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②【 ダナウ街道の山賊達 】

「――――あっ! シャーリー、馬車を止めて下さい! あれ! 看板っ!!」


結局、私達はほんの半刻程で意識を取り戻していた。

身体の調子は至って快調。むしろ軽快に動きすぎるくらいだ。


気絶の原因はどうということはない。

それぞれが知っている元の自分の姿とはあまりにも掛け離れすぎていて、

つまり、びっくらこきすぎて卒倒しただけの話だったのだ。


いや、どうということはない、ということは無いな……。

気絶してしまうぐらいに驚くって間違いなく人生初の経験だよ。


目覚めた私たちはそれぞれ頭を捻りつつ、一つの結論に至った。


『――――夢ではないでしょうか?

 ベルスタッドというラストネームが被っているのも、

 きっと夢を見ている人だけが得るコードのようなものだったりして……』


フラウがポンと手を叩きながら合点のいったように言った。

私もそれに同調するように頷いた。だって、それ以外には考えられないし。


――――そう! これは夢なのだ!!


二度も目覚めを体験してしまうよな、とっても希な夢。

夢だと認識している者が自分以外にも存在するという、とっても奇妙な夢。

自分の意識通りに全神経が動くような、すっごくリアルな夢。


とにもかくにも、フラウと談笑しながら目が覚めるのを待っていたのだが、

一向に現実に引き戻されるような兆候は見られなかった。


ではここでいつまでも止まっていても仕方が無いだろう、という話になる。


右往左往しつつ、少し馬術の嗜みがあると語るフラウに指導を乞い、

私は何とか馬車をがたんごとんと再度出発させていた。


流石に子供に手綱を操らせるワケにもいかないしな……。

少なくとも、この場では私がフラウの保護者にならないと。


「うーんと、ダナウ街道って書いてある。この道の名前だろうね」


フラウの指差した古ぼけた木製看板の前に馬車を何とか停車させ、

少し掠れていて見え辛い文字を読み上げる。


「読めるんですか? ……ん、あれ? 何でだろう、僕にも読める……。

 おかしいな、今までに見た事がないのに――こんな文字」


銀の眼鏡をくいと持ち上げつつ、気味が悪そうに呟くフラウ。

手元には鞄から発見した手帳と羽ペンが握られており、

何やら先程からスラスラと書き込んでいるようだ。


「言われてみれば確かにそうだね。夢の世界特有の言語みたいなものかな?」


あまりにも違和感無く理解出来てしまったので気が回らなかったが、

私もこの知恵の輪のような形をした文字には全く見覚えが無い。


「知りもしないのに読めてしまう他言語だなんて、何だか奇妙ですね……」


「うーん、面白いじゃないか! 他にも何か書いてあるみたいだよ。

 えーっと、ここはオライアン――魔法と芸術の王国?」


魔法、ね……。確かに夢の世界のようだ。


「直進で王都アナムスガルドへ、とありますね……」


「うん、特に行く宛てもないし、そこへ向かってみようか。

 いつ目覚めるのやら見当がつかないし、折角だから冒険して帰ろう。

 ……ね。付き合っておくれよ、フラウ。一人旅は寂しいんだ」


困ったような笑顔をフラウへ向けると、少女は何故か顔を赤くして黙り込んだ。

……いやいや、他意はまったくないよ! 

こんなだだっ広い街道に女の子一人を取り残すわけにもいかない。


「ご、ご一緒します……」


もじもじと指同士を擦り合わせながら、フラウは上目遣いでこくりと頷く。

上目遣いと言うよりは単純に身長差から来る見上げ状態なのだが、もうメロメロだ。

この天使のような少女の存在も、確かに夢のお話の一部のような気がする。


「それは助かるよ。じゃあ、アナムスガルドへ向けて出発だ!」


「おお~」


気恥ずかしそうな様子のフラウと右腕を振り上げて、手綱をぐいと引っ張る。

再度がたんごとんと騒がしい馬車の旅が始まった。


黒毛の馬は『ようやく進めるぜ』、と快調に荷を引っ張ってくれる。

人生初の馬車経験だが、お尻の痛さを除けばそんなに悪いものではない。

吹き抜ける風は涼しくて気持ち良いし、車にはないような躍動感もある。

日差しを遮るものが何もないというのが玉にキズだけれど。


「……そういえば、後ろに積まれている木箱は何なのですか?

