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②【 客の少ないらーめん屋台 】

「――――あっ、社長っ! こっちです、こっち!!」


ぶんぶんと元気に手を振ってくる係長に、ひらひらと手を振り返す。


「先日、俺がたまたま発見したんですけどね!

 いやあ、副社長がどうしても連れて行けと言うもんですから!」


「おいコラ、さり気なく話を捻じ曲げるんじゃない!

 一人じゃ不安だからと駄々をこねて僕を引き摺ってきたのはお前だぞ!?

 しかし、まさかとは思っていたが屋台のらーめん屋とは……。

 お前は社長を寒空の下で食事させる気か?」


「大丈夫ですって、きっと屋台の中は温かいですから!

 ……と言うか、副社長はともかくとして、

 社長にまで同席していただけるとは思っていなかったんですよ!」


「なんだそれは、僕は構わないってことかっ!」


呆れ気味でツッコミを入れる副社長を諌めつつ、

麺という一文字が大きく刻まれた暖簾の先をちょいちょいと指差す。


「まあまあ、喧嘩しない、喧嘩しない……。

 それにしても良い匂いがするね。お腹も空いたし入ろうか?」


屋台の店主は私よりも一回り年上と思しき恰幅の良い男性で、

愛想の良い笑顔と輝かしい禿頭が特徴的だった。

私は彼を見て、自然と自分の頭を擦ってしまう。大丈夫、大丈夫。


三人揃って背広姿のまま、こんばんはと店主に声をかけて腰を降ろす。

らっしゃい! という威勢の良い声を聞きながら、おや、と不思議に思う。


私達の隣の席には、既に年若い少女が一人で座っていた。


これだけでもちょっとした驚きなのだが、更に驚くことに、

通常の倍はあろうかという特大サイズの丼をまるでコップのように傾けて、

ゴクゴクと喉の隆起が見てとれるほどの勢いで丼の中身を飲み干していた。


傍から見ていても気持ちの良いほどの健啖っぷりである。

というか、らーめんってそういう食べ方だったっけ……?


「あの子の丼、すっごいサイズですね……。 

 アレが出てきたら、僕ら中年にはちょっとキツいですねえ……」


「そうだねえ……」


私の視線に気付いたようで、係長がこそっと耳打ちをしてくる。

中年特有の物悲しい悩みだが、我々にとって胃もたれはかなり切実な問題だ。


丼のサイズと異様な食し方にも驚いたが、その少女の容姿にも私は面食らった。

十代後半の外国人といったところだろうか?


肩まで伸びた鮮やかな金色の長髪に、透き通るように美しい空色の大きな瞳。

加えて、目鼻立ちの完璧に整った気品漂う色素の薄い顔。

細やかな刺繍の施された真紅色のドレスを身に纏っており、

煌びやかな宝石の嵌まった高級そうなアクセサリを指にも首にも着けている。

どこかの国のお姫様かと見紛うような装いだ。


その手に持っているものが巨大らーめん丼というのが中々の違和感だが、

創作の世界の住人であるかのような現実離れしたオーラを放っていた。


近頃は女性も山盛りの食事を平気で平らげると聞いたような覚えがあるが、

それにしても実際に目にしたのは初めての経験だ。

この年になっても、街に出てみれば様々な発見があるものだなあ。


「おじさん、チャーシュー麺とビール、三つずつね!

