二 デート
「日月さん、学校終わったら遊びに行こうよ」
休み時間、小倉くんが懲りもせず話しかけてきた。今日はいつもよりさらにからんでくるような気がする。朝、あれだけ言ったのに、まったく気にしていないようだ。心が広いのか、無頓着なのか。
「行かない」
「あ、もしかして、イケメン保護者とデートの約束してるとか? くそー、ロリコンめー」
小倉くんが失礼な事をさらりと言う。ロリコンだなんて、龍臣さんに限ってそんなことないと思う。……たぶん。
でも、最近の龍臣さんは少し変だ。今朝の結婚の話といい、私を見る目つきといい、少しばかり身の危険を感じる時がある。まさかとは思うけど、龍臣さんは私を女として意識している、とか? いやいや、さすがに自惚れが過ぎるでしょう。あの龍臣さんが私みたいな小娘に手を出すほど女に飢えているとは思えない。あんな優良物件、周りの方が放っておかないはずだ、きっと。
私は馬鹿な考えを一蹴すると、小倉君にはっきりと告げる。
「してない。龍臣さんとはそんなんじゃないって言ってるでしょ。邪推はやめて」
「いいなぁ、イケメン。名前呼びだし。そうだ! だったらさ、俺のことも陽成って呼んでよ」
一人で勝手に喋っている小倉くんを無視して席を立とうとした時、こちらを見ている女子のグループと目が合った。
橘さん。同じ村の子なので小学校から一緒だったけど、ほとんど喋ったことはない。おとなしい子みたいで、いつも友達のそばで穏やかに微笑んでいる印象の子。でも時々、特に一人でいる時、まるで何かに怯えているような様子を見せる。それが不思議でなんとなく観察していたので、人付き合いのない私でも覚えていた。
こちらを見ていた彼女は泣きそうな顔をしていた。ううん、泣きそうというよりも怯えているように見えた。私と目が合うとすぐ俯いてしまったので、一瞬しか見えなかったけれど。反対に彼女の周りの女子は、私と目が合っても睨み続けている。
橘さん、小倉君のことを見ていた? もしかすると、彼女は小倉くんのことが好き、とか? でも、こちらを見ていた彼女の顔は、悲しいとか妬ましいとかではなくて“恐ろしい”だった。あの顔は、私を見る時の顔だ。
橘さんは、私のことをいつも怯えた目で見ていた。理由を聞こうにも、声をかけようとしただけで逃げてしまう。何度か接触を試みたが、あまりの怯えようになんだか気の毒になってきたので、結局声をかけることは諦めた。それからはなるべく彼女に近づかないように気をつけている。
だから、彼女が一体私の何に怯えているのかはわからずじまい。気にはなるけど、無理矢理聞き出すほどでもないので放置している。
でも、何で怖くて苦手なはずの私を見ていたんだろう? 確か彼女は小倉君と仲が良かった、と思う。だから、わざわざ私に関わろうとする小倉君を心配して見ていた、とかかな? だったら、あともうひと頑張りして、ぜひ小倉君をここから引き取っていってほしい。
「小倉くん。本当に迷惑だから、もうこれ以上私に話しかけないで」
いい加減小倉君の相手をするのにも疲れてきたので、きっぱりと拒絶させてもらった。なのに何を思ったのか、小倉君はとんでもない返答をしてきた。
「無理! だって俺、日月さんのこと好きだもん」
小倉君は椅子の背に肘をつきながら私を見上げ、教室中に響き渡るような声で堂々と言い放った。その暴挙に私は開いた口が塞がらない状態で、思わず呆然とその場に立ち尽くしてしまった。
彼の妄言は、休み時間の喧騒に溢れていた教室を一瞬にして静寂に変えた。次の瞬間、教室は混乱と興奮の坩堝と化した。そして、私と小倉くんはあっという間に包囲された。
「陽成、テメェ白昼堂々と公開告白か! 当たって砕け散れ」
「ヤダ、小倉正気!? あり得ない! よりによって日月さんって……」
「小倉、お前だってこいつの呪いのこと知ってんだろ。マジでやばいんだって!」
「呪いって? なになに、お前らそういうの信じちゃってんの?」
クラスメイトたちはそれぞれに好き勝手なことを言ってくる。主に小倉君に。私も当事者のはずなのに、誰一人として私には話しかけてこない。ここまで無視されるといっそ清々しい。別にいじめられているとかそういうことではないので、ただ単に私の存在感が薄いんだろう。
ちなみに、小倉君を囲んで考え直すように言っているのは同じ村の子たち。私の呪いのことを思い知らされている子たち。その怯えようを面白おかしく茶化しているのは町の子たち。私のことを噂でしか知らない子たち。
さて、この騒動の元凶である小倉くんが、期待に満ちた目で私を見上げてくる。今までの私の態度で、一体何を期待できるんだろう。鋼のメンタルっていうのは、こういう人のことを指すんだろうか。
小倉君の視線を追うように、他の人の視線も自然私に集まってくる。最悪だ。なるべく他人と関わらないように息をひそめて学校生活を送ってきたのに、小倉君のせいで台無しだ。この際はっきり断ろう。そうすればみんなも納得するし、私への興味も薄れるだろうから。
