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恋カモ  作者: 夏みかん
第1章 カモフラージュの恋
6/12

彼氏の立場

湯船に浸かりながらぼんやりと天井を眺めていた。今日、2時間ほど美由紀と話しこんだことを思い出し、真遊の表情はどこか暗さを増していった。



「あっつ~い・・・夏はこれだから・・・嫌い」


赤いTシャツに短パン姿の美由紀がソーダ味のアイスキャンデーを食べながらそうぼやいていた。横に並んで歩いている龍十はうんざりした顔をしつつ白いTシャツの袖をさらにめくり上げるようにして日影を選んだ。容赦なく照り付けてくる陽光に汗が滲み出る。本屋に行った際にたまたま出会った美由紀とはクラスも同じだけあってそれなりに仲はいいものの、友達止まりの関係で終わっている状態だった。悪態をつけるいい関係であり、周囲からの冷やかしも多少ある程度の関係。それが2人の関係だった。


「あーあ・・・真遊に会いたい」

「先週、握手会に行ったろ?」

「うーん・・・そうなんだけどさぁ」

「大体、女が女に入れ込みすぎなんだよ」

「そういうあんただって・・・」


そこで美由紀の言葉が途切れた。いや、途切れさせる悲鳴が響いたからだ。すぐ横の家から聞こえた女性の悲鳴と同時に、手にサバイバルナイフを持ったアジア人と思しき男が血に濡れた服をそのままに飛び出してきた。周囲の家も夏であるために戸を開けっぱなしにしているせいか、すぐに人が飛び出してくる。だが、男はアイスを落として怯えている美由紀に気がついて腕を伸ばしてきた。その腕が不意に真上に上がる。本人の意思ではない何かが作用した結果であり、それをやってのけたのが目の前の少年だと気づいた時には右手のナイフを突き出していた。咄嗟にそれを避けた龍十だったが、逃げるために美由紀の手を引いたせいでワンテンポ遅れてしまう。そのため、龍十の背中が赤く染まっていった。大きく切り裂かれた右の背中をかばう龍十はそれでも美由紀を突き飛ばして男から守ろうと懸命に動いていた。だからか、数度の攻撃を背中に受けて倒れこんでしまう。白いTシャツは無残な形になり、そして色が赤に変わってしまった。傷のせいか体が上手く動かせない龍十に馬乗りになった男の目はもう正常ではなかった。どこの国の言語かわからない言葉を口にしつつ、龍十の右頬にあてがったナイフを徐々に深く刺しながら顎の方へと移動させていく。恐怖で動けない美由紀、異様な状態に近づけない近所の人たち。そんな中、仰向けになりながら両足の底を地面につけ、龍十が震える右拳を男の胸にそっと添えるようにしてみせた。その瞬間、男の体が仰け反る。かなりの衝撃を受けたようなその反り返りだが、それに耐えた男は悪鬼の顔で龍十の頭目掛けてナイフを振り下ろす体勢に入った。龍十は未熟な自分の腕前に舌打ちしつつ背中の傷のせいで意識が朦朧とする中、右手の人差し指だけを立ててそこに力を込めた。男が大きくナイフを振りかぶった時、龍十は一瞬だけ上半身を起こして右手の人差し指を男の喉に突き刺した。指全てが喉に消える。男はナイフを落として苦しみもがき、龍十が指を引き抜いたそこから鮮血が勢い良く噴出した。血まみれの男はそのまま地面に倒れこんで暴れ回り、やがてその動きを止める。虚ろな目で青い空を見上げる返り血だらけの龍十は温かさを保った右手の人差し指に残った感触を不快感に変えていた。幼い頃に近所の老人から教わった武術。暗殺術だと知りながらも、偶然にその技を見て憧れを抱いたあの日から今日まで体を鍛えてきた。まだまだ未完成だった技で美由紀に迫る腕の向きは変えられたが、馬乗りから相手を吹き飛ばすまでには至らなかった。本来であれば、しっかりと地面を踏みしめてさえいれば最小限の動きで最大限の威力を発揮できる『おぼろ』と呼ばれるその技であればその時点で男を吹き飛ばして勝利していたはずだ。だがまだ力の伝達が上手くいかずに中途半端に終わってしまったことを反省する。それでも、指を徹底的に鍛えた甲斐はあったと思う。だから、『きり』によって相手の喉を突き破り、致命傷を与えることができたのだから。薄く微笑んだ龍十はそのまま気を失い、次に気が付いた時は病院のベッドの上だった。だからか、あの後で美由紀がどんなに錯乱したか、精神的にダメージを受けてしまったかを知ったのは事件から随分経った後のことだった。



