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あなたがどこにいても  作者: 林 雅
7/8

7話

 徹が消えた後、三一三号室は何か大きく、大切なものが無くなったように感じられた。俺は少しの間上を向き、覚悟を決めた。

 ソファから立ち、結のお母さんとお父さんを避け、俺は勢いよく病室を出た。


 一月の冷たい空気、そんなものは何も気にならなかった。

 あと一日が俺がこの世にいられる限界…そんなのくそったれだ。だが、一日だけでも意識を保っていられたのは徹が言っていたように不幸中の幸いだった。結を助ける。責任感、そんなものを結から取り除くために俺はこの世に留まっている、それが俺の運命だと俺は思った。


「ああああああー」


 叫べ、走れ、息が続かなくなるまで。俺は一目散に走り続けた。俺が死にかけていること俺の中でははもうちっぽけな問題になっていた。結を助ける以外の事は何も見えてはいない。他の人が俺をどう見ようが、どう評価しようが、どう思っているか、そんなことはもう考えてはいなかった。


「はぁはぁ」


 俺は激しく脈打つ胸を右手で覆った。苦しい。息も出来なくなりそうだ。

 だが、俺の足は動き続ける。止まるな。その声が頭の中で繰り返され、俺に命令をする。俺よりも苦しいのは結の方なんだ。二日も引きこもってしまうほど、結は苦しいはずだ。今の俺よりも比べ物にならないほどに。

 そう思うだけで俺の体はまるで永遠に回り続ける水車のように動き続けた。


 俺が本気で息を切らすまで走り続けるのはいつぶりだろうか。俺は逃げていた。徹が言っていたように、俺は人間関係、勉強、運動、俺の評価が下がるもの全てから逃げてきていたんだ。そのうちに俺は挑戦することも諦めていた。結局成功しない、何をしても失敗する。そんな事をいつも思っていた。

 でも、今は違う。一日。この一日を走り続けないと俺はすべてを失う気がした。今まで逃げてきた小さなものよりも大きな大切な何かを失ってしまう。だから、俺は走り続ける。死ぬ気で、どれだけ苦しくても俺は前に向かって走り続ける。


 信号でさえ、俺を止めることは出来ない。この長い一本道、俺は走り続けた。


「…結、待ってろよ」


 俺の家と結の家、その二つの家には活気というものが感じられなかった。人が住んでいるとは思えないほどに静かで、何者も寄せ付けない雰囲気を俺は感じた。

 意識だけの俺が思い描いたからだろうか。結の家のドアは鍵がかかってはいなかった。ガシャリと音を立て、俺は結のいる部屋へと向かう。


 家の中へ入ると、結がいるとは思えないほど誰の気配も俺は感じられなかった。

 何年ぶりに結の家に来ただろうか…。もっと違う形で来たかったと俺はひそかに思った。


 俺の部屋の向かい側にある結の部屋は二階にある。階段を上がり、俺は何故かゆっくりと歩いていた。二階に上がった廊下の一番奥の部屋、昔と変わっていないのならそれが結の部屋だ。

 俺がドアを開けると、ベッドの上で横たわっている結の姿が目に入る。灰色の空に加え、カーテンが閉められているおかげで部屋は暗く、しんみりとしていた。


「結、どうしてここまで…」


 もちろん結はピクリとも動かない。しかし、たとえ俺の声が聞こえないとしても俺は自然と結に声をかけていた。

 結は写真立てを抱きしめ横たわっていた。俺の部屋にある同じ写真立て。中学校の卒業式の時に二人だけが写っている写真。俺は気付いていた。だが、気付いていないふりをしていたんだ。関係が壊れるのが嫌だ、周りに冷やかされる、結が変な目で見られる…。そんな言い訳を作ってまでして俺は結の気持ちからも逃げていたんだ。


「ごめん、結。気付いてたのに…」


 俺は泣きながら謝った。心の底からただただ謝っていた。結の手を両手で握りしめ、謝り続ける。

 目を開けると、そこにはもう何もなかった。見渡す限り何もなく、どの方向にも永遠と暗闇が続いていた。一瞬戸惑った俺だったが、すぐに理解することが出来た。今日の朝の夢、徹の話、それは全てこの一瞬に繋がっている。


 だが、そこには俺の見た夢の時のように誰かがいるわけではなかった。見仮も何もないはずなのに俺の体は見える、そんな奇妙な世界が俺の目の前には広がっていた。


「結!いるのか!」


 俺は結が返事をしてくれることを願いながら結の名前を叫び、暗闇の中を歩き始めた。俺がどの方向に歩いているのかも分からない。本当に結に会えるのかも分からなかった。

 暗闇は何もかも吸い込んでいくかのようだった。俺が歩く音、結を呼ぶ声、心臓の音、そして光、全ての物がこの空間には存在しないような気がしてくる。また、時間さえも暗闇によって捻じ曲げられているのかもしれない。俺は結の夢の中に来てどれほどの時間がたったのか。長いのか、短いのか。俺はそれさえも分からなかった。


 だが、俺は歩き続けた。

 感覚?そんなものどうでもいいんだ。でも、失ってはいけないものがこの世には存在する。だから、この何もない暗闇の中でも俺は一歩、また一歩と進むことが出来る。


「…。…。…だよ」

「…ん…」


 声がする。奥から誰か二人の声がする。

 俺は走り始めた。声が鮮明になり、大きくなっていくと同時に俺はその声達に近づいていることを実感した。

 

