近づく距離
2人で駅まで並んで歩いていた。夕方とはいえまだまだ暑く日も高い。9月だというのにまだまだ秋は遠いようだ。手を繋ぐことはないものの、肩が触れ合いそうな位置で並んでいる2人は初々しい状態をかもし出していた。
「また来てもいい?」
「好きにすればいい」
「じゃぁ毎週かな」
「・・・・隔週にしてくれ」
「毎週に決定しました」
笑う真遊、苦笑する龍十。つい昨日まではなかった状態が今はある。今日一日で2人の距離がぐっと近づいた気がするが、それはもちろん同盟上、偽装の上でのことだ。友達として深い仲になりつつある感じといったほうがいいか。真遊には龍十への恋愛感情はない。ただし友情は芽生え始めていた。助けてくれる理由が利己的なものであっても、救いの手はありがたい。チラッと龍十を見やった真遊の目に飛び込んできたのは頬を走る傷跡。もう少し仲良くなればその辺りのことを話してくれるかなと思うが、余計な詮索はすまいと決めた。どういう理由で人を殺したかはわからない。それでも、心の傷は大きいはずだ。今の自分に同情的なのもその延長かもしれないと思えた。
「いつかさ、いつか、もっと仲良くなれたら、龍ちゃんのことも聞きたい」
歩きながら前を見てそう言った真遊を見下ろすようにした。外にいる時はちゃんと龍ちゃんと呼ぶ真遊に感心しつつ、そのまま視線を前に戻した。
「聞いても、つまらないぞ」
「それでもいいよ・・・本音を言える友達は必要なんでしょ?」
自分の言った台詞をそのまま返されるとは思っていなかった龍十は苦笑を浮かべ、それを微笑に変えた。
「確かに」
「じゃぁ、約束ね?」
「約束はできない、けど、努力する」
「うん!」
とびきり笑顔の返事に龍十も微笑んだ。
*
舞浜真遊と台場龍十が付き合っている、それは周知の事実になっていった。休み時間、昼休み、放課後と2人でいればその信憑性は疑うこともなく、偽装恋人の関係は順調に周囲を欺いていった。9月が終わる頃には噂を理由に真遊に迫る者もいなくなり、梨理香たちも完全に無視を決め込んで接触すら完全に断つようになっていた。週末は真遊が龍十の家に足を運び、それを見た者がいたのでその関係の信憑性に拍車をかける。真遊は今の関係を楽しみつつ、それでいて不穏な動きがないかを注意するようになっていた。龍十は龍十で次の手を考えているらしく、今は相手の出方待ち、ということになっていた。そうして10月に突入する。今日も涼しくなってきた中庭で弁当を広げていると、パンを買ってきた龍十がそこに合流をする。見慣れた風景だけに、もう誰も注目などしなかった。
「あのさ・・・前から少し考えてたんだけどさ」
「ん?」
がさがさと袋を開けつつ目だけを真遊に向けた。相変わらずぶっきらぼうな言い方に態度だが、真遊にすればそれが龍十だと理解しているために気にもならなくなっていた。
「お弁当、作ってくるよ」
「いらん」
素っ気ないとしか言い様のない言葉だが、真遊は慣れている。
「でもさ・・・さすがに見ててどうかと思うし」
「パンでいい」
「彼女が手作り弁当用意するって、定番だよ?」
「じゃぁ聞くが、お前のそれは自分で作ったのか?」
「・・・・・違うけど」
「なら無理だろ」
「じゃぁ、私のも、龍ちゃんのも私が作る!それで文句ないでしょ?」
何故か怒る真遊の迫力に押されてか、咄嗟に頷いた自分を呪いたい。逆にニヤリとした真遊はさっそく好き嫌いの聞き取り調査を始めた。
「嫌いなものはある?」
「お前、本気か?」
「好きな食べ物は?」
龍十の質問は完全無視だ。仕方なく大きなため息をついた龍十は肉とだけ答えた。ニヤニヤが止まらない真遊をどう牽制するか思案しつつパンをかじる。
「じゃぁ、苦手なのは」
「お前」
「・・・・・・・そんなこと言っていいの?嫌いな物だけで弁当作るよ?」