犯人の男は重度の薬物中毒者であり、不法入国したアジア人であることが判明した。強盗に入った家で抵抗され、その場で老夫婦を殺害し、外に出たところで美由紀を見て襲い掛かったということらしかった。結局犯人は死亡し、龍十の行動は正当防衛だとして罪に問われることはなかった。近所の主婦たちの目撃もあり、それはすんなりと認められたそうだ。しかしながら背中の傷は深く、夏休みをすべて病院で過ごした龍十に両親は献身的になってくれた。ただ、美由紀に関しては元気だとしか教えてくれず、それが嘘であることは龍十にも分かっているもののどうしようもない状態にあった。そうして新学期、どうにか退院できた龍十は3日遅れで登校し、そこで初めて美由紀の状態を知ることになったのだ。男に襲われたショック、血まみれの龍十を見たショック、そして目の前で人が死んだショックによるPTSDで入院中である事実、そしてそのショックによる顔面麻痺まどを引き起こしているらしい。守ろうとした自分がそれらの要因を作ってしまった事実に酷く落ち込んだ龍十だったものの、それでも明るく振舞っていた。それが周囲にとって逆効果になるとは知らず。その後、一ヶ月ほどして、人殺しだという悪口が始まった。そして疎遠になる友達。たとえ正当防衛であっても、意図的に人を殺したという事実に反論もろくにできない龍十の精神は疲弊していくばかりだった。それに加えて女子からの陰湿な陰口もあった。明るくて面倒見が良かった人気者の美由紀を廃人同然にしたというレッテルもまた龍十を追いつめていくことになる。これらによって徐々に塞ぎこんでいった龍十だったが、両親の支えもあってそれでも懸命に登校は続けていた。だが、その2ヵ月後に大きな事件が起こったのだ。龍十の両親に敵意を持っていた主婦がネチネチと母親を攻撃し始めたのだ。殺す必要はなかった相手をわざと殺しただの、あえて正当防衛にするために怪我をしてから反撃しただの、挙句には美由紀への嫌がらせのためにした行動などと吹聴して回ったのだ。仕事で昼間はいない夫にそれらを言っても解決策も出ず、徐々に母親の精神は崩れ始めていった。あれほど献身的でかばってくれていた母親が豹変し出し、龍十を罵るようになっていったのだ。やがては暴力沙汰になり、精神科医に懸かるようになってしまう。それでも卒業までは周囲の攻撃にも耐え忍び、精神を回復させた美由紀の行動もあって龍十の精神までは破壊されずに済んだものの、世捨て人のような考えを抱くようになって今に至っているという。



「まぁ、私がもっと早く回復していればなんとかなったんだろうけど・・・やっぱ、いろいろショックだった。勿論、あいつが犯人を殺したことに関してはあれでいいと思ってる。だって、そうしないとあいつも、私も死んでただろうしね」


コーヒーカップに入れたスプーンをくるくる回しながら過去の事件をすべて話し終えた美由紀の表情は暗いものになっていた。思った以上にまともな話だと思う真遊だが、自分同様、周囲の勝手な心無い言葉で傷ついてしまった龍十を思うと涙が出そうになってくる。