「大丈夫だよ。俺がついてるから。あんな奴らに言われたことなんて気にするなって」

「うん、輝希くん。ありがとう」


 ランドセルを背負った子供の頃の俺と結。背は小学二年生か三年生くらいだろうか。

 二人は今の俺たちと同じように肩を並べて話していた。ただ、似ているのは肩を並べていることだけで、目の前にいる二人は小さい体とは違い、自由で俺には大きく見えた。


「待って!」


 俺は二人に声をかけたが振り向かず、二人で闇の中へ消えていってしまった。

 

 少し歩くとまた声が聞こえてくる。懐かしい声。また二人だけの声だった。


「ねえ、輝希くん。由美ちゃんにね、結と輝希くんは付き合ってるの?って聞かれたんだけど、付き合ってるってどういうことか輝希くん知っとる?」

「え!い、いや、付き合うって何なんだろうね。俺たちはまだ知らなくていいでしょ」

「う~ん、そうなんかな~。輝希くんがそう言うなら…」


 小学四年生の俺たち。そうか、これは結の記憶が元となってるんだ。だから、小さい頃の俺たちが出てくるのか。


 その後も俺は暗闇の中を彷徨う中で結の記憶を辿っていった。小学校の時の俺たちは肩を並べ、何気なく話している。懐かしくも思えるが、なんだか最近のようにも感じる。そして、結の夢の中で俺は忘れていた記憶を取り戻しつつあった。結は勉強が苦手だったこと、運動も得意ではなく、クラスの中では地味な女の子だった。

 中学校に入って、結は変わった。クラスでは明るく周りに接するようになり、運動も勉強も苦手なのに頑張るようになった。そんな華やかになっている結を俺は本当の結だと思い込んでいたのかもしれない。これが本当の結だと。俺が結の邪魔をしているのだと。

 でも、結の夢の中は違っていた。いつも迷い、周りのことを考えて生きていた。そして、結の記憶の中には俺がいた。遠く、離れていたとしても俺はいつも結の中には入っていた。


「結…必ず助けるからな」


 俺は歩き続けた。疲れなんてものは感じなかった。ただ俺は今進んでいる方向が前だと信じて進んだ。


 歩き続けると、俺はまた小さい頃の結の声が遠くから聞こえた。


「ねえ、輝希くん、私たち迷ったんじゃない?もうずっと知らない道歩いてるよ…?」

「う~ん、ねえ結、ちょっとそこで休んでかない?」

「うん…」


 色んなことを思い出した俺だったが、この記憶だけは思い出せなかった。とても小さい頃の俺たち、疲れた表情の二人はどこかを指さした後に何かに座り、休憩をとっていた。


「はぁ、もう結たち家に帰れんのかな…もう暗くなってきちゃったし…」


 結は今にも泣きそうだった。下を向き堪えようとしていても、結の鼻の先は赤くなり、目からは涙が今にも出そうだった。

 横に座っていた小さな俺は結の表情を見て、結の手を握った。


「ごめん、俺が探検しようなんて言ったから…。でも…でも大丈夫だよ!きっと。絶対俺がなんとかするから。そ、それまで俺がいつまでも結と一緒にいるよ。ずっと一緒にいてあげる」


 その言葉が起爆剤になったかのように結は泣き出した。しばらく泣き続け、泣き止んだ結の目元は赤く腫れ、声もろくに出せない様子だった。


「うん…。ありがと、輝希くん」


 今まで響くことのなかった言葉が初めてこの暗闇の中で響いた。ありがと。その言葉とともに平坦だったはずの地面はぐにゃぐにゃに曲がり始め、俺は立っていることも許されなかった。不思議な感覚だった。まるで麻酔を打たれたように俺の体は感覚を失い、俺は倒れこんでしまった。

 目を開けると、俺はまだ暗闇の中にいた。体の感覚はある。辺りを見回すと、ある一点に淡い光が見えた。雲の隙間から太陽の光が射すような神秘的な光。俺は何も考えずとも、その光に導かれるがままに歩みを進めていた。

 近づいていくと何があるのかが少しづつ分かってくる。光の中では結が白雪姫のように眠っていて、周りには色とりどりの花が添えられていた。青紫の小さな花、赤と黄色の花、そして赤色のバラ。その花々に囲まれ、真ん中には結が眠っていた。

 俺は小走りで結に近づき、結の安らかに眠る表情を見た。小学生でも中学生でもない。俺が今、現在知っている結がそこにはいた。


 俺の目からは涙が出ていた。この長かった二日間、俺はこの時のためだけにこの世に存在しているのだと結の姿を見て感じた。結を助けるため、結に思いを伝えるため、結と会うため、結は俺が失ってはいけないかけがえのない存在なのだと。


 しかし、涙を流せたのも一瞬のうちだった。頭上から感じられた暖かい光は消え始め、眠っていた結は真っ黒な床へと引き込まれていた。結は起きることはなく、結の周りに咲いていたバラの茎は結を守るように長く、成長していた


「結!」


 俺はバラの棘で傷つく手など構わずに伸びてくるバラを払いのける。俺はここで結を助けなければいけないんだ。

 俺は必死に手を伸ばし結の手を掴んだ。


「結!起きてくれ!俺は結、お前のことが昔から好きだったんだ!」


 俺の声は暗闇の中に響き、それと同時に伸びていたバラは成長を止めた。


「ありがとう。輝希…私も輝希のことが好きだったよ…」


 そう結の声が耳元で囁かれたかと思うと、俺は眩い光に包まれ、何も見えなくなってしまった。

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