第二話 目覚め
夢を見ているのだろうか。
真っ黒の水溜まりのようなものに引きずり込まれた筈の私は、深い、深い海にゆっくりと沈んでいく。頭がぼーっとして、手足を動かす気力もない。
ええと、何でこうなったんだっけ。何故、こんな所に私はいるんだろう。
…ああ、そうだ。変な光に襲われて、死ぬほど苦しい思いをして、それから……
ええと、ええと……
思考が追い付かない内に、水面の光が、フワフワと私に近づいてくる。―――いや、水面が光っているのではなく…奴だ。
私に襲いかかってきた、例の青白い光。でも、あんなに痛かったのに、不思議と恐怖は無い。
あの時は、それどころじゃなくて何とも思わなかったけど、今になって思う。…とても綺麗だ。抵抗することも忘れて見とれていると、フワリと光が私の中に入り、一際大きく輝いた。
眩い光が私の体を包み込む―――知識が、記憶が――…それら、『使い方』が、頭に流れ込んで来る。
全身に、不思議な力が行き渡る感覚。
(…そっか、『この子』は……)
一部始終を理解した私は、水色と銀色を混ぜたような――
『光』と同じ色に染まった瞳を開いた。
――――意識を、戻す。
先ず、視界に映るのは、私の一番好きだった黒から、神秘的な色に変わってしまった自分の髪。
ふらり、と上半身を起こすと、足下には、複雑な文字がびっしりと敷き詰められた大きな魔方陣が、私を中心として広がっている。『知識』が入った今の私にも、書いてある内容は全く解らない。
魔方陣の回りには、黒と紫のローブに、興奮した面持ちの男たちがズラリと並んでいる。フードを深く被っているため、表情は窺えないが。
「せ、成功……?遂にやったぞ、我々は!」
「おお、神よ……見ておられますか!これで、あの忌まわしい魔族どもを根絶やしにしてみせますゆえ!」
他の人達も皆、同じ様な事を口々に叫んでいる。いい大人の癖に、全員が涙を流したり、みっともなく喚いたり。
あはは、とっても嬉しそう。
「おお、なんとお美しいお姿……!お疲れでしょう、さあ、此方へ!」
皆と同じローブに、ギラギラと趣味の悪い金属の飾りを大量に着けた男が、恭しく、ただの女子高生の私に頭を垂れる。この中で一番偉い人のようだ。
狂信者らしきコイツらには、私が女神にでも見えてるのかな。
私は立ち上がり、その動きに合わせて跪いた男達を見下ろす格好になる。
ちょっとだけ、コイツらのお遊戯に付き合ってあげよう。
「貴方達が、私を呼び出したのですか?」
家で習った、外行きの、丁寧な言葉遣い。いっつも丁寧口調の、シエルの真似。
男達の顔が、歓喜一色に染まる。
「も、勿論でございます!」
「ああ……何と清らかなお声…!」
…外野は、黙っててくれないかな。
「そうですか。では、私の他に、ここに来た人は居ますか?」
「いえ、あなた様が最初でございます。他の支部で、召喚に成功したかは存じ上げませんが…」
支部…?こんな狂った施設が幾つもあるってこと?でも、
「…そう、なら、ここには、私の他には誰も居ないと」
「ええ、仰るとおりで」
それだけ聞ければ、充分だ。
ドス、
「――あ、え」
硬質な物が柔らかい物に刺さる音に続いて、ガシャンと金属の飾りが床に落ちる。目の前の男が、奇妙な呻き声をもらす。その胸には、杭のような形をした『光の矢』が、深々と突き刺さっている。他の男たちに、どよめきが起き、広がっていく。
私が、やったのだ。
手を軽く振り、もう数本『光の矢』を形成し、前方に真っ直ぐ飛ばすと、それらは寸分狂いなく男達を捉えた。
「がっ、ぎゃああ!」
「い、あ、ぐふっ」
