はじめに言葉があった。(John 1:1) 2
どこかの倉庫だろうか。声がやたらと反響している。
エンジン音がして、バイクを逆乗りに乗った人影がたんっ、と降りる。バイクのライトが逆行になって男か女かも分からない。人影はこつ、こつ、と近寄り、カメラは人物の先を追って、被害者を映し出した。
布で目をふさがれた制服姿の男子生徒が、縛り上げられ、床に転がされている。周囲には、手足をもぎ取られ、腹を割かれた赤子のぬいぐるみが何十体と散乱している。薄暗いせいで、一見本物の子供の死体に見えた。
「た、助けて」
か細い声をあげる男子生徒を、手持ちカメラは舐めるように撮る。
「お願いします……こ、こ、殺さないで」
「駄目だ」
フレームの外からその人物は言った。音声加工されたのか、声が濁っていた。男と女の声が混じったように聞こえた。
「お前、魔女なんだってさぁ。悪い奴なんだって。そんならあたしが殺しても誰も文句は出ねえよなあ?」
「ち、違う。魔女じゃありません! 助けてください。お金が欲しいなら――」
「金なんていらねぇんだよ! 金、金、カネ! あたしが! 金で動くと思うか! 金で命が買えるか! ボケがッ」
鉄パイプの先に括りつけられたアーミーナイフが、男子学生の太ももを斬り裂き、彼は悲鳴をあげた。
「いいねえ。もっと、もっと悲鳴をあげな。苦しめ。カメラ寄れ」
カメラが涙と鼻水と唾液にまみれる男子の顔をアップで映した。カメラマンの興奮した吐息が混入する。カメラに向かって男子は懇願した。
「助けて……あああああ……おねがいし……ああああっ!」
どこかを斬りつけられ、悲鳴が割れた。カメラが引く。白いシャツの腹部が鮮血で染まっていた。
「……おかあさん……おとうさん……たす……」
「地獄で逢えよぉぉっ! 死ね! 魔女は死刑! 魔女は死刑!」
絶叫。カメラに返り血が飛ぶ。
「あはははははははははははははははははははは!」
狂った笑いが男子の断末魔の叫びに重なる。
たまが嗚咽をあげた。
「今すぐ削除して! なんでこんな映像が晒されたままなの!」
「本家ウィチハンはこの投稿のおよそ三十分後、削除されました。しかしミラーサイトは増殖し続け、動画のコピーが様々な掲示板に貼られています。全て、一般人の手で。警視庁のハイテク犯罪捜査チームと連絡を取っていますが、向こうの処理速度を超えて、動画は加速度的に複製されているそうです」
御舟の言葉に悠介も同調した。
「たまさん、イラク戦争でも同じだった。こうなったら、世界中に広まった動画を削除し尽くす事は不可能なんです」
「いや! 消してよ、可哀想すぎる!! この子がこんな風に残酷に殺されなきゃいけない理由が一体どこにあるの。言ってみなさいよ!」
「落ち着いて、たまさん」
「赤羽君、落ち着いていられるわけがない。ひどいよ、ひどすぎる」
たまは一比古に倒れこむようにして泣きだした。
一比古はたまの背中ごしに、吐き気をこらえながら、繰り返される動画をじっと見つめた。絶対に目をそらしてはいけない。
「カメラマンと主犯、最低二人いますね」
御舟が答えた。
「ええ。犯行推定時刻は午後五~六時頃。アドミニスターの第二回『黒』判定の書きこみの後でしょう」
本家が削除された現在、ウィチハンを完全にコピーした「ウィチハン@避難板」という掲示板が、一般ユーザーの手により稼動している。
避難板は、たまのような悲鳴で溢れていた。
「ひどすぎる」「かわいそう」「警察はなにやってんだ、犯人早く捕まえろよ!」
彼らの動揺を痛いほど感じながら、一比古は腹の底から煮えたぎるものを吐きそうだった。
これが、お前たちが望んだことだ。
人が死ぬことがどういうことか、想像すらつかなかったのか?