それにここで小倉君との関わりを断てば、私のせいで彼に害が及ぶこともないだろう、たぶん。
「ごめんなさい。悪いけど、小倉くんのことそういう風に見たことないし、これからもないと思う」
私が断ると、明らかに安堵の雰囲気が教室に流れた。どれだけ自分が村の人たちに敬遠されているのか目の当たりにすると、わかっていたことだけどやっぱり少し傷ついた。まあ、いいけどね。自分から他人を避けてるんだし、このほうが都合いいし。別に一人なんて慣れてるし。
「そっか。わかった」
小倉君は案外あっさり引いてくれた。ほっとして彼を見ると、いたずらっ子のような笑みを浮かべていた。なんだろう、ちょっと嫌な予感がする。
「じゃあ、そういう風に見てもらえるように頑張るから。これからもよろしくね」
いつものニコニコ笑顔で宣言されてしまった。予想外の答えにどう返したらいいか迷っていたら予鈴が鳴ってしまい、小倉くんは「じゃあ、また後でねー」と手を振りながら自分の席に帰っていってしまった。
いたたまれない。
クラス中から突き刺さる様々な好奇の視線。興味、嫉妬、恐怖――。
「日月さん、早く早く! そうだ、イケメンに連絡した?」
この居心地の悪い状況を作った張本人は全く悪びれた様子もなく、目の前で私の進路を塞ぎながらにこにこと笑っている。
「私、遊びに行くって言った覚えないんだけど。帰るんだから、そこどいてよ」
「いいから、いいから」
私の言うことなどまったく聞かず、クラス中の視線もものともせず、小倉君は私の手首を掴むとさっさと教室の外へと歩き出した。
「もう、離してってば!」
掴まれた手首を振りほどこうとしたけど、一向に振りほどけない。小倉君はそんなに背も高くないし、見た目も華奢そうだから力なんかないって思っていたのに。意外とゴツゴツしている手はやっぱり男の子の手で、意識し始めたら段々緊張してきた。男の子と手をつないだのなんて、たぶん早雪以来だ。
「陽成頑張れよー」とか「爆発しろ」などの無責任な応援と、怯えと心配を滲ませた眼差しを背に受け、私たちは教室を後にした。
校門を出るとすぐに龍臣さんの車が見えた。小倉くんは迷うことなく車に近づき、窓ガラスを軽くノックした。窓が開くと、怪訝な顔をした龍臣さんが「どうしたの?」と私に声をかけてくる。すると、龍臣さんから私を隠すように、小倉くんが私と龍臣さんの間に立った。
「初めまして。月乃さんの保護者の方ですよね? 俺、小倉陽成っていいます」
小倉くんが人好きのする笑顔で挨拶すると、龍臣さんも笑顔で返してきた。ただ、その目はとても笑っているようには見えなかったけど。
「月乃の友達かな? 私は月出という。御察しのとおり、月乃の保護者だ。それで、何か用かな?」
「迎えに来ていただいて申し訳ないんですけど、俺たちこれからデートなんです。夕方まで月乃さんお借りしますね」
「ちょっ、小倉くん――」
龍臣さんの機嫌がどんどん悪くなってゆく。私は気が気じゃなくて、慌てて小倉君を止めようとしたのに、彼はどんどん話を進める。
「あ、帰りはちゃんと送りますから。俺の家も同じ村の中ですし、月乃さんはきちんとお宅までエスコートさせてもらいます」
「…………わかった。そうだね、月乃だってたまには友達と遊びたい時もあるよね」
お許しが出たみたいだけど、私は怖くてまともに龍臣さんの顔が見られなかった。だって、声が刺々しいったらない。小倉君は一体どんなつもりでこんなことをするのか。後々こんな状態の龍臣さんと二人にならなくてはならない私の身にもなってほしい。
通り過ぎる時、龍臣さんに「遅くならないようにね。夕飯までには帰っておいで」と言われた。言葉は気遣い溢れるものだったが、その目には剣呑な光が灯っていた。
「小倉くん! 何であんなこと言ったの」
私は小倉くんの手を振り払うと、先ほどのやり取りのことを問い詰める。
「あんなことって? デートって言ったこと? だったら牽制だよ」
「ケンセイって……牽制? 意味わかんないだけど」
「そのままの意味だよ。恋敵にご挨拶ってやつ?」
「だから! 私と龍臣さんはそんなんじゃないって――」
「月乃にその気がなくてもさ、あっちはヤル気満々ぽかったよ。顔は笑ってたけどさ、俺を見る目、スゲー怖かったし。あとやたら友達って強調されてたし、デートって単語は完全スルーされたし。大人げないくらいあからさまだったと思うけど」
龍臣さんの嫌味を指折り数えながら苦笑いしている小倉君を、私は思い切り睨みつけた。しかし、彼は何処吹く風と私の怒りの視線を受け流す。
やる気満々って、“殺る気”なのか“犯る気”なのか知らないけど、とにかく変にあの人を焚きつけないでほしい。私はそのスゲー怖かった人のところへ帰らなきゃいけないのに。もし何かあったら小倉くんのせいだ!