「あいつのお母さんね、元々繊細な人だったから・・・だから、今でも医者に懸かりっきりみたい。お父さんが周囲から少しでも離れて暮らせばお互いにいいだろうって、だから1人暮らししてるんだよ。まぁ、私は復帰したのが3年生になってすぐだったからね・・・その頃にはあいつはもう孤立してたし、寡黙でクールで、世の中を冷めた目で見る状態になってた。疎遠になったのはあいつからだし、私はもう何も言えなかったしね」

「そうだったんですか」

「うん。私はもう平気なんだけどさ・・・やっぱ、あいつの方が心に深い傷を負ってたし、ずっと疎遠になってたから心配してたんだよ」


復帰してしばらくはメールでのやりとりはしていたが徐々にその回数も減っていき、やがて龍十からの返事が無くなったのだという。会話もままならず、そのまま疎遠になって今に至っているものの、今日再会できたことは素直に嬉しかったと美由紀は語った。


「しかもあいつが大ファンだった舞浜真遊が彼女なんだもんね。あいつにとっちゃ、なによりのリハビリだ。あ、それは真遊に失礼だよね」


そう言ってカラカラと笑う美由紀の言葉にきょとんとしてしまった。今、なんと言ったのか。


「大ファンって・・・それは美由紀さんでは?」

「あー、あいつもそうだったんだよ。元々は私が無理矢理、ほら、上野でライブやったじゃん?あれに付き合わせてさ、そしたらあいつも真遊真遊言ってた。ありゃ絶対真遊でエロいこと想像してたと思うよ。それが今は彼女だもんね」


ニヘラと笑う美由紀がPTSDで顔面麻痺まで患ったとは思えないほどの笑顔だ。愛想笑いをしつつ、そんな素振りすら見せないでいる龍十に少し感心してしまった。だが、なら何故それを口にしないのか。大体、真遊の名前も知らなかった龍十だが、それも嘘だったことになる。今回の件に関してもファンだった自分が追いつめられていたから助けてくれたのだろうかとも思う。周囲の人間に対する嫌がらせを受けている真遊に自分の過去を照らした結果なのかはわからない。だが、龍十が言った助ける理由が実は嘘なのだと分かった真遊は心の奥底から温かくなるような気持ちになっていた。ゲイというのも嘘だろう。自分を安心させるためにそう言った優しい嘘の数々に心が温かくなる。


「あいつを大事にしてあげてね?」

「された分、そうしたいですね」

「されてんだ?」

「多分」


偽装なだけにはっきり言い切れないが、それでも大事にされていると思う。危機に陥った自分を助けてくれているのだ、それは間違いないと思えた。


「あいつ、幸せ者だなぁ」


にんまりと笑う美由紀に微笑を返す真遊。そんな真遊を見て心底安心したのか、美由紀はふぅっと大きなため息をついた。


「あー、でも、私がいろいろ言ったことは内緒ね。怒ると思うし、余計にへそ曲げるかもだし」

「言いません。切り札に取っておきます」

「それいいね!」


そう言って笑いあった。その後、携帯の番号とアドレス交換をし、真遊の制止を振り切ってお茶代を支払った美由紀と別れて家路についた。いろいろ考えることが多すぎて困る。遅くなったことで父親から少し怒られてしまったが、それもどこか上の空で食事を済ませ、入浴に至っていた。



天井を見上げるようにすれば、雫が水面に落ちて波紋を作る。その波紋を見つめつつ、龍十のことへと考えを巡らせた。壮絶な過去の事件を乗り越えて今を生きている龍十だが、だからこそ真遊の心情を理解していたのだろう。ファンだった自分が追いつめられている様を見て、他人との係わり合いを断つことで自分を保ち、孤独を貫いていたにも関わらず助け舟を出したのだ。その理由が周囲に対する苛立ちからというのも本当なのだろう。だが、美由紀の言葉通りならば、ファンだった少女に対する行動力から来たものだったのかもしれない。偽装恋愛関係、つまりは真遊の噂を流した人物を特定し、真相を明らかに出来た時点でその関係も終わってしまう。だが、本当にそれでいいのだろうか。もちろん、今は彼に対する恋愛感情はない。友達としての関係だと思っているし、それは間違いない。今はただ1つの目標に向かって手を組んでいる同志なのだから。勢い良く立ち上がり、湯船から出る。今日、美由紀に出会えた幸運を喜びつつ、龍十に対して少しでも恩を返せるよう頑張ろうと思う真遊だった。



