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聞く耳のあるものは聞くがいい(Mark 4:9) 1

 翌日の放課後。四ツ谷で電車を降り、しばらく歩いた。

 辿り着いたのは雑居ビルの三階だった。実は下級審問官襲撃の後、ヴァイヤーが残した「眞夜中新聞」の住所を頼りに探してみたのだが、付近を五時間歩いても見つからず、結局引き返さざるをえなかった。


 なぜ今日はすんなり見つけられたのだろう。


 入り口には「真夜中新聞社」と黄ばんだプレートが掲げられている。

 用心深くドアを開ける。狭いフロアに事務用の机やキャビネットが並び、間に雑然と紙の束が積み上げられている。


 いきなり大声が飛んできた。

拝島はいじま! テープ起こし済んだか!」

 デスクで二人の男がそれぞれワープロとパソコンに向かい、急がしそうに作業をしていた。大声の主は眼鏡をかけた中年の男だ。はす向かいの赤ペンを耳に挟んだもう一人の若い男が「もうちょっと〜」と応じる。


「一面差し替えで行くぞ。適当に切って代原に突っ込め!」

 立ち尽くしていたところへ、背後から急に声がかかった。

「一か月前とえらい変わったな。不良か? 頭がプリンだぞ」

 振り返ると、ヴァイヤーとアイリスが立っていた。デスクの二人も一比古の存在にようやく気づき、拝島と呼ばれた若い男が声をかけてきた。


「お、いらっしゃい。金属バット持参とは穏やかじゃないねえ」ヴァイヤーに目を移す。「社長、赤羽っちの写真も入れときます?」

 どうやら、ヴァイヤーはこの会社の社長らしい。

「入れよう。一比古。はいチーズ」


「え」


 フラッシュが光る。ヴァイヤーは拝島にデジタルカメラを投げ渡した。

「被害者一枚絵ねえ。本当は妹ちゃんのも欲しいけど。意外に斬新なレイアウトかもなぁ〜。ま、八〇線じゃ大して分からねえか」

と拝島は呟き、レコーダーから伸びるイヤホンを耳に、猛烈な勢いでタイピングをはじめた。再び中年の男がヴァイヤーに声をかける。

「あっと! 『社長コラム』書いて下さい」

「後じゃ駄目か」

「今! この前みたいなのは勘弁して下さいよ。あれだって社長がゴネなきゃ、全部書き直して――」

白峯(しらみね)編集長! 言いたいことは、はっきりと!」

「今すぐ書いて下さいってことだけです!」

「まったく……真実を書いてなにが悪いものかねえ」


 ヴァイヤーは原稿用紙に万年筆で短文を書き連ね、白峯に渡す。一読した編集長は苦笑いした。

「ほお、今回はまともだ。しかし勝手に決めちゃっていいんですか」

「嫌とは言わせん」

「了解。よし、二時間で終わらすぞ」

「一時間半で上げましょうよ白峯の旦那。ラストオーダーに間に合わなくなる」

「じゃあ早く一面上げやがれ」

「うす。あと二十分!」


 なしくずし的に、奥の応接室に通された。

 応接室の壁には、ドイツ語らしき文句と訳語が額に収まって掛けられていた。

 

 Schreiten oder schlafen, wie Nachtwächer.(夜警の如く歩め、さもなくば眠れ)


「ごめんねぇ。バタバタしてて」

 脇から麦茶が差し出された。長い髪をゆるくカールさせた女性が笑っていた。

 カットソーから胸の谷間が見え、一比古は思わず目を反らして、どうも、と言った。ゆるやかな笑い声とともに、鈴がついたペンダントがちりん、と鳴る。

「あの、これなんですか?」

 壁の額を示す。

「ウチの社訓、みたいなもんかな? やるときゃキチンとやりなさいよ、っていう」

「へえ……」

 実はワタシもよく分かってないや、と女性は笑った。顔を寄せ、一比古の目をじいっと覗きこんでくる。


「青っぽい目、すてき。子猫みたい。ワタシは龍宮たつみや。みんな『たま』って呼んでるからそう呼んでね。あとバットは預かるね?」

と、たまは素早くバットを取り、頭を撫でた。一比古はもぞもぞと抗った。


「赤羽一比古……す。あと撫でんのやめて……って、そうじゃなくて! 説明! 俺は説明を聞きに来たんだ!」

「よしよし。言われんでも説明してやるから安心しろ。さっきまでぽかんとしてたくせに、変なところで探究心が強い」

 ようやく白峯から解放されたヴァイヤーが戻ってきた。


 ヴァイヤーが向かいのソファに腰を下ろし、隣にアイリスが座る。たまもパイプ椅子を持ってきてちゃっかり同席した。

 一比古はアイリスをちらりと見た。

 一か月ほど経つとはいえ、下級審問官に刺されたナイフの傷は、跡すら残っていない。一体どうなってるのだろう。


「ひとつ言っておきますけど。お、俺、あんたら信用したわけじゃないから。第一、あんたらが割りこんできたから、茗は戻ってこなかった。あいつは、俺が魔女だと認めれば、妹は助けるって言ってた。なのに――」

