5話
三一三号室で寝ていた俺を見て、俺は時が止まったかのように感じた。何も聞こえず、誰も見えない。ただ、俺の目に映っていたのはベッドに横たわっている俺自身だけだった。
ついに俺はおかしくなってしまったのだろうか…。
それとも俺はまだ夢の中にいるのだろうか…。
そんなに甘っちょろい事が起きているはずがないことを俺は心の底で分かっていた。
宇宙人を見た時の反応と今の俺の反応は全く同じだっただろう。映画とかで今の俺に似たような場面がよくあるが、今まで俺はそういうシーンを正直言って嘘くさいと思っていた。
だが、実際に自分自身に起きてみれば話は違う。母さんと父さんの表情を見ればよく理解が出来る。ベッドに横たわっている俺は死にかけているんだ。
そうするとまた一つ違う疑問が浮かんでくる…。
だったらここにいる俺はなんだ?
何で俺は自分自身を見ているんだ?何で俺は立っていられる?何で?何で…。
俺の問いかけに答えてくれる人は誰もいなかった。
この三一三号室にいる二人はベッドに横たわっている俺しか見ていないのだから。
「輝希、おまえがここに来てくれてよかったよ。やっぱりお前は優しいやつなんだな」
顔を真っ青にしてベッドを見た俺の後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。一年前に聞くことの出来なくなってしまった声。この一年間俺が聞きたかった声。
俺が後ろを振り返ると徹が病室の白いドアの前に立っていた。死んだ時と同じ格好、中学校の制服に中学三年生の証をつけた徹がそこにはいた。
「徹、何でお前がここにいるんだ?俺に何があったか知ってるのか?」
俺は震え、聞き取りづらい声で徹に問いかけた。
「輝希、お前は話を聞く前に落ち着く必要がある。少し座らないか?お茶でも入れるよ」
俺は徹に言われるがままに病室に置いてあったソファに腰を下ろした。徹は個室に備え付けの電気ケトルに水を入れ、二つのカップにはティーパックを入れた。
お湯が注がれたカップからは白い湯気がのぼり、徹が入れてくれたお茶の熱さを物語っていた。徹は二つのカップとともに俺の方へとやってきて、反対側にある一人用のソファへと腰を掛けた。
静まった部屋の中で、俺たちはお茶をすする。俺はこの沈黙を打ち崩すことは出来なかった。ただ、俺は徹が何かを言うのを待った。
「それじゃあ、何から聞きたい?質問は一つ一つにしてよ。答えられないからさ」
俺は何から聞けばいいかわからなくなっていた。何もかも重要に思えてくる。だが、何を一番知りたいかと聞かれればこの質問しかなかった。
「徹、俺に何があったんだ?知ってるんだろ?」
「いきなり重い質問だな~。でも、いいよ。お前も薄々気づいているとは思うけど、お前は死にかけているんだ。月曜日の事故からもう三日間起きていない。医者もよく頑張ったみたいだが、お前の命はもう一日も続かないと俺は思う」
徹は俺に死の宣告を軽々しく言って見せた。悪魔を通り越して、運命を伝えに来るような神ように冷静に、真顔で、ゆっくりと俺に教えてくれた。
「お前も今日見た夢の中で月曜日に何が起こったかは見たと思う。お前は月曜日に結ちゃんと一緒に高校から帰っていた。高校から出てすぐある交差点を過ぎると、自転車を止める交差点はほとんどない。そんな時に結ちゃんの自転車のブレーキは壊れていたんだ。もちろん、お前と結ちゃんは何も知らずにスピードを上げる。そして、交差点で止まれなくなった結ちゃんをお前が助けようとしてトラックと衝突」
俺の体は小刻みに揺れ、動揺を隠そうと思っても隠しきれる範囲を徹が教えてくれたことは遥かに上回っていた。もうあと一日しか生きていられない。そして、誰も俺には気づかず、孤独に死んでいくんだ。
「……。そうか…。ありがとう。なあ、もう一つ質問していいか?」
俺は少し黙り、自分が死ぬという事から逃げるかのように話を変えた。どれだけ毎日を退屈と感じていたとしても、俺は徹の交通事故があった時から死ぬことに対して恐怖感を持っていたのかもしれない。
「もちろん」
「何で死んだはずの徹がここにいて、俺の夢の話まで知っているんだ?」
俺は喉から声をひねり出して徹に聞いた。
「これはただの仮説であって真実ではない。そこのところを理解していて欲しい。俺が思うに、今話している俺たちはただの意識なんだ。体とはまた違う意識。それが理由は分からないけど体を抜け出せている。そして、これは俺もお前の夢に入り込むまでは知らなかったんだけども、どうやら意識だけになった俺たちは他の人の夢に入ることが出来ると思うんだ。確証はない。でも、俺は偶然だけど出来たんだ。これが俺が輝希、お前の夢を知っている原因」
ぶっとんでいる。そう言いたかったが何も言い返すことは出来なかった。なぜなら、体がすぐそこにあるこの状況はどう考えても普通じゃない。普通じゃないから徹の仮説は現実味を持っていた。