「なら嘘を言えばすむ話だな」
「ほうほう、龍ちゃんはそういう人間か」
「そうだ」
「ふぅん・・・こんどケーキに下剤を入れてやる」
「なら紅茶に塩を入れてやる」
「ジュースは持参します」
「コップに塩いれといてやる」
そう言いながらパンを食べる龍十はふと言い返さない真遊に気がついてそっちへ視線を送った。てっきり怒っていると思っていたが、真遊の表情は緩んでいる。こういったくだらない言い合いが楽しい、そう思えるからだ。一ヶ月前の、あの精神崩壊寸前だった自分がこんなことを言って笑っていられる、それがどんなに幸せで楽しいことかを改めて痛感し、そしてそうさせてくれた龍十に感謝したい。だからこその弁当を作るという提案だったのだ。
「冗談抜きで作りたいの・・・だから、ね?」
優しい笑顔でそう言われては無碍に断ることもできない。ならばと、龍十からも提案をしてみた。
「毎日は作らなくていい。そっちの食費の負担になるから。週に2回でいい」
「んー・・・でも」
「そこは譲れない」
「わかった。でも食費は気にしないで。お父さんにがんばってもらうから」
その言葉に苦笑を漏らしつつも真遊の気持ちをありがたく受け取る気になった。
「嫌いな物は特にないから、別になんでもいい」
「うん、わかった。でも期待しないでね?」
「ああ、わかった。それに最初から期待してないしな」
その言葉に頬を膨れさせる真遊がキッと龍十を睨みつけた。龍十は苦笑を濃くしながらジュースを飲んでいる。
「絶対認めさせてやる!やる気出てきたぞぉ!みてなさい!絶対ぜぇったい、美味しいって言わせるから!」
むふーっと鼻から猛烈な勢いで息を吐き出す真遊を横目で見つつ微笑む龍十はどこからか自分たちに向けられている鋭い視線に気づきつつもそれを無視するのだった。
*
何故こうなったとイライラする。あと少しであの真遊を自分のものに出来ていたはずだ。つい一か月前には精神崩壊寸前にまで追い込み、それこそあと一週間もあれば彼女は完全に堕ちて自分に全てを許したはずだった。自分の異常な性癖を知った頃、自分の特異なものに気づいた。同時に押し入れの奥から曾祖父の残したある書物を見つけ、それを実践して身につけた。それ以来、自分はそれらを使って人を追い込み、自我を奪って意のままに操ってきたはずだった。アイドル時代からファンだった真遊を追い込んで自分のものにするべく動いてきた。SNSという便利なものも駆使して短期間で彼女を追い込んできた、はずだった。誤算だったのは、あの台場龍十という存在だ。あいつには自分の能力も通じない。他人を拒絶し、それでいて強い意志を持つ人間にはこの力は通じないからだ。だから次の策を練る。真遊を追いつめるための策を。
*
今日はバイトの日であるため真遊と別れて自宅に帰り、着替えを済ませて明日の準備をしてから出かけるのが常だった。駅前までは徒歩5分ということもあって時間ギリギリまでは余裕で過ごせるのだ。そうして店に行き、まずはレジを受け持つ。週末やクーポンによる割引の日を除けばそう忙しくもなく、1時間ほどレジをして今度は返却されたDVDの片付けに入った。今日は水曜日、週の真ん中とあってそれなりに人も多かった。
「すみません、アベンジャーズのDVDはどこですか?」
可愛らしい声に反応してしゃがんでDVDを片付けていた龍十が顔を上げれば、そこにいるのはニヤついた顔をした真遊だった。うんざりしたような疲れたような顔をし、真遊を無視して片づけを再開する。
「反応悪いわね」
「ひやかしならよそでやれ」
「彼氏の仕事っぷりを見に来たんだけど・・・もう来ないって安心しきった頃に来るこの策士ぶり、どう?」