更に数人が倒れ、残りは狼狽し後ずさる。仲間を手にかけた私に反撃したり、取り押さえようとしてくる様子はない。
そう、私は、『青白い光』から教えて貰った。
ここは、私が居たところ所とは違う、異世界であること。
魔法という不思議な力が存在すること。
普通の人間の他に、魔族と呼ばれる人達がいるということ。
様々な種類の魔物が存在し、飼い慣らしたり討伐したり、そこそこ上手く付き合っていること。
――――――そして、魔法を理解した私には、召喚魔法で消耗仕切ったコイツらを、全員殺せるだけの力があるということ。
「う、うあああああ!」
「な、何故――」
「や、く、来るな、やめ――」
1人、2人、3人。――4、5、6、7―
纏めて光の矢を飛ばし、ポカンとした表情の男達を次々となぎ倒していく。
……別に、コイツらが憎いとか、人を殺した奴は死ぬべきだ、なんてことは微塵も考えていない。
ただ、『情報』を得たことで、コイツらをこのまま放置したらどれだけの犠牲が出るかを、正しく理解してしまった。
思い出すのは、ニュースの内容。この目で直接見た、階段に転がっていた3人の死体。玄関の、血の海。
そんなのは、全然比較にならないほどの。
それだけは、絶対に駄目だ。
もしかしたら、他にもっとマシな、平和的解決が有るかもしれない。
でも、相手は複数の支部を持つ、小さくはない組織のようであるため、正攻法はすぐには通じないのでは。
だから今の私には、『思想の違う者を排除する』という、とても簡単でシンプルな方法しか思いつかなかった。
……つまらない宗教戦争と、何ら変わらないじゃないか。オーバーキル?解ってるよ、そんなこと。
最後の、一人。
私は魔法を使うのを止め、つかつかと、震える男に歩み寄っていく。
魔法を使うのを止めたのには理由がある。…昔、何処かで聞いた事があるのだ。拳銃で人を殺すのに慣れてしまうと、人殺しという行為に、何も感じなくなってしまうということを。銃口を人に向け、引き金を引く。たったそれだけで、命を奪える。殺したという感触が、手に、耳に、残らないから。
あるのは、火薬が爆発する音だけ。そう、今の私と同じであるのだ。
でも、私は逃げたりしない。
だから、刀を、抜く。刀身が鈍く光る。
「か、神よ…」
私は、人間を、殺した。
※
「――にゃあ!もう、最近全く姿を見なかったから、すっごく心配してたのにゃ!いったい、どこをほっつき歩いてたのにゃあ!」
真っ昼間から酒を飲む男たちの豪快な笑い声が響くなか、それに負けないくらいの喧しい声が建物内に響き渡る。年季の入った、大きな木の扉を開けて入ってきた青年に、モコモコとした毛皮を持つ猫獣人の男の子が、飛び付くように駆け寄っていく。
ほろ酔いの男達がざわめくのは、ぴょんぴょんと跳び跳ねる猫に対してではなく、その青年の姿を捉えたからだ。しかしそんなことはお構いなしに、更に、ぼふぼふぼふぼふ!と、遠慮なく猫パンチを連打する。
「ああ、悪い。ちょっと面倒な問題を押し付けられてな。ルル、元気にしてたか?」
柔らかい肉きゅうの攻撃を受けながら、ルルと呼んだ猫獣人の頭を撫で、楽しそうに笑う。
背の高い青年は、ここ周辺では珍しい黒髪に、深い海のような青い目をしており、整った、精悍な顔立ちをしている。然るべき服装をすれば、騎士だと名乗っても、誰も疑問をいだかないであろう。
「見ての通りだにゃ……って、いつも撫でるにゃと言ってるだろにゃああ!」
「はははは」
「笑うにゃ!ぼくはもう12さい、つまりもう立派な大人なんだにゃ!」
「おお、そうかそうか。はい、頼まれてたお土産」
「え?『お魚のビスケット』覚えててくれたのにゃ?!嬉しいにゃ、早くちょうだいにゃあ!」
