位置を取り直した。
「ミアはさ、この間の授業の時にこういう風に攻めるって言ってたんだけど、アルヴィスならどうする?」
「ん? 回避か?」
「そう、どうやって凌ぐの?」
「威力によるけどなー、正面からいけるならそれが一番楽かな。それが無理そうなら、囲まれる前にまず敵に速攻系の魔法を打ち込んで二の手を遅らせる。多分それでも撃たれるだろうから、その時出来た空間に活路を見出しつつ、距離を詰めるかな」
「ぐぬぬ、切り抜けてる……」
「いや、多分そうなったらそうなったで次の手がある筈だ。実践経験のある奴ならある程度はパターン認識してるだろうな」
「パターン認識?」
「攻め手側の選択肢はある程度想定出来るから、俺が術師本人を遠距離攻撃してくる事は織り込み済みって事。だからそこから遠距離で押すか、切り上げて移動に全振りして近距離戦に活路を見出すか、そんな感じかな」
「も、もう少し簡単に言うと?」
「簡単に分けるなら、遠距離か近距離か、みたいな奴だな。どっちで来たとしても対応出来る様にしておかないとさ」
「ふむ」
「対応出来ないって事は」
「ふむ」
「死ぬって事だからな」
「ふむぅ、やっぱりアルヴィスもミアも凄いや」
アルヴィスの言葉には重みがあった。それにミアの言葉には当てるという強い意志があった。それぞれに込められたる思いの共通点は、しくじれば【死】であるという前提条件。
ロビンの認識はまだまだ甘かった。
「実践経験かー」
「命のやりとりなんて、経験無い方が良いに決まってる」
アルヴィスのその言葉に、少し返事に困ったロビン。それは言葉を出したアルヴィス自身が、この場で最も悲しそうな顔をしていたからに他ならなかった。そんなロビンを見たアルヴィスは少しだけ思案した後に。
「ま、でも命のやり取りの無い程度の経験なら……させてやれるかもな」
「アルヴィスー!」
「ばっ、分かったから抱きつくな馬鹿!」
つくづく、ロビンに甘いなと。
少し自分に溜め息が出たアルヴィスであった。