腕組みをしてドヤ顔をする真遊に閉口するが、DVDをケースにしまった龍十は立ち上がるとさっさと真遊に背を向けた。だが、確かに真遊の言う通り油断しきっていた。もう来ないと思っていただけに、内心の動揺はなかなかのものだ。
「結構中は広いんだね?建物からしてもっと小さいんだと思ってた」
後ろから着いてくる真遊を無視して次のDVDの束を手に取った時だった。
「あれ?台場君じゃない!」
真横からそう声を掛けられ、そっちを向く。そこにいたのはショートカットの少女だった。茶色い髪をした可愛い少女に、真遊もまたきょとんとしてしまった。
「神田・・・・美由紀」
「右頬の傷見て、声かけちゃったけど・・・仕事中にゴメンね?」
店のエプロンをしているせいか、今が仕事中だとはすぐに分かる。龍十は抱えていたDVDの束を一旦棚に戻し、はにかんだ笑みを見せた。それを見た真遊の中で何かがざわめき出す。自分には見せたことのないその笑顔に言い知れない何かが胸の奥を刺激していた。
「元気そうだな」
「台場君もね」
そう言い、美由紀は笑った。それを見た龍十の顔が引き締まる。
「もう、大丈夫そうだな?」
「うん。もう大丈夫だよ・・・台場君のおかげ」
「俺は・・・」
「私のせいで、色々大変だったんでしょ?聞いたよ、お母さんとのこと」
その美由紀の言葉に困った顔をした龍十が顔を逸らし、その時になって真遊の存在を思い出した。
「龍ちゃん?」
そう声をかけた真遊の方に頭を巡らす美由紀の顔が驚きに変わった。
「舞浜真遊じゃん!いやぁ!私ファンだったんだよね!しかも龍ちゃんって・・・台場君の彼女?」
嬉々としてそう言う美由紀に頷くのが精一杯の真遊に対し、龍十は困った顔をしながらどうするかを思案していた。こんなところで、しかも真遊と一緒のところで美由紀と出会うことは予想外にもほどがある。美由紀と自分の関係が真遊に知られることを恐れた龍十が美由紀に声をかけようとした矢先、バイトの後輩に呼ばれて仕方なくそちらへと向かった。
「そっかぁ・・・あいつにもやっと彼女が・・・・うんうん、嬉しいよ。しかもあの真遊だもんね」
感慨深げにそう言う美由紀に笑顔を振りまきながらも、この美由紀と龍十の関係が気になって仕方が無い。ここはまっすぐにそれを聞いてみることにした。
「あの・・・龍ちゃんとはどんな?」
「ああ、心配しないで!元カノとかじゃないし。うーん、そうだなぁ・・・はっきり言えば、台場君は私の恩人かなぁ」
「恩人?」
「彼の過去、知ってる?」
「・・・ええ。でも詳しいことは何も」
「そっかぁ・・・あいつらしいね・・・・そうだ!外にコーヒーショップあるし、そこで話しない?」
「いいですよ」
「よしよし。じゃぁ、あいつが戻る前に行こう」
そう言い、美由紀は真遊の手を取ってさっさと店を出た。やっとこさ用事を済ませて戻ってきた龍十は店の中を歩いて2人を探すが、どこにも見当たらない。時既に遅しと観念しようとしたが、これだけはそうもいかなかった。かといってバイトを抜けられず、ジレンマに陥った龍十の今日の仕事ぶりは散々なものになってしまったのだった。
*
店に入ればそう人は多くなかった。美由紀がコーヒーを、真遊が紅茶をオーダーして席に着くや否や、美由紀はいかに自分が真遊のファンだったか、憧れていたかを熱く語り倒した。そして一息つき、ようやく本題へと入る。
「しかしあの舞浜真遊が台場君の彼女とはねぇ・・・告白はあいつから?」
「あ、んー・・・私、かな?」
とりあえずその方が説得力があると思いそう言うが、こういうこともまた打ち合わせしないといけないと思う。
「ほほぉ・・・さすが真遊、見る目あるね」
ニコニコしながらそう言う美由紀の言葉からして、龍十のことをよく理解していることがわかった。そう思うと何故か胸がムズムズするが、それは顔に出さない。
