③【 魔力の欠片 】
――――どうやら私は長いこと気を失っていたらしい。
陽はとうに傾き始めているようで、
未だに変わり映えのしないダナウ街道の風景が美しい緋色に染まっていた。
ズキズキとした猛烈な痛みを右腕に感じながら、
知らぬ間に荷台で横たわっていた身体をゆっくりと持ち上げる。
先程とは打って変わって、今度は身体が鉛のように重たい。
軽くなったり重くなったり、まったく忙しいなあ……。
「――――シャーリー!?」
私の様子に気付いたフラウが馬車を止め、駆け寄ってくる。
「ああ、目が覚めて本当に良かった……!
矢を引き抜くべきかどうか迷ったのですが、
残したまま眠ると動いた際に傷を広げてしまう可能性があるので……」
「うん、ありがとう。心配を掛けて悪かったね」
心配になっちゃうからそんな泣きそうな顔をしないでおくれよ。
私が笑いながら言うと、目元を擦りながら少女はこくこくと頷いた。
右腕にはフラウが施してくれたと思しき応急処置の形跡があった。
少女の衣服を見るに、それを引き裂いて止血してくれたらしい。
「痛つつ…………」
血が染みてすっかり赤黒くなってしまった布を捲り、傷口を確認してみる。
大きな傷穴を中心として、白い肌は黒の混ざる紫色へと醜く変色していた。
血は、未だに乾いていない。相当な出血量なのだろう。
どうやら怪我の塩梅は良くなさそうだ。
私の人生の中でもこれは最大級の怪我になりそうだ。
一人の女の子を護ったと思えば、それも大きな勲章だけれど……。
「アナムスガルドの手前には村があると看板には書いてありました……!
人が居るのならそこでちゃんとした治療が受けられる筈です!
だからシャーリー、そこまでの辛抱ですから……!」
「うん……」
――――頑張ろう。
そう口を開こうとしたところで、意識に反して身体がゆっくりと倒れる。
「シャーリー!?」
あれ……? 本当に、ぴくりとも動かないぞ。
いわゆる金縛り状態と非常に似ている。
意識は覚醒しているのにそれでも身体は動かないってヤツだ。
「……………………」
声すらも出せなくなってしまい、加えて瞼がじんわりと重みを増してゆく。
どうやら、矢は不運な事に動脈を貫通していたらしい。
そうでなければこの程度の外傷でここまでの事態に陥るとは思えない。
想像していた以上に、ヤバイなあ……。
名誉の勲章どころか、このままじゃ二階級特進してしまう。
じゃあ社長じゃなくて会長…… いや、二階級だから名誉会長……?
でも、この場合だと死んじゃってるから役職は貰えないかな……。
……じゃ、じゃあ…… 退職金は、退職金はどうなるの…………?
何やらバカな事を考えている内に、瞼が着実にシャッターを降ろそうとする。
身体が言うことを効かない。眠い。すごく、眠い。
「ダメです、目を閉じないで!!
――――ああ、どうしよう、どうしようっ……!?」
この具合では村とやらに辿り着いていたとしても、死んでしまうような……。
薄れゆく意識の中、そんなことを考える。
「……シャーリー、待っていて下さい!」
フラウが何かを思いついたように顔を上げ、視界から姿を消す。
――――それにしても、嘘だろう……?
まさか自分以外の肉体の中で死んでしまうなんて。
何と言えばいいのやら全く分からないが、
とにかく申し訳ない、白髪の少女よ。私が入ってしまったばっかりに……。
辞世の懺悔をしているとフラウが戻ってきて、私の右手を強く握る。
もう片方の手には、先程の乳白色の石を持っていた。
「――――神様、お願いです……! 僕のためにこの人を殺したくない……!!」
少女はそう強く願い、私の傷に乳白色の石を押し当てた。
先程は温度を感じなかった筈の石が微かに熱を帯び始める。
次の瞬間。
ぼやける視界の中においても分かる程、その石は激しく光り輝いた。
眩いばかりの緑色の光が、私達の周囲にぱあっと散る。
刹那の光を煌々と放ち終えると、
石はパキンと小気味の良い音を立ててバラバラに砕け散った。
その破片がぺちぺちと顔に勢い良く飛散して、ちょっと痛い。
いやもう――何もかもが滅茶苦茶だな。
何なの、これ? どういう状況……?