 随分と沢山置かれているようですけれど」


ああ、と私は安全運転を心掛けながら頷く。


「この様子じゃ馬車の持ち主は私達ってことになるんだろうけれど、

 私にはどうにもまだ、これが自分の所有物だとは思えなくてね。

 その積荷の中身はまだ確かめていないんだ」


そうですか、とフラウは木箱の山をちらちらと伺いながら言う。

どうやら中身がかなり気になっているようだった。

中々素直に言い出せないところに少女の可愛気を感じる。


「そうだね、じゃあフラウが開けてみてくれる?」


言うが早いか、二本に結んだ金髪を振り乱して木箱に飛び掛かるフラウ。

どうやら素手でも開けられるような簡単な造りだったらしく、

ガコンガコンと音を立てて次々に木箱を開いてゆく。


「――――シャーリー、こんなものが沢山入っていましたけれど」


しばらくするとやや汗ばんだフラウがとことこと操馬席まで戻ってきて、

何やら角っぽい白乳色の石を私に差し出してくる。


少女のもう片方の手には林檎らしき赤い果実が握られていた。

どうやらちょっとした小腹が空いていたらしい。


「うーん……?」


小動物のようにもぐもぐと果実をパクつき始めたフラウはさておいて、

受け取った石を様々な角度に持ち変えつつ調査してみる。


仄かに暗い光を放つ乳白色のそれは、何かの結晶体のようだった。

金属らしき熱や冷たさは無く、完全なる常温。

その拳骨大の大きさにしては驚くほど軽く、ほとんど重量を感じない。

山陽商事における私の営業時代の担当は貴金属類だったので、

石や金属片というものには割かし詳しい筈なのだが……。


最も気になる特徴は、仄暗い光をちかちかと定期的に発光している点だ。

光を蓄積して光度を発する石なのかと思い、日光から手で覆い隠してみるが、

やはり自然発光能力を持っているようである。こんな石は見た事が無い。


「自然物であることは確かだけれど、ちょっと妙な代物だね」


果肉で頬をぱんぱんに膨らませているフラウへと石を返す。

よっぽど美味しかったのか、目がきらきらと満足気に輝いていた。


それにしても、こんな得体の知れない石が山程積まれていたと言うのか。

謎は更に深まるばかりだ……。


「ふぁかしな話なんですけど、変なエネルギーを感じるってひうか。

 持ってひると、何だかぽかぽかしてくるんへす」


もごもごと口を動かしながら、フラウはそんな感想を漏らす。


「ほら、物を食べている時は喋らないの」


エネルギー、か……。

パワーストーンというものが存在するくらいだし、存外それに似通ったような何かなのかもしれない。


「やっぱり、夢の世界だなあ……」


アナムスガルドへの長路をがたんごとんと進みながら、そんなことを呟く。


さっきの看板を最後に、今や人工物らしきものといえばこの街道だけだ。

あとどれだけの距離を進めば王都とやらに辿り着けるのだろう。

そろそろ夢の世界に相応しい素晴らしい体験に出会いたいものだが……。


「――――ねえ、シャーリー。()()も、夢の世界の住人でしょうか?」


フラウが不思議そうに呟き、脇道に生い茂る深い森の先をすっと指差した。

私は不意に肩を叩かれ、促された方向へと自然に視線を遣る。


屈強な大男の集団――全員合わせて五人と言ったところか。

ぞろぞろと、確かに馬車へと向かって歩いてきているのが見える。

全員が上半身を剥き出しにした状態で剣や斧を腰にぶら下げて威圧的に武装し、

一様にニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべてこちらを見詰めていた。


――――どうやら馬車の進路を塞ぐ気のようだ。

無視をして彼らを轢いてしまうわけにもいかないだろう。


「……何だかよく分からないけれど、どうも友好的な雰囲気じゃないね。

 フラウ、君は荷台へ隠れるんだ」


「お断りします。一人よりは二人の方が良いでしょう?」


頑として言うことを聞かないフラウに、私は大きく溜め息を吐く。


「……じゃあ、私の背後に隠れていてね。

 私が対応するからフラウは絶対に喋らないように」


少女はこくんと頷いて、私の背中にぴったりと張り付いた。

というか君をこの状況で一人頭に数えてしまうのはちょっと無理があるぞ。

まあ、それを言ってしまえばきっと私もなのだろうけれど……。


「おおーい! そこのお嬢さんがたぁ!」


先頭に立っていた傷顔の男が、大手を振ってドカドカと歩いてきた。

恐らく彼がこの男集団のリーダーなのだろう。

他の者達は傷顔の男の背後を追従するような陣形を取っている。


屈強な男達は口元を酷く歪めたまま、馬車の進路を完全に塞いだ。

私はそれを確認して素早く手綱を引き、馬脚をその場で止めさせる。


「やあ、どうも」


操馬席から降りないまま、私はにこやかな笑顔で挨拶をする。


「女の子の二人連れでこれからどこへ行こうってんだい?

