02.Happy birthday
白いという概念しか無い世界。
そこに少女は立っていた。
どうみても小学生くらいの少女だ。
漆黒のストレートの髪をツインテールに、黒いリボンで結んでいる。
フリルのたくさんついた黒いドレス。そして黒いハイソックスはドレスの裾と絶対領域を形成する。
靴は凄い高さの黒いハイヒール。
全て黒でコーディネートされた装いは、彼女の透き通るような白い肌を一層引き立てていた。
いや、白すぎて背景の世界との境界線が分からなくなる程の白い肌。
「え…っと、こんばんわ?」
訳がわからなすぎて、とりあえず挨拶をする。
僕は飛び降り自殺したはずなので、多分ここは死後の世界ってやつだ。
これからこの娘に連れられて天国だか地獄だかにいくのだろう。
しかし少女は返事どころか身動ぎもしない。
「あの、すいません。僕はどうすればいいのでしょう?閻魔さまのところへ行ったりするのでしょうか?」
相変わらず返答はない。というか、僕のことも見ていないような感じ。
でも間違いなく先程声をかけられたはずだ。
《そいつは許可なく喋りゃしないぞ》
「え?」
少女の唇は動いていないが、確かに少女の方向から声が聞こえた。
彼女の後ろに回り込んだり辺りを見渡してみるが、少女以外に人影はない。
改めて元の位置に戻って少女を観察していると、不意に抱かれていたヌイグルミの頭がグリンっと捻られこちらを向いた。
《さきほどから話しかけておるのは余だ》
「え?」
少女が抱き締めているウサギっぽいヌイグルミ。
それは二頭身で真っ黒。長い耳は片方が折れ曲がっていて、右目が✕、左目が星。目の刺繍だけ赤い糸でされている。
唐突に口が大きくニヤリと歪められる。狂暴そうなギザギザな歯が並んでいる。
「ひぃっ」
驚いて尻餅をついた僕の方へまたもグリンと首が捻られた。
《よう。見事な死にっぷりだったな。一億人目にふさわしい飛び降りだったぞ》
「あ、え、ど、どうもありがとうございます」
《余はこの星を支配する神である。かれこれ200年ほどになるか。そして貴様は記念すべき一億人目の自殺者だ、紫崎十矢よ》
「そう…なんですか」
《貴様が話しかけていたのは余の秘書、シャルロッテだ》
「秘書、ですか」
《なんだ乗りがわるいぞ?貴様には偉業を讃えて褒美をくれてやるというのに》
褒美?
まさか生き返らせてやるとかだろうか。
そうなら絶対やめてほしい。
あんな思いはもう絶対にごめんだ。
《本来ならば偉業を成し遂げた英雄にのみ与えられる褒美なのだ。一億人目の自殺者は英雄と並ぶにふさわ…》
「あ、あのっ、少し待ってください!」
《なんだ貴様、余の言葉を遮るとは万死に値する!…って死んでおるか》
「すいません。もしご褒美をいただけるのでしたら、このまま安らかに死なせていただけませんか?」
《ほう》
「もうあの世界に戻るのは嫌なんです。あそこには僕のいる場所はありませんし、僕はいきる力がありません」
それを聞いてウサギ神はまたニヤリと笑う。
《安心するがよい。余の与える褒美はそんなつまらんものではない》
「というと?」
《貴様には違う世界で生きてもらう。そこは貴様の為に作られた世界だ》
違う世界?
