二十 雪夜の月
目を開けると、私は一人暗闇の中に立っていた。
ここ、どこ? 私、たった今まで雪と一緒にいたはずなのに。
そう、雪と一緒にいた。告白して、想いが通じ合って……キス、したんだ。でも最後、さよならって言ってた。どういう意味なのか聞こうとしたのに、気がついたらなんでかこんなところにいたんだ。
「月乃」
誰もいないと思っていたのに、突然後ろから声をかけられて思わず肩がびくりとしてしまった。慌てて振り向くと、そこにいたのは千歌だった。
「千歌! よかった。あれから全然返事してくれなくなっちゃったから、どうしたのかと思ってたよ」
「ごめんなさい。片割れとはいえ、さすがに自分のじゃない体を動かすのは大変だったのよ」
「片割れ?」
片割れってどういうことだろう?
そういえば私、千歌は自分の前世だと勝手に思いこんでたんだっけ。でも、雪に言ったらそれは違うって言われたんだよね。
「まずはお礼を言わせて。薬鷹を解放してくれて、ありがとう。まあ正直、連翹の方はどうでもよかったんだけど」
「うわ、連翹には厳しいね。まあ気持ちはわからないでもないけど。それと、私は何もしてないよ。あの時、千歌が薬鷹を呼び戻してくれたから神堕ちをやっつけられたわけだし」
「白蛇様には怒られちゃったけどね。月乃の体で無茶するなって」
そうして私たちはしばらく他愛無いお喋りを楽しんでいた。でも、ふと訪れた沈黙を機に、私はとうとう本題を切り出す。
「ねえ、千歌。あなたは一体何者なの?」
私を見て千歌はいたずらっぽく微笑むと、「妹、ううん姉……かな?」などとわけのわからないことを言い出した。
「本当なら私はね、月乃と一緒に生まれてくるはずだったの。あなたの姉か妹として、ね」
生まれてくるはずだったもう一人。それってつまり、千歌は私の双子の片割れってこと? でも私には姉妹なんていない。お母さんからもそんなこと聞いたことないし、生まれてきたのは私一人のはず。
ううん、まって。そういえば昔、何かの本で読んだことがある。本来双子として生まれるはずだったのに片方がうまく育たなくて、母体や、稀にもう一人の子に吸収されてしまう――
「バニシング・ツイン」
私の呟きに千歌は「正解」と微笑んだ。
でも、バニシング・ツインなら彼女の体はもうないはず。それなのに、なんで私の中に彼女の魂がいるの?
「ねえ、千歌。バニシング・ツインだというのなら、あなたの体はもうないってことだよね? それなのに、なんであなたの魂はここに、私の中にいるの?」
私の問いかけに、千歌は一瞬悲しそうな表情を浮かべた。
「いるよ。私、月乃の中にちゃんといるよ」
私の中にいる? それは一体どういう意味なんだろう。
戸惑う私の頭を指差し、千歌は泣きそうな顔を浮かべる。
「気づいて、月乃。私はあなたのここにいる。このままだとあなたも危ないの。だからお願い、どうか私の存在に気づいて。なるべく早く病――――」
目の前の千歌の姿が陽炎のように揺らぎだす。
「待って、どういう意味!? 私の頭の中にあなたがいるって」
手を伸ばしたけど、私が伸ばした分だけ千歌は遠ざかり、そしてやがて消えてしまった。
謎の言葉と哀願だけを残して。
※ ※ ※ ※
目覚ましが鳴ってる。
そのわずらわしい電子音を止めるため、私はのろのろと布団から身を起こした。携帯のアラームを止め、日付を確認する。
7月18日(土曜日) 8:03
寝ぼけた頭で周りを見渡す。見慣れた六畳の和室、私の部屋だ。
「うわっ、最悪……。制服しわくちゃ」
どうやら昨日は制服のまま寝てしまったらしい。今日が土曜日でよかった。後でアイロンかけておこう。
とりあえず適当な服に着替えて洗面所に行くと、そこには龍臣さんがいた。
「あ……、おはようございます」
「おはよう。しっかし相変わらず堅苦しいよねぇ、月乃ちゃんは」
「あ、はい。その……すみません」
なんだろう、ものすごく調子が狂う。龍臣さんってもっとこう、陰う……クールな感じじゃなかったっけ。あれ? でも昔からこんな感じだったような気もする。なんだろう、なんかもやっとする。
そんな私のことなどお構いなしに、龍臣さんは調子っぱずれな鼻唄を歌いながら洗面所を出て行った。一人残された私は、顔を洗うために洗面台の前に立つ。鏡を見ると、なんだかいつもの自分と違うような気がした。
そこにいたのは、不思議そうにこちらを見る少女。長い黒髪、白い肌。見慣れているはずの自分の顔なのに、なんだか前と受ける印象が違う。私って、もっと暗い感じじゃなかったっけ?
