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聞く耳のあるものは聞くがいい(Mark 4:9) 2

 ドアがノックされた。

 小柄で大きな眼鏡をかけた中年の顔が覗いた。ヴァイヤーが手を振ると、ぺこりと頭を下げ、部屋へ入ってくる。

「失礼します。おお、君が赤羽君ですね。私は御舟みふねと申します、よろしくどうぞ」御舟は社長に向き直った。「ただいま警視庁から戻りました。赤羽君の身柄については私どもに一任すると、ご快諾頂きました」

と早口で述べた。ご苦労、とヴァイヤーは満足げに頷いた。


 御舟はくるりと振り返り、照れたように頬を掻いた。

「私は普段、ささやかながら警察に協力をしておりましてね。こういう時に便宜を図って頂けるのです。ひとつ朗報を。場所は特定できていませんが、茗さんは生きています」

「ほ、本当ですか!? どこに!?」

「情報ソースは、後ほど詳しくご説明します。ひどい状況ではないはずです」

 細い目がさらに細くなって笑みが浮かぶ。ちゃんと分かっているから安心して、と言うような、温かい笑顔だった。


「ありがとう……ございます」

 茗は生きている。ほんの少し、胸の苦みがやわらいだ気がした。


「社長、もうひとつ。下級審問官を殺害した犯人は、やはり《ハグレ》の線が濃そうです。こちらについても捜査継続の許可を頂いてまいりました」

「ふん、手に余るからって、押しつけてるだけなんだわ」

 たまの言葉にアイリスも頷く。

「勘違いしてはいけないよ、二人とも」御舟の静かな声が鋭さを帯びた。「我が社はこのために存在しているのだからね。あと龍宮君。たまった伝票の整理をしてくれると、課長は嬉しいな……」

「すみませーん御舟課長。あと三十分くらい休憩したら行きまーす」

 御舟は一礼して部屋を出ていった。


「さて。天下の警視庁から君の身柄の保護を仰せつかった。今のところ、我々にも君が襲撃される理由は分からない。魔女狩りがどうのとか、信じられないのも仕方ないが、現実問題として君は狙われている。そこまでは分かるな?」

 一比古はごくりと唾を飲んだ。

 確かにその通りだ。

 しかし、警察と繋がっているなんて、この会社はなんなんだ?

 影がゆらりと落ちた。


「うふふ……赤羽一比古君」

 ヴァイヤーは顔を近づけ、一比古の鼻面をぴし、と人差し指で打った。

「いでっ、な、なにす――」

「『チビで臆病な中学生。生意気なくせに力はない』と、アイリスは反対したのだがな」

 さっとアイリスを見ると、本当のことだ、と言わんばかりに少女はしれっとした顔で見返してきた。かっと頬が熱くなった。言い返そうとする一比古に、ヴァイヤーは言葉をかぶせた。

「ひとつ。たまにどもる癖。半分は意識的にやっているな」

「えっ」

 ひゅうっ、と喉の奥が鳴った。


 誰にも言われたことがなかったのに。


 そうだ。もう意識的なのか無意識になのか、境い目が分からなくなってしまったけれど、どもるのは小学校の頃、後天的に身についた「わざ」なのだ。


 ぼくは十分びびってる。だからこれ以上いじめないで――。


 そういう、サイン。



 ヴァイヤーはふふん、と勝ち誇った笑みを浮かべた。

「どもるのは、防御心理のひとつでもある。『自分は無害な人間です』とな。それでいて、鶏みたいに頭を逆立てたり。君は半ば自分を演出している」

 たまが猫なで声で身をよじった。


「やだー赤羽君って『自分探し』系? アタシそういうの大っ嫌~い!」

「そ、そんなことない! 俺は、あの子の」アイリスを見る。「言うとおり、よ、弱い。バットだって怖いから持ってる」


「ネー(いいや)。誇っていいんだ。私が買うのは、君のそういうしたたかさ。事件後、君は金属バット片手に自縛霊からお稲荷さんまでとっ捕まえて、審問官の居場所を聞きまわっていたそうだな。編集長から聞いた時は爆笑したよ。なんという『意思の力』か、とね。だが残念ながら見当違いだな。知っているか? 三つの事件を。五月に一件、六月に二件」


