8話
清々しい朝の陽射しがカーテンをすり抜け、部屋は電気もつけていないのに眩しいほど明るかった。春を感じさせるように部屋の中は暖かく、冬の寒さは不思議とどこかへ行ってしまったようだった。
ベッドから起き上がるとまだ夢の中にいるように私は感じた。そういえば、長い夢を見ていた気がする。長く、暗い、自由のない夢。そんな中で私は苦しんでいた。でも誰かが、とても大切な人が私の手を引っ張って暗闇から助けてくれた。
私は眠い目をこすりながら、ふと勉強机を見た。勉強机というよりも、私と輝希が写っている、中学校の卒業式の時に撮った写真を。私は笑顔で、輝希に体を寄せながらピースサインをしていた。それに対して輝希はカメラに目線があっていない…。
私はその写真立てを手に取って眺めていた。まだ半年と少ししか経っていないのに私にはこの写真がずっと昔のように感じられた。輝希と一緒に学校に行けるって喜んでたっけ…。そう思っていると、私の頬には温かい涙が流れていて、その涙は私に輝希がもうこの世にいない事を思い出させた。
後悔や寂しさといった感情が私の目を閉じさせ、うつむかせた。私が輝希と会うことはもう二度とない。そう思い、目を開けたとき、私の目の前には一輪のピンク色に染まった花が置かれていた。
忘れるはずもない、大切なスイートピーの花。私たちが小さい頃、輝希が泣いていた私にくれた花。
「輝希…私…」
なんでここにあるんだろうか?誰がこの花を置いたのか?そんなことは私は考えなかった。ただ私は行かなければいけないと感じた。あの公園に何がある?そんなことは知らない。そんなことは公園に着いたら分かるんだから。
私は服も着替えずにスニーカーだけを履いて外へ出た。このままレースをしても負ける気がしないほど体は軽く、私は速く走れた。
「はぁはぁ…」
何分走っただろうか…。でも、今の私にとっては距離なんて関係なかった。走り続ける限り、いつかは私はあの場所につけることを知っているから。
公園につくと、見渡す限りスイートピーの花が咲いていた。穏やかな光の下でピンク色のその花は輝いていた。
そして、その公園のベンチには輝希の姿があった。ずっと夢に見てた輝希。もう二度と会えないと思っていたのに、不思議と私は私が今見ている光景に驚きはしなかった。むしろ、感激と興奮が上回っていたのかもしれない。
私が輝希のもとへと近寄ると、輝希はベンチから立ち上がり私を優しく抱きしめてくれた。腕の中は寝てしまいそうになるくらい暖かく、もう何があっても大丈夫と思えるほど安心できた。
「やっぱり、俺には結しかいないよ。本当に好きだったんだ」
輝希は私の耳元で囁くように言った。
「会って最初の言葉がそれ?」
私はいきなりの告白に驚きながらも、少しにやけながら輝希に聞いた。
「ダメだった?俺が言える時に言っておこうと思って…」
「ううん…私も輝希の事、昔から好きだったんだよ」
「そっか…」
私たちはしばらく話さなかった。こうして抱きしめあって、輝希の静かな息、心臓の鼓動、輝希が今私の横にいるというだけで私は輝希のすべてを感じられる気がした。この一瞬、一秒でも長く、私はこうしていたいと願った。
でも、神に願いは届かない。輝希との別れの時が近づいていることは輝希が涙を流し始めたことで私は感じられた。
「結…俺はもう行かないといけない」
「輝希、私のせいで…ごめんね。本当にごめんなさい…」
輝希は私の体を優しく包み込んでいた腕を離し、今度は私の手を強く握りしめた。輝希のすんだ瞳は私を一心に見つめているのに対して私はごめんという言葉を繰り返すことしかできなかった。
「結、これは悲しいことじゃない。これまで一緒にいた時間、小学校、中学校、そしてこの半年、俺は結から有り余るくらい幸せな時間をもらったよ。ありがとうっていうだけじゃ足りないくらい俺は助けられたんだ」
「でも…私…」
「それに結、これは別れじゃない。俺たちは心で繋がってるんだよ。距離なんて関係ない。目で見えないくらい遠くにいても俺たちは感じられる。だから、最後の最後は笑顔で俺を見送ってくれ」
「うん…」
他の人からすればこの一瞬は何の変哲もない一時だろう。何の変化もなく、何も感じることのない。でも、確かに私はこの一瞬が長く感じられた。悲しいはずなのに何故か安心できて、暖かい。私の中の人生で最も長く短い時間だった。
輝希は真っ青な空から降り注ぐ太陽の光のように透明になっていきながら消えていった。
手には握りしめられて残った輝希の温もりが残っていた。もう輝希はいないのに、まだ私の手を握ってくれているように私は感じられる。悲しいことじゃない。その言葉が私の心を軽くし、私を輝希が眠っている病院へと足を運ばせた。
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あれから二年の月日が経った。この痛々しい冬の寒さは輝希がもうこの世にはいないと改めて感じさせる。
悲しいなんて思わない。私が今も輝希の事を近くにいるかのように鮮明に覚えていることに私は嬉しさを感じるべきなんだ。
そんな事を頭の中でちらつかせながら私は今勉強机に座り、大学受験に向けて勉強をしていた。
集中しないと。輝希のことを考えるはその後…。
しかし、私には考えないなんてことはできなかった。
「はぁ…ちょっと休憩」
私は机の上に長い時間放置してあり、すでに冷え切ってしまったお茶を手に立ち上がった。
窓からは一切の光も通っておらず、部屋は天井につけられたLEDライトで明るさを保っていた。
階段を下り、リビングにいたお父さんが話しかけてくる
「結、休憩か?」
「うん、ちょっと休憩」
「少し外にでも出てみたらどうだ?熱くなった頭も冷えて、目が覚めるんじゃないか?」
「うん…」
私は適当にお父さんに返事をしながら電子レンジの中へ冷たくなったマグカップを入れ、一分のボタンを押した。
ジャケットを羽織り、サンダルを履き、部屋着のままで外へと向かう
玄関のドアを開けると凍え切った空気が温まっていた玄関を急激に冷やした。空気は乾いており、息をするだけで喉が痛くなりそうだった。しかし、息をするたびに出る白い息は私がここにいることを実感させていた。そして家の周りには街頭が一本しかなく、家からの光でようやく足元が見えるくらいに暗かった。
日はすでに沈んでいたが、夜空からは綺麗な星々が輝いていた。その中でも丸い、少し欠けていた月は太陽の光を反射し、私たちへと光を送ってくれていた。そして、私は太陽が今も地球の近くにあることを感じる。どんなに遠くにいても、見えないほど遠くにあったとしても、太陽は私たちに光を与えてくれている。