40才の元娼婦~昴の地で生まれし愛
長岡更紗様主催企画『第二回ワケアリ不惑女の新恋企画』参加作品です。
『娼婦の娘~未来のファーストレディ』の主人公・ハナの母・サキの後日談です。
ミドルガルドの最果てであるホワイト地方のスバル王国領内で雪の降る中、一人杖をつきながらただひたすら歩くダブルオーバーの女性がいた。
彼女の目はどこか虚ろでどこに向かうのかもわからない感じだ。
(ああ……、疲れた……。思えばあたしの人生は……、褒められる事なんか……、何もない人生だったよ……。金がないってだけで人が食べる物にさえありつけず……、やっと金にありつけたかと思えば夫に追い出され……、娘のために娼婦として金を稼ごうとすれば騎士団にしょっぴかれ……、挙げ句刑務とかいって臭いとこの掃除を十何年もさせられ……。ハナ……、いや……、ハナ=サキ=スバル……、あたしはお前に何もしてやれなかったけど……、お前の結婚式に立ち会えてあたしは嬉しかったよ……。ミドルネームに母のあたしの名前を使ってくれて……、あたしはもっと嬉しかった……。これであたしは……、もう……、思い残す事など……、何も……、ない……)
娘の結婚式を見届けたサキの前に突如吹雪が起き、サキは程なくして雪に埋もれた。
「……う……、ん……。ここは……、どこ……?」
サキが目を覚ますと、周りは木の板で仕切られた部屋のベッドの上に寝ていたのだ。
ベッドの近くでは、レスティーンの女性がサキを看ていた。
「!……パパ~、おばさんが目を覚ましたよ~!」
サキが目を覚ましたのを見た少女は父親に知らせに行った。
(……あたしが『おばさん』ね……。まあ、あの日から十何年もすればこう呼ばれてもしょうがないけど……。やっぱり歳はとりたくないもんだね……。ああ……、あの美しかった頃が恋しいよ……。)
サキは自分が歳をとっている事は承知していたが、実際に『おばさん』と称されて、若かりし頃が恋しく感じた。
暫くしてオーバーティーンの男性が少女と共に部屋に入って来た。
「君、大丈夫か?」
少女の父親らしき男性がサキに声をかけた。
「……あたし……、何でこんなところに……?」
「一週間前にパパが雪の中で倒れていたおばさんをうちに運んだの。」
「先に見つけたのは娘だけどね。」
「パパと一緒に散歩してたら青い光を見つけたの。」
「それで君を保護したって事。あっ……、そうだ……。君の近くでこれが光ってたんだよ……。とってもきれいなお守りだね……。」
男性は青い雫の紋章をサキに返した。
「……ありがとう……。」
「申し遅れたね。僕は『ルーカス』、この子が僕の娘の……。」
「『メイプル』っていうの。」
「そう……、あたしは『サキ』……。ただのダブルオーバーの女よ……。」
親子とサキはお互い自己紹介をした。
「パパ、『ダブルオーバー』って何?」
メイプルはルーカスに『ダブルオーバー』の意味を尋ねた。
「『ダブルオーバー』は「40歳」の事なんだ。20歳以上の人を『オーバーティーン』と呼ぶんだよ。二倍したから『ダブルオーバー』と呼ばれるんだ。」
ルーカスはメイプルにダブルオーバーについて説明した。
「ねえ……、メイプルお嬢ちゃん……。ママはいるの……?」
サキは隣の父親しかいない事からメイプルに自分の母親について尋ねた。
「!……ママは……、わたしを産み落として死んだの……。」
メイプルは、涙を流しながら自分の母親が自分を産み落として亡くなったと話して部屋を後にした。
「すまないね……。娘は母の事になると悲しくなるんだよ。友達が自分の母親と一緒にいるのを見ると気分が落ち着かないんだ。その都度『パパの僕がついてるから大丈夫だよ』って言って聞かせるんだけどね……。」
「そう……。(母のいない子もいるんだね……。)」
「ところでだけど君、どこか戻るあてはあるのかい?」
「あたしにはもう戻るあてはないんだよ……。あのまま雪に埋もれて死んでもいいと思ってた……。なのにあんた達……、何であたしを助けたんだよ……?」
「人を助けるのに理由は要らないさ。弱者が安心して生きていける国は誰もが安心して生きていける国でもあるんだからね。……あっ……、そう言えば君、『戻るあてはない』って言ったよね……。当分の間うちに泊まっていきなよ。ここの冬はとっても寒いんだ。よそとはいえ暫くうちにいても悪くないと思うよ。大丈夫だ、娘にも伝えておくよ。」
ルーカスは戻るあてのないサキに自分の家に泊まるよう薦めた。
「うん……、お言葉に……、甘えさせて貰うよ……。」
サキは承諾した。その後メイプルも同意してくれたおかげでサキはルーカスの家に居候となった。
夜になり、暖炉の火が燃え盛る中、サキを交えて親子で食事をした。
テーブルの上に出されたのは皿の上に載った暖かく真ん丸い焼き菓子だった。