「月乃ちゃーん、お友達が来てるよぉ~」
玄関の方から龍臣さんの声が聞こえてきた。
友達って誰だろう? 私、友達なんていたっけ? なんか今日の私は変だ。いつも通りのはずなのに、頭のどこかで誰かが違うって訴えてくる。でも何が違うの? 何も違わない。今日もいつも通り、いつも通りのはずなのに……。
玄関から龍臣さんの間延びした督促の声が聞こえてくる。私はそれに適当な返事を返すと、手早く身支度を済ませ玄関に向かった。
※ ※ ※ ※
穏やかで単調な毎日が過ぎてゆく。
学校へ行って、友達と遊んで、たまに喧嘩して、仲直りして。毎日がとても幸せで、満ち足りていた。ふとした瞬間に感じる喪失感、それさえ除けば。
季節は夏から秋へ、秋から冬へと移ろい、春が来たらまた夏になり……。そうして気づくと、私は高校卒業の年を迎えていた。この二年、夏を迎える度に強くなる違和感。そのストレスなのか、私は毎年夏になると体調を崩していた。
そして高校生最後の夏、私は例に漏れず原因不明の体調不良に悩まされていた。ただし今年は去年までと違い、頭痛に加えふらつき、視力の悪化などが増えていた。さすがにまずいと病院へ行けば即日入院させられてしまい、今、私は病室の窓から月を眺めている。
そういえば昔、誰かに病院へ行けと言われたことがあるような気がする。あれは誰だったのか、どこで言われたのか、そもそも本当にあったことなのか……。なんだか記憶が曖昧で、思い出せそうで思いだせないという、ひどくもどかしい気持ちに苛まれる。
ベッドの上でうとうとしていたその時、なんとはなしに眺めていた月に何か白いものがかかる。月明かりを反射してきらきら輝くそれを見て、なぜか私は雪を連想した。
雨夜の月ならぬ雪夜の月。
どうせありえないことが起こるなら、いっそとことん起こりえないことの方がいい。真夏の月夜に降る雪なんて、ありえなさ過ぎて最高だ。
「やはり……こうなってしまったのですね」
誰もいないはずの部屋の中から声が聞こえた。男の人の声。悲しそうなその声にはとても聞き覚えがあって。
ベッドから身を起こし、声の方に振り返る。
「…………雪」
靄がかかっていた頭の中がはっきりしてゆく。
そうだ、思い出した。二年前の夏、私はこの人に恋をした。なのにその全てをなかったことにされた。
あの夏起こった全部を消されて、偽物のぬるま湯のような記憶と環境を与えられた。私の意志なんて関係なく。
「うそつき」
責めるような口調になってしまうのは仕方ないことだろう。だって、彼はそうされても仕方ないことをしたのだから。
「雪なんて、だいっきらい」
私の言葉に傷ついたような表情を浮かべる雪。でも、私はそんなの比べ物にならないほど傷ついた。真実泣きたいのは私の方だ。雪にそんな資格なんてない。
「今さら何なの。もう私になんて用ないでしょ。ほっといてよ、もう私のことなんて! 雪なんてきらい……だいっきらい、なんだから」
突然現われた雪のせいで気持ちがいきなり二年前に戻されてしまって、もうどうしていいのかわからない。悔しいやら憎たらしいやら、でも恋していた気持ちも思いだしてしまって憎みきれない。ひどい、ひどいひどいひどい!! このぐちゃぐちゃな気持ち、どうすればいいの!