手渡された弁当を開けば、肉や野菜のぎっしり詰まった美味しそうな具材が光り輝いていた。真遊のそれよりも二周りは大きいその弁当箱は父親のものだとわかった。


「どう?」


見た目はかなり良さげだが、問題は味である。


「見た目はいいと思う」


ぶっきらぼうな言い方だが腹は立たない。これが龍十なのだと理解しているからだ。


「でっしょ~!ささ、食べてみて!まずから揚げさんからね」


何故から揚げに『さん』を付けるのか、何故食べる物を指定するのかという疑問はさておき、龍十は箸を手に取るといただきますと口にしてからから揚げをひょいと摘み上げた。目を輝かせる真遊の視線に戸惑いながらもそれを口の中に入れてもぐもぐと噛み締める。胸の前で拳を握る真遊の期待の目を無視し、その味を堪能してから飲み込んだ。


「どう?」

「濃い」

「ん?」

「味が濃い」


そう言い、今度は野菜炒めを口にする。


「これも濃い」

「・・・・・・・マジ?」

「ああ」

「嘘ぉ!」


そう言い、真遊は自分のから揚げも一口食べてみた。揚がり具合は絶妙だったものの、龍十の言う通り味が濃いと思う。がっくりとうなだれる真遊に苦笑を漏らしながら、龍十はパクパクと弁当を食べていった。


「ご飯以外は全部濃いな」


はっきりとそう言う龍十をじとっと睨みつつ、自分でも濃いと思う弁当を食べる。


「明日は!明日リベンジするから!」

「明日もか?」

「週に2回なら、今日と明日しかないじゃん!」


怒った口調でそう言いながら、自分の弁当を食べていく真遊に苦笑を濃くした龍十は綺麗に全部平らげてお茶を飲んだ。


「期待してるから、明日」


ぶっきらぼうにそう言った言葉に龍十を見つめる真遊の表情が徐々に緩んでいく。


「うん、期待してて!絶対美味しいって言わせてみせるから!」

「あいよ」


龍十が弁当箱を包み終えたそれをひったくるようにした真遊がべーっと舌を出す。それを見て苦笑ではなく微笑を浮かべた龍十に少し赤面する自分を笑う真遊だった。



仲良く愛妻弁当とは、心でそう思う梨理香だったが言葉には出さない。もう最近の真遊には興味がなくなっていた。この間までは現役アイドルである自分がことごとく元アイドルであった真遊と比較され、真遊の方が可愛かった等といったインターネットの書き込みを見て憤慨していたものだが、今は違う。真遊は噂によって孤立し、彼女の友達は皆自分側に付いている。男子も色目でしか真遊を見ず、嫌われ者同士がカップルになって傷を舐めあっているだけなのだ。だからか、その優越感だけで充分満たされていた。半年前、噂が流れ出した頃にあった匿名の電話からの真遊イジメの案を実行しただけでこれだ。その効果覿面さに驚きを隠せなかったが、もうどうでもいいのだ。勝手にしろと思うだけ。かといって孤立させ続けることには変わりは無い。いかに龍十がバックにいようとも、だ。ただ気になるのは龍十が口にしたあの2人の名前。何故あいつがそれを知っているのかと思う。それは脅威であり、また自分にとって最大の弱点でもあるために警戒を怠ることは許されない。そう、今の梨理香にとって真遊よりも龍十の動きが重要になっていた。そしてそれこそが龍十の梨理香への牽制であり、真遊への意識を逸らせる作戦でもあったのだった。



