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魔術師の閉鎖試験  作者: あしべ
1章
2/35

前夜

説明回です


2013/10/5 加筆修正しました。かなり増えてしまった・・・



 ガチャガチャと黒く染まった武骨なフルプレートが喧しく音を鳴らし、靴底は地面をその重さとそれを感じさせない程軽快に動かす脚力で抉りながら走る。

 そのフルプレートは右手片手に二メートルはあろう長大な両刃のソードを持ち、左手には拳大の内側より緑色に光り輝くクリスタルを持っている。

 周囲は見渡す限り木や藪、花や蔓。色鮮やかな色彩で黒一色のフルプレートを浮だ足させている。

 やや薄暗いことだけが現在のソレの味方だ。

 その身からは不自然なほどの速さで森の中を駆けるフルプレートは付近の様子に対してやや警戒の意志を宿し、足を止めたかと思うと、次には何事も無かったかのように一歩を踏みだした。

 突如として藪の一角が爆散し炎上する。

 その炎は透き通るような青色でとても幻想的な色をしていた。

 どうやら何者かがココに仕掛けをしていたのだろう。しかし、このフルプレートを纏った者にとって、その仕掛けは容易に察知できる代物だったらしい。気が付けば既に効果範囲外へと後退していた。

 しかし、炎上を皮切りに、次々と連鎖反応を起こしたのか、フルプレートへと矢が降り注ぎ、木々の隙間から槍が飛び出し、四方から大小異なる刀剣類が飛び込み、炎雷風刃土爪が襲い掛かってくる。だがどれも見事な足捌きと剣筋でもって無傷で余裕を持って踏破される。

 面当てを降ろしている為に感情の動きは分かりづらいが、それでもその最初の藪の爆発炎上してからに全く動揺の色が見えないところを考慮すると、態とソレ等を起動させるところまで足を踏み込んでいったのだと分かる。そしてそれを全て往なした。恐ろしい技量だ。

 周囲が凄惨な状況で悠然と立つフルプレートはなにやら思うところがあったのか、徐にその青色のさきほどから燃え続けている炎に左手のクリスタルを無造作に近づけた。


 ギャギャギャギャギャッ!


 それは不快な怪音を上げつつ先ほどまでゴウゴウと異常なまでに燃え盛っていた炎を、それは根元から掻き消した。

 その現象を見てフルプレートは何か確信したかのように一つ頷く。

 そして、軽々と片手に持つには大き過ぎる右手に持つ両刃のソードを大上段に掲げては、無造作に地面に叩き付けた。

 三半規管を揺るがす轟音響かせる大地を揺るがす一撃。

 インパクトの際、ソードが光の軌道を描いていたこと意外は、ただ普通に高速にて振り下ろされたものだが、結果は圧倒的なまでの破壊。

 ソードの接地面より直径二メートル弱の浅いクレーターを作り出す。

 また、不可視の衝撃波が五メートルほど全方向に解き放たれ、同心円状に何も無い広々とした空間が出来上がる。

 一方、このような惨状を作り出したフルプレートにはどうなったかというと、何の影響も無かったようで、土も被らず、ただ静かに振り下ろした腕を元に戻す。


「うう、ううおおおおおおおおっ!」


 突然、左手のクリスタルを掲げると、雷鳴が轟いたかのような雄叫びを上げるフルプレートの者。

 その雄叫びに同調したのか、急激に閃光を放つクリスタル。

 その閃光は脈動しているかのように強弱をつけるが、その度にその激しさを苛烈に強めていく。

 そしてそれに伴ってその閃光の中に浮き上がる様々な風景。最初は薄く、形も不安定だったものが、光が強まるにつれて、形をはっきりとさせてゆく。

 それは、深く薄暗くしかし幸多い森林、雄大で全てを受け止めるような青さを持ちながらもどこか荒々しい海、様々な種類の異形がどこかのどかに闊歩する丘、広く澄み渡った空の下に広がる緑の平原、馬車が行き交い旅装のものが期待を背負い行く街道、荘厳で雄大な白と青で彩られた巨大な城、出店が並びどこか浮き足立った雰囲気が充満する幸せと喧騒が入り交ざった祭の風景と町並み、白銀の雪で覆われた冷徹で何者をも阻み拒絶する山脈、鋭利な鱗を纏い鋭く引き裂く眼光と何もかも併呑するかのような巨大な顎を持つ竜の壮大な羽ばたき、コロニーを築き大小さまざまに生活を営む狼……それら光景が浮かんでは移ろい往く。