ほんの数時間前まで一比古の処刑動画を早く見せろと騒いでいたのが、死んだ途端にようやく気づく。いかに残酷な願望だったかと。
「はなから気づけよ!」
一比古はモニタの向こうに怒鳴りつけた。答えはない。
書きこみは、時間を追うごとに、死んだ男子生徒への悲しみから、早く犯人を捕まえろという雰囲気に流れていく。
伏字の「アKB」は「赤羽」に変わる。
「赤羽が煽らなきゃこんなことにならなかった」「アドミンが本気になったのは赤羽のせいだ」「赤羽!煽ったてめぇはなんで生きてるんだよ」「なんであなたが助けなかったんですか!」「涙が止まらない。どうしてこんなことになったの」「償え」
IDから同一人物ではなく、別の人間が書いているのだと判る。
「赤羽おまえのせいだ赤羽おまえのせいだ赤羽おまえのせいだ赤羽おまえのせいだ」
悲しんでいるようにみせかけて、やってる事は前と変わらない。一比古は痛感した。皆、誰かをスケープゴートにして、自分が安心したいだけだ。
電話口で小声で会話していたヴァイヤーが、受話器を置いた。白くなった顔。
「拝島が……内通者を捕らえたと」
「アイツ、『独自取材だ』とか言って、そんなことしてたの!?」
ドアが開いて、顔を強ばらせた拝島が、暴れる人影を引きずって現れた。
影は、専属カメラマンの津久戸だった。
「津久戸さん!?」
「は、離せ!」
津久戸はじたばたと暴れたが、後ろ手に縛った縄を拝島が強く引くと、その場に転んだ。目の下にくまを作った拝島が半眼で一比古を見る。思わず目をそらしたくなるほどの強い視線だった。
「さん付けなんていらないぜ、赤羽っち。こいつが、さっきの動画も、綾瀬戦の動画も、それどころか最初の赤羽っちのプロフもウチの新聞も上げてた。『まるちゃん』と『666番』だからな」
「冗談じゃない! 僕は知らない!」
津久戸は悲鳴をあげた。拝島は怒鳴る。
「綾瀬戦の音声を聴きなおしてみた。てめぇ、可怪しな事を言っていたな。『アイリスは死なない』だって? どこでそんな知識を仕入れた!」
確かにそんな事を言っていた。一比古がアイリスをかばった時だ。「アイリスは死なないからかばう必要がない」というような事を。戦闘中で深く考えはしなかったが。
津久戸はしどろもどろに答えた。
「ほら、妖怪って死なないじゃん。深い意味はないですって!」
「死ぬわよ!」声を荒げたのはたまだった。「妖怪だって人間と同じ。もしかしたらずっともろい存在よ。銃で撃たれたら痛いし、死ぬんだから。馬鹿にしないで!」
ヴァイヤーが冷酷な目で津久戸を見下ろす。
「落ち着けたま。確かにアイリスはほぼ不死者と言っていい。そういう『呪い』があるからな。しかし契約カメラマンのお前は、我が社の社員の素性までは知らないはず。どこで知った? アイリスが人間ではないと」
「し、白峯編集長と飲んだ時に聞いたんです」
ほお、と御舟がパソコンの前から立ち上がった。
「同年代の私とも飲みに行くのは年に数度の彼が、君と飲み友達とは知りませんでしたねえ。いつ頃のことか思い出せますか?」
「さ、さあ」
御舟は眼鏡の奥でにんまりと笑った。
「少し時間を頂ければ、私が千里眼で探してあげますよ。君が忘れていたとしても脳はちゃんと覚えています。もっとも、嘘の記憶は見つけられませんがね」
「う、うあ……」
座りこんだまま後ずさりする津久戸を、拝島が足で蹴る。
「吐いちまえ津久戸。血の匂いがすんだよ。シャワー浴びたって簡単には落ちねえ。何百のコロシ見てきた記者の鼻を舐めんな」
一比古はふらりと前に出た。
「綾瀬と戦った時、津久戸さん新聞のメンツ背負ってるって言いましたよね。殺人現場撮るのもカメラマンの誇りですか」
「……」
津久戸は答えない。一比古は叫んだ。
「答えろよっ! 津久戸さん! あんたが映像を撮ったのか!」
うなだれた津久戸の肩がわずかに揺れた。揺れは次第に大きくなる。爆発したように甲高い笑い声がフロアに響いた。
「くっくっ……はは、笑うよ赤羽。あはははは! なに正義ぶってんだよ。お前だってウィチハンにイカれた動画上げたじゃないか」
舌なめずりをしながら、頬を紅潮させ津久戸は続ける。
「傑作だったよアレ。僕でさえ『やられた!』って思ったね。そこの、堺だっけ? お前が撮ったの? 寄るタイミングとかドンピシャだよね!」
目が、完全に常軌を逸している。ヴァイヤーが念を押した。
「もう一度聞く。お前はアドミニスターの共犯で、殺人現場を撮った。間違いないな?」
「あはっ、社長。なに格好つけてんですか。そうだよ! 僕が撮ったんだよ!」
「《魔女の鉄槌》の手先め」
津久戸は鋭く聞き咎めた。
「なんて言いました? 《魔女の鉄槌》の手先? あはははははは、マジでそう思ってるんですか? バカだなあんた!」
「なんだと!」
「あんたらは、いや。あんたら真夜中新聞社も《魔女の鉄槌》もみんな! アドミニスターに踊らされてるだけなんだよ!!」
津久戸の絶叫は、大きく開けた喉から突き出た大錐に遮られた。
「ひゃ、ひゃに――」
津久戸が自分の口に目を寄せる。バーベキューの串のように貫かれた舌。
ドス!