「でもあいつ、偏屈になったままだね・・・昔はもっとずっと明るかったんだけどね。まぁ、そうさせたのは私のせいなんだけど」
少々暗い顔を見せるが、口調はそのままだった。
「どういうことですか?」
人を殺した、その噂の核心に迫ることが出来る。真遊は身を乗り出さん勢いで美由紀に迫り、美由紀はそんな真遊に苦笑しつつも一旦間を置いた。
「私を守ろうとして、あいつは大怪我をした。顔と背中ね。んで、結果、人を殺した。でもね、正当防衛なんだよ・・・変な噂がそれを消しちゃってるけどさ」
「正当防衛?」
「・・・本当は、あいつの許可無く話しちゃいけないんだろうけど、真遊は知っておいた方がいいよ。今のあいつを好きになった真遊なら、知って欲しいし」
「うん」
そう言いながらも真遊の心は痛んだ。恋人同士、それは偽装。つまりは偽りのカップルである。美由紀をだまし、そんな美由紀が恋人だからと龍十に関する噂の真相を打ち明けようとしている。ここは素直に偽装のカップルだと打ち明けたほうがいいのではないかと思いつつ、それでも好奇心の方が勝ってしまっていた。
「私から聞いたって言ってくれていいからね。それに、そう言えばあいつは怒らないよ、きっとね」
ウィンクをした美由紀に微笑み返す真遊の中で何かがズキンと痛む。それがどういう意味を持つ痛みか、真遊にはまだ理解できないのであった。
*
10時になるのがもどかしかっただけあり、バイトが終わるや否や、店を出てすぐに真遊へと電話を掛ける。あの後、美由紀とどこかへ行き、過去のことを聞いたのではないかという不安が常にあったせいか、わずか3コールですら遅く感じてしまった。
『もしもし?』
「真遊か?」
『うん。どうしたの?』
「どうしたのって・・・・美由紀と一緒なのか?」
『ううん、今は家だよ。お風呂入るところ。美由紀さんとは9時前に別れたし』
「そうか」
『気になるんだ?』
楽しそうにそう言う真遊に動揺しつつもそこは平静を装った。そういうのは得意であるため、気づかれることは無い。
「別に」
『その割にはバイト終わってあわてて電話してきたくせに』
時間的にそう思うとはわかっていても、鋭いと思いつつ反応は返さない。
「美由紀と・・・」
そこまで言いかけた龍十の気持ちを察してか、彼が質問しようとした内容を予測して先に回答を口にする。
『美由紀さん、アイドル時代の私のファンだったんだって!だからいろいろ裏話とかしただけだよ。握手会にも来てくれたとか、もうね、ビックリした』
「ああ、あいつは特にお前の大ファンだったからな」
『・・・・うん』
少し反応が遅れたことでいろいろ考えを巡らすが、変に詮索して墓穴を掘りたくない龍十は黙り込んだ。だが、逆に全てを美由紀から聞いて知った真遊は笑いを堪えるのに必死になっている。
「それだけ?」
『うん。過去のことはね・・・聞かなかった。台場君の許可もないし、美由紀さんもそう言ってたし』
その言葉にホッと胸を撫で下ろす。さすがに美由紀も気を配ったのだと思うものの、策士としては龍十の上を行く美由紀の思考までは読みきれなかった。
「なら、いいんだ。すまなかった」
『ううん。気になるのも当然だと思うし』
「ああ」
『あ、そうそう!明日のお弁当、楽しみにしてて!』
「早速明日からかよ」
『にっひっひ!ひれ伏す姿が目に浮かぶよ』
「自分がか?」
『なんでよ!』
その突っ込みに龍十が笑った。何故かそれが嬉しくて、真遊は不貞腐れながらも笑ってしまう。
「楽しみにしとくよ」
『うん、してて』
その後は他愛のない話をして電話を切る。偽装なのに本当の恋人らしい会話に心が温まるような感じがするものの、それはそれで錯覚だと理解している龍十が電話をポケットにしまい、少し軽い足取りで家路に着くのだった。