 茗と観たニュースでも流れていた。夜半、自宅で女性が襲われる事件がここ一か月あまり連続して起きている。

「彼女らも、君と同じく魔女狩りの被害者だ。ショックでPTSDに陥り、まともに口も利けない状態だ。本来ならそれが当然。だが、君は死にそうな目に遭っても、己を失っていない。ビビってはいるがね。私は君の根の強さに感心した。我々が求めるのは、強さの『種』さ」


 褒められても素直には喜べない。本能が危険信号を発していた。

 この女社長は怪しい。

 ぼうっとしていたら、すぐ彼女の言う通りに事が運んでしまう。感動するほど手際のいい詐欺師、そんな感じなのだ。


 この時も、ヴァイヤーは一比古の一番痛いところを突いた。

「知りたいのだろう? なぜ自分が襲われなくてはならなかったのか。そして妹さんを救いたい。そうだな?」

「そう……です」

「呑みこみの速さ。これも君の美点のひとつだ。分かるだろう? 今後君に必要なのは、情報拠点と安全の確保。それに関して私は君に、東京で最適な場所を提供できる」


 にやあ、とヴァイヤーは笑い、両手を広げた。


「ようこそ、真夜中新聞社へ」



  ◇◇◇



 夢を見ていた。

 べべん、べん、べべん。

 どこからともなく、琴のような三味線のような弦が弾かれる音がし、目を開くと、赤い和室の中に立っていた。奥が見えないほど広い。


 べえん。


 正面の(しとみ)格子に影が映る。わずかな衣擦れの音。

 誰かが外の廊下を渡っている。


「誰ぞ、朱鷺(とき)舎に迷いこんだようじゃの」


 すぐ後ろで女の低い声がし、一比古はばっと振り返った。

 誰もいない。

 赤く暗い空間が無限に続いているだけだ。

 ふふふ、と今度は遥か上方から笑い声が降ってきた。


「まだ月は欠けておる。現世に戻りゃれ」


 格子の隙間から見える月は、三日月にも足りない。

 細い、弓のような月。

「誰だッ」


「久方の逢瀬というのにずいぶんな挨拶じゃの。異人みたいな髪をしおって。さあて謎掛けじゃ。赤、朱、緋、薄紅(うすべに)、くれない、臙脂に朱鷺色。記憶の海を漂い、探しておいで。妾は己の意思ではここから出られぬ。忌々しいことにの。御簾を上げて妾を見つけられた時、再び逢おうぞ」