知らない世界であったとしても、僕はもう生きていきたくない。どこであろうと必ず苦しみはあるはずだ。
「申し訳ないのですが、どこであろうと僕には生きることは苦痛でしかありません。やっと死ぬことができたのです。このまま死なせてください」
《ククク…残念だが神である余の決定は覆ることはない》
「そんなぁ…」
どうにかここから逃げることはできないだろうか。
いや、見渡す限り何もない世界。逃げる先などないだろう。
舌を噛んでもう一回死ぬとか。
《フン、死ねんぞ》
そう言いながらウサギ神は短い手をこちらに伸ばす。
すると僕の体が銀色の光に包まれ始めた。
《貴様には生きるために特殊な能力をくれてやる。それとその体は一度分解され再構築される。再構築されるにあたり貴様の要望はある程度加味してやるから、跳ばされる最中にシャルロッテに告げるがよい》
光に包まれると足元から僕の体が消えてゆく。
消えた先からそれは何か粒子のようなものになり、渦巻きながらある方向へ流れていく。
「あ、あぁ…」
《よき旅を。その先でどう生きるのかは貴様次第だ。世界を救う勇者になるも、世界を滅ぼす魔王となるも、そして自ら命を断とうとするも》
光の渦は奔流となり、そして白の世界から消えて行った。
それを見届けてウサギ神はシャルロッテから離れて宙に浮かぶと彼女に命ずる。
《ゆくがよい、シャルロッテよ。あの自殺者をサポートするのだ。世界に顕現した後、奴の思うがままにさせよ。死のうとするのも奴の自由だ。》
シャルロッテは頷き姿を消す。
誰もいなくなった白い世界でウサギ神はニヤリと笑うと最後に呟いた。
《死ねるものならな》
自分の肉体が消滅し、全ての感覚が無くなった。
だけど、考えることはできるようだ。いや、考えている。
どこか知らない世界に跳ばされるらしいけど、こんな状況になっているのにあまり驚きは無い。
元々死んだら死後の世界があるかもと思っていたけど、こんな形のものとは想像していなかった。
様々な宗教が様々な死後の世界を記していたし、生き返った人の体験談とか語られていたけど、僕が見聞きしてきたどの世界とも違う。
自称神様はウサギのヌイグルミだし。
まさか他所の世界で生きてくことになるなんて。
できればそっとしておいて欲しかったな。
もう生きてくなんて考えられない。
ウサギ神が死ぬのも自由だと言っていたし、その世界に行ったらすぐにその方法を考えよう。
自分が一億人目の自殺者になるという不幸にみまわれるとは。そのことに嘆いていると、頭の中に鈴の音のような耳触りのいい声が聞こえてきた。
《これから貴方様のお世話をさせていただきます、シャルロッテと申します。以後お見知りおきを》
「あ、はい。よろしくお願いします。十矢です」
さっきの黒衣の少女だろうか。
《早速ではございますが、十矢様の再構成を行いますのでいくつかの質問にお答えください》
「はい」
《ところで十矢様は生きておられたときにゲームがお好きでしたね》
「う、ぇと…。はい」
そうか、神様の秘書だから僕の生前を知っているのかもしれない。
《そのゲームでのキャラクターメイキングのようなものとお考えください》
「わかりました」
《面倒臭いので端的にお訊きしますので、簡潔にお答えください》
「え?めんどくさい、ですか?」
《はい。できれば質問に対する質問もお控えください。面倒臭いので》
ああ、そうですか。
僕もどうせ死ぬので適当にやっていただいてもかまいませんが。
「了解です。始めてください」
《男か女》
「え」
《どちらで生まれ変わりたいかということです》
「あ、じゃあ男で」
めんどくさがりすぎですよね?
《剣か魔法》
「剣…かな」
《エクスかリバーかムラマサ》
「うぇ?」
《形状の話です。それが授けられるわけではございません》
「ムラマサ…」
《お好きな色》
「黒かな」
《外見に関するご要望は》
見た目、か。
できれば自分の顔はもう見たくないな。
ガリガリに痩せて、死んだ魚のような目。
どうせ死ぬにしても惨めな自分に会いたくない。
「あの、こだわらないのでお任せします」
《私の好みに一存されるということでよろしいと?》
「はい。お任せします」
《男か女》
「はい?もしかしてやり直しですか?」
《どちらが好きかということですが》
「わ、わからないですよ!さっきの聞き方と違うとこないですよね?」
《…チッ》
舌打ちされましたね。
どうにもシャルロッテのキャラが掴めないよ。
更にいくつかの回答をすると、彼女はさもめんどくさかったというように溜め息をついて、
《以上です。それでは十矢様の再構成に入ります。それとあちらでのお名前は何かしらのギルドに登録される際に必要なくらいですので、勝手にお名乗りくださいますよう》
と告げると、ボキボキッと音を鳴らした。
これは、多分だけど首を鳴らした音だな。すごくダルそう。
僕の中ではシャルロッテは少女ではなく受付の疲れた中年女性になっている。声はかわいいけど。
ぼうっとした自分の感覚が中心に集まり始めるのを感じる。
何かあちこちを針でチクチク刺されるような、触覚とでもいうような微かな痛みが生まれる。
ゆっくりとしたそれが段々と加速して、やがて一気に僕を押し包む。
突然硬い入れ物に閉じ込められたような圧迫感を感じて、急に呼吸できないという恐怖に襲われた。
━━くるしい、くるしいよ!たすけて!