床から突き出した杭が津久戸の腹を貫き、宙に吊り下げた。がくりと首が奇妙な角度に折れる。
「なんだよこれッ」
「スターンだ! 拝島さん、引いて!」
一比古、ヴァイヤーが一歩踏みだす。一比古は糸巻きを左手に持ち、糸を繰り出した。杭の周りに円陣がぼう、と光った。低い声がなにかを唱えている。
「一比古、来るぞ! 今まともに戦えるのは私とかろうじてお前くらい。ムシのいい奴と蔑んでもいい、助力を頼む」
「オッケーです!」
『神は各々のものに、その本質、形態、特性、力および機能を与えたのである、その結果いかなる被造物といえども、自然から与えられた動きに応じている以外は、なにごとも一切為し得ないのである』
徐々に光の強くなる円陣から、まずキリを持つ右手が現れた。白峯に粉砕された右手の肉はえぐれ、骨が一部露出していた。次に左手。銀色の髪。
『被造物は、原初から与えられているこの力を超えては、なにも為し得ない』
ずず、ずず、と沼から這い上がるように、黒い影は完全に姿を露わにした。
破れた黒いコートの裾が揺れる。
「ならば、人でありながら人を超えた機能を持つ魔女を、我々は許しはしない」
立ち上がったジェイソン・スターンは、瀕死の津久戸に囁いた。
「アドミニスターの名を言え」
「た…す…て」
「命を惜しむな、クズめ」
「津久戸さんから離れろ!」
銀色の瞳がゆっくりと一比古を見る。
「なぜ? 貴様たちも始末するつもりだったのだろう? 代わりに手を汚してやったのだから、感謝こそされ、非難される筋はない」
「とにかく離れるんだ!」
「相変わらず聞きわけのない子だ」
次の瞬間、キリが一比古の心臓めがけ跳んできた。
今度は軌道が見える。一比古はギュルッと糸を伸ばし、キリをからめ取った。音をたてて一比古の足元にキリが転がる。
スターンの目が細くなった。笑っている。
「《五の災人》の下僕。真実に一歩近づいたか」
「あんた、お岩さんの結界を破るので精一杯なんだろ? 円陣から一歩も外に出られてない。今なら俺だって対等に戦える」
「面白い。やってみろ」
二人の視線が交錯した時、ヴァイヤーが割って入った。
「止めろ! 津久戸が言った事を忘れたか? 『私たちも《魔女の鉄槌》もアドミニスターに踊らされてる』と。スターン、我が祖ヨハンの『悪魔による幻惑(De Praestigiis daemonium)』の序文で東洋の結界を破ってくれるとは、光栄だな。貴様たちでないとすれば、一体誰がアドミニスターだ」
スターンは憮然と、
「殺人狂の惨殺をなすりつけられるのは、我慢がならんな。フン、俺こそ知りたいのに、貴様らがごちゃごちゃ騒ぐからこと切れてしまったわ」
と吐き捨て、死骸となった津久戸を横目で見た。
「茗、茗はどうなんだ!」
宙に浮かび、一比古を惑わせたあの姿。今まで《魔女の鉄槌》に監禁されているものと思っていたが、アドミニスターが《魔女の鉄槌》でなければ、事情も変わる。
茗は、アドミニスターの手の内に。
「貴様の妹か? 我らの審問官が『何者』かに惨殺された際、犯人に連れ去られた。まあ、貴様を釣る役目は十分に果たせたから既に不要な駒だったが」
「ふ、ざけんなッ」
人を人とも思わない口ぶりに、一比古は我を忘れかけた。
その時、ウィチハンの退避板を表示させていた、たまのパソコンのモニタががたがたと振動をはじめた。拝島が頭をかきむしる。
「おいおい今度はなんだ! たま、消せ!」
「う、うん!」
シャットダウンさせようとマウスに触れたたまの手は、バチンという音とともに弾かれた。
「痛っ!」
モニタが激しく点滅し、おおおおおおおおおおお、と低い声がスピーカーから漏れる。声は次第に大きくなる。たまが耳を押さえ、髪を逆立てて叫ぶ。
「なにか来るよ!」




