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女妖術師は生かしておいてはならない(Exodus 22:17) 3

 校了明けの午前一時半。

 編集部に真夜中新聞社の面々が顔を揃えた。社長であるヴァイヤーを筆頭に、編集部は白峯、拝島、会計総務課の御舟、たま、そして一比古。めいめいが適当な椅子に腰を落ち着けた。


「一比古。お前の参加を許可した覚えはない」

 睨みつけてくるヴァイヤーに、一比古は決意をこめて言い返した。

 今日はどもらない。退くものか。絶対に。

「うるさい知らない。俺には、スターンの件を報告する権利がある」

 気迫に押されたのか、ヴァイヤーは肩をすくめ、本題に入った。


「……仕方あるまい。その件から行こう。一比古を含め四件の魔女狩り。単発的犯行と思われたが、事態が急変した。今夜我々が遭ったのは、上級審問官ジェイソン・スターン。一六四五年、エセックス、サフォークで百人以上を処刑した『魔女狩り将軍』のホプキンスの相棒、ジョン・スターンの末裔、らしい」

 白峯の目がぎらりと光った。

「それが意味する事はひとつです。《魔女の鉄槌》の復活」

 一比古が手を上げる。

「それ! 《魔女の鉄槌》ってなんなんだ。教えてくれよ」

 ヴァイヤーが大袈裟にため息をついた。が、気をとり直したのか、

「そうだな。魔女狩りの『真の目的』や《魔女の鉄槌》については、知らぬ者もいよう。我が社は魔女狩り潰しだけが専門じゃないからな。一度きちんと説明すべきかもしれん。幸いなことにアイリスもいないし」

と言った。


「やさしく要約するぞ、一比古のためにな。

 歴史上の魔女狩りについては、大体分かったな? 十六世紀末から十八世紀初にかけて、約四万人が、魔女の宣告を受けて処刑された。原因についてまだ定説はない。戦争、飢饉、ペスト、カトリックと新興プロテスタントの対立、女性への蔑視……エトセトラエトセトラ。要因が複雑にからみ合い、魔女狩りは行われたとされている」


「真実は、そうじゃないんだな?」

「我々の『業界』に慣れてきたじゃあないか」ヴァイヤーは鼻で笑った。「そうさ。歴史の真実は常に表からは見えない。魔女狩りで殺された、或いは告発された者たちの99%が無実だった。

 逆説的に言えば、1%は『本物の魔女』だったのだ」

 例えば。あの白髪の女は魔女ではなかったか? と一比古は考えた。和服の魔女、というのは若干違和感があるけれど。

「魔女狩りの真相。それは1%を見つけ出すための総力戦。

 魔女の発端は旧約聖書に遡る。すべての異端審問官が胸に抱いた『出エジプト記』22章17節。《Maleficos non patieris vivere.(女呪術師を生かしておいてはならない)》このマレフィコス、すなわち「呪術を用いて害をなす女」の存在はイメージとして脈々と生き続け、かのトマス・アクィナスも『神学大全』で触れている。


 そして一四八六、八七年。ヤーコプ・シュプレンゲル、ハインリヒ・クラマー(インスティトーリス)という二人の狂信的なドミニコ会修道士兼異端審問官によって、忌まわしき『魔女への鉄槌(Malleus Maleficarum)』が出版された。これは魔女狩りのマニュアル本だ。魔女とはどういう存在か、どうやって罰するべきか、お得意のねちこさでこまごまと書かれたものだ。魔女狩りは、言葉を怖れずに言うなら一種のブームとなり、類似書が次々と出版されるに至る。一比古が最初に襲われた下級審問官が引用していた『魔女論』も、当時のブルゴーニュの裁判官が書いたものだ。

 そしてここからが歴史のほの暗い裏側。

 残念ながら、魔女は実在する。その中でもとりわけ五人が《五の災人(クィントゥス・マレフィキス)》と呼ばれ、人類最大の敵とされた」

 《五の災人》とはすなわち、『海の魔女』『狩人ハーン』『ミノタウロス』『東の御方おんかた』。あとの一人は不明。資料が全く残っていない。それぞれがなんなのかは自分で調べろ。いいかインターネットなんか駄目だぞ。ОED(オックスフォード英語事典)引け、OED」


 たまが首をかしげた。

「東の御方って日本人? 日本で魔女って、違和感がありますけど」

「吸血鬼しかり、魔女しかり。『海の魔女』を除いて、奴らは川や海を渡れない。水は清いものであるからな。日本にごく少数にいる魔女は『純国産』だ。東の御方もその一人。他には『ミチナリノキヨヒメ』や、最近指名手配になっている『ブリューネスハイム』などがいる。どれも日本で生まれ、日本で魔女になった者だ。


