女妖術師は生かしておいてはならない(Exodus 22:17) 1
吊り革にだらしなく掴まりながら、拝島は話しはじめた。
「聞きたかったんだけど、赤羽っちの目って微妙に青いじゃん。ブルーグレーっつうの? ハーフだから?」
「や。違うと思いますけど……」
「思う、ってどういうことよ」
ほとんど初対面にも関わらず、拝島とはとても話しやすい。本人のまとうゆるい空気感のせいだろう。
「母親は茗を産んで三年で死んだんで。何枚か写真もあるけど、日本人でしたよ。親父も日本人」
「じゃああれかあ。何万人かに一人とか、遺伝子のなんとかで目の色が変わる、みたいな」
「たぶん。小学校の時はちょこっといじめられたりしたけど、今は逆にかっこいいとか言われますよ。よく分かんないっすよね」
「オヤジさんと連絡とれた?」
「絶賛行方不明中……生活費はたまに振り込まれてます」
拝島は父親の不在を違う意味にとったらしく、大袈裟に嘆いてみせた。
「平成の世にそんな苦労を! 旦那が気に入るわけだ。戦中の子を思い出しちゃうんだろうなあ」
「旦那? 白峯編集長のことすか? 戦中って」
白峯の歳とは計算が合わなくないか? と聞こうとしたが、機を逃した。
拝島のお喋りは止まらない。
「さて。新米記者が一番最初にやる仕事は『サッチョウ回り』、警視庁・警察庁回りと相場が決まっている」
「ドラマとかでよく見るアレすか」
「ウチは零細企業だから。みんなでやる。御舟課長が一番警察とつながり深いから、そっちは任せて。だいたい中学生が警視庁に出入りしてたらおかしいし。ウチにとって一番大事な情報源は警察じゃない。俺たちは別の場所に行く」
「どこに?」
拝島は迷い、新聞社の成り立ちから話すことにしたようだ。
先ほどの眞夜中新聞を鞄からとり出し、題字を示した。
「あんね。日刊『眞夜中新聞』が立ち上がったのが昭和二十一年。終戦の翌年なわけ。それはもう混乱してたらしくてさ。闇市とか聞いたことあるだろ? 物は不足し、犯罪も多発した。その中で普通の新聞じゃ扱えない『非人間』の犯罪を報道するために、GHQの命令によって作られたのが『眞夜中新聞』なわけ。ちなみに初代社長は、今の社長のじいさんらしいよ」
「ちょっと待って……非人間、って」
「またまたぁ、赤羽っちも気づいてんだろ? ウチがまともじゃないってさ」
ヴァイヤーのような、性格がねじ曲がった、という意味ではないだろう。
「時に、赤羽っちは宇宙人信じる? どっちでもいいけど。この地球に動植物の他には人間様しかいない、っていうのは巨大な勘違いだぜ。新興宗教とかじゃなくて」
一比古は唾を飲みこんだ。
「それは、つまり」
「我が社には人でないモノも混じっております」
「あああああ……」
それだけは、聞きたくなかった。
薄々感じていた予感。
たまが話すとき、ヴァイヤーの家。社員からかもし出される態度や雰囲気。
そもそもアイリスが持っていた三叉の槍がどこへ消えたのかとか、ヴァイヤーの魔方陣とか、疑問はいくつもあったはずだ。
わざわざ、気づかないふりをしてきたのに。
「それは、いわゆる」一比古は声をひそめた。「お化け、とかいうやつっすか」
「とかいうやつっすねえ」
拝島は楽しそうだ。
「拝島さんも?」
「俺はフツーよ? 真人間」
「じゃあ誰が」
「誰だと思う?」
「拝島さん以外全員」
拝島はけらけらと笑った。
「すげえ、妖怪企業じゃん! さすがにそこまでじゃない。御舟課長もフツーよ? 奥さんも子供もいるし。今は留学中だけど香村っていう高校生と、契約カメラマンの津久戸ってのも人間。あと社長も。一応」
「マジすか。あの人が一番怪しいのに……」
「ご先祖はドイツのヨハン・ヴァイヤーって人文学者らしい。ウィキペディアにも載ってる。にしたって、本人歳分かんねえし、やたらとオカルトに詳しいし。あ、オカルトっていうと本人怒るから。『真性の学問』なんだと」
「てことは、白峯編集長とたまさんとマツさんとアイリス。四人ですか」
「誰が『何モノ』かは、プライバシーの問題だから、本人に聞いてみ。ただ、アイリスだけは俺も分からない。知ってるのは、社長と白峯の旦那だけ。ま、人間じゃないのは間違いない」
