①【 社長の悩み 】
『休みが欲しい!』
誰に対して投げかけるでもなく、
そんな願望が口から自然に零れ落ちるようになったのは、
果たしていつ頃からの話だろうか……?
光陰矢の如しとはよくぞ言ったものだ。
ついこの前までピカピカの社会人であったかと思えば、
社内の入れ替わり立ち替わりが続き、
私が社長職に就いてから、なんと十年もの月日が経過したと言うじゃないか。
我らが山陽商事も事業の規模を拡張し続け、
気付いてみれば世界を股にかけての交易を手掛けるようになった。
社の代表としては何とも喜ばしい限りなのだが、
それも正直言ってしまえば嬉しい悲鳴というか、
ぶっちゃけ、ちょっと忙し過ぎやしないかなと頭を悩ませている。
会合に次ぐ会合や、役員達との永遠とも思える長い長いミーティング。
雑誌でインタビューを受けてみたり、時には不祥事に頭を下げてみたり……。
つまり、私にだって休みが欲しい時ぐらいあるのだ。
鏡を見る度、着々と勢力を増す白髪や皺への溜め息は尽きないし、
目覚まし無しに勝手に朝早く目が覚めては布団の中で悲しい思いをする。
最近は大分冷え込むようになってきたし、たまには長めの休みを取って、
常夏の島やらで慰安の日々を過ごしてみたいものだ。
(……やっぱり、部下に頼んでみようかなあ)
私は最後の書類にポンと判子を押しながら、ふとそんなことを思いつく。
「社長はジョークがお上手ですね」
この前、勇気を出して副社長にお願いしてみた時は、
そんな風に取り付くシマもなく軽くあしらわれてしまったけれど……。
あの失敗からは大分時間が経ったし、
今度こそ、万が一にも、だが…… 許可が下りるかもしれないじゃないか。
よし、思い立ったが吉日だ。
隣に立つ秘書に声をかけ、今日のスケジュールの空きを確認してもらってから、
やや緊張気味に震える指で副社長の携帯電話をコールする。
今回の作戦はこうだ。
1、晩御飯に誘って、軽快なトークで副社長の心を優しく揉み解す。
2、「私は疲れていますよ」アピールを会話の合間にさり気なく挟む。
3、お互い気分が良くなりほわほわしたところで休暇要求の話を切り出す。
うん、完璧だ。
「お疲れ様です、社長。どうかされましたか?」
副社長の冷静かつ平坦な声が受話器越しに響く。
よし、落ち着け、落ち着くんだ……。緊張を向こうに悟られるな。
あくまでもクールに違和感なく誘い出すのだ。
「あのね、今日の晩なんだけど予定は空いているかな。
久々に君と晩御飯を食べにいきたいと思うんだけれど、どうだろう?」
「……ありがたいお誘いですが、
らーめん屋を紹介したいと係長のヤツに詰め寄られておりまして……。
もし三人でも構わないようでしたら、社長もご一緒しますか?」
おや? これはむしろチャンスではないだろうか。
仕事大好きっ子の理想的な社会人である副社長であるならばともかくとして、
(おっさんの中では)まだまだ若い係長であれば、
休みを求める私の心情をきっと痛切に理解し、同調してくれる筈だ……!
形勢的には2:1。社長が温情を見せる可能性も幾分かはプラスされるだろう。
「うん、行く行く! んじゃ、今からそっちに行くから待っててね!!」
「えっ、そんなにはしゃぐほどですか……?」
怪訝な様子の副社長の言葉を無視して、私は勢いよく社長室を飛び出した。