 話を《五の災人》に戻すぞ。審問官たちは血眼になって五人を追った。中心的役割を果たしたのが結社《魔女の鉄槌》だ。記念碑的書物『魔女への鉄槌』から取った名だな。しかし結局、一人として、彼らの手にかかることはなかった。絶対王権と科学の台頭とともに魔女狩りの熱は冷め、《魔女の鉄槌》も一旦は表舞台から姿を消す。一旦、な」


「次はいつ」

「俺が話した方が早いでしょう」

と白峯が言った。

「次は、第二次世界大戦だ」

「あ、《殲滅戦》については俺が軽く説明しときました」

「じゃあ話が早い。赤羽、今さら否定しないでくれよ。この世には人ならざるものが存在するということを」

「白峯さんの姿を見たじゃん。鴉天狗。信じる信じないとかの話じゃないよ」

 白峯は頭を掻いた。

「お前、なんだか目つきが変わったなあ……あの戦争は発端はともかく、ひどい戦争だった。人間はもちろん、怪物、怪異、妖怪、そういった者たちが自主的に、あるいは強制的に駆り出され、殺しあった。さっき社長が言ったブリューネスハイムも参戦したと言われている。俺たち天狗は、増産が追いつかない戦闘機の代わりに、砲弾背負って敵空母目がけて飛んだ。多くは戻らなかった」

 特攻、という言葉が一比古の頭に浮かぶ。


「中国もひどかった。欧州戦線も。南方戦線も。どこもかしこも血の海。ワルシャワ攻略ではヴァンパイアがグールを殺し、スラヴァヤ陥落ではウォードックに日本の妖怪が殺された。最も怖れられたのが、《五の災人》。ロンドン空爆は狩人ハーンの働きで全滅を免れたと聞いたし、Uボートは常に海の魔女が援護していたという。そこで《魔女の鉄槌》が復活した。ヴァチカンの庇護からは離脱し、カルト集団として蘇った。どの国にも属さず、独自に魔女狩りを再開した。イタリア降伏の日、《災人》の一人、ミノタウロスは捕縛され、スペイン階段で処刑された。同年、東の御方も消息不明。そして終戦後の混乱とともに、《魔女の鉄槌》もまた姿をくらました」


 拝島が聞いた。

「その頃、旦那もウチに加わったんだ?」

「いや……」白峯は口ごもった。「俺が新聞社に入ったのはもっと最近だ」

「で、次は!?」

 ヴァイヤーがくわえ煙草でこちらを見る。

「おい、さっきからやけに威勢がいいが、どういう風の吹き回しだ?」

「あのうワタシ、例のチェーンメールを見せちゃって。赤羽君――戦いたいって。止めたんですけどぉ」

 たまの言葉に、ヴァイヤーをはじめ、白峯も拝島も頓狂な声をあげた。

「ああ!? 私の話を聞いてたのか、阿呆たれが! お前は金輪際我が社のゴタゴタに巻きこまないと言ったろうが!」

「ボコボコにされたばっかじゃんか! メールなんかでマジになるなよ!」

「赤羽、本当に命が危ない。俺たちに任せるんだ。巻きこんだのはすまなかったが……」

 一比古はバン、と机を叩いた。

「社長、書いたのはあんただ。『赤羽記者の活躍に期待!』って。読者に嘘書くのが新聞か? 俺は本当の事を知りたい。なぜ今になって《魔女の鉄槌》が蘇り、魔女狩りを再開したのか」

「駄目だ」

 にべもなくヴァイヤーは言い下した。


 上等だ。心臓に火が灯るのを感じた。一比古は全員をぐるりと見た。

「スターンは俺のことを『《五の災人》の下僕』と言った」

 わずかに白峯が動揺を見せた。

「……本当か」

「はい。少なくとも《魔女の鉄槌》は、俺が《五の災人》と関係があると思ってる。まだある。俺はみんなが知らないスクープを持ってる。その取材をさせて下さい」

「スクープだと? どうせヨタ話だ。調子に乗るな」

「そう言うと思った。なに言われようと勝手にやってやるから」

 かちり。ライターに火が灯る。ついにヴァイヤーは煙草に火をつけた。

 来る。本当の怒りが。


「足手まといなんだよ、お前!」


 しん、と場が静まり返った。

 ヴァイヤーは片眼鏡を外してみせた。あるはずの瞳がなかった。濁った白目だけ。片眼鏡はこれを隠すためだったのだ。

「よく見ろ! かつて《魔女の鉄槌》を敵に回した代償がこれだ。右目だけで済んだのは奇跡だ。お前を守れなかったのは悪かった。謝罪する。だがこれは遊びじゃない。我が祖ヨハン・ヴァイヤーの代からの使命だ。てめぇの身ひとつ守れない餓鬼が面白半分で首突っこむのを、私が許すと思うか!」