その上にはバターが載ってあり、蜜のようなものもかかっていた。
「これは……、何て食べ物だい?」
サキは食べた事も見た事もないこの食べ物が気になった。
「『ファストケーキ』っていうの。一口のバターを載せて、煮詰めた『樹蜜』をかけて食べるんだよ。わたし、とっても大好きなの。」
メイプルはサキにファストケーキを説明した。
「これがファストケーキ……。!!……あちっ……!」
サキはファストケーキを手掴みで食べようとするも熱くて触れなかった。
「ファストケーキは熱いから、ナイフとフォークを使って食べるんだ。」
ルーカスはサキにテーブルの上のナイフとフォークを指した。
「これがナイフとフォーク……。あたし、この道具初めて……。」
サキにはナイフとフォークは初めて見る食器だ。
そう、彼女は生まれてからずっと手掴みで食事をしてきたのだ。
「フォークでケーキを押さえて、ナイフで小さく切るんだ。小さく切ったケーキをフォークで刺してケーキだけを食べるんだよ。」
ルーカスはナイフとフォークの扱い方を実演を通じてサキに教えた。
サキは慣れない手つきでナイフとフォークを扱うも何とか食べてみた。
「!!……あたし……、こんな食べ物……、今まで食べた事ないよ!」
サキは今まで食した事のない食べ物の味に戸惑っていた。
「サキおばさんは……、今までどんな食べ物を食べてきたの?」
メイプルはファストケーキを初めて食べたサキが何を食べてきたのか気になった。
「……あたしは……、臭くて酸っぱくて塩辛いパンを……、厭になるほど喰ってきたんだよ……。だからこんなきれいな食べ物は初めてなんだ……。」
サキは自分の囚人時代を振り返ると、『ナットー』と『ウメボシ』を混ぜた米粉パン『ナットウメパン』が浮かんできたのだった。
ナットウメパンは嗜好が二極化しやすいが、栄養満点かつ日持ちも良く、非常食に打ってつけの食料だ。
「じゃあ……、このファストケーキがあのパンよりも美味しいって事なんだね?」
メイプルはサキにファストケーキが美味しいかどうかを尋ねた。
「これが『美味しい』って事……?あたし……、初めて美味しい食べ物に出会った気がするよ……。」
ファストケーキを食べたサキは初めて『美味しい』の感情を覚えたのだった。
暫くしてルーカスはグラス一杯の水をサキに持ってきた。
「とってもきれいな水だね……。どうやって手に入れたんだい?」
サキはきれいな水に見とれていた。
スラムにいた頃は金でも無い限りきれいな水にもなかなかありつけなかったからだ。
「これは『雪解け水』といって、雪から採った水なんだ。このきれいな水で僕らは育ったんだ。さあ、飲んでみてごらん。」
ルーカスはサキに自分達を育んできた雪解け水を飲んでみるよう促した。
サキは雪解け水を飲んでみた。
「!!……美味しい!あたし生き返った感じだよ!」
サキは大喜びした。それと同時にこんなに美味しい水にただでありつけるルーカス達を羨ましく思った。
「なあ……、あんた……、こんなに美味しい食べ物や水に恵まれてるって事は……、よっぽどの金持ちって事かい?」
「いや……、僕らはそんなに金持ちなんかじゃないよ。飲み水は家で確保出来るし、余程の贅沢をしない限りは衣食住に事欠かないからね。ところで、君が育った所はどんな感じだったかな?」
「あたしの生まれたとこは金が無ければ生きていけないとこだったよ……。こんなきれいな食べ物や水になかなかありつけなかったね……。だからあたし……、ほんとに嬉しいんだよ……。」
「そうか……、話してくれてありがとう。」
そして三人はファストケーキを平らげた。
〇ファストケーキ……直接焼き上げるため早く出来る事からこう呼ばれている焼き菓子。アースガルドでは『パンケーキ』『ホットケーキ』と呼ばれる。
〇樹蜜……蜜樹の幹から出る樹液を採取し、煮詰めて作るシロップ。アースガルドでは『メープルシロップ』と呼ばれる。
親子と接するにつれ、虚ろだったサキの表情も徐々に豊かになり、棒読みだった話し方も自然な感じになっていき、春になった頃には家事等の手伝いも出来る程心身共に回復し、娼婦だった頃程ではないがある程度の美しさを取り戻した。
そして六の月を迎え、地元の教会でルーカスとサキの結婚式が行われる運びとなった。
白いタキシードのルーカスに同じく白いドレスのサキ、そして彼女を新たな母親と認めたルーカスの娘メイプルと地元の人々は新たな夫婦の誕生を大いに喜んだ。サキは実の娘ハナに最後まで自分の夫や皆の力になるよう伝えたように、自分も最期まで夫となるルーカス、そして義理の娘メイプルの力になる決意と共に式に臨んだのだった。
サキ、齢40にして、ようやく娘と同じ幸せのスタートラインに立つのであった。