始まりの決意
目があった。引き金に掛ける指が震える。ライフルが汗でべっとりと嫌な暖かさを持つ。手が震えて狙いが定まらない。
「こ、こんなんじゃ撃っても当たらない…よな。」
一人で言い訳をしてライフルを下ろす。声も震えていた。なぜ、なんて考える必要もないかった。彼女の目を見た途端、俺にはこれが正義だとは思えなくなった。たとえ王国の捕獲殺害対象だとしても、殺せば儲かるとしても。恐ろしい術の話も嘘なんじゃないかと半信半疑になる。でも見た目で判断するのは命取り、もし本当に危険なら殺されたくはない。一応背中に回した右手にナイフを握りしめ、ゆっくり一歩一歩を踏みしめるように近づく。永遠に思われる時間、聞こえるのは俺が土を踏むわずかな音。距離、一メートル。ゴクリと唾を飲み、話しかける。
「ねえ、あの…君はさ…メリス、だよね?」
彼女の表情が少し柔らかくなった気がした。彼女は口を開く。
「うん、そう。あなたこそ人間よね?私達を殺しにきたんでしょう、もうここまで追い詰められたら逃げようがない。死ぬのは嫌だけど、あなたがその気なら私は殺されるしかないわね。」
抵抗する様子はない。いたたまれない気持ちになり、ナイフをしまう。彼女は微笑み、
「そう、ありがとう。」
と言う。彼女の言った通り、逆に言えば向こうが逃げられないように、俺もこの距離では襲われたら逃げる術はないだろう。けれど俺の心は不気味なくらいに穏やかになっていた。多分あの時彼女を撃ち抜いても得られなかったものだと思う。彼女とより会話を試みる。
「君は俺を呪術で殺さないの?」
「あなたがそう考えているならあなたの目に私は人殺しのバケモノとしか映らないんじゃない?」
今俺の目の前にいるのはバケモノではなく、一人の女性だった。俺は首を横に振る。嬉しそうに笑った彼女は正直に言おう、美しかった。
「私の名前はリリア、リリア•セリアスラ。」
「セリアスラ?この谷の名前と同じじゃないか。」
リリアは俺に背中を向け言った。
「ついて来て。」
彼女は俺を谷の奥へと連れて行った。この谷は北海道地方の端と九州地方の端で完全にユーラシアにくっついているから、水は流れていない。要するに谷底まで下りられるということだ。かなり歩いて底まで来た。斜面が緩やかだから下りるのは容易だったがその分距離は長くなるってことは当たり前のことだ。そのため、多分ここまで来た人間はほとんどいないだろうと思われる。その証拠に地面は苔の楽園、足跡も付いていない。だが、さっきからそんなことより俺の気を引いているのは目の前にある二メートルほどの石塔のようなものだった。中心に透明な橙色の球体が浮いている。と、リリアがそれに触れ、何かゴニョゴニョと囁き始める。瞬間、球体が光り出し、思わず目を覆うほどの光…。体が持ち上がる感覚を覚え、ゆっくり目を開けると見知らぬところへ着いていた。
「ここは私たちの村の近くの森。本当は谷をもう少し歩いて洞窟を通らなくちゃならないけど楽だから転移装置で来ちゃいました。」
なるほど。転移と言われると別のものが思い浮かぶが、まあそれは置いておこう。そこから真っ直ぐ獣道のようなところを通って森を抜けた。突然開けたところに出る、日光が眩しい。目が慣れて来て、村が見えた。そこにあったのは確かに村、けれど…
「これも人間がやったんだよな。」
建物は崩れ、荒らされ、壊され、時々メリスの死体や血も見えた。
「これを見てあなたは何を感じた?」
「うまい言葉が見つからない…。」
ただ確かに俺の中で王国への信用の天秤は疑いの方に傾き始めていた。
複雑そうな表情で彼女は頷き、人差し指と中指を自分の頭に触れさせ、素早く離し、そこから出て来た黒い塊を俺に差し出した。
「この時の私の記憶よ。頭に触れさせて。」
受け取った塊は見た目からは想像できないほど軽かった。恐る恐る頭に押し込むように触れさせて見る。
バチッバチッと目の前が二度光り真っ暗になり、再びゆっくりと目の前が明るくなって、やがて村が見えてくる。先程の村で間違いないと思うのだが、そこにあったのは平和な日常そのものだった。メリスが沢山いる。各々洗濯や料理など日々の仕事に従事している。