 その妙な白髪と端正なお顔は、ここいらじゃ見ない面だねえ」


背後の男達も私とフラウの顔をジロジロと嘗め回すように見て、

満足気にニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべている。


傷顔は友好的な口調で語りかけてくるが、その手は剣の柄にかけられている。

妙な真似をしたら問答無用で斬り捨てるぞ。

暗に私達へそう宣言しているかのようだった。


その厳つい外見と手際の良さから大方予想はついていたのだけれど、

何ともまあ、お手本のような山賊っぷりだな……。時代錯誤も良い所だ。


私は僅かに思案の刻を挟み、静かに口火を切る。


「……私達二人は行商の旅の途中でしてね。

 ここいらの地理には全く詳しくないのです」


「へえ。当て所も無く馬車を走らせていたってかい?」


「ええ、気楽な二人旅ですよ」


私が愛想の良い表情を崩さないまま適当な話を作ると、

傷顔の男は呆れるような表情を作ってみせた。

周囲の山賊達と顔を見合わせ、やれやれと大きく肩を竦める。


「はあ、行商の旅ねえ。うん、いいねえ、そりゃいいや……。

 確かにお気楽で素敵な話だとは思うがな――白髪のお嬢さんよう。

 オライアンの情勢が分かっていて足を踏み入れたのなら、

 アンタ、ただの自殺志願者だぜ? もしくはよっぽどの馬鹿だな……」


「と、言いますと?」


私が努めて平静を装ったまま素朴な問いを投げかけると、

傷顔はこれが答えだと言わんばかりに、腰の剣を勢い良く引き抜いた。

その金属音と鉄の臭いに驚いて、馬がぶるんと暴れ嘶く。

どうどう。どうどう。


――――この距離でもはっきりと分かる。

あの鉄は、間違いなく本物だ。

それにどうやら脅しのためだけに抜いた訳でもなさそうだ。


「ハハハハハハッ! 分かってねえなあっ!!!

 俺らのようなロクデナシの山賊共が、

 アンタや後ろのガキみたいなたかーく売れそうな商品を

 いつも血眼で探しているっつうことだよっ!!」


傷顔が高らかに笑うと、周囲も同様に下劣な笑い声を大きく上げる。


「……オラ、白髪のお嬢ちゃん。

 まずはアンタから、その高級そうな革服を脱いで降りて来い。

 暴れなければそんなに悪いようにはしねえよ。

 精々、奴隷商の旦那にとことん可愛がられちまうぐらいだからよ」


周囲は山賊達によって完全に包囲されている。

このまま力尽くで逃げ出すのは不可能、か。

フラウだけでも何とかならないだろうかと思考を張り巡らせるが、

生憎、周囲は視界良好な平原だ。すぐに身を潜められるような場所は無い。


……よし、決めた。


「――――私達は商人です。

 ですので、どうかここは一つ取引をしていただけませんか?」


すっと右手を大きく上げて、私達を取り囲む山賊達に呼びかける。

頭目の傷顔が怪訝そうな目でこちらを見つめた。


「私の身柄と、この積荷を全て差し上げましょう。

 ですが、この馬車とフラウ(.)(.)(.)の身柄だけはお引渡しできません」


「ちょ、ちょっとシャーリー!? あなた、一体何を――――」


思わず反論の声を上げるフラウの口を後ろ手でポンと押さえる。


「アンタ、自分の立場を理解してねえのか?

 そりゃ取引になってねえよ。俺らは全部まとめて奪っちまえばいいだけだ」


まあ、山賊側にしたら当然のことだ。普通はそう来るだろう。


「フラウお嬢様は、とある豪商の愛娘でしてね。

 訳あって私の元で預からせて頂いております。

 もしもこの方に傷の一つでも負わせるような事態に陥れば、

 地の果てまで逃げようとも私は生きていられません」


「だから、何が言いてえんだよ……。

 ぐだぐだ無駄なことくっちゃべってると、力尽くで引き摺り下ろすぞ?」


苛々とした様子の傷顔の男を、私はまあまあと手で制す。

相手からしたら、小娘の語る弁は相当に腹立たしいものなのだろう。

早めに決着をつけないと本当に斬られてしまいそうだ。


「……分かりませんか? 奴隷商。あなたは先程、そう仰いましたよね?」


「ああ。アンタがこれから連れて行かれる場所の首輪主だよ」


「では、もしも奴隷商の愛娘を奴隷に引き立ててしまったら、

 一山賊に過ぎないあなた達は一体どうなってしまうのでしょう?」


はあ? と山賊達が不可解そうに顔を見合わせる。

傷顔の男一人が背後のフラウを流し目で伺った。察しが良くて助かる。


「適当抜かすんじゃねえよ。そのガキが旦那方の娘だっていうのか?