アイリスも人間ではない……。
背中の傷を見てしまったからだろうか。なぜか気になる。
普通の戦いで負うような傷ではない。なにかの罰のような重苦しさがあった。
答えのない疑問が、霧のように一比古の頭にたちこめた。
一方、お構いなしに、拝島は説明を続ける。
「どこまで進んだっけ。そうそう戦後な。理を外れて人を殺したり犯罪を犯した奴らを通称、《ハグレ》と言う。昔は《ハグレ》を狩る賞金稼ぎや憑き物落としも結構な数いたらしくて。退役軍人とかさ。新聞は彼らへの情報提供も果たしてたわけ。数は少ないけど、今でもいるぜ。三面見てみ」
紙面を開いた左側が三面だ。下三段が「指名手配」欄になっていた。
人間の姿の時の写真と名前、正体、犯した事件の詳細、賞金額、潜伏先予想などが書かれている。つい最近テレビなどで騒がれた通り魔殺人などもあった。事件を起こしたのは、前科百五犯の鬼「彗鬼」らしい。他にも他人に悪夢を見せる魔女「ブリューネスハイム」や、株価を暴落させるLEDのつくも神「ファーザーズ」などが載っていた。
この現実を受け入れるべきか、ためらう。
「俺も嘘だと思ったよ。最初は。気持ちはよーく分かる。でも、現場回っているうちに信じざるをえなくなった。警察は伏せるけど、『人間にゃ不可能だろ』っていう凄惨なのは山ほどあってさ。毎回ゲロったね。人間が捕まえるにゃ、自衛隊でも出動しなきゃだめ。実際そうはいかないから賞金稼ぎの出番ってわけ。赤羽っちもそのうち会えると思うぜ」
「あんま、会いたくないっす……」
「けっこう面白いやつ多いぜ。お、着いた」
二人は六本木一丁目駅で降り、坂道を上りはじめた。
辺りはすっかり暗くなっていた。
上空をふさぐ首都高と、国道の車の流れのせいで、やたらと空気が淀んでいる。
人の目がなくなったので、拝島はおおっぴらに話す。
「赤羽っちが気にしてるのは魔女だろ?」
指名手配欄にあった魔女のことだ。自分が狙われた以上、やはり気になる。
「……やっぱ殺すんすか」
「俺が入社してから魔女の件は扱ったことねえから、どうだろ。でも殺さないよ。魔女ってほら、人間だから。社長がなんとかするんじゃね? いや……それ言ったら鬼だって元人間か。ま、どちらにせよウチは新聞社だから、情報提供が主。罪状にもよるけど、妖怪変化は基本生け捕ってウラトに引き渡す。赤羽っちも見たろ。アイリスがパクった海坊主。あれもウラト渡し。あとの処断はお任せ。南無南無」
「ウラトって、なんすか」
「最近は、妖怪の世界も再編が進んでさ。山は崩されて住宅地になる、森は間伐も入らない死んだ森になる。都市部に出なきゃやってられない。東京は特に多いね。一応やつらなりに行政府みたいなのがあるんだ。それが《裏徒庁》、通称ウラト。今から行くのはそのひとつ」
丘の上の光溢れる塔を、拝島は指さした。
近年建てられた複合施設だ。下はレストランやショップやホテルがあり、上層階はオフィスや超高級マンションになっている。一比古も友達と遊びに来たことがあったが、セレブリティな雰囲気に圧倒されてそそくさと引きあげた。
「あそこが元はなんだったか知ってるか?」
「さあ」
「赤羽っち、も少し勉強した方がいいぜ。答えは防衛庁。戦中は陸軍の駐屯地だった。戦争で戦うのは人間だけじゃない。国家総動員法で運用できる『資源』には妖怪も含まれてた。『裏』の世界大戦は通称、《殲滅戦》。ドイツの人狼、ポーランドの吸血鬼、ソヴィエトのオーボロチェニ。イギリスのバンシー。そんなのが有名。日本では、あのタワーのてっぺんにいる奴らが、爆弾背負って、銃剣担いで出征していった。そんで、たくさん死んだ」
坂を上りきると汗が噴きだした。タワーは空を貫くようにそびえている。
拝島は表通りを避け、裏手に回った。詰め所の守衛に声をかける。
「お疲れ様っす杜屋さん。はい、今日のウチの新聞。阪神どう、勝ってる?」
「今同点なんだ、静かにしてくれッ」
「はーい。これウチの新人。通行証は後で作りますんで」
守衛の杜屋は、鋭い眼光で一比古を一瞥した。
「そいつ……人間か?」
「そっすよ? 一面見てよ、載ってるから」