ん?森から何か来る。服装から恐らく王国軍で間違いないと思う。メリスの長老のような人が丁寧に出迎えようとしている。と、おもむろに軍の最前列にいた人物がエレキライフルのような銃器を長老に向けた。激しい発砲音とともに長老が倒れる。それを皮切りに軍の他のメンバーも攻撃を始めた。次々とメリスが撃たれ、家が燃やされ破壊され、金品を奪われ、村は崩壊した。はじめに長老を撃ち殺した奴が自らが殺めた骸の前に立ち、その横に旗を突き立てた。旗に刻まれた紋様を見た途端、息が止まった。
気がつくと俺は元いたところに戻っていた。呼吸は荒くなり自分でもわかるほど目は見開かれ、身体中の毛穴から冷や汗が止まらない。
「あれは…、王国の新境地開拓旗じゃないか…。」
そう。俺は今確信した。メリス狩り奨励もメリスが危険だという話も何もかも王国の身勝手な領土拡張のための侵略を助長するためのもの。そこにあったのは文明大国の平和と繁栄ではなく、汚らしい権力のねじ曲がった欲望と平和の死だった。
「ここは元々私の一族、セリアスラが統括していた場所だったの。セリアスラの谷は私たちの一族からとった名前よ。これが真実、北アメリカから移動して来た私の仲間は私以外全滅した。今もメリスはどんどん数を減らしているわ。このままでは滅亡は間違いな…。」
話が止まったと思うと慌てた様子で俺の手を引きリリアは家の残骸の陰に俺を引き込む。彼女の手は汗でじっとりと湿っている。何事かと辺りを見回した俺の目に入ったそれは、俺の中に激しい憎悪を生んだ。
「あいつら…。」
王国軍の小部隊が新たな領土での建設計画なんかを練っているようだった。だが感情だけでどうなるものじゃない。今俺はメリスと一緒にいる。恐らく、見つかってリリアを差し出さなければ小部隊と言えど王国軍、勝ち目はない。俺も処刑されるだろう。とにかく今は逃げなければ。リリアの手を掴んで一旦離れようとした時、
「おい!」
後ろから呼び止められた。驚いて振り向くと青と白の軍服を纏った男がいた。ああクソ、軍のやつだ。
「お前、そこで何してる…ん?お前その歳でなかなかやるな、そいつはメリスじゃないか。しかも生きていやがる。今すぐそいつを差し出せば金をやる。俺の隊の隊長に申し出るといい。普通より多く報酬がもらえるかもしれんぞ。だが…拒否するようであれば反逆と見なす。その意味がわかるな?」
大人しく従えば金、逆らえば死か。まさに天国と地獄って訳だ。今持ってる武器と仲間の人数からして目の前の一人は倒せたとしても他の奴らから逃げられるかどうかは分からない、勝算の低い賭け…か。よし、答えは決まった。いや、初めから決まっていたのかもしれない。俺はリリアの背中を押し男へ近づける。振り向いたリリアは優しく微笑んだ。
「よし、お前は今賢明な選択をした。ほら、約束の金をやろう。」
俺は金を受け取り、ニヤリと笑ってこう言った。
「くたばれ、王国の犬め。」
刹那、エレキライフルを構え、引き金を引く。弾は奴の肩を貫く。軍服の野郎が飛んでいくのを見ながらリリアの手を握って走り出す。後ろでわあわあわめきながら走ってくる音が聞こえる。時折ビームやら手榴弾やらが飛んでくるのをうまくかわしながら必死に走る。リリアが叫ぶ。
「さっき転移してきた所のもう少し奥まで走って!別の転移装置があるはず!」
頷きながら彼女の手をしっかり握り直す。握り返してきた手には心地よい温もりがあった。木の枝を掻き分けながら進むと、例の石塔と同じものが見えてきた。リリアが走りながらまた何かを唱えて二人で球に飛び込む。スパーク…、俺たちは初めの転移装置の所へ転がり出た。息が整うのを待って、彼女に聞いた。
「俺があいつの方に押しやった時どうして笑ってたんだ?」
「この人は信じられるって直感かな。あなたならきっと裏切らないって思ったから。助けてくれてありがとう。」
今のリリアの表情はまさしく屈託のない笑顔だった。
リリアの尻尾を隠して谷を出て、俺のフライジェットで家まで帰った。荷物を整えフライジェットに積み込み、夜中に王国を出ることになった。国家裁判で解決する手も考えたが、成功と失敗、それぞれの可能性を考えれば、王国兵を一人撃ってしまっていることもあり、失敗に大きく傾くのはほぼ確実だ。話し合いは諦めることにした。荷物の準備をしている時にリリアが俺に尋ねた。
「そうだ。そういえばまだ名前聞いてなかったよね。長い付き合いになりそうだし、教えてよ。」
「柳葉玲司、よろしく。」
これで俺は王国のお尋ね者になってしまったわけだが、後悔はない。
「俺がこのイカれた世の中を変えてみせる。」
固く心に誓った。