「面白半分? ふざけんな。俺がどんな気持ちでここに立っているのか、あんた分かるのかよ! 魔女と疑われた人間の気持ちが分かるか!」

 ヴァイヤーは煙草を机に押しつけ、一比古を睨みつけたまま、視線を外さない。一比古も負けじと睨み返す。と、小さな声がした。


「『視た』んですね、なにかを」

 今まで黙っていた御舟だった。

「……」

 一比古は迷った。御舟はそれを見通したように制止し、言った。

「言わなくていいんですよ。気持ちは分かる気がします。私は離れた物事や過去を視られます。いわゆる透視能力。ですが視たビジョンを人に説明し、解ってもらうのは難しい。私の先祖も衆目に晒され、悩んできました。私など、未だに茗さんの居場所を特定できない。視えるのに無策であるのが、どれほど悔しいことか」

 御舟は顔を上げはっきりと言った。

「社長。どうか赤羽君の気持ちを汲んでやって頂けないでしょうか。むろん、危険の及ばない範囲で」

 ヴァイヤーは気圧されながらも反論した。

「《魔女の鉄槌》がいつ現れるか分からない。誰が彼を守れる?」


 その時。

 そっ、と冷たい手が一比古の腕を掴んだ。


 驚いて振り返る。アイリスがいつの間にか後ろに立っていた。応接室のドアが開いている。途中から話を聞いていたのだ。

 燃える瞳は一比古を超え、遥か遠くの何者かに狙いを定めていた。

 必ず殺す、という執念。一比古は、ヴァイヤーが《魔女の鉄槌》について話を始める時、「アイリスがいない」ことを前提にしたことを思い出した。《魔女の鉄槌》のことを聞かせたくなかったに違いない。

 彼女と《魔女の鉄槌》の間には因縁があるのだ。

 アイリスは一歩進み出て、手を胸に当てた。そして深々と頭を下げた。


「また殺されかかっても。なお戦うと言うのか?」

 ヴァイヤーの声は震えていた。顔を上げたアイリスは頷いた。

「シュレクリッヒ(なんてこと)!」ヴァイヤーは額に手をあて天井を仰いだ。「誓えるのか? 必ず守ると」

 静かな炎。揺らがぬ無言の決意。ついにヴァイヤーが折れた。

「……勝手にしろ!」

 おしっ。勝った! 一比古は小さく拳を握った。

 驚いたことにアイリスはこちらに笑いかけてきた。ただ、それは暗く深い奈落の底から湧く、マグマのような笑みだった。



 たまに散々怒られ、非常階段に避難したヴァイヤーは、思う存分煙草をふかしていた。重いドアが開いて白峯が姿を見せた。現れるなり、

「社長、やはり私は反対です」

そう言った白峯を、ヴァイヤーは手を上げて制した。

「《魔女の鉄槌》復活は、唐突すぎる。なにかしら裏を感じるんだ。我々ロートルの発想力では、奴らを捕捉できない予感がする」

「私は役立たずってことですか?」

「そうは言っちゃない。だが、私はヘルメス文書に大アグリッパ。お前はオアシスのワープロに手書きの台割。大英博物館ものだ! 今どき活版の新聞なんてうちぐらいだぞ?」

「たしかに」


 二人は互いに苦笑した。ひとしきり笑いが収まると、煙を吐きながらヴァイヤーはぽつりとこぼした。

「アイリスの奴、自分で分かっているのだろうか」

 白峯がニヤニヤと笑う。

「娘を取られる父親の心境?」

「違うっ、あとなんで父親! そうじゃない。赤羽一比古にあいつを重ね合わせたって、過去をやり直せるわけじゃないのに」

「あの子もそれくらい分かっているでしょうよ」

「あのぶっとんだ目が?」

 煙草はもう短い。

「赤羽を魔女と思うか?」

「五分五分ですな。状況で五分、感情で五分」

「ずるい奴め。私は……疑っている。恥ずべきことに」

「仕方ないでしょう。我々にヘマは許されません」

 煙草を消し、ヴァイヤーは夜空に目を馳せた。

「時代が変わろうと、我々の信条は不変だ。死人に口無し。死者の念に耳をすませ、真実を明らかにしなくてはならん。それが真夜中新聞社の使命」


 東京、千三百万人。

 何秒かに一人が死に、何秒かに一人が産まれている。生き死にに隠匿があってはならない。魔女狩りなどという理不尽な過去の遺物による死があってはならない。

 ヴァイヤーは、一比古の中に邁進する意思を感じる。彼女自身が見落としている闇に彼は気づいている気がする。だからこそ、御舟の言葉を、アイリスの決意を無視できなかった。


 突き進む。闇の中を。出口を求めて。



  右の頬を打たれたなら、左の頬も差しだしなさい(matthew 5:39)1につづく

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