「そして、この意識は普通の人には感じることは出来ないし、当たり前だけど見る事も出来ないんだ。今俺がお茶を入れただろ?これも意識だけの行動であって、普通の人からしたら何も動いてないし、お湯も沸いてないってわけ。それで、ここからが俺がここにいる理由だと俺は思っている。死んだあとの事は俺も一切分からないんだ。生まれ変わっているかもしれないし、ただ無の存在になっているかもしれない。俺はもちろん一年前に死んだから、意識なんてものはこの世には残ってなかった。そんな時、お前がトラックとぶつかる瞬間にお前の意識と俺の意識が繋がったんだよ。だから、俺がまたこの世に意識だけでも戻ってこれたってわけ」
要するに俺が死ぬ前に徹の意識と繋がったことによって徹はこの世に呼び出されたってことか。全く迷惑な事をしてしまったな…。
「徹、俺は本当にあと一日しかこの世にいることが出来ないのか?」
「うん。長くてあと一日だろうね…」
「くそ…」
思い返すと俺にはやりたい事がたくさんあったように思える。小さい事から大きな事まで、俺はいつか出来るようになると信じていた。だが、その全てがもう出来ないと言われると、俺は下を向き、後悔する以外何もできなかった。
「輝希、この言葉に怒らないで欲しいんだけど、君は運がいいよ。不幸中の幸いってやつさ。俺は一年前に交通事故にあった。これを知ったのも俺が月曜日にこの世に戻ってきてからだったんだ。お前とは違って、記憶が戻ってきたからすぐに何があったかは理解は出来たんだ。でも、あの時、俺は一瞬で意識を刈り取られたんだ。でも、輝希、お前は違う。まだ、一日あるじゃないか。これは運命なんだよ」
俺は俯きながらも徹の話をしっかりと聞いていた。不幸中の幸い?ふざけんじゃねえよ。死んでたら何もできない。今まで何もやってこなかった俺に一日で何かをする事なんて不可能なんだ。
「じゃあ聞くけど、俺に何が出来るんだよ!誰も俺に見向きもしない!俺の声も聞こえないんだぞ?たった一日、この間に俺が何を出来るっていうんだよ?なあ!徹、教えてくれよ!」
徹は俺がいきなり叫んだのにも関わらず冷静さを欠かすことはなかった。黙り、まるで教師が問題のやり方が分からない子供に自分の力で解きなさい、と言うかのように徹は俺の目をじっとみつめていた。
俺を見る徹の顔は表情を変えることはなかった。何秒経っただろうか。実際には三秒も経ってはいなかったが、俺にはこの瞬間が長く、重く感じられた。
俺は徹の純粋な目に耐え切れずにソファに倒れこみ、天井を見上げた。
なんで俺がこんなことになってんだよ。訳が分かんねぇ。
本当は分かっている。もうすぐ俺は死ぬ。俺はその事実を認めたくはないがために理解できないと思い込んでいた。
沈黙が続く。母さんも父さんも黙ったままだった。徹はお茶をすすり、静かにソファに座っていた。
この緊張した空気の中に、外から二人の足音が聞こえる。徐々に近づいてきて、ついに三一三号室のドアを開けた。
俺がドアを見ると、そこに立っていたのは結のお母さんとお父さんだった。二人ともスーツを着て、花束を持って病室にはいてきた。
「村山さん、毎朝ありがとうございます…」
母さんと父さんはほぼ同時に少しお辞儀をしながら同じことを口にした。
「いえ、輝希君は昔から私たちの子供でもあるような存在ですから…。見舞いに来るのは当然ですよ」
結のお父さんは片手に茶色のビジネスバッグを持っていた。毎朝か…。俺は二人が毎朝仕事の前に来てくれていることが分かった。
「結も連れてきたかったんですが…」
「結ちゃん、大丈夫なんですか?」
話は結の事に変わった。昨日、一昨日と学校に来ていなかった結の話に。結の両親は心配そうな顔でベッドで寝ている俺の方を向き、結の事について話し始めた。
「月曜の事故がかなりショックだったみたいで、部屋からずっと出てこないんです。あの子、人には言わないんですが正義感が他の子に比べると強くて…。きっと、自分を助けてくれた輝希君がこんな姿になってしまって責任感と言うんでしょうか…すごい感じてる様子なんです」
結が引きこもってる。俺は何故結の部屋に電気がついていないのかが理解できた。
「そんな…。結ちゃんは悪くないよ。あれは自転車のブレーキが壊れてたんだから…しょうがなかったのに」
母さんは涙が今にも出そうな顔を両手で覆い、震える声でしょうがないと言った。
母さんが泣き始めるとともに、部屋に俺と徹を含め、七人が一つの部屋にいるとは思えないほど、三一三号室は音を失っていた。
そんな中、徹は俺の方を向き、何かを問いかける様子だった。
なあ、輝希。お前にはもう一日ある。この一日をどう使うかはお前次第だ。お前のやるべき事はなんなんだ?