 しかし、幻想的な光景を塗りつぶすかのように途中で邪魔が入る。

 それは人の手。

 フルプレートの厚いグローブが閃光を放っていたクリスタルを覆ったかと思うと、そのまま握り潰した。

 小気味良い、パリンとガラスが割れた音が響く。

 それと共に一気に燃え上がった。全身から黒い炎が昇った。


「ふは、ふはは、ふぅはははははははははははっ!」


 フルプレートは左手を空中に伸ばし、何かを掴む動作をすると高笑いをした。

 それは勝利を掴んだ者の酷く醜い笑い声だった。


「来るが良い。我を止めてみよ。」


 やがて立ち昇る黒い炎を吸収し尽くすと、そこにはフルプレートを禍々しく変形させた悪魔が現れ、一言そういうと黒い靄を残して掻き消えた。





「おお、また放送されたな。」

「ふぅ……。何度目かねぇこのPV見るの。しかし、とうとう明日オープンかぁ~。」


 坂之下宗二はアルバイト先である某チェーン居酒屋店のキッチンから店内に設置されたモニターを見つつ、連日夜勤で入ったため固く凝ってしまった肩を解すように回した。

 ベビーフェイスな彼がその動作をやると、その似合わなさに思わず微笑んでしまう。


「そうだな。」


 と、隣で宗二に同調するのは巨大体格とそれを支える立派な引き締まった筋肉を携えた男、宗二とアルバイト同期の相良吾朗だ。

 相良と宗二との身長差は優に20㎝以上ある。宗二が167㎝と小柄なこともあるが、逆に相良は190㎝もある大男なのだ。さらに、相良流剣術道場の次男坊で日ごろから体を鍛えぬいているため、身長もあいまって威圧感がすごいことになっている。

 相良と宗二の二人は付き合いは長く三年前の居酒屋のオープニングからになる。

 オープン初日、あまりの忙しさに相良はホールにも出され接客することになったのだが、盛大に客に怯えられてしまい、それ以降、どんなに忙しくても外に出ることは店長命令によりないという伝説もち。

 顔も普段の性格もいたって温厚なのだが、それを上回る原初的な畏怖を有するとはなんともはや。まあ、初対面で厳ついを通り越した肉体の彼から野太い声で『いらっしゃいませ』はきついものがあるのは確かだ。

 だが、そんな彼とも初日から気軽に話しかけては多弁ではない彼から情報を引き出し、懐へと入り込む異常なまでなコミュニケーション能力を発揮した宗二と調理場での相良の活躍は目覚しい。

 宗二との遣り取りのお陰で一週間もすれば周囲に溶け込む事に成功した相良は、調理場の鬼といろんな意味で親しみを込められ言われている。ちなみに言い出したのは宗二だ。


「そういや、相良はβテスターの情報みてアーツ構成考えたか?」


 世界初のVRによるMMORPG『ハイローズ』のβテストは各国二千人ずつ、一ヶ月間だけで行われた。

 非常に短い期間で限定的だと思われるが、その通りだ。

 どうしてそれだけなのかと何度も問い合わせがあったらしいが、回答は無かったらしい。一応期間の問題に対しては時間加速の処理を施されており、一日が二倍となっている。だが、それでも1日最大で八時間までという制限があった。人数の方は機器の関係でといわれてしまっては何もいえなかった。

 好意的に解釈するならば、それほど素晴らしい世界だったという事だ。

 参加者以外の、未だに待ち焦がれている人々からしたらいいぞその調子だ! という反応で、どんどんと期待値が膨らむばかりで、なにはともあれ、話題性が抜群であったのもこともあり、世界初の試みなのだからこれは本当にただの最終調整だったのだ、一ヶ月や二ヶ月なんて我慢しろ俺ら! と言い聞かせる流れとなって、そう落ち着いた。

 そのβテスト時の情報は運営の用意した専用掲示板にてテスターたちがあげて、また、他の攻略サイトにてまとめられた。


「そりゃな。βテスト制限もあるし、未知な部分が山のようにあるって言われてるから、あくまでも方向性だけだ。」

「つっても、どうせ剣士系だろ? お前んち超実戦剣術じゃん。PSプレイヤースキルとか重視されてるからある意味チート人間だよな。」


 公式でも、実際プレイしたテスターからでもPSがでる内容だと発表されている。とはいっても、一見さんお断りになりえるかと思いきや、補助が素晴らしいバランス感覚で散りばめられているお陰でそんなことはなかったとも上げられていた。

