十 状況整理
深緋さんの一声で、小倉君と橘さんはここに滞在することになった。もちろん期間限定、出来るだけ早く、龍臣さんのことが解決し次第帰すと言っていたけど。
「みなさん、一度ここまでの出来事を整理しませんか」
珍しく雪が場を仕切りだした。確かに今までの出来事のおさらいや情報の共有は私も必要だと思ってた。特に小倉君と橘さんなんて今のこの状況、全然わかっていないだろうし。
「まず事の始まりは私と月乃が出会ったことにより、月乃が神堕ちと呼ばれる物の怪に狙われるようになったことです。これにより彼女は家族を失ったばかりか死にゆく神堕ちに呪いをかけられ、また私もその戦いにより力の大半を失ってしまったのです」
そして私は家族と早雪、さらには記憶を失い、代わりに力を失って人の姿を保てなくなった雪と出会った。そこからは楽しい毎日とはいかなかったけど、平穏な毎日は送れていた。
「そして昨夜、月乃にかかっていた呪いがその力を急激に失い解除されました。それに伴い呪いの効力を抑えるために使っていた私の力が戻ってきたため、私はこの姿をとれるまで回復しました」
「私の呪いって雪が解いてくれたんじゃなかったの?」
「申し訳ありません。さすがに堕ちたとはいえ神の呪いは強力で、力を失ってしまった私にはその力を抑えるだけで精一杯だったんです」
じゃあ、なんで昨日になって突然その呪いが消えたんだろう? 豹変した龍臣さんと関係あるんだろうか?
「はいはーい、せっつぁん、質問してもいい?」
その場の雰囲気などお構いなしで、小倉君が雪にむかって手を上げながら質問してきた。
それにしても“せっつぁん”って、玉屑の“せつ”からとったんだろうけど、彼のあだ名センスはどうなってるんだろう。呼び捨ての私や橘さんはましな方なのかもしれない。よかった、あんなのつけられなくて。
でも雪はそんな小倉君に嫌な顔一つ見せず、というより心なしか嬉しそうな顔で応じている。もしかしてそのあだ名気に入ったの?
「月乃の呪いって解けたんだよね。だったらもう、月乃は誰かを傷つけるかもなんて心配なんかしなくていいんだよね」
「はい。月乃はもう普通の少女です。あの呪いの効力は月乃から人を遠ざけること、それでも近づいてくる者には死を与えること、でした」
「近づく者には死をって、私の呪い、そこまで危険なものだったの!?」
「はい。ですが私が干渉していたので、死に至るようなことにはなっていないはずです。実際死人は出ていないでしょう?」
まあ確かに出てはいないけど。ヨータ君も大怪我だったらしいけど死んではいないし、その他の人たちも既に回復して普通に暮らしている。さすがに私に近づいてはこなくなったけど。
「じゃあさ、月乃はもう普通に暮らせるんだよな? 普通に友達作ったり、彼氏作ったりできるんだよな?」
小倉君がキラキラした笑顔で雪に質問した。“彼氏”の部分をやたら強調して。それに雪の顔が一瞬こわばる。
しかしそれは一瞬で、雪はすぐにいつもの穏やかな微笑みを貼り付けた。
「そうですね。友人は是非作って欲しいです。月乃は同年代との交流がほとんどありませんでしたから、青春を謳歌してほしいです。…………ですが不純異性交遊は、私の目が黒いうちは認めません」
雪は後半、特に彼氏という単語あたりから、顔は笑ってるのに目が笑っていないという何とも言い難い笑顔で小倉君を威圧していた。そんな雪に小倉君は若干顔を引きつらせながら、「イケメンの次は神様か」と呟いていた。
「玉屑様、話が脱線しております」
そんな二人に青丹さんがすかさず軌道修正をかける。
「申し訳ありません、つい。……では話を戻しますね。月乃の呪いが何らかの原因で解除され、やっと彼女に真に平穏な日々が訪れるはずでした。しかし、今度は彼女の保護者である龍臣の魂に異変が起こりました」
龍臣さん、昨日は朝から少し様子がおかしかった。それが更におかしくなったのは夕食の時。そして決定的になったのが昨日の夜、私たちを追いかけ神社に現われた時。