 ……あっ、丼はアレよりも小さめで!」


少女の勇ましい姿に感心している内に係長がオーダーをする。

あいよっ! と威勢の良い店主の声がこれまた返ってくる。


「すみません、僕はウーロン茶でお願いします。

 君ねえ、僕が一滴も呑めない下戸なのを知っていて、わざと注文したな?」


副社長はすかさず注文に訂正を入れてから、キッと係長を睨む。


「普段の鉄仮面からは想像もできない副社長の姿を、社長に見せたかったのに……」


「知ってるよ。彼は私の知る者の中では誰よりもお酒に弱いからね。

 とんでもない泣き上戸だったでしょ?」


ご存知でしたか! と係長はゲラゲラと笑ってから、泣き真似をし始めた。

それがあんまりにも副社長に似ていたので、私もよしよしと肩を叩いてみせる。


「社長まで、本当に勘弁してください」


照れ臭そうに眼鏡をくいくいと持ち上げながら、副社長は苦笑を浮かべていた。


「「「――――乾杯っ!」」」


係長の音頭を終え、出てきたグラスをそれぞれ手に取り高らかに乾杯をする。


主人は手際よく麺を湯切りすると香り立つスープの中へと投入し、

これまた手際よくちゃっちゃと様々な具を盛り付けてゆく。

お待ち! という言葉と共に、三つの丼が私たちの前へと並んだ。


「わーい! じゃ、食べましょうっ!」


出てくるや否や、待ってましたとばかりにがっつき始めた係長。

私も、と自分の丼へ伸ばそうとした箸が、ピタリと完全に止まってしまう。

それと同時に、副社長が「うおっ」と驚きの言葉を漏らしているのが聞こえる。


――――例えるならば、ザ・藻色。


確かにその匂いこそは鼻腔と空腹を心地よく刺激するらーめんのそれだった。

しかし、丼の中に波々と浮かんでいるスープが、

未だかつて食事では見たことのないような緑色をしていたのである。

係長はこれを一瞬の躊躇もなく口の中へ放り込んだというのか……。


乗っている具材などは一見すると普通のようだけれど……。

麺をスープの中から引っ張り出してみれば、これは透き通るような白色。

私は料理が趣味の一つであり、かなり得意な方だと自負しているのだが、

一体どういう組み合わせで調理したらこんな色になるのだろう?


「早く食べないと冷めちまいますよ、旦那方」


「ええ、そうですね……。それでは、いただきます……」


店主に明るく促され、ままよ! と一口啜ると、これがとんでもない味だった。


「――――うん!?」


決して大袈裟に表現しようとしている訳ではなく、

本当にこの世の食べ物か? と目を白黒させる程、抜群に美味だったのである。

これは何の味なのだろう。魚介? 豚骨? 鶏ガラ?

全くもって区別が付かない不思議で複雑な味だが、とにかく美味い。


あんまりにも美味いので感想も言えないまま目をパチクリさせていると、

副社長も同様に甚く感動したようで、驚愕と至福の顔を思わず見合わせる。


係長はと言えば、本当に何時の間に平らげたのやら分からないが、

空になった丼を名残惜しそうにじいっと見つめていた。


「うーん、なんでこんなにウマいのに、お客さんが少ないんだろうなあ……」


係長が微妙に失礼なことを呟くと、店主は少し困ったような顔で笑った。


しかし確かにそうだな、と思う面もある。

見た目のグロテスクさ――いや、インパクトは確かにあるが、

これと同レベルの一品を出せるらーめん屋が果たして記憶にあるだろうか。

屋台という初心者お断りっぽい閉鎖的な雰囲気を考慮しても、

この味ならばもっと繁盛していてもよさそうなものだとは思うが……。


「いや、最初こそ色に驚きましたが、本当に美味しかった」


久々に食事でここまで満たされた気がするなあ。

店主に声を掛けてみると、ペカッと顔を綻ばせて、その禿頭を下げてきた。


「ありがとうございます。アタシからしたら、この色がおかしいってことはないんだけどねえ」


「どちらからいらっしゃったんですか? こんな奇抜ならーめんには、今までお目にかかったことがないので……」


遠方から来た人なのだろうか、と私が疑問に思っていると、

先に副社長が質問を投げかけた。

彼は彼で飛び上がるほど美味しいものを食べて興奮しているようで、

眼鏡の奥の瞳が珍しくキラキラと輝いている。


「――――アタシの故郷はアルトラムというところでね。

 空気は綺麗で、水は澄んでいて、野生の獣たちが草原で若草を食んでいて……。

 とにかく理想郷のような場所でねえ……。

 旦那方の胃袋に収まっている食材は全部、そこで獲れたものなんですよ」


……アルトラム?


懐かしむような口調から飛び出してきた地名は、聞き覚えのないものだった。

外国の地方名か何かだろうか? 

でも外国にしたって店主は気の良さそうな生粋の日本人にしか見えないし。

他の二人も全く知らないようで不思議そうな表情を浮かべている。


「旦那方も、一度おいでなすったらいいですよ。きっとお気に入りますから!」


店主がにこやかに言う言葉で、私は本来の目的をはっと思い出す。

あんまりにもらーめんが美味しかったので完全に忘れてしまっていた。


そうだ。そういえばそうだった! 私は休みが欲しかったんだ!


「――――そ、そんなに素敵なところなら、是非行ってみたいなあ!