 言葉を連ねるほど、悔しさがこみ上げてくる。ヴァイヤーの高い笑い声がそれを打ち消した。


「おめでたいな一比古君! 奴らが約束を守ると思うかね? 私たちがあそこで介入しなければ、今ごろ兄妹ともどもオダブツさ」

「ふ、ふざけんな!」

「社長、言いすぎですよぉ」

 たまがたしなめる。ヴァイヤーはばつが悪そうに口を曲げ、

「すまん。我々としても奴を逃した責任を痛感している。だから今日、君を呼んだのだ」

と頭を下げた。怒りのやり場を失い、一比古は麦茶を一口だけ含んだ。頭の芯まで冷たさが染みわたる。


 一比古が落ち着いたのを見計らい、ごほん、とヴァイヤーが咳払いをした。

「ではご希望の説明に入ろう。多少突拍子もない話になるが許せ。今すぐ信用してもらおうなどとはこちらも思ってない。無理強いもしない。まずは話を聞いて、君の理性で判断すればいい。いいな?」

 一比古は神妙に頷いた。

「……はい」

「君は確か中学生だったな」

「中三、です」

「じゃあ少しは世界史を習っているだろう。聞こう。『魔女狩り』とはなんだ?」


 魔女――。


 侵入者の男も同じことを言っていた。

 残念ながら歴史はあまり得意でない。うろ覚えの記憶をひっぱり出し、なんとか解答を試みた。

「ええと、中世のヨーロッパで、魔女の疑いをかけられた女の人が拷問されて……? 無実の罪で何百万人が火あぶりになった? かな?」

「ファンタスティッシュ(すばらしい)!」ヴァイヤーは大仰に手を叩いた。「模範的な誤答だ」

 ぽかんと一比古は口を開けた。


 違うのか?


「たま、誤答部分を指摘してみろ」

「アタシですかぁ? えっと。最近の研究だと『何百万人』じゃないんですよね。あと中世っていうのも違う。それくらい?」

 アイリスが首を振り、人さし指でバツを作った。

 そういえば、彼女が話すところを見たことがない。喋れないのだろうか。


「答えは全部間違い、だ」

 ここから先は自分の時間、とばかりに、ヴァイヤーは楽しげに言葉を紡ぐ。


「長くなるからリラックスして聞くがいい。

 魔女狩りの最盛期は、一五九〇年代、一六三〇年代、一六七〇年代。ポーランドやハンガリーでは一七二〇年代までがピークだ。ピンとこない? そうだな、ルネサンス時代の巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチが死んだのが一五一九年だから、一五九〇年といったら、中世はおろかルネサンスも終わっている。太陽王ルイ登場前夜。日本だと、豊臣秀吉がちょうど天下統一を果たした年だな。中世から近代の狭間、あるいは近代の入り口。『マニエリスムからバロック』と言ってもいい」

「はあ……」


「気のない返事だな。ついてきてるか? ちなみに最後の魔女拘留者は一九四四年。第二次世界大戦末期だ。流石にその頃には本気で魔女を信じる者は少なくなっていたがね」


 一九四四年? 六十年ちょっと前まで魔女狩りがあったなんて。嘘だろ。

 一比古は少なからずショックを受けた。

 ヴァイヤーは一比古の反応に満足したらしく、淀みなく続ける。

「要するに、魔女狩りとは。一番有名な乙女ジャンヌ・ダルクの火刑から、実に六百年以上にわたって脈々と続いているわけだ。


 さて二つめ。『ヨーロッパで』が間違い。魔女狩りはアメリカでも行われた。セイラムの魔女裁判が有名だな。二百人ちかくが告発され、十九人が処刑。アフリカ大陸では今でも魔女狩りをする地域もあるらしい。


 三つめ。『疑いをかけられた』がやや間違い。多くは匿名の告発形式によって行われた。村の広場とかにこう、ボックスがあって、紙に『誰それは魔女である』と書いてポン。次の日には名を書かれた者が村の裁判所に引きずり出される仕組みだ」


 一比古は話に引きこまれつつあった。

 自分の常識が次々と覆されていくのは、ある種、快感と言っても良かった。

 それに、ヴァイヤーの話に乗っていると、重い現実から離れて少しは気が紛れる。


 こちらからも疑問を投げかけてみた。

「それじゃあ、嫌いな奴の名前を書いちゃうじゃないすか――イジメみたいに」

「その通りさ。魔女として告発された者の大半は、夫に先立たれた未亡人や、身寄りがなくてひっそりと暮らしている老婆や産婆だった。豊富な知識を頼られる一方、気味が悪いと怖がられたんだろうな。では一比古。君が描く魔女のイメージとは?」


