01.I can fly
━━どこでどうすればこんなことにならなかったのだろう。
僕はそんなことを考えながら夜の街をぼうっと眺めていた。味気ないマンションの屋上で冷たい手すりを撫でながら。
深夜のせいか人通りは全くなく、街の明かりも少ない。遠くに見える点滅信号が寂しさを助長させている。
吹き抜ける冷たい風が身も心も凍りつかせていくが、僕にはそれを防ぐことも温めようとすることも必要ではなかった。
━━もうどうでもいい。
何故なら僕は死のうとしているのだ。
人生の失敗に疲れ、このマンションの屋上から飛ぶことで28年の人生を終わらせる。
僕は普通に生きてきた。
面白くもつまらなくもなく、取り立てて裕福でも貧乏でもない。顔も体力も普通だと思し、脳みそも悪くはないと思う。
そんな僕が突然不幸になった。
生きていくより死んだ方が楽だと考えるようになってしまった。
━━世界が僕を殺そうとしている。
そうに違いないと思えるほど実にテキパキと僕の周りのものは剥がされていった。
今の僕には守るものも、守ってくれるものも、何一つない。
あるのはこの体と、死んで何も考えなくなりたいという気持ちだけだ。
普通に生きてきたはずの僕が世界に目をつけられたのは、3ヶ月ほど前のことになる。
あの通勤電車の中で起きた騒動が僕の終わりの始まりだった。
会社に向かういつもの満員電車の中、僕は何処にも掴まれずに必死に揺れと戦っていた。
考えてみればこれが間違いだったのかも知れない。
片手は鞄を握りしめ、片手はぶらりと下げていた。
誰かと目をあわせたくないので目蓋は閉じている。
人に押し潰されながら会社に向かうというのは、毎日のこととなると苦痛とは感じなくなるものだ。
━━あと二駅。
アナウンスでそうだとわかる。
今日は特に変わった内容の仕事もないから定時で帰れるなと考えながら揺られていると、突然近くで女性の悲鳴があがる。
驚いて目を開けると下げていた腕を誰かに掴まれた。
「こ、この痴漢野郎っ!」
腕を掴んでいるのは強気な目をした高校生らしき女の子だった。
「え、僕はなにも…」
「とぼけるんじゃないわよ!わたしの尻さわってた手をちゃんと捕まえたんだからっ」
絶対僕じゃない。
しかし周りの人たちからは一斉に冷たい視線が放たれる。
電車が次の駅に停まると、僕は女子高生とその近くにいた男性に外へ引きずりだされた。
駅のホームで男性に胸ぐらを掴まれ揺さぶられる。
「てめぇ、最低だな!」
「ち、ちがう。僕じゃないです」
「触ってる手を捕まえられたんだろ?お前以外だれが犯人だってんだよ!」
「く、苦しいです、離して!」
男性は僕より背が高くて力も強かった。
首が締め上げられて息ができない。
「は、離してくださいっ!」
僕は必死に両手で彼を突き放した。
「ああっ!?」
まさかそんなに勢いよく男性が倒れるなんて思っていなかったんだ。
彼は後ろに倒れてゆく。
そしてホームから線路に転落した。
「きゃああああああっ!」
女子高生の悲鳴がホームを切り裂く。
線路で動かない男性。
恐怖にひきつった女子高生の顔。
僕はあろうことか逃げ出してしまったのだった。
何も考えられずにひたすら走るが、僕は駅員さんや周囲の人たちに取り押さえられ、警察に引き渡された。
強制わいせつ罪と傷害罪で起訴され、留置所で過ごすことに。
勿論、こんな経験をしたことは無く、地獄のような日々だった。
僕には親兄弟はいなくて、家族は妻ひとり。
妻のお腹には僕の子どもがいる。
掴まる数週間前にできた報告をもらったばかりだった。
こんな大切な時期にこんなことになるなんてと自分の不幸を呪っていると、その妻の代理人を名乗る弁護士から手紙が届く。
そこには離婚申し立てと離婚の条件、そしてお腹の子は人工中絶する意向であることが書かれていた。
23歳から勤めていた会社からも自己退社させられた。
しないのなら強制解雇ということだった。
全てを失ったショックで夜も眠れず、食事も吐いてしまう。
みるみる痩せて、留置所にいた約2ヶ月で10キロ痩せてしまった。
僕を取り調べる検事さんは女性の方で、僕はその苛烈さに何も反論できなかった。
自分の知らないうちに女子高生のお尻に手が触れてしまっていたんだと考えるようになり、男性を突き飛ばしたのも事実なので特に反論もしなかった。
留置所にいる間は何もすることがなく、外を見れるのは検察と裁判所に送致されるときだけ。
眠れば何も考えないですむと思ったのだけど、いろんなことを考えてしまって眠れない。
週に2回しか入浴できないのも想像以上に辛かった。
知り合いがいないので面会は国選弁護人の接見しかなく、孤独感が半端ない。
妻と連絡がとれないので保釈もできず、僕は死ぬことばかり考えるようになった。
結局、僕は懲役2年6ヶ月、執行猶予4年で外に放り出された。
僕は死ぬことしか考えていなかったので、留置所から送致されるときはずっと死場所を探して外を見ていた。
死ねる高さと侵入できそうな屋上がある建物。
そこがいま立っているマンションだった。
━━死んだらあの世とか無かったらいいな。
そんなことを考えながら目隠しをする。
手すりを乗り越えそれを握る。
とても下を見ながら飛び降りることはできない。
このまま手を離して後ろに倒れればおしまい。
飛び降りた人の胃を調べると穴だらけになっているそうだ。
そこまで追い詰められたからとかではなく、飛び降りてる数秒の内のストレスでそうなるらしい。
それが恐くて目隠しを思いついたのだった。
誰に謝ることも、言葉を遺すこともない。
ただ生まれてこれなかったわが子に想いを馳せる。
━━ごめんなさい。
目隠しを涙で濡らしながらそれだけ心に呟くと、僕は両手を左右に拡げて後ろに飛んだ。
…。
……………。
…………………………。
………………………………………?
━━あれ?
おかしい。
もう何十秒も経ってるのに地面に叩きつけられない。
何処かに引っ掛かったのか。
それとも途中で気絶してしまって、とっくにあの世というのに来てしまったのだろうか?
と、いきなり目隠しが剥ぎ取られた。
驚いて目を開けるとあまりの眩しさに網膜が焼かれる。
━━え?いま真夜中だよ?
恐る恐る目を慣らしていくと空には何も無かった。
ひたすら白。
どうやら自分は地面に寝ているらしく、身を捩って周りを見渡すとひたすら白。
地平線も何もない。
区切りと呼べるものは何もない。
自分の下を見ても地面が認識できない。
手触りはあるのだけど、何故か認識できない。
…そうか、影が無いんだ。
意味がわからず頭の中が【?】で埋め尽くされていく。
すると突然、後ろから声がした。
《おめでとう。余が神になってから一億人目の自殺者よ》
振り向くとそこには凶悪な顔をしたウサギっぽいヌイグルミを抱いた一人の少女が立っていた。
はじめまして。鹿骨天國と申します。
小説を書くのは初めてですが、楽しんでいただける方がみえたら幸いです。
何分経験の無いことですので更新は遅くなるかもしれませんが、頑張りますのでよろしくお願いいたします。