「彼は精神的に少々不安定なところがあったようです。理性と感情の狭間で苦悩していたように見えました。時々感情が暴走しそうになっていたのですが、その時は私が抑えていました」
知らなかった。私が今まで無事だったのって雪のおかげだったんだ。責任感じてくれていたとはいえ、毎日私のこと見守ってくれてたなんて。
そんなことを考えていた時、不意に橘さんが手を上げた。
「あの、一つ気になったことというか、あ、もしかしたら違うかもしれないんですけど……」
不安げに目を泳がせながら話す彼女に、雪は優しく微笑むと先を促した。雪の微笑みに一瞬見とれた橘さんを見て、私はちょっとだけもやっとしたよくわからない何かを感じた。
「えっと、あの人、本当に一人なんですか?」
橘さんの言葉の意味がわからなくて一同首を傾げる。そんなみんなの反応に慌てた橘さんは、あわあわと半泣きで謝りだした。
「綏子、落ち着きなさい。そもそも謝る必要なんてないでしょう。それにごめんなさいの大安売りなんてしていると、本当にその気持ちを伝えたい時に困ることになるわよ」
深緋さんの言葉に橘さんはごめんなさいと言いかけて慌てて口をつぐんだ。
「で、どういうこと? 私はその龍臣というのを直接見ていないからわからないのだけど、彼は兄弟とかがいるかってこと?」
訝しげに問う深緋さんに橘さんはぶんぶんと首を振り、否という意志を伝えてくる。するとそこへ小倉君が助け舟を出す。
「もしかして、もう一人見えたのか?」
その言葉に今度は首を縦に振る。
もう一人? どういうことだろう。龍臣さんに仲間がいるってこと?
「その龍臣ってヤローの中に、そいつ以外の誰かもいるってことなんじゃない。やっちゃんが言いたいのは、一つの体に二つ以上の魂が見えたよ。ってことで合ってる?」
今度は松葉さんのフォローに力強くうなずく。
松葉さん、ただのチャラ男じゃなかったんだ。さすが深緋さんの従者。
「一つの体の中に二つの魂ですか……。それは龍臣が何か別のものに憑依されている、ということなのでしょうか? 私にはそのような感じには見えなかったのですが」
「ち、違うんです。そういうんじゃなくって、なんていうのかな、二つの糸が絡まり合って一つになってるって感じで、それで私たちが追ってた時なんかはさらに性質の悪いのも絡まってぐちゃぐちゃ、みたいな? それにあの人、日月さんに憑いてた怖いのにそっくりっていうか……」
橘さんは自分が見たものが言葉でうまく伝えられないもどかしさに悔しさを滲ませる。そんな彼女を松葉さんがさりげなく慰めていた。さすがチャラ男。女子に優しくがモットーは伊達じゃなかった。
「貴女もあれを感じたのですね。ではやはり……。それにしても、龍臣はどうやって隠世に入ったのでしょう? そして今、どこに潜んでいるのでしょうか?」
そうだ。小倉君たちは龍臣さんを追ってここに迷いこんだんだ。それならきっと龍臣さんも隠世に来ているのだろう。
「それなのですが玉屑様。奴を見張っていたわたくしの部下が昨夜から一人連絡が取れなくなっているのです。もしかすると奴は、彼を利用してこちらに入ったのかもしれません」
青丹さんが難しい顔で雪に進言する。それを受けた雪もやっぱり難しい顔で考え込んでしまった。
「わかりました。青丹、その者の名と顔はわかりますね。見つけ次第、その者を確保するように皆に伝えてください」
「かしこまりました。大至急手配いたします。松葉、あなたも手伝ってください」
「仕方ねえな。可愛くない弟の頼みだけど、たまにはきいてやるよ」
青丹さんと松葉さんが出ていくと、事情が理解できていない私たち現世組に雪が説明してくれた。
昨日神社で龍臣さんを追い払った後、雪は青丹さんに言って龍臣さんに見張りをつけた。その人には危なくなったらすぐに逃げるように言ってあったんだけど、今朝から連絡が取れなくなってしまい現在捜索中になっている。