 影は滑るように廊下を渡り、闇に溶けた。


 遠くから歌が聞こえる。


「長き夜の はじめをはりもしらぬまに 幾世のことを夢にみつらん」


 部屋の赤が濃さを増し、一比古の身にまとわりついてくる。


「待て――」


 べおん、べん、べん、べべん。



  ◇◇◇



 とんとん、と肩を叩かれた。


 後部座席の隣に座ったアイリスが、不思議そうにこちらを見ていた。


 ここは……。

 そうだ、新聞社からヴァイヤーの自宅に向かっていたのだ。奇妙な夢を見ていた気がするが、思い出せない。不吉でいてどこか懐かしいような。そんな夢だった。


 アイリスが窓の外を指差す。

 目の前の屋敷は、ヨーロッパからそのまま持ってきたような古い洋館だった。壁一面がツタに覆われ、さわさわと夜風にさざめく。


「すごいお屋敷」

「大したことないさ」

 ヴァイヤーが運転するVWゴルフワゴンは、自動式の門扉を通って進む。玄関まで軽く五十メートルほど走り、ヴァイヤーはワゴンを停めた。

 アーチ式の玄関に、獅子のノッカーがついた鉄の扉。主人の帰りを待っていたかのように、ランプの明かりがふわ、と灯った。


 後に続いて、玄関ホールの柔らかい絨毯を踏む。

「住んでるのは私とアイリスだけだから、好きに使って構わない。色んなことがありすぎて疲れたろ。シャワーを浴びて寝なさい。最近は土曜日も学校があるんだろ」


 学校。すっかり忘れていた。時計を見ると十二時を回っていた。

「私はまだ仕事があるから。後はアイリスに案内してもらって」

 え、とアイリスが心外そうな顔をする。

 にやりと笑ったヴァイヤーは、紙をぴらりと見せた。最近上演されているブロードウェイミュージカルの日本公演のチケットだ。ヴァイヤーが、

「ほーれほれ。観たがってたろ」

とチケットを鼻先で揺らす。ああ、と手を伸ばすアイリス。ヴァイヤーはさっとチケットを懐にしまい、

「というわけで案内はよろしく。おやすみ」

そう言い残して、ほの暗い廊下の奥へ消えてしまった。


 ぶすっとしたままのアイリスを先導に歩きだす。

 きしきしと鳴る板張りの階段を上る。数歩ごとに小さなランプが掛けてがある。近づくと琥珀色の明かりが灯り、離れると消える。

「幽霊屋敷みたいだな」

 漠然と、自分たち 以外の気配を感じる。悪意はなさそうだが、明かりの届かない暗闇からじいっと覗かれている、そんな感じだ。

 一比古はあえて気づかないふりをした。


 案内されたのは二階の客室。隣がアイリスの部屋だ。

 一比古はせっけんの香りのするベッドに寝転んで、これまで起きた出来事を整理してみた。

 俺は「魔女狩り」に襲われ、茗は攫われた。原因は分からない。

 茗を攫った下級審問官は、何者かに殺された。

 茗の行方は分からないが、生きているという。

 真夜中新聞社という変な会社が、警察の了承のもと保護してくれるらしい。

 ――以上。


「以上かよっ! なんも分かってないじゃん!」

 思わず自分にツッコミを入れていた。謎は深まるばかりだ。


 茗。今どこにいる?

 ちゃんとご飯は食べられている?

 俺がしっかりしていれば。俺が……身代わりになっていれば。


 嘲笑うかのように、窓ががたがたと鳴った。びくっと身を固くする。

 部屋の明かりはサイドテーブルのランプだけだ。天井が高いのも、なんとなく心細い。極めつけはドアの外。廊下を誰かが歩いている。

 一比古はこの手の怪談が大の苦手だった。

「ふ、風呂入ろ……」

 部屋に備えつけてあったバスタオルを抱きしめ、バスルームに走った。


 ドアを開けると、明かりがついていた。湯気が溢れ出す。

 洋式のバスにありがちで脱衣所はなく、すぐにバスタブとシャワーが置かれている造りだった。


 ぱしゃ、と水音。


 バスタブにつかる白い背中がこちらを向いた。青い瞳が大きく見開かれ、手元のタオルを掴む。

 先客はアイリスだった。

 少女は瞬きもせず硬直している。一比古もどうしていいか分からず、その場に立ち尽くした。数十秒、沈黙があった。

 一比古が沈黙を破った。


「だ、脱衣所つけときゃいいじゃん……」

「~~~~~!」


 シャンプーボトル(大)が投げつけられる。急いでドアを閉め、その場に座りこんだ。盛大なため息が漏れた。

 さっきの足音はアイリスだったのか。ドアの向こうに声を投げる。

「悪かったって! それにたいして見てない!」

 あ、やぶへび。と思った時には遅し。見たじゃないか、とばかりに、ばしゃばしゃと水面を叩く音がした。


 見てしまった。白い背中を。そして……刻まれた無数の傷跡を。


 特に左肩からわき腹にかけて斜めにはしる大きな傷。昨日今日のものではない。それでも、ほんのり赤く浮かびあがった傷跡は、今にも割れて血が滴りそうだった。


 どれほどの間、戦い続けてきたんだろう。


 自分より遥かに強そうな敵を相手に、弱い者をかばい、どれだけの痛みを代わりに受けのだろう。


 とても想像がつかなかった。

 彼女からしたら、自分は確かに弱者かもしれない。だけど、面と向かって言われて(厳密には言われていないけど)、はいそうです俺は臆病です。と引き下がるほど、プライドは捨ててない。


 思い出すと腹がたってきた。

 と、ドアが開いて、白いネグリジェ姿のアイリスが現れた。湯上りの上気した頬がさらに赤くなり、頬が膨らんだ。口をへの字に曲げて一比古を見下ろす。


「悪かったって……それに『生意気なくせに臆病で弱っちい』奴にちょっと見られたくらい、大したことないだろ」

と言うと、ぺしん。頭を軽く叩かれた。卑屈になるな、ということらしい。


 手招き、アイリスは歩きだした。ためらいがちに後を追う。横に並ぶと、目線にしてきっかりひとつぶん上にある横顔が、痛みをこらえるように険しくなっていた。わずかに足を引きずっている。