渡された袋に飛び付き、魚の形をしたビスケットをサクサクさくさくと頬張る所は、猫ではなくハムスターに見える。
ちょろい、とばかりに再度、頭を一撫ですると、背後からユラリ、と怪しい人影。
「おお~う、ネアよ!ひっさしぶりだなあ!何だ、可愛い女の子でも追いかけ回してたのか?今度俺にも、紹介してくれよう?」
ガバッ!と肩を組み、陽気に絡む。ほろ酔どころか完全に出来上がっている。
「うっわ、何でそんなに飲んでるんですか、エルドさん。また振られたんですか、今日は遊びに来た訳ではないので退いてください」
「堅いこと言うなよ~?一緒に飲もうぜ?」
エルド、と呼ばれた20代後半に見える男は、さらにグイグイと絡んでくる。そして、浅黒い肌に、ずんぐりとした筋肉質な体型のドワーフの中年男性と、それと対照的に細身なエルフの青年が援護射撃を仕掛ける。
「そうだそうだ!前に奢ると約束したってのに、礼を受け取らないで逃げるのは、どういう了見だ!」
「貸しを作ったままでは商人の流儀に反しますからね、都合の良い日を教えて頂けますか?」
「いや、だから、最近は」
「のーもーうーぜー」
ネアは流石に鬱陶しくなったのか、ですから、と引き剥がそうとしたところで、
「――ほら、お前宛のラブレター、来てたぜ?あ~んまり遅いもんだから、マイペース過ぎる男は嫌われるぞ?」
ふざけた口調はそのままに、真剣な表情。それだけで、ネアは理解した。
「情報屋は?」
「タマさんは今、会議中だ。手紙はルルが預かってる」
ちょいちょい、と、黙々とビスケットをサクサクし続ける、自称大人を指差す。
忘れてた、と顔にかいてある。
「にゃっ…」
「にゃ、じゃねぇよ。そういうのは最初に渡してくれ…」
たすき掛けにした茶色い鞄から、申し訳なさそうに、丁寧に蝋で封をされた手紙を取り出す。
ネアは黙ってそれを受け取り、何処からかナイフを出して開封する。
無表情で手紙を眺め、僅かに目を見開く。
「……すみません、約束は、またの機会で」
「あ、おい!?お前さん今帰って来たばっかだろ、若いもんが無理しちゃいかん、せめてちょっとくらい休んでけ!」
「大丈夫ですよ、ルドルフさん。すぐ戻りますから」
ネアはドワーフのルドルフの制止を無視し、またもや何処から取り出したのか黒い外套を羽織って、たった今入ってきた扉へ走って行く。
「そう言ってお前さん、前と同じこと言っ―――」
「――やめましょう、彼にも色々と事情があるようですし」
エルフの青年が、心配性なルドルフを制する。
「だ、だってよう…」
未だに諦めきれない様子のルドルフを横目に、ルルが不満そうなうめき声をもらす。
「うにゅ……」
「何だ~ルル~、お前も心配性が移ったのか~?」
だらしなく頬杖をついているエルドを、くりくりとした円い目が、責める様に見上げる。そして、ルル以外、誰も気付かなかった爆弾を落とす。
「…………盗み見は、よくないのにゃ…」
驚いた顔。
「…ありゃりゃ、バレちゃったか」
ばちん!とウインクをし、「ルルはホントに優秀だなぁ~」なんて言いながら、ぐしゃぐしゃー!と雑に頭を撫でる。
(……ちょーっとばかし、これは、不味いんじゃないかねえ)
エルドは、自慢の透視魔法で読み取った、ネア宛の手紙の一節を思い出す。
『―――『精霊』を人体に入れ、高い戦闘能力を持つ、従順な人間を作り出す、非人道的な実験が行われているとの情報が入った。真偽は不明だが、武力を集め、何かを成そうとしているのは確かだ。一応、成功したとの情報は入ってきていないが、もし成功した実験体が存在すれば――――――』
『―――それは、『使徒』と呼ぶようだ』