そして今朝、その捜索隊から入ったのは蛇長屋に人間が迷い込んでいるという予想外の報告。深緋さんが入り込んだ人間――小倉君と橘さん――を連れて帰ってきてみれば、二人は龍臣さんの後をつけていて迷い込んだと言った。そこで一度全員の情報を統合して整理しようという流れになり、今に至る、と。
で、件の見張りの彼を利用してこちらに入ったというのは、何かしらの方法で彼を自らの一部として取り込み、その姿に擬態しているんじゃないかってことらしい。
それにしても、ただの人間だった龍臣さんがこの一日でここまで人間離れするなんて思いもよらなかった。というか、何かこうなるきっかけというか原因があるんじゃないかって思うんだけど……。だって、じゃなきゃ生きた人間があんな風に化け物みたいになったりしないと思う。少なくとも私と一緒に暮らしていた間は、彼は普通の人間だった。
その後私たちは雪に案内されて、これまたレトロな趣の洋室に連れてこられた。
「とりあえず三人は一緒にいてください。そしてもし誰か訪ねてきても、決して扉を開けないでください」
雪は私たち三人をそこに押し込めると、自分が行ったら中から鍵をかけ、誰が来ても決して開けてはいけないと言った。鍵をかけると雪特製の結界が発動するようになっていて、それは雪以外は解除できないんだそうだ。
「それと夏虫と名乗る者が来たら、それは龍臣です。扉は絶対開けないでください。では、私はこれで行きますが……。陽成、私が戻るまで二人を頼みましたよ」
「まかせろ、せっつぁん。美女の護衛はヒーローの特権だからな」
小倉君はサムズアップして苦笑いの雪に応えると、両開きの扉を閉める。鍵をかけるかちっという音と同時に微かな鈴の音が聞こえ、私たちは籠城を開始した。
なんか気まずい。
三人になると部屋に妙な沈黙が流れた。それはそうだ、だって私たちは別に仲良し三人組というわけではないのだから。
しかしここには一人、そんなことを一切気にしない人がいた。
「なあなあ、綏子と月乃って仲悪いの?」
沈黙の方がまだましだった。なんで第一声がそれなのかな、小倉君。橘さんも呆れたように小倉君を見ている。あ、ため息ついた。
「陽成……バカだとは思ってたけど、やっぱりバカだったんだね。普通そこは『仲いいの?』って聞くと思うんだけど。何で仲悪い前提なのよ」
「それは私も思った。それに私たち別に仲悪くないよ。いいわけでもないけど」
思っていることをそのまま言ったら、橘さんが何かを諦めたような顔で私を見てきた。私、もしかしてまた失言したのかもしれない。
「ごめん、間違ってた? 橘さん私のこと見るといつも逃げてたし、だから話したこともほとんどなかったし。…………もしかして嫌い、だった?」
びくびくしながら聞いてみると、橘さんはため息をついた後、苦笑いを浮かべた。
「違う違う、別に日月さんのことが嫌いだったわけじゃないよ。さっきも言ったけど、私があなたのこと避けてたのは、あなたに憑いているものが怖かったから。別に日月さん自身がどうとかはなかったんだよ」
よかった。別に失言したわけでも間違ったことを言ったわけでもなかったんだ。
そんな風にホッとしていたら、私を見て橘さんがおかしそうに笑う。
「天ね……正直だなぁって思ったの。嫌味でもなんでもなく、『いいわけでもない』とか真顔で言うし。陽成はただのバカだけど、日月さんはバカ正直なんだなって。私の周り、バカばっかだなって思ったらおかしくなってきちゃって」
そう言って橘さんはおかしそうに笑う。
でも待って。もしかして私、小倉君と同じカテゴリーに入れられてない? それはちょっと心外なんだけど。
「ごめんね。でもバカにしてるわけじゃないからそんな顔しないで」
「ちょっと待て、綏子。もしかして俺はバカにされてるんじゃないか?」
「うん。でも安心して、陽成。あなたをバカにしているのはいつものことだから」
ぽんぽんと交わされる二人の会話を聞いていたら私もおかしくなってきて、つい吹き出してしまった。そんな私を見た二人も笑い出し、部屋は私たち三人の笑い声で満たされた。
「改めて自己紹介するね。私は橘綏子。綏子でいいよ」