 十歳位の言葉足らずなガチ少女プレイヤーが華麗に戦闘をこなしていたという話もある。

 言いだしっぺはかなり動揺していたが、ほ、ほほ本当の話のようだ。


「ははは。そう思うだろ? ……その通りだ。剣士系統でいく。剣の腕には誇りもあるからな。仮想だが、魔物相手にどこまで通用するか興味がある。だが、流石にチートまでは言われんだろう?」

「いやいや、自分の実力から何を言いなさるか。掲示板でも立ち回りから攻撃・防御にかなり影響出てくるってあったじゃん。」

「だが、あくまでも序盤だろう。ゲームだ、体の基礎は同じ、経験積めば変わるし、ゲームなのだから色々な戦い方がある。」


 だめだこりゃ。そう言って宗二は額に手を当てる。彼は自己評価をやや甘く見ているようである。

 だが、それもこれも『PSイコール現実での強さ』では無いと掲示板で上がっていた内容なのでハッキリと言い切ることは出来ないのは確かである。決定的なのは、βテスト期間の最後に行われたPVP(プレイヤー対プレイヤー)の大会イベントだ。

 その大会映像は公式ホームで流され全国配信されたおかげであらゆる人が見ることができ、それを実感させられた。そこでは、『武術をやっていて俺はPSが高い』と自称する、しかし言うだけあってなかなか強いと有名な(痛い)プレイヤーがいたのだが、罠アイテムを駆使した女性プレイヤーに圧倒的見事に粉砕されたのだ。

 余談だが、その後彼女は、『罠氏』と呼ばれ、一躍人気プレイヤーの仲間入りをする。


「まな。そこに俺も期待はしてる。」

「……で、宗二はどうだ?」

「うーん、剣士系統はやっぱり色々情報あるからなぁ。できれば開拓したいって考えがある。『罠氏』の戦い見ちゃったし。あとはまあ無難に魔法か? やっぱRPGといえば魔法使いたいからな。一ヶ月の短期で信頼関係作れるリア充ぐらいじゃないと早々に活躍できなかったって話で、魔法使い人口少なくて情報少ないしな。」


 まさに宗二の言う通りであった。βテスト……というよりはVRMMOの性質に大いに原因がある。

 見ず知らずの他人と交流するのは元来の多人数参加型ゲームではよくある。しかし、それは自分とは別個体の『プレイキャラ』を俯瞰な立場で操作する関係だったからこそ可能であったのだ。

 現実、普段のように人間関係を構築するのと同じであってはゲームを好む者には若干敷居が高かった。

 故に魔法使いは序盤多かったものの、個人でやっていくには事前準備や戦闘時の硬直といった費用対効果を考慮すると困難で、前衛系に鞍替えするものが多かった。

 つまり、悲しい事にコミュニケーション能力が高い一部にしか魔法を使う事が許されなかった。なんというまさかのリア充仕様であるか。嘆き悲しんだものは多い。そっち方面で努力しろと叩かれたのは言うまでも無いが、彼らのライフは既にゼロだから責めないでやって欲しいという声も多かったりする。

 まぁ、例外として、『どうしても俺は魔法だ。魔法しかないんだ!』という思想を元に、並々ならぬ努力(死ぬつもりでゴー)でなんとか実践まで漕ぎ着け、初心者の平原で広範囲殲滅オレツエーをして快感を得たり、心に楽しい病をお持ちになられた方が存在したにはしたが……

 運営も予想を上回る愉快で素晴らしいダメ人間達には笑うしかなかっただろう。


「だったな。制限のお陰でソロでも頑張れたのも一因、か。」


 そう。βテスト特有の制限、というよりは調整があり、ここ『ハイローズ』に関しては色々あったのだが、特にパーティーやレイドパーティーを組む程のボスキャラクターが出なかったことは大きかった。

 一応、各フィールドにレアMOBとして強いモノは出たが、数人いれば事足りる程度だったので、そのレアを討伐するためだけに十数人と組むことはなかった。

 個人でも何とかできる。

 素晴らしいが、(その個人の問題が大きいが)ちょっとした弊害も生まれていた。――とまあ言いつつも、正式にオープンすればそんなことは無いと公式発表されているので盛大に突付くことは誰もしなかったが。


「だな。あーあと、興味深かったのが生産系だな。錬金だったけか? 合成して分離してと大活躍したみたいじゃん。生産は最初のキャラメイク固定って仕様で、マイナーな錬金がやっぱりマイナーでさ。徒党組んで詳細伏せやがったせいで情報独占状態とか。MMO らしからぬ……いや、むしろらしいのか? うむむ。」