 だったら、その証拠を見せてみやがれ」


微かにではあるが、確かな動揺が見て取れる。

やはり奴隷商とやらは山賊達より格上の存在か。もはや嘘八百で通す他ない。


「ありませんね。でも、そうではないという証拠もありません。

 ……だからこうして私の身柄と積荷だけは差し出すと言っているのです。

 代わりにお嬢様とその脚だけは残して頂いてね」


私はゆっくりとした動作で馬車から降り、山賊達の前へ堂々と立った。

そして傷顔をすっと指差す。


「私の言っていることがもしも事実なのだとしたら、

 失態の頭目たるあなたは――間違いなく誰よりも惨く殺されますよ。

 旦那様は、人の命なんて虫けら程度にしか思っていないのですから」


これは単なる当てずっぽうだ。

しかし人道的な奴隷商がこの世に存在するとは到底思えない。

「命は平等ではない」という考えを己の生業にしているような連中だ。

間違いなく当たっている。少なくとも――私はそう信じるしかない。

 

「利益の全てを強欲に貪って最終的に猛毒に溺れるよりも、

 安全な小金で飲む酒の方が幾分かマシではありませんか?

 自分で言うのも何ですが、私はそこそこのお金にはなると思いますよ」


ぽん、と胸の辺りに手を置いて自分をアピールをする。


しばらく傷顔の男との無言の応酬が続いたと思うと、

彼は一つ大きく舌打ちを残し、周囲の部下達へ目で指示を出し始めた。


「……あーあ、勿体ねえ。

 この糞溜めみたいな国で行商なんていう酔狂なことをしてなけりゃ、

 そこそこ名を成す商人になっていたかもしれないってのによ。

 悪いが死ぬほど辛い目に遭ってもらうことになるぜ、アンタ」


「ええ、次はもっと上手くやりましょう」


――――よし。


私の要求通りフラウには一切手を触れないようにしつつ、

屈強な山賊達は山積みの積荷を順々に降ろしてゆく。


多少の水と食糧を残すことを条件に付け加えたので、

フラウの手には革製の水筒と干し肉らしきものが握らされていた。

多くの積荷と少女一人の身体が手に入ると思えば、きっと安いものなのだろう。


馬車の中の積荷は次々と姿を消し、残りはあと少しと言ったところだ。

ここまでは良い。順調に事は運んでいる。


「――――それではさようなら、フラウお嬢様……」


私は別れを惜しむような振りをして、少女の華奢な身体を胸元に抱き寄せる。

山賊達の目はどうやら上手く欺けているようだ。


「ねえ、シャーリー……! 本当に彼らへ付いて行く気ですか……?

 いくら夢の中の世界だからって――――」


私の胸の中で心底不安そうに漏らすフラウへウィンクをしてみせる。

はっとして目を丸くする少女の耳に、可能な限り小声を保ったまま私は言う。


「操馬席に座っていてくれるかな……。

 私が合図を出したら、迷わず全速で発進してくれ」


少女は私の目を見て、確かにこくりと頷いた。


「さ、今際の別れは済んだのかよ?

 ガキだけは要求通り見逃してやろうってんだ。さっさと行くぞっ!」


私は傷顔に馬車から引き降ろされつつ、周囲の状況を素早く確認した。


傷顔以外の四名の山賊達は荷物降ろしを終えて、

やれやれというように一息入れている。この量じゃ結構な重労働だった筈だ。

咄嗟に動くことは出来ないだろう。


――――間違いなく、私の隣に立っているこの傷顔の男が一番油断ならない。

馬車から出来る限り彼を引き離さなければならないのだが、

離れすぎると今度は自分が馬車に戻るのが遅れてしまう。


私の今の肉体はどう見積もっても十代後半の女の子のものだ……。

力任せに戦っても、この屈強な男を倒せるとは到底思えない。


……距離はここで十分か。


「――――走れッ! フラウッ!!」


合図の声を大きく張ると共に、唖然とした表情の傷顔の手を素早く取る。


「はいっ!」


フラウは私の掛け声に従って、ぐっと全力で手綱を引いた。


――――柔よく、剛を制す。

非力な私に与えられた手段はこれだけだッ!