「あ、私は日月月乃です。あの、私も月乃でいいです」
あれだけ私のことを避けていた橘さんと自己紹介し合ってる。なんか夢みたいだ。こんな日が来るなんて思ってもみなかった。
「やだ、月乃。なんで泣いてるの!?」
慌てて自分の目元に手をやると、指先が濡れていた。どうやら自分でも気づかないうちに泣いていたらしい。
「よしきた! 今日はちゃんと洗ったやつ持ってき――」
「はい、これ」
どや顔でかばんに手を突っ込んだ小倉君の言葉を容赦なく切って、橘さんが私に綺麗にたたまれたハンドタオルを渡してくれた。
お礼を言って私がそれを受け取ると、小倉君は私たちに背を向けて体育座りでいじけ始めた。何か呟いてるけど、面倒そうだから関わらないでおこう。
「ごめんね。なんか私、普通に人と喋ってるって思ったら……」
たどたどしく今の気持ちを語る私を突然の衝撃が襲う。
「ごめん! ごめんなさい、月乃。ずっと避けててごめん。そんな風に思わせてごめん。今まで何もしてこなくて、ごめん。それから……」
衝撃の正体は橘さんだった。なぜか今、私は橘さんに抱きしめられて謝りたおされている。全くもってわけがわからない。
謝り続ける橘さんを何とか引き剥がし彼女の顔を見た。掴んだ彼女の腕はとても温かく、潤んだ大きな瞳はきらきらしていて、こんなに至近距離で彼女を見たのは初めてで……なんだろう、なんとも言えないような気持が湧き上がる。
ちょっとドキドキしてるんだけど、これは恋とかじゃないよね? 違うはず、だって私の初恋は早雪だったし。そもそも女の子にどきどきしたことなんて誓って一度もない。まあ、今まで女の子とほとんど触れ合ったことないけど。あ、でも深緋さんには別にどきどきしなかったし。大丈夫、私は大丈夫……なはず。
そんなちょっと危うい考えを振り払うように、私は目の前の橘さんに話しかけた。
「何で橘さんが謝るの? 私、別に橘さんに謝られるようなことされてないよ」
「うん、だからごめんね。私、知ってたのに何もしなかったから。月乃はいつも一人でも平気な顔してたから、大丈夫なんだって思ってた。それにあの蛇の人がいたし。でも本当はそんなことなかったんだね」
彼女の言うとおり、本当は寂しかった。私には雪がいるから大丈夫だって、必死に思い込もうとしていた。でも雪はやっぱり蛇で、傍には居てくれるけど、それだけじゃ埋められなかった。本当は私だって他の子と遊んだり、喋ったりしてみたかった。
「今までごめん。だから、今から私と友達になってください」
橘さんの顔は真剣そのもので、気圧された私は思わず二つ返事でうなずいてしまった。
それに後悔はしてないし、橘さんのことは嫌いじゃないし、むしろ私の方からお願いしたいくらいで、でも……
「大丈夫? 無理してない? 橘さん、その場の雰囲気に流されると痛い目見るよ。私また呪われるかもしれないし、今だってそれ関係のトラブル抱えてるし」
「大丈夫! 無理してない。あと橘さんじゃなくて綏子って呼んで。雰囲気でもいいじゃない、人間たまには勢いに流されとくもんよ。あと私、友達には優しいから。トラブルだって出来る限り力になるよ」
クラスでも目立たなくて大人しいと思っていた橘さんが、私の往生際の悪い言い訳をすごい勢いで一刀両断してゆく。もしかしたら教室で、というより私の前では彼女は猫を被っていただけで、情が深そうなこっちが本来の姿なのかもしれない。
彼女はにっこりと笑うと手を差し出してきた。これはもしかして握手を求められてるの? 私がおずおずと手を差し出すと、ちっちゃいのに意外と力強い手が私の手を握り返してきた。
「はい、これで私たち友達ね。よろしく、月乃」
「よ……、よろしく、綏子」
私が新たな友情を獲得して感動していたその時、突如どんどんと切羽詰まったような扉を叩く音が部屋に響き渡った。
「ごめん、助けて月乃!! ヘマしちまってさ、怪我しちゃったんだ。今あいつに追っかけられてて、後生だから俺も部屋に入れて」
扉の外から聞こえてきたのは、助けを求める松葉さんの声だった。