「例の『魔女狩り』か。異国の輩がでかい面しやがって。うおッ、打った! もういいから通れ! 問題起こすなよ!」
杜屋に追い払われるようにして、重たい鉄の扉をくぐる。
「阪神が負けてたら、通してもらえなかったかもなぁ」
「あれも……」
「妖怪さんだぜ~。案外親しみやすいだろ」
つき当たりに貨物用エレベータがある。拝島は最上階へのボタンを押した。
ほどなくドアが開いて、暗い廊下へ押し出された。拝島の足が止まる。
「おかしいな……電気が切れてる。ヤな予感がする。気をつけろ」
「気をつけろって、どうしたら」
「分かんね。言っとくけど、俺は旦那とかアイリスみたいに過激なことはできないから。記者一辺倒。なにかあったら逃げる」
アイリスの三叉の槍を思い出す。
もしこの前のような襲撃があったとしたら。戦うなど無理だ。
非常灯の灯る廊下を、二人は足音を忍ばせて進んだ。左右にドアが並ぶ。不気味なほど人の気配がない。
と、奥からガタンとなにかが倒れる音がした。前を行く拝島の緊張が伝わる。
「マジかよ……仮にも妖怪どもの本拠地のひとつだぜ?」
言葉とは裏腹に、拝島の足は速くなる。
「に、逃げないすか」
「矛盾するけど。こういう時、俺の記者根性が進めって言うんだ。畜生、ネット配信なんぞに先越されてたまるか……」
拝島は新聞の裏を示した。
白紙だったはずの四面に、図像と文字が淡く浮かびあがっている。
「眞夜中新聞がデジタル化に対抗しうるひとつが、この四面さ。吉野の湧き水からできた特殊インクで退魔の護符が印字してある。効力は約一日。賞金稼ぎはこれがあるから紙の新聞を買うんだ」
数部を一比古の手に握らせる。
「なにかあったら、ばらまけ。時間稼ぎくらいにはなる。行くぞ」
つき当たりの大きな木製のドアを、拝島はゆっくりと開けた。
途端。
おおおおおおお。うなり声のような風が二人を襲った。握った新聞がばさばさと音をたてる。一比古は思わず目を瞑り、薄目で室内を見た。
下界に溢れる光で、惨状がぼんやりと明らかになる。
革張りのソファは破け、飾りランプの破片が光を受ける。床に倒れ伏すいくつかの人影。
倒れた一人ががうめきながら身を起こした。右目の片眼鏡。ヴァイヤーだ。隣には白い肌をどす黒い血で染めたアイリスが、仰向けに倒れていた。むき出しの腕には数えきれない裂傷。
心臓がはね上がる。
「社長! アイリス!」
駆け寄ろうとすると、拝島に袖を強く引かれた。部屋の中央に黒く大きな影が立っていた。ゆるりとこちらを見る。
影が、言葉を発した。
「貴様が赤羽……一比古か」
「拝島、一比古を連れて早く逃げろ!」ヴァイヤーは空中に円を描き、手を広げた。「〝ヘルメス・トリスメギストス、ナチュラ・インテレクツアリス、世界の原罪を一身に背負った無垢なる子羊の名において〟」
円周上に記号のような文字が灯る。
「〝プルフラス、二十二の径を通って、我の頭上へ!〟」
手のひらから黒い梟が炎とともにあらわれ、風に巻かれて部屋が明るく燃えた。
影の正体が明らかになる。
百九十センチはあろうという体躯、短く刈り込んだ銀髪、鋭い目。長いコートの裾が風に煽られてはためく。両手に小剣ほどの長いキリをそれぞれ持っている。
「こいつは上級審問官ジェイソン・スターン! 『串刺し判事』、お前たちが敵う相手じゃない!」
「これは我らの審問官を惨殺した報復だ。日本に来て腕が落ちたのじゃないか、ヴァイヤー」
「……貴様もな!」
スターンと呼ばれた男が床を蹴り、跳躍した。光文字が浮かぶ魔法陣を横に一閃。炎の梟は悔しげな叫びを残してかき消えた。同時に無数の針が雨のようにヴァイヤーを襲う。
ドスドスドスッ!
「ぐぅ……っ」
ヴァイヤーは腕を上げて顔面を防ぐ。腕から鮮血がほとばしる。
社長ですら敵わないなんて。一比古の脳裏に、恐怖が頭を持ちあげた。
「俺が足止めする。行けッ」
拝島の声で足が勝手に動き、背中を見せて暗い廊下を走りだす。
逃げろ、逃げろ、逃げろ……どこへ。エレベータの場所が分からない。
後ろでドン、と爆発音が聞こえ、一比古は足を止めた。
とす、とす、とす。
こちらへ近づいてくる足音。
逃げろ、逃げろ、逃げろ……どこへ!!
目についたドアへ一比古は飛びこんだ。
2へつづく