真遊の弁当は日に日に美味しくなり、2週間が経過するころにはかなり上達して満足のいくものになっていた。濃すぎた反省から薄口になり、それを気にするあまり味に偏りが出るなどしていたが、10月半ば現在、龍十にとって真遊の弁当は楽しみに変わっていた。相変わらず女子からの無視は続き、男子からは誘われることはなくなったもののやらしい目で見られることは続いていた。それでも真遊の彼氏が龍十ということでかなりの牽制になっており、あれほど嫌だった日常が元の楽しさを取り戻していることが何より嬉しかった。ただ休日に出かけるということがほとんど無いだけで、あとは偽装だとは思えないほどの仲の良さをみせているのだった。休日は真遊が龍十の家に通うか、または近くの公園をブラブラする程度でしかない。そこを不満に感じる真遊が何度かまともなデートを提案するものの、偽装は偽装なのだからとつっぱねる龍十という構図から外れることはなかった。それがどこか寂しく思う真遊は時々バイト中の龍十の元を訪れるようになっていた。会員になってDVDを借り、それを返しに行くことで会う頻度を高めたのだった。何故そうしたのか自分でもよくわかっていない。ただ、そうしたいという気持ちが先行しての行動だ。そして10月から金曜日のバイト終了時間が9時までに短縮された龍十と一緒にご飯を食べるようにもなっていた。両親を説得した結果だったが、父親が長期出張になったこともそうなった原因だった。母親は娘に理解を示しつつ、きちんと10時までに家に送り届ける龍十に好感を得ていたのだ。もちろん龍十とは偽装恋人の関係であるとは明かしていない。龍十もまた真遊の両親にちゃんと挨拶していたことが好感を得る要因にもなっていた。そして季節は移ろう11月、もうすっかり秋、ではなく、今年は一足早い寒波が到来していた。時間まであと5分となったところで目の前にあるコーヒーショップから出た真遊は厚着をしてもなお寒いために体を揺らしながら龍十が出てくるのを待っていた。雪こそまだ早いが、それでも真冬並みの寒さだ。


「真遊じゃん!」


嬉々としたその声に聞き覚えがあるためか、真遊は渋い顔をしつつそちらの方へと顔を向けた。そこにいたのは3人の男であり、うち1人は良く知っている人物である。


「マジで舞浜真遊じゃん!」

「かわえぇ~」


見るからにチャラチャラした感じの茶色で長めの髪に細い眉毛をした風貌に嫌悪感を抱く。いや、一番嫌悪感を抱いて止まないのは自分に声を掛けてきた男にだ。


「有明君」

「んな他人行儀な・・・ナイトでいいよ、昔みたいにさぁ」


そう言い、元彼である有明騎士が馴れ馴れしく真遊の肩を抱こうとするも、真遊はすっとそれを避けた。その動きを見て後ろの2人がゲラゲラと笑うが、そっちを振り返った騎士はニヤニヤしつつ肩をすくめてみせた。


「で、こんなところで何やってんの?もしかして客引き、とか?お前、売りしまくってるらしいし」


その言葉に後ろの2人もますます笑う。真遊は体をビクつかせ、驚いた顔をしてみせた。かなり離れた場所にある高校に通っている騎士が何故噂のことを知っているのだろうか。別の高校に進学した中学時代の友達といい、どこまでの範囲で噂が広がっているかわからず動揺する真遊の腕を騎士が掴んだ。


「なら俺らが買ってやるよ。心配すんなって、お前の感じるところは全部知ってるし。なんせ俺が開発したんだからよ」


そう言い、騎士の顔がニヤついたものに変化したときだった。


「それは一番女に嫌われるタイプの台詞だな」


低めの声に真遊の表情が変わった。真遊の背後からしたその声は龍十のものだったからだ。


「あぁん?お前、なに?」

「彼女の噂は知っていても、俺の噂は知らないのか?」

「あ?知るわけねーし」

「そうか・・・なら、彼女の噂は誰から仕入れた?」

「お前に言う必要ねーしな」


そう言い、笑う。それでも一歩踏み出した龍十が真遊を掴んでいた騎士の右手首をがっちりと握った。


「なら、無理矢理言わせるとしよう」


有無を言わせぬ鋼の一言と共に握った腕に力が込められる。真遊の手を離した騎士の右手首辺りでブツリという音が響いた。同時に絶叫する騎士、そしてポケットからナイフを出す2人。