徹は声に出さずとも、そう言っているのだろうと俺は確信した。
「徹、俺はいつだって怖かったんだ。何かをするのが。何かをするたびに、俺は結の邪魔になっていた。結から大切なものを奪っていたんだよ。中学の時も、今だって俺はあいつを苦しめているんだ。昔から俺は感じるんだ、あいつは光で俺は影だって。影が光を助けるなんて、ありえないだろ?」
俺は徹に問いかけた。
「輝希、俺が前に教えた宇宙の事覚えてるか?空の向こうに広がる宇宙には無数の星があって、俺たちはその無数にある星の中の1つに住む小さな生命体だってことを」
「ああ、鮮明に覚えているよ」
「あの話には続きがあるんだ。その星たちは自分で光ることは出来ないってこと。地球、月、火星や木星、多くの星々が光ることを許された星によって輝かされてるんだよ。無数にある星の中、光を放つ星は限られているんだ。どの星も自力で光ることは出来ない。そして、その光る星が輝希、お前なんだよ。お前は自分が影だと思っているけども、お前は元々太陽なんじゃないのか?本当に昔からお前は結ちゃんの光を浴び続けただけの存在なのか?」
自分が光を与える存在、そんな発想は消えていたのかもしれない。自分はダメな奴、結の邪魔ものでしかない存在だと俺は思い込んでいたのかもしれない。
「輝希と俺の意識が繋がった月曜日、俺はお前と出会う前の記憶を見ることが出来たんだ。中学三年生になってから知り合った俺には到底想像できないようなお前がそこにはいたよ。いつも笑って、友達もたくさんいた。結ちゃんともたくさん話して、結ちゃんの喜ぶ事をお前は率先してやっていた。なあ、もう一度光になってみたらどうなんだ?影に覆われた結ちゃんはお前の助けが必要なんだよ…。昔のお前からじゃなく、今のお前から」
俺は泣いていた。いつから泣いていたのかは分からない。だが、徹は俺を光だと認めてくれたのだ。絶望と自己嫌悪にまみれたこの俺を光としてくれた。俺は自然と口が開き、徹に言っていた。
「ありがとう、徹。今までのもやもやした気持ちが何だったのかが分かった気がするよ。俺は結を助けたい。それが俺の人生で最後に果たすべき役目なんだと思う」
徹は何かを察したと同時に口を開いた。
「そうか…良かったよ。なあ、輝希、最後に少し話してもいいか?俺は昔はこんな風に人を助ける事なんて出来るやつじゃなかったんだ。いつも人に迷惑をかけて、助けてもらってた。中学三年生の時にお前を見た時にお前は俺に似ていると思ったよ。いつも一人で強がってた。人に嫌われるのが怖かったから、人を接することから逃げていたんだ。だから、俺はお前と友達になりたかった。俺はお前に、前の俺、暗闇に一人閉じこもっていた俺のようにはなってほしくはなかったんだ。でも、あの事故のせいで俺はお前を助けてあげることが出来なかった。それで今分かったんだ。俺がこの世に呼ばれたのは誰か大切な人を救うためだって。死んでしまう前に助けることの出来なかった輝希に光を与えることだって。今のお前は取り戻したんだよ。これで俺も後悔なくこの世を去れるってことだ…。輝希、今度はお前の番だ。じゃあな…」
徹はそう言うと徐々に半透明になっていき、消えたしまった。短い間の出来事。この一瞬は他の人にはそう感じられただろう。だが、俺にとっては人生の最後だとしても、腐りかけた人生に希望を与えられたかけがえのない時間だった。