立ったまま泣きじゃくる私に、恐る恐るという風に雪が手を伸ばしてきた。
「さわらないで!」
さわらないでって言ったのに、雪は泣きじゃくる私を抱きしめてきた。懐かしい白檀の香りに包まれ、それを嬉しいと思ってしまった自分に腹が立った。
「私、言ったのに! もう記憶をいじらないでって。私の意志を無視して私のためだなんて大義名分かざして、都合良く私を扱わないで!!」
「申し訳ありません……本当に、申し訳ありません」
目一杯の力で拳を雪の胸に叩きつけ、私は溜まりに溜まった不満をぶちまけていた。
好きだから許せない、でも好きだから嫌いになりきれない。今、私の心の中は雪への気持ちでぐちゃぐちゃだ。
「私は……本当に、だめですね。月乃のためになどと言いながらいつも貴女を傷つけ、泣かせないようにと思っているのに泣かせてしまう」
「そうだよ。独り善がりで思い込みが激しくて。……でも、いつも私のことを考えて心を砕いてくれて。空回りでも的外れでも、いつでも私を思っていてくれた。ずっと私のそばにいてくれた。だから! ……嫌いになりきれなくて、困るんだよ」
私は叩きすぎて痛くなった手を雪の背に回すと、彼の胸にぎゅっと額を押しつけた。
「私も……結局は月乃のことが諦めきれなくて、このような事態を招いてしまいました。中途半端な気持ちが貴女を傷つけ、因果をも歪めてしまった」
雪も私を強く抱きしめ、その胸の内の悔恨を吐露し始めた。
そんな彼の懺悔を聞きながら、それでもこうしてもう一度会えたことに喜びを感じている自分に心底呆れる。惚れたら負けって本当だな、なんて。
「私は、月乃に生きていてほしかったんです。人として、その一生をまっとうしてほしかった。だから全て無かったことにして戻したのに。それなのに……」
なんだろう? なんか雪の言葉に妙な違和感を感じる。その言い方だと、私、死んじゃったみたいなんだけど。
まさかね、という思いでベッドを見ると、そこにいたのは――
「千歌! と、わた……し?」
ベッドに腰かけこちらを見ている千歌と、横たわっている私。
え? じゃあ、今ここにいる私は何? 何これ、夢でも見てるの!?
「久しぶりだね、月乃。白蛇様もお久しぶり」
私の困惑など気にもせず、千歌は普通に話しかけてきた。
千歌が出てきているってことは、やっぱりこれって夢なのかな。それにしてはなんかリアルなんだけど。
「……これ、夢?」
私の呟きに千歌は首を振る。
夢じゃないのならこれは一体どういうこと?
そんな私の疑問に答えたのは雪。
「月乃、貴女は……死んだのです」
私が、死んだ?
全然自覚ないんだけど、私、死んじゃったの……? あ、でも意外とショックはないかも。何でだろう? 私、そんなに生きることに執着なかったんだろうか。むしろそっちの方がショックだ。
「ごめんなさい。直接の原因は私なの。でも、これだけは言わせて。本来なら私のせいで月乃が死ぬことはなかった。ちゃんと警告もしたし。だけど、そうなるように運命を改変してしまったのは……白蛇様、あなただよね」
悲しそうに雪を見る千歌。見上げた雪の顔はとても苦しそうで、そんな顔を見せられたら私まで苦しくなってくる。
「そうです。全ては私の我儘とふがいなさが招いたことです。私は、自分が人の運命に与える影響力というものを軽視していました。全てを無かったことにして、自分の気持ちに蓋をして、月乃に関わらないようにすれば大丈夫だと思っていたんです。しかし……それではだめでした。私の想いが無意識に月乃の運命を捻じ曲げ、本来害にならないはずだった千歌の存在をも変えてしまったんです」
「ちょと待って! ねえ、私にもわかるように教えて。まずは、何で千歌が私の死ぬ原因になったのかとか」
慌てて雪の懺悔をストップする。このままだと千歌と雪の二人だけで話が進んでしまいそうだったから。私のことなのに、また私だけおいてけぼりになっちゃう。
その私の気持ちが伝わったのか、千歌が説明してくれた。