「足、怪我してるのか? 病院行かないのか?」

 首を横に振るだけの返事。取りつく島がない。

 玄関ホールに戻り、黒電話の横のメモとペンを取ると、アイリスはのろのろとペンを走らせた。書いては消し、書いては消し、書いては消す……。

 やがて得意げな顔でメモ帳を見せてきた。


「アツハ モトカラ ワルイ! サツキ ハ ワタツモ スコツ イイスギタ カラ オアイコ」

「足は元から悪い?……さっきは私も少し言いすぎたから、おあいこ?」

 ふんふん、と頷くアイリス。

「もしかして、アイリス。日本語苦手?」

 途端、顔を真っ赤にしたアイリスにメモを奪われた。何文字か殴り書きして再びつき返される。


「ハヤク オフロ ネル アツタガッコー」

「はいはい。学校ですね。分かったよ」

 手早くシャワーを浴びると、眠気が襲ってきて、一比古はすぐベッドに入った。


 眠りに落ちる直前、屋敷から飛びたつ、なにかの羽音を聴いた気がした。


 翌朝、いつも通り六時に目が覚めた。習慣で、一比古はキッチンで朝食をこしらえた。自分とアイリスとヴァイヤーの三人分。

「おーいアイリスさん起きろ。朝ですよー」

 やはり朝は気持ちがいい。梅雨明けの涼風が明るい廊下を吹き抜けていく。昨日あれほど不気味だった屋敷とはまるで別物だ。


 ぱたんと勢いよくよくドアを開けた瞬間、一比古は固まった。

 掛け布団から伸びる細く白い足。白いシーツに散らばる金色の細い髪の毛と、同じ色の長い睫。すうすうと穏やかな寝息が聞こえる。

 この世の汚い物事とは無縁の、きれいなお姫様のような――。


 アイリスの青い目がうっすらと開いた。朝日を背に受ける一比古を見て、彼女の唇が動く。

「マイン プリンツ?」

「え? ちょ、ご、ごめんっ!」

 一比古は慌てて廊下を走り戻った。


 出がけに、眠そうにヴァイヤーが降りてきて、一比古に紫のポチ袋を渡した。数枚の一万円札が入っていた。受け取れないと返す。

「そう言うな。なにかと物入りだろ。学校が終わったら一旦会社に顔出して」

と言うので、受け取ることにした。

「じゃあ借ります。必ず返しますから」

 ついでにさりげなく聞いてみる。

「あの。アイリスってプリンが好きなんすか?」

「は? 突然どうした」

 寝言で、というのは伏せて、プリンがどうたらと口が動いた事を説明すると、ヴァイヤーは大口を開けて笑った。


「ははは、そりゃマイン・プリンツだ。ドイツ語。英語だとマイ・プリンス」

 ヴァイヤーは「全然似てないじゃないか」とぼそっと呟いた。

「え?」

「いや、なんでもない。こっちの話」


 私の王子さま。……俺が? まさか。王子ってガラじゃねえし。

 寝ぼけて誰かと間違えたんだ、と一比古は自分を無理矢理納得させた。

 駅まではアイリスが道案内としてついて来た。

 昨夜は分からなかったが、辺りは由緒ある住宅街らしく、表に守衛が立つ白壁の屋敷や、外国ナンバーの車が三台も並ぶ洋館などが連なっている。一比古のような学生が歩くと、場違いなことこの上ない。


 アイリスは水色のカーデガンにチェックのプリーツスカート。なぜかインラインスケートを履いて、すーと隣を滑っている。ときおりその場でくるりとターンを描く。髪がふわりと風に揺れる。

 機嫌がいいようだ。

「昨日、ごめんな」

 アイリスが首をかしげる。

「ほら風呂」

 ああ、とアイリス。本当に気にしてないんだ……一比古は少しがっかりした。


「足、本当に大丈夫なのか? そのスケート靴も怪我のせい?」

と訊くと、アイリスはこくんと頷いた。彼女には、さほどのことではないのかもしれない。

「そっか。それで戦ったりとかしんどいよな。気をつけろよ」

 アイリスは一瞬びっくりしたよう目を瞬かせ、遅れて頷いた。そんな気遣いをされたのは初めて、と言いたげな顔だった。



  3につづく

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