「こんな通りでナイフ出すバカがいるのか?」


そのナイフを見て怯えつつ、真遊は美由紀の話を思い出していた。龍十にとってもトラウマの事件、それを。だが龍十は顔色も表情も変えず、握っていた騎士の腕を解放する。朱に染まった原因は龍十の掌か、それとも騎士の右手首か。騎士は左手で右手首を押さえつつ脂汗を流すのみだ。


「台場君!」


2人の時は龍ちゃんと呼んでいたが、さすがにこの状況ではそう呼べない。心配する真遊をよそに、右手を軽く挙げた矢先だった。1人がナイフを突き出す素振りを見せる。だが龍十は動じず、素早く相手の懐に飛び込むとナイフを持った相手の右手首を掴み、自身の右拳を相手の顎から下数センチ手前に添えるようにした。そしてその拳が顎に向かって少しだけ進んだ瞬間、男の顔が跳ね上がった。まるで強烈なパンチを顎に受けたかのような動きを見せつつ背中から地面に倒れこんだ男は白目を剥いている。それを見て呆然としていたもう1人に詰め寄った龍十がそっと相手のわき腹付近に右拳を添えた。そしてまた数センチだけゆっくりと進む。たったそれだけなのに相手は吹き飛び、わき腹を押さえて悶絶してしまった。右手首から血を流しつつ呆然としている騎士に迫る龍十は表情のないまま怯えた顔をする騎士を見下ろした。


「何故、どこで彼女の噂のことを知った?」

「で、電話があったんだ・・・・」


怯えきった今の騎士に反撃したり逆らったりする気力などない。従順に返事をするだけだ。


「電話?」

「男の声で・・・・真遊が売りをしまくっているから抱いてやれって」

「いつ?」

「半月ほど前だ・・・・そん時は他に女もいたから・・・でもあちこちでそういう噂を聞くし、そういう電話があったって聞いたし、それで」

「仲間と一緒に彼女を狙いにきたのか?そいつの言葉を真に受けてのこのこと?」

「買いにきたんだよ!売りしてるってんだから!」

「それはデマだ。元彼なら、それぐらいわかるだろう?」


見下ろすその目は冷たい。人を殺せる目、そんな風に見えた。騎士は怯えきり、後ずさりつつある。


「声が・・・その声が、なんか信ぴょう性があって、それで・・・」

「もう行け。そして噂をしている奴らに伝えろ。舞浜真遊は売りなどしない。噂は所詮くだらない噂だとな・・・それと、彼女の彼氏は強い、だから変な気は起こすな、ともな」


冷たい目を細めたその表情、その身も凍る口調に何度も頷き、騎士は仲間を引き連れて去って行った。人通りが全くなかったのが幸運だったこともあり、龍十は怯える真遊の手を引いてその場を足早に立ち去った。そのまま近くの公園に行くと血に濡れた右手を丁寧に洗っていく。凍えるような冷たい水に震えながらも洗い終え、そのまま真遊がそっと差し出したハンカチを受け取って水滴を拭いた。