「…………え? あれ!?」
フラウは驚愕の声を漏らした。
小さな身体で私を何とか支えつつ、その右腕の具合を真剣な目で見詰めている。
そして、信じられないというような表情ではっと口元を押さえた。
「――――嘘でしょ? 治って、る……?
血、止まりましたよっ! ねえシャーリー! 見て下さい、ホラ!!」
胸元を鷲掴みにされ、ガクガクと容赦無く揺すられる。
君っ! 瀕死の重傷人にそんな扱いをするのはやめなさい!!
ちょっとだけ痛いよ! でも、ちょっとだけ……。
私は少しだけ明瞭になった意識の元、右腕の矢傷に目を遣る。
すると本当に不思議なことだが――流血は勢いを落としてほぼ止まっていた。
同時に、変色していた肌も僅かにだが人間らしさを取り戻している。
「――――フラウ。君は一体、何をしたの……?」
気だるさと微かな痛みこそ残るが、身体はちゃんと動くし、
喋ることも出来るようになっていた。
しかし命が救われて嬉しいという気持ちよりも、驚きが先行する。
今の今まで私は確かに死に掛けていた筈だ。それが一体全体どうして……?
「わ、分かりません……。
奪われずに済んだ木箱が一つだけ残されていたのです。
万が一にも医療器具が入っているかもしれないと思って中を見てみたら、
あの石が入っていたので――もう藁にも縋る思いで……」
フラウは心底安堵したように空色の瞳をうるうると潤ませて、
砕けて破片状に成り果ててしまった石を指差す。
ふらりと立ち上がって残骸を拾い集めるが、先程のような輝きは見られない。
「……ありがとう、フラウ。
死ぬかもと本気で思ったのは、私も人生でこれが初めッ――――!?」
フラウがお腹に抱き付いてきた衝撃で、私はうぐっと顔を歪ませる。
君、その清楚な見た目で中々大胆な子だったんだな。
ああ、でも中の人はまた別の話か。難儀な話だよね、私達……。
「ううう…… ごめんなさい、ごめんなさい……。
本当に死んでしまったら、もう、どうしようかと――――」
フラウは顔を上げないまま、声を震わせて何度も謝った。
どうやら相当な心配を掛けてしまったらしい。
少女が落ち着きを取り戻すまで、私はその頭を優しく撫で続けた。
「――――――やっぱり魔法ってヤツなのかなあ…」
再出発した馬車にがたんごとんと揺られながら、
私の傍を振動でコロコロと楽しげに転がる命の恩人……。
ならぬ、命の恩石を見つめながらぽつりと呟いた。
致命傷を僅か数秒足らずで命に別状の無い程度に塞いだかと思うと、
あまつさえ動けるようになるまでに即時治癒させてしまった。
間違いなく人為的な力を超越した何かが発生している。
先程の状況を考慮すれば、それに関与したのは間違いなくこの石だ。
「ねえ、フラウ? 魔法かな? ねえって……」
「…………………………」
どうやらフラウはあの後相当気恥ずかしい思いをしたようで、
別に泣いてねえし! と喋りかけるなオーラを全開にしていた。
故に返答は無く、ツーンとそっぽを向いたままダナウ街道の風景を眺めている。
足をぱたぱたと投げ出しながら、たまにこちらを伺う姿が非常に愛らしい。
先程までの緊迫した状況が嘘のような癒しタイムである。
「あ、そうだ――村の名前は何だっけ?」
流石に無視し続けるのは申し訳ないと思ったのか、
無言のまま手帳を鞄から取り出して、フラウはぱらりと捲る。
なるほど、こういう時のための手帳だったようだ。
「タストの村、とありますね――距離も分かれば良いのですが」
「うーん、道中でまた襲われる事がないといいなあ……」
がたんごとんと左右に揺られながら、私達二人は夕暮れのダナウ街道を進み続けた。