「とりあえずさ、こんなところで立ち話もなんだし。お昼でも食べながら話そうよ」
そう言うと彼は私の返事など待たず、しっかりと私の手を握りどんどん歩いていく。さっきので抵抗しても無駄だと学んだので、とりあえずそのままついていく。それに、小倉君とはここできっちり話をつけないとずっと付きまとわれそうだ。
しばらく歩くとファーストフード店が見えてきて、小倉君は迷わずそこへ入った。夏休み前のお昼とあって、学生の姿が多く活気づいている。同じ学校の制服姿もあちらこちらに見えた。たまたま空いていた席を確保すると、「何かテキトーに頼んでくるわ」と言い残して、小倉くんはカウンターの方へ行ってしまった。
「ねえ、何でまだアイツと一緒にいんの?」
突然頭の上から降ってきた険のある声に顔を上げると、同じクラスの女子がいた。確か橘さんとよく一緒にいる子だ。
「私だって一緒にいたくているわけじゃない。文句なら小倉君に言ってよ」
「たく、あのバカ……。でもさ、アンタだってわかってんでしょ。自分が周りにどんな影響与えんのか。忘れたわけじゃないよね、ヨータのこと」
ヨータ――ヨータ君、山野辺陽太君。家族以外で、初めて私の呪いの犠牲になってしまった男の子。
家族を事故で失った後、誰とも喋らなくなった私にやたらつっかかってきた意地悪な男の子。ブスだの暗いだのの悪口から、蛙を投げつけてきたり髪の毛を引っ張ってきたりと色々やってくれた。
そしてとうとう我慢の限界を迎えた私は、学校で「大っきらい! もうヨータ君なんて見たくない」と言ってしまったのだ。その瞬間の彼の泣きそうな顔――、未だ脳裏に焼き付いて離れない。だって彼はその日の放課後大きな事故に遭って、遠くの病院に入院することになったのだから。
そしてそのままヨータ君は私の前からいなくなり、戻ってくることはなかった。
「紅梅!」
私たちの間に流れる微妙な空気を断ち切るように、橘さんが私と彼女の間に飛び込んできた。
「日月さんに何言ったの!?」
「何って、普通に話してただけだよ。ね、日月さん」
私が頷くと、橘さんは今にも泣きそうな顔で私を見た。その目はやっぱり化け物でも見ているような怯えっぷりだ。
「あの、紅梅は言い方とかキツいけど、本当は悪い子じゃないの。だから――」
「呪わないで?」
橘さんが私を見る目があまりにも怯えていたので、ちょっと意地悪く言ってみた。途端、橘さんは顔面蒼白となり、紅梅と呼ばれた彼女は眉間にしわを寄せ睨み付けてきた。
「ごめんなさい、ちょっと意地悪かったね」
思ったより橘さんが怯えてしまったので、すぐさま謝った。でも、彼女の怯え方はやっぱり少し異常な気がする。
他の人、例えばこの紅梅さんなんかは、事情を知っていてもそこそこ好戦的だし。そもそも会話したくらいで何かが起こるわけではないから、他の人たちだって関わることは恐れても、橘さんみたいに会話するだけでここまでびくつかない。
「ねえ、橘さん。何でいつもそんなに怯えて――」
「こちらこそごめんなさい! 私たちもう行くから。ほら、紅梅」
橘さんは私の言葉を遮るように謝ると紅梅さんの腕を取り、まるで逃げるように奥の方へ行ってしまった。
「月乃って、綏子たちと仲良かったっけ?」
のんきな声に振り向くと、この騒動の原因の一端である小倉くんが戻ってきていた。トレーをテーブルに置くと、「好きなのどーぞ」と笑いながら向かいの椅子に腰かけた。
「ヤスコ?」
「橘綏子。今、話してたじゃん」
橘さん、ヤスコっていうんだ。そう言われればそんな名前だったかもしれない。呼ぶことなかったし、全然覚えてなかった。そういえば、紅梅さんとやらの名前も今さっき知った。名字のほうは未だに思い出せない。二人とも同じ村だし小学校から一緒だから顔は知ってたけど、接点がなかったから名前までは覚えていなかった。