「悪かったな・・・怖かったろ?」


過去のトラウマからか、それとも美由紀にできなかったケアをするためか、ハンカチを返しつつ優しい口調でそう言うが、真遊は小さく微笑んで首を横に振った。


「怖かったけど、怖くなかった。あいつらに絡まれたことが怖くて、台場君は怖く無かったよ」


美由紀から事件のことを聞いているせいかと思うが、その言葉に嘘はないと思う表情に頷く。上っ面ではない、本当の笑みがそこにあったからだ。


「でも、何なの、あの技・・・どうやったらあんな風に?」

「それより、今回の襲撃で確かなことがわかった」

「え?」


自分の質問は上手くかわされたものの、龍十の言葉にそちらに興味が沸いた。龍十は冷え切った手をポケットに入れ、寒そうにしながら真正面に真遊を置く形で向き直った。


「電話であいつらをけしかけたのが犯人だ。ほかにも、中学時代の君の友達にも、だろう」

「でも、だからってそれで噂を鵜呑みに?」

「おそらく心理的に上手い言い方をするんだろう。計算された、催眠術のような能力、とでも言うのか。あるいは暗示、か」

「言葉による洗脳ってこと?それも電話で?」

「ある種の洗脳かもしれない。巧みな言葉で心理に揺さぶりをかけ、それが真実であるように語る。詐欺師なんかの手口みたいなもんだ」


納得はできるが、本当にそんなことが可能なのだろうか。だが現に知人全てに無視されている今の情況を鑑みれば、それが本当だと思わざるを得ない。


「そして、それをした犯人はおそらく、お前と同じ中学に在籍していた男」


はっきりそう断定した龍十に身震いをする。


「俺たちのいる九神志高校の生徒かどうかまでは断定できないが、その可能性は高い」


つまり、真遊の中学出身者で同じ学校に在籍している男子が犯人となれば、その断定は容易いものとなる。だが、そういう生徒は多い。少なくとも10人はいるはずだ。


「けど、思った以上に早く動きを見せたな」


そう呟き、龍十はにやりと微笑む。


「どういうこと?」

「痺れを切らせたんだ・・・俺たちの関係を見て、安定しきった日常を見てな」

「安定?」

「お前の精神だよ。追いつめられていた頃の舞浜真遊はもういない、だから焦ったんだ」


確かにそうだ。今は龍十がいる、それだけで毎日が充実していた。友達がいない寂しさもあれど、かといってそれが苦痛ではない。それが龍十に対する信頼でもあることに気づいてはいないものの、真遊の中における龍十のウェイトはかなり大きいのだ。


「焦ってボロを出した・・・解決は近いかもしれん」

「動くかな?」

「今日のことで慎重になるかもしれんが、八方塞なことには変わりないからな・・・遅かれ早かれ動くさ」


自信に満ちた顔をしてそう言う龍十が寒そうにしている姿がどこか滑稽だった。だからか、真遊はそっと龍十を抱きしめるようにしてみせる。思わぬ行動だったのか、硬直した龍十に対して微笑が漏れる。


「ありがとう、助けてくれて」

「そういう約束だから」

「ううん・・・ありがとう」


顔を上げた真遊の笑顔に顔を赤くした龍十がそっぽを向く。それを見て悪戯な笑みを浮かべた真遊は抱きしめている腕に力を込めた。


「さぁ、もう行くぞ・・・飯を食う時間がなくなる」


その言葉にゆっくりと体を離した真遊がそっと龍十の右手を握った。さっきまで騎士の血で濡れていた手を。だからか、龍十はそれを振りほどこうと手を動かすものの、がっちり掴んで離さない真遊に諦めてされるがままにするのだった。


「行こっ!」

「・・・・飯、どうする?」

「龍ちゃんの家で適当に食べるしかないね」

「30分ほどしかないけどな」

「充分でしょ」


もう台場君とは呼びたくなかった。だから、手を繋いだまま2人は公園を後にした。冷たい龍十の手が真遊の温かさをはっきりと感じ取っている。偽装恋人なのに、そう思う2人だったがそのままの状態で家まで歩いた。龍十の言葉が本当なら、もうすぐこの関係も終わりを迎えるのだ。偽装の恋人関係、それによる繋がりが。真遊はそう考えてこみ上げてきた寂しさを振り払うように明るく努め、龍十もまたいつもとは違う穏やかな表情でそれに応えるのだった


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