 うーん、と考える。有名アニメの魔女は可愛い少女だったけれど。

「鉤鼻のおばあさん。黒猫がいて、ホウキで空を飛んで、『イーヒッヒッヒ』とか笑う。あれだ、童話のなんだっけ……『ヘンゼルとグレーテル』だ。それにもいたような」


「ヤーコプとヴィルヘルムのグリム兄弟編纂『子供と家庭のためのメルヒェン(キンダー・ウント・ハウスメルヒェン)』。通称『グリム童話』。童話に登場する魔女も、一定のステレオタイプにもとづいている。だが本当は、そこから漏れる事象こそ重要なのだ。

 ……本題は後回しにしよう。間違い四つめ。『火あぶり』。確かに火刑が有名だが、鞭打ちや禁錮刑など、殺されずに釈放されるケースも多数あった。証拠不十分で無罪になるケースも。ごくまれだがな。

 そして五つめ、人数。『数百万』は大いなる間違い。かつては最大で九百万人と言われた時期もあったがね」


「……間違いだらけじゃんか」

 九百万人がどれくらいか見当もつかないが、魔女狩りというと「ヨーロッパ全土でたくさんの女性が火あぶりにされた」黒い歴史、というぼんやりしたイメージが一比古にはあった。

 「魔女」に「狩り」。言葉自体がすでに禍々しいではないか。


 ヴァイヤーは眉を寄せ、険しい表情を作った。

「虐殺の歴史では、数字というものが一番厄介だ。ナチのホロコーストにしろ、ポル・ポト派にしろ、死んだ者は口が利けない」一瞬、ぎり、と唇を噛んだ。「しかし魔女狩り研究は、近年資料の解読が進み、めざましい進歩を遂げている。十年前の論文が紙くず同然になる程に。数字はほぼ確定しつつある」

「どれくらい?」

「あくまで統計数字からだが、一四二八年から一七八二年の間にヨーロッパ全体で約四万人。スカール、ベーリンガー他、主だった研究者がこの数字を支持している。九百万人よか、だいぶ少ないだろう?」

 ヴァイヤーは自嘲的な笑みを浮かべた。

「で、でも。四万人だって、みんな無実だったんだろ。少ないわけない」

「うむ……君は正しい。悪い。文献にばかりあたると頭が麻痺してくるのだ」

そう言って、ヴァイヤーは頭を掻いた。


 アイリスは俯いて、なにかを耐えるように拳を握りしめている。

 部屋に重苦しい空気が流れた。ヴァイヤーは煙草を取り出し火をつけようとした。たまがさっと睨む。

「社長、喫煙は非常階段で」

 社長は渋々、煙草を戻した。


「日本もだんだん住みづらくなる。さて。本題に入るか。

 最後に『女の人』。正確な数字ではないが、魔女狩りの被告のうち女性が占めるパーセンテージは、イギリスで約九割、ドイツで約八割。スイスは地域によって異なる。ジュネーヴで約七十六%、フリブールで約六十四%。ヴァートラントは五十八%。まあ、中央ヨーロッパでは、おおざっぱに約八割と考えていいかと思う。逆に言えば、十人のうち二人は男性だったってこと。これがエストニアやロシアにいたると男性の方が多くなる」

 ヴァイヤーは一呼吸おいて、ゆっくりと言った。


「いいか、魔女は女に限らない」



 『自白しろ』

 『お前が魔女だと』



「赤羽君、顔色悪いよ?」

 たまの声で我に返る。ヴァイヤーの目がこちらを見ている。アイリスの青い目が上目遣いにこちらを見ている。

 お前は魔女か、と。

「……お前は狙われた」

 思わず立ち上がっていた。

「お、俺が魔女だって。そう言いたいのか? 魔女が女だけじゃないってのは分かった。でも魔女狩りは終わったんだろ? じょ、冗談じゃない。俺は日本の普通の中学生だっ!」

「違う違う! 誤解してるよ赤羽君。あのね、さっき社長が言ったこと覚えてる? 『魔女狩りは六百年以上にわたって脈々と続いている』って」


 ……続いて「いる」?


 たまは声を低くした。

「そう、魔女狩りは今も行われているの。みんなが知らないところで、ひっそりと。今日は赤羽君が狙われた。理由はまだ分からない。だから、私たちは君を守りたいと思って、ここへ連れてきたの」

「……たまさん、それ本気で言ってます? 詐欺とかじゃなくて? 高い壷とか売りつけようって魂胆?」


「馬鹿め」ヴァイヤーがせせら笑った。「妹が拉致されても詐欺だと? お前が吊るされた青い光も詐欺? 襲われたのは本当だろ。お前が一番痛感しているはずだ、あの時の恐怖を」

 そうだ。ヴァイヤーとアイリスが来なければ、きっと自分は殺されていた。


 背筋が泡立った。夢なんかじゃない。現実に起きたこと。

 現実。

 一比古の頭の中にようやく普通の感覚が戻りつつあった。



  2へつづく

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