「別に仲良くない。それよりさっきから気になってたんだけど、何で私の名前呼び捨てしてるの?」
「わっ、バレた? いやー、俺のこと名前で呼んでくんないから、俺が月乃のこと名前呼びしようかと思って」
「やめて」
「あ、俺のことは陽成って呼んでよ。もし呼び捨てに抵抗あるなら、アキとかあっくんとかみたいな愛称でもいいよ」
小倉君の能天気な顔を見ていたら、ちょっと頭が痛くなってきた。どこまでもポジティブで、本当に人の話を聞かない。どうしたら彼の興味を私以外に逸らせるか考えると、深いため息が漏れた。
「月乃はさ、何でそんなに他人を拒否ってんの?」
まるで天気の話でもするかのように軽く、「呪われた一族伝説のせい?」と、ハンバーガーをかじりながら聞いてきた。
普通そういう話題って、もう少し相手を気遣わない? 小倉君、きっとお母さんのお腹の中にデリカシーとか全部置いてきちゃったんだろうね。だったらいいや。私も彼に気を遣うのはやめた。
「そう。わかってるなら、もう私に関わらないで」
「えー、無理。だって俺、その噂の原因とか実際見たわけじゃないし。それに、呪いとかあんなウソかホントかわかんない話、普通信じないでしょ」
そうだった。小倉君は転校生だったんだ。私の家のこともヨータ君の事故のことも、伝聞でしか知らないんだ。どうやら彼は自分で体験しないと信じないタイプらしい。それって巧言に惑わされないっていう美点であると同時に、戒めを軽視するという欠点でもあるけど。
どうやら彼には警告や脅しは通じそうにない。ならばやり方を変えるまで。
「お願いします。どうかこれ以上私に関わらないでください」
私は小倉君に向かって深く頭を下げた。するとすぐに彼の慌てた気配が伝わってきた。
「ちょ、ちょっと! やめてよ、とりあえず頭上げて」
「小倉君が私に関わらないと約束してくれるなら」
私は頭を下げたまま、ただ小倉君の言葉を待った。しかし、彼は思った以上に強情だった。
「やだ! 俺、絶っ対にそんな約束しない」
思わず顔を上げて、呆然と小倉君の顔を見てしまった。目が合うと、拗ねて口をとがらせていた表情を一変して、いつになく真剣な顔で私に問いかけてきた。
「ねえ、月乃。今はまだそれで通じるかもしれないけど、これから先、大人になって社会に出て、それでそんな風に人と距離をとり続けるなんて無理だよ」
わかってる。私だってそんなのわかってる。本当はこのままじゃ自立なんてできない。あの家から、龍臣さんから逃げられないってことも。
「じゃあ、どうすればいいの!? 呪いは本当にあるんだよ! だって、ヨータ君だけじゃない。早雪も、お父さんもお母さんもおばあちゃんも……みんな私のせい。だから、本当は私なんて死んじゃった方が――」
「それ以上言ったら怒るよ」
静かな怒気を孕んだ小倉君の声が私の泣言を断ちきる。彼は一つため息をつくと、まっすぐに私を見つめてきた。
「月乃、俺と友達になろう」
「何言ってるの? 私の話、聞いてなかったの?」
「聞いてたよ。だから、まずは友達になろう。で、一緒にその呪いの原因を探そう」
無理だよ。呪いって言ってるけど、本当は何なのかもわかってないんだよ。わかっているのは、私と深く関わる人は不幸になるってことだけ。
私は力なく首を振り、彼の申し出を拒否した。
「ありがとう。その気持ちだけで十分。でもお願い、もう私には関わらないで。これ以上私に誰かを傷つけさせないで」
空気読まないし、人の話聞かないし、デリカシーないし。でも、小倉君はいい人だ。こんな私みたいなのでも、本当に心配してくれた。他人の言葉を鵜呑みにせず、私を救おうとしてくれた。そんな彼を、私は絶対に傷つけたくない。だから――
「さようなら」
私は初めて小倉君に微笑むと、そのまま振り返らず店を後にした。