二
僕は図書室の片隅でテーブルに頬杖を突き、文庫本を開いていた。その作品はファンタジーの有名な小説で、ページを捲る度にストーリーがどんどん壮大に広がっていき、強く引き込まれていくのを感じた。まさに没頭というより他なく、僕はそこで時間も気にせずに読み続けていたのだった。
僕にその本を薦めてきたのは妹だった。彼女は筋金入りの本の虫で、毎日何冊もの新刊を読み漁り、部屋の中は分厚い本で溢れ返っていた。それでもひたすらページを捲っているその姿を見ていると、こちちまで口元が緩んでしまうほどに幸せそうなのだ。
僕はそういうこともあって彼女から借りた本を読み、最近どんどん読書家への階段を上っていこうとしていた。彼女が薦めてくる本はなかなか奥深い名作で、僕から見れば、目から鱗の作品ばかりだった。
本を読んでいる時だけは、不思議と、どこにいても妹の顔が頭に浮かぶのだった。一人きりで寂しくないかな、とか今頃泣いていないかな、とか……ずっと気になってしまうのだけれど、それでも本を読んでいる瞬間だけは、彼女の幸せそうな笑顔が脳裏を過るので、僕は学校にいても安心していられたのだ。
静かな空気を突き破るほどに、僕が物語から吸い取った熱は大きな鼓動を高鳴らせていた。本の世界に少しでも入り込んでしまえば、そこは色取り取りの花で溢れる楽園になるのだ。それは世界の終焉が来ても、宝箱の中でずっと続いていくような、僕にとっての生き続ける世界だった。
僕はページを捲りながら、休み時間が淡々と行き過ぎていくことにも気付かないまま、本に読み耽っていたけれど、そこでふと、鼻孔に心地よい花弁の匂いが染み付くのがわかった。すぐ傍らから芳香が漂い、そっとテーブルに小さなガラスの花瓶が置かれたのがわかった。
僕はそこに置かれた薔薇の花々を見て、少しだけ陶酔から意識を引き起こし、それを中央にそっと添えた、その女子生徒を見遣った。彼女はにっこりと微笑んで、「失礼しました」と軽く頭を下げて歩いていこうとしたのだ。
「とても、綺麗ですね」
僕が彼女を見つめてそう零すと、彼女がそっと振り返って少しだけ驚いたような顔をした。僕は彼女の顔へと視線を向けて、「いつも、そう思っていました」と語った。彼女の顔が見る間に赤くなっていき、「えっと、その、」と上気した頬を俯かせてしまった。
「この薔薇、すごく綺麗ですよね。いつも誰が生けてるんだろうと思っていましたけど、本当にありがとうございます……」
僕がそう言うと、彼女はすぐに我に返ったように顔を上げて、「いえ、それが仕事なので」と微かに笑う。
「あ、あの……それ、かなり有名なファンタジー小説ですよね?」
彼女が僕の握っている本の表紙を見つめてそう零すので、僕はふっと微笑み、うなずいてみせた。
「妹に、借りたんですよ」
僕がその言葉をつぶやいた瞬間に、彼女は何故か大きく体を震わせて深い眼差しを向けてきた。僕は急に彼女の表情が翳ったので、どうしたんだろう、とそっと見返したけれど、そこで彼女が言った。
「ずっとずっと、言いたかったことがあるんです……」
「え?」
僕は思わず彼女の顔をまじまじと見つめてしまう。この子、何を言ってるんだ? と僕は困惑しながら、高鳴る鼓動を抑えて、じっと言葉を待った。
「今日の放課後、少し話をしませんか?」
「え……?」
「良かったら、なんですけど……」
彼女はそう言って、小さく笑って俯いた。その顔がどこか寂しげで、何かを思い詰めているような表情だったので、僕は少し心配になってしまう。わかったよ、と言って微笑みかけると、彼女の表情がわずかに和らいだ。
「ありがとうございます、羽嶋先輩……」
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