「テメエッ――――ぐわあっ!!」


一瞬の隙を突いて関節を極め、傷顔の身体を宙に一回転させる。


ダァン! と凄まじい音と土埃が舞う中、私はすかさず体制を立て直し、

既に走行体勢に入った馬車へと向かって必死に走る。

何事だ!? と山賊達が慌てて駆け寄ってくるが、君らの距離じゃもう遅い。


いや、ここでもしも私が馬車に追い付けなければ、

そりゃあもう――とんでもない目に遭わされるのだろうけど!!


だから、走るしかない……!! 頼む、追い付いてくれっ!!!


「シャーリィーーーーーッ!!!」


フラウが自分の名前を呼ぶ声を聞きながら、十数年振りの全力疾走をする。


敢えて山賊達に荷物を降ろさせて重量を減らしただけあって、

馬車は先程よりも大分スピードを上げている。

元の身体だったら確実に追い付けない速度だったけれど、この身体なら――――!


「――――ふっ!」


何とか幌の部分に指を引っ掛け、身体を馬車の中に転がり込ませる。

良かった――置き去りになることだけは避けられた……。


心臓がバクバクと鳴るのは息が上がっているからだけじゃない。

重役会議で居眠りをかまして、総スカンされる時よりも怖かった……。


「すごい、すごいです、シャーリーっ! まるで映画のようでしたっ!」


甚く感動したようで、目を爛々と輝かせたフラウが私を押し倒す。

張り詰めるような緊張からの緩和。もう身体に力が入らない……。


「あ、こらこらフラウ…… 手綱……」


押し倒された状態のまま、少女の柔らかな金髪をぽんぽんと撫でた。

馬はどうやら自分の意思でどんどん街道を進んでくれているようだ。

助かるような、すごく怖いような……。

とにかく、これだけ離れれば背後の山賊達はもう私達には追い付けないだろう。


「それじゃ、僕は操馬席に戻りますから。安心して休んでいて下さいね!」


すっと離れてゆく少女の身体を少々名残惜しく思いながら、

私は今までで一番大きな深呼吸を吐いた。

我ながら、これは少しばかり上手く行き過ぎだ……。


「夢にしても、二度とあんな怖い思いはしたくないな――――」


誰ともなしにそう私が漏らした刹那のことだった。


「――――ガウダアァーッ!! そのクソガキ共を、射殺せェッ!!!」


狂獣の断末魔のような傷顔の怒声が、周囲にビリビリと轟く。


凄まじい声に呼応し、脇道の森の中からローブを纏った老人が姿を現した。

その手には、強靭な弓を抱えている。

その背には、細い矢筒が背負われている。


――――そのしわがれた指が、一本の矢を確かに引き抜いた。


視界中の何もかもがスローモーションで進行していた。

老人の位置は馬車の左真横。

彼と馬車との間距離は――およそ10メートルもない。


私と目が合うと老人は歯のない口をぐばあと綻ばせて、

矢を手馴れた動作で番え、そのまま弦を限界までキリキリと引き絞る。

事もあろうに、老人はその照準を操馬席のフラウへと狙い澄ました。


まずい。


矢尻が風を鋭く切り裂く音が私の耳にもしっかりと聞いて取れた。

矢の軌道をこの目で確認できたのは、ほぼ奇跡に近い。


私は咄嗟に、操馬席のフラウを庇うように右腕を伸ばした。


頼む、間に合えッ―――――!!


「……ッ!!!」


バツンッ! と信じられないぐらいに激しい炸裂音が周囲に響く。


――――鋭い矢は、私の細い右腕を易々と貫通していた。

不幸中の幸いだったことは、フラウの横顔へと届こうかという寸前で、

矢尻が辛うじてその勢いを止めていたことだ。


自分の腕に矢が深々と突き刺さっているという異常事態。

私はしばらくその事実を受け入れられないまま、ぼんやりと見詰めていた。


現実を実感させるかのように、すぐさま鮮血がパッと噴き出す。

凄まじい激痛と光景に目の前がくらりと眩む。

うわ、痛い。痛い。痛い……。


「――――なんだ、やっぱり夢じゃないのか……」


ぴくぴくと痙攣する血染めの腕を見遣りながら、苦笑と共に漏らす。


「フラウ、大丈夫? 怪我しなかった?」


私は血塗れの右腕を見せないよう背側に回して、

フラウの今にも泣き出しそうな顔を明るく覗き込む。


怖かったんじゃない。

この子はただ私のことを慮ってくれているのだ。


「そんな顔はしなくていいよ。

 こんなの、全然大した事ないからね。大丈夫!!」


「シャ、シャーリ――――」


「――――さあ、出してっ!!!」


フラウは私の言葉にこくりと唇を噛み締めて、手綱を握り締める。


傷顔の怨嗟の唸り声を背後に聞きながら、私達はその場を脱出した。

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