 ……ねっ、君たちもそう思うだろう!?」


不自然なぐらいに激しく、店主の言葉に同調してしまう。

「私は疲れていますよ」アピールを挟む手順を完全にスッ飛ばしてしまったが、

この際はもう仕方があるまい。この好機を逃すわけにはいかない!


「遠出をするなら休みがいるよなあ~……。

 それも、ちょっと長めのヤツがなあ~……」


ボソボソと、しかし副社長にはしっかりと聞こえる程度の声量で漏らす。

我ながらかなり白々しい。傍から見たら相当腹立たしいだろうなあ……。


「はあ…… そういうことでしたか」


副社長は勘良く私の計画に気付いてしまったようで、大きな溜め息を吐いた。


「お休み、さんせえ〜!」


係長はビール一杯で完全に気持ち良くなってしまったようで、

少し赤みのさした顔でコクコクと何度も私の言葉に頷いていた。


「旦那方、もしもアルトラムへ行ってみたいようでしたら、

 アタシ(.)がお送りしましょうか?」


不意にそんな言葉を挟んで、白い歯を見せてにっこりと笑みを見せる店主。

んん? と私達三人は不思議そうに顔を見合わせる。


「ハッハッハッハッ! なあに言ってんだよお〜、おじさん! 

 屋台に俺ら三人乗っけて、引っ張ってくれるっての〜っ!?

 ちっからもち〜っ! アッハハハハッ〜!!

 じゃあそうして、そうして〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」


元々よく笑う性質だが、更に笑い上戸に変化を遂げている係長。

お酒、君も弱いじゃないか……。


「行きたいなーっ!」


お願いします! と私は副社長に対してとにかく拝んでみせる。


「……やれやれ」


彼はしばらく沈黙してから、もう一度大きく溜め息を漏らした。

折れましたと宣言するように首を振り、私の方を見据えて頷く。


「社長がいない間の穴を埋めるのは、その右腕たる私なんですよ?

 ですから、渋々です。三日だけですからね」


「や、やったーっ!!! ありがとう、副社長っ!!!」


ガバッと喜びの抱擁を交わそうとすると、

副社長は身の危険を感じたように、身をすっとかがめて見事に回避した。


「いやいや、おっさん同士の抱き合いは本当に勘弁してください……。

 絵面的にも気持ち悪さ的にも、完全にアウトですから」


「何がアウトなものか! まあまあ、いいじゃないかっ!!」


喜ぶ私と眉間に皺を寄せる副社長の肩に、背後からポンと手が置かれる。


「ん?」


誰かと思って振り向くと、先程まで特大丼を傾けていた金髪少女だった。

宝石のように美しい空色の瞳が私の顔をじいっと覗き込んでいる。


先程まではその長い金髪に隠されていて見えなかったのだが、

よく見るとこの子の耳、通常よりもかなり長い上に何だか尖っていないか……?

……撮影用の特殊メイクか何かかな?


「……な、何でしょう?」


「――――で、話は決まったの?」


金髪少女は私の言葉を無視して、屋台の店主に対して質問を投げかける。

一切の暖かみを感じない冷厳な声音。


……話? 話とは一体なんだ?

要領を得ずに首を傾げていると、店主の威勢の良い声が割り込んでくる。


「ええ、ええ。了承はしっかりと頂きましたよ。

 これで三名様、アルトラムへごあんない〜っと!」


「あ、いえいえ――今すぐという訳にはいきませんよ!

 休暇は日を改めて、社長のスケジュールと折り合いをつけないと――」


副社長が盛り上がる場を慌ててとりなそうとするが、店主は聞く耳を持たない。

私はといえば、慰安旅行ならば、いつ何時、地球のどこへだって、

この身が朽ち果てるまで行ってやるぞ! という開放的な気持ちだったので、

ワクワクしながら場の状況を静観する。


「なあに、ご心配なく!

 そちらで伸びていらっしゃる若旦那は、後ほどしっかりとお届けします。

 一気に三人もまとめて異世界へ送り込んでしまうと、

 因果の線がこんがらがって時空の狭間に取り残されることがありますからね。

 念には念を押して、まずはお二人から先にアルトラムへと転送しましょう!」


……なんだって?


係長を除く私と副社長の二人は、顔を見合わせてひどく困惑する。


異世界? 因果の線? 時空の狭間?