「私があなたの片割れだっていうのは前に話したよね。で、本当は私はお母さんの中に吸収されて消えるはずだったの。だけど何の因果か、私は月乃に吸収されてしまった」
「もしかして……、胎児内胎児?」
「さすが月乃、物知りだね。そう、しかも私は完全に吸収されず、中途半端な状態であなたの頭の中に閉じ込められちゃったの。だから、さっきお医者様が言っていた腫瘍っていうのが私の体」
「本来ならば千歌が月乃を死に追いやるはずはなかったのです。きちんと治療すれば完治した。その運命を、私が無意識に改変してしまったのです」
そっか。やっと全部が繋がった。
千歌は私の前世じゃなくて、私の中に閉じ込められて、生まれてこられなかった姉妹だったんだ。
そして薬鷹は私の中で眠る千歌に、連翹は目覚めた薬鷹に、千歌は覚醒した薬鷹たちの魂に触発されて目覚めた。そして目覚めた千歌の記憶が私に夢として流れ込んできて、私は自分の前世が千歌だと思い込んでしまった。だから雪は言ってたんだ、私と千歌は近いけど別の人間だって。
そして雪。なんで雪が私を遠ざけようとしたのか。
雪は私に生きて、人生をまっとうしてほしかった。自分が望めば私が死んでしまうから、だから全部なかったことにした。だけど雪の望みは無意識で私に影響し、結果私は死んだ。
「わかった。これでやっと、全部わかった。千歌と私の関係も、雪がなんで私を遠ざけようとしたのかも」
わかったけど、だからって納得できるわけじゃない。
千歌は仕方ないとしても、雪の方は本当にどうしようもないと思う。深緋さんの言うとおり、とんだヘタレだ。でもそんな雪を嫌いになれない、むしろ愛しいとさえ思ってしまう自分も大概だ。あばたもえくぼってこういうことなのかな。
「雪、こうなったからにはちゃんと責任とってくれるんだよね?」
私がずいっと迫ると、雪は泣きそうな顔でたじろぐ。
あ、なんかいいかも。深緋さんや青丹さんが雪をからかいたくなる気持ち、ちょっとわかった。雪っていじめたくなるタイプだ。
「も、もちろんです。私に出来ることであれば、いえ、出来なさそうなことでも出来る限り叶えてみせます」
よし、言質はとれた。
「じゃあさ、今度こそ絶対にいなくならないで。私のそばに、ずっといて」
今度こそ逃がさない。
だって、私のこと殺してでも手に入れたいほど望んでくれたんでしょ。だったら応えてあげる。そのかわり、もう逃がしてあげないけどね。
「許すというのですか、こんな私を」
「違うよ、許さないからだよ。だから、一生私に尽くしてね、雪」
「はい……、はい! これからはずっと、ずっと月乃のそばにいます。いえ、いさせてください」
ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる雪の声は、ちょっとだけ震えていた。
「さて、じゃあ私はそろそろ逝くね」
抱き合う私たちに苦笑いを浮かべながら、千歌はベッドから降りた。
そうだ、薬鷹は? そう思って雪を見上げると、雪が頷く。
「千歌、色々と世話になりました。それと薬鷹ですが、彼は輪廻の輪に戻りました。連翹も一緒です。呪いも祓ったので、次に生まれ変わる時は二人とももう別人でしょう」
「うん、ありがとう。……さーて、次こそは私も幸せになってやるぞー」
そう言うと、千歌は光の玉となり消えていった。彼女を見送ると、私は雪の手を、雪は私の手を固く握る。
十六年間生きてきたこの世界に未練がないと言えば嘘になるけど、それでも後悔はしてない。私自身が選んだ道だから。この先も色々なことがあるだろうけど、雪が隣にいてくれるならきっと大丈夫。共に支え合って、ぶつかったら話し合って、そうやって相手を理解して。そんな風にお互い歩み寄りながら私たちは進んでゆけるはず。
それにしても、こんなこと想像するどころか自分の身に起こるなんて思ってもみなかった。まさに雨夜の月。ううん、夏の雪夜の月かな。だって、本当にありえないもの、こんなこと。
「では、行きましょうか」
「うん」
そして、私たちはゆっくりと歩き出した。
ここまでおつきあいくださり、本当にありがとうございました。