焦るのだけど、不思議なことにどこかで自分を冷静に苦しむ自分を冷静に観ている自分も感じる。
あれだ、追い詰められて過呼吸になったときに似てるんだ。
いいじゃないか、このまま死んでしまえば。
体が生きようと苦しむのだけど、心がついていかない。
と、いきなりお尻に強い痛みを受ける。
「痛ったあ!」
驚いて目を開く。お尻を押さえて、見る。叫んだ後に吐いた分の空気を肺に取り込む。
あ、感覚があるぞ。
「ハッピーバースデー」
声の方を見るとシャルロッテが立っていた。
というか、声で喋ってらっしゃる。
「あの、お尻を叩きました?」
「生まれた赤子が泣かない場合、逆さ釣りにして尻を叩くのが通例ですので」
「ああ、そうですね。ありがとうございます。僕は新しい世界に来たということでしょうか」
「いえ。その一歩手前と申しますか、チュートリアルの間とでも申しましょうか。放り出しても宜しいのですが、貴方は新しい世界では最底辺の糞雑魚ですので、多少手解きをと考えました」
なんか口が悪くなってきてますよね。
「それは特別サービスということでしょうか」
「左様でございます」
「僕なんて放り出してくださってかまいませんよ」
「いえ…そのですね…」
初めてシャルロッテが言い淀む。
どうしたのだろうと顔を覗き込むと顔を背けられた。
返事が無いので立ち上がって周りを見渡してみると、どうやら洞窟のような場所にいるようだ。
壁自体が発光しているようで明るい。
シャルロッテの後ろには巨大な金属製の扉が存在していた。
ダンジョン…だろうか。
改めてシャルロッテを見る。
白い世界で見た彼女と自分の目線を比較すると、背の高さはあまり変わっていないかな。
あれ?シャルロッテの顔が少し赤い。
彼女は上目遣いでやっと返事をする。
「あの、あまりにも私の好みに完成してしまったものですから…」
「え」
「御覧になりますか?」
彼女は腰に下げていたポーチに指を差し込むと、何かを摘まんでそれを引き出す。
ズルリと引き出されたそれは大きな姿見だった。
「うわ、四○元ポケット!」
「どうぞ、出来映えを御覧ください」
驚いたけど、神様の眷属ならなんでもありなのだろうと理解して鏡を覗いてみる。
そこには見たこともない美女が映っていた。
もしかしたらシャルロッテより白い肌。
バッチリ決まった二重目蓋は、切れ長でやや釣り気味の目を凄い量と長さをもった睫毛とともに飾っている。
大きめな瞳は深い真紅で、見ていると引き込まれそうだ。
高い鼻梁はスッキリとまとまり、小さいけどぷっくりとした唇は瞳と同じ真紅に染まっている。
目蓋に沿って綺麗な眉毛、そして腰の辺りまで伸びた流れるような髪は銀色に輝きを放つ。
全身を黒のピッチリとしたレザースーツに身を包み、防具だろうか、胸と肩、腕そして脚をこれもまた黒い金属で作られたものを着けていた。
そして背中に背負っているのは多分武器、ムラマサモドキだろう。
「あのー…」
鏡の中の動きをみて自分と認識してからシャルロッテに話しかける。
「すばらしいでしょう?」
「いや、これは…」
「すばらしいでございましょう?」
「ああ、はい。すばらしいですね」
自分で体を軽く触って確かめてみると、胸は無いし、ナニはついていた。
シャルロッテを見ると、拳を握りしめ、鼻をフンフン鳴らしていた。
━━なんだこれ。
もう一度鏡を覗き込んで、僕はひきつった笑顔を浮かべてみた。