聞き慣れこそはしないが、

何やらとんでもない言葉の数々が多々聞こえたような気がするのだが……。


「それではお嬢っ! お願いしますっ!!」


意味を解釈する間もなく、店主がパンと大きく一本締めをする。

お嬢と呼ばれた先程の金髪少女が、私達二人の前にすうっと手を翳した。


「アルトラムとやらには、どうやって連れて行ってもらえるんでしょうか?

 もしかして本当に屋台に乗っていく、とか……?」


「――――はあ? そんなわけ無いでしょ?」


私の質問に心底ウンザリしたような顔で、少女は呆れ声を漏らす。

で、ですよね……。そんなわけないよねえ……。


「君! 社長はとても傷付きやすいんだぞ! もうちょっと優しくっ!」


断固抗議の姿勢を取る副社長をまあまあと諌める。

すごく恥ずかしいからやめてね。


「……あのねえ、この世界ではもしかして海の上を徒歩で旅するわけ?

 出来ないでしょ? ロクな魔法が存在しないんだもの。

 それにね、アンタ達の行き先は大陸の外なんて生易しいもんじゃないわ。

 この世界には存在しない場所。つまりは完全なる異世界よ。

 アンタ達は概念に身を(やつ)して、次元間を移動しなければならないの」


どうやらこれから起ころうとすることの解説をしてくれているらしいのだが、

私と副社長は怪訝な顔でお見合いをするしかない。

何かのマンガやアニメの話かな? 若い子の話は難しいなあ……。


「あの、おっしゃっている意味が全く分からないのですが……」


「……むう。私なりにこの世界の言語で上手いこと説明したつもりなんだけれど。

 ま、百聞は一見に如かずって格言がこの世界にはあるらしいじゃないの。

 国語辞典ってヤツで知ったのだけれど、私は結構好きな類の言葉ね。

 ――――つまりね、こうすんのよっ!」


不敵な笑みをにやりと浮かべると、少女は静かに目を瞑った。


「…………時空を司る原初の精霊達よ――――

 ヨクト・ベルスタッドの名の下に今こそ集えッ!!

 遥かなる血の盟約に従い、我が魔力の滴を汝らへと捧ぐ!!!」


「えっ」


唐突に詠唱らしきものを始めたので、私と副社長の身体が驚きで震える。

もしかしてどこぞの劇団員さんか何かなのだろうか?

こんなに長い台詞をよく噛まずに言えるなあ、と感心しつつ見守る。


それにしても、係長よ……。

場所も憚らずにこれだけの大声を張っている人がいるというのに、

君はビール一杯如きで全くもって目覚めもしないとは。

ある意味、尊敬するよ……。


「ティス・トリエンテッ!!

 ――――このヨクトの大いなる意思と血肉を依り代とし、

 彼の者達の魂と器を、母なる大地・アルトラムへと転送するッ!」


少女が言い終えると、しばらく場がしんとした静寂に包まれる。

ふう、と大きく息を吐いて、金髪少女は翳していた手を静かに降ろした。

どうやら一人芝居は終わりのようだ。


拍手をしようと私が手を持ち上げたところで、副社長がその異変に気付く。


「――――しゃ、社長……。社長の手、何だかすっごい光ってますよ……!?」


珍しく取り乱した様子の副社長の言葉通り、

目も開けられないような猛烈極まりない光度で私の手は光り輝いていた。

え? 何だ、コレ――――というか…………!


「君なんて顔ごと光ってるじゃないか……。うわっ、眩しっ!」


「……えっ!? あっ、社長の顔も光ってるっ!! 眩しいっ!」


「ええっ!?」


比喩表現などではなく、私達二人の全身は電球のように輝いていた。

何が起きているんだと驚愕の声をわあわあと上げつつ屋台から転がり落ちる。


「十秒ってとこかしら。そろそろ意識が落ちるわね」


金髪少女は手首にはめた金時計を確認しながら、冷淡な口調で告げた。


「――――この世界での容れ物は私達が回収しておくわ。

 アンタたちが戻ってくるまで、責任を持って保管しておきましょう」


意識が少しずつ――ぼんやりと曖昧になってゆく。

輪郭が黒塗りされてゆく視界の中、少女は祈りを捧ぐように呟いた。


「願わくば、彼の者たちが我らの世界の希望たらんことを」


少女の言葉を耳にしたが最後、私の意識は深い闇の底へと沈んでいった。

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