 『ハイローズ』の生産職は少し特殊だった。一番最初に決定したもので固定されるというものだ。一種のスキルのようなものである。VR故に道具施設さえあれば色々手を出す事は出来るが、補正が大きく掛かるのはその固定生産職となる。

 そして、これは全プレイヤーが生産職を兼ねるということにもなる。とはいっても専業しても良し、両立しても良しではあるが。

 もちろん、戦うときのステータスと生産時に必要なステータスが異なる場合、かみ合っていれば問題ないが、かみ合っていないのにどちらかのステータスに尖った割り振りをしていると両立は難しい。

 対応するステータスが低ければ生産の成功率や性能にマイナス補正がつく。

 先ほど会話に出た錬金も生産職に当たる。ただ、大分他の生産とは毛並みが異なり、それ故に錬金を採る者が少なかった。そして、性質が悪いものが居たのか、情報を絞り利益独占に走ったようだった。ポーションを筆頭に性能が店売りより良い生産品は価格高騰してしまった。

 何度か様々な方面のプレイヤーより説得は試みたが失敗に終わっていた。


 自分の出した話に腕を組んで頭を捻る宗二。

 しかし、諦めが良いというか、割りきりが良いというか、ともかく宗二という人間は勝手に自己完結すると理解しているので、特に気にすることはない。黙って手元のまな板をアルコールで拭いたりしている。

 もともと言葉多い男ではない相良は沈黙に苦労はしない。

 ……それに、何度かそれで空ぶっている経験者は無駄な事はしないのである。


「ま、いっか。」

「ま、いいだろ。」


 三年も付き合いがあるのだ。特に問題はない。


「しっかし、一ヶ月だけのテストってのもアレだが、カプセルタイプ支給ってのはビックリだよなぁ。」

「……あぁ、ダイブカプセルのことか。」


 唐突の話題の変化もいつものことのようだ。相良はすぐに彼が何をさしてているかに気がついた。

 ダイブカプセル、つまり、『ハイローズ』を遊ぶために用意されたVR没入型のハード機器だ。

 今はまだ『ハイローズ』専用といわれるそれは、宇宙技術から転用されたカプセル型で全身を収めることが出来る。相良ももちろん余裕を持って入る事が出来るほど大きく、体調管理は付属の機器により完璧に行え、長時間横になっていても床ずれなどは起きず、更には筋力の低下も極力抑えることが出来る代物だ。βテストを経験した者の体験談では、すこぶる快適だったとのこと。

 今まで軽量化に次ぐ軽量化の争いから一転して、至れり尽くせりのカプセルタイプというのは驚きであるのに、日本だけで一万機も設置された。

 同様に、他に設置される四カ国にもオープン日にあわせて各一万機ずつ用意している。

 それを場所・施設ともに建設から設置・維持まで自腹でとは正気の沙汰じゃない。いったいどれほどの金額がかかったのか考えるのも恐ろしい。また、施設の利用については、魔術師から研究目的もあるという話により、むしろ、そういったことに了承できる人に契約といった形で場所を無償提供する破格のものだ。

 だが、それをやってのけてしまうのも魔術師達ならさもありなんといった認識が出来上がっている。それだけの権力と財力をたった十年で作り上げてしまったのだ。

 一部でその容量のため携帯端末では動作ができないからとか、実は洗脳するのに使われるなどという陰謀説が噂されたりしたが荒唐無稽な噂である。


「ええーと、日本とアメリカと、中国、えードイツ、イギリスだっけか?」

「ああ、五カ国で計五万機か。」

「偏ってるけど、まー半端ねぇな。」

「他の国ならいざ知らず、日本の小さな国土によくもまあ用意した。一大イベントだった。」

「丁度空き地が広くあったからな。あれは予定地として空けられてたのかもしれないが。利権とかとんでもなかっただろうなぁ。知らんけど。」


 相良と宗二の話す通り、日本で設置するに当たって、VRステーションと名づけられた施設が各主要都市に用意されたのだが、それはもう、大きな経済効果を呼んだものだった。


「日本優遇されてるといったどっかの煩い国もいたな。」

「いたいた。治安とかその他もろもろの関係でっていうのにな。」

「……俺達も運が良かったな。」


 彼らの地区では2500台の設置に対して、購入希望者は十八万人が殺到した。


「βテストこそ当たらなかったが、第一陣には当選だからな。」


 そう、場所や高性能を保つ為の限定発売という話だった。


「正直、諦めてたし、どっちが当たってもーだったし。」

「確かに。」


 誰かは言った。魔術師も人の子だ。

 全てを満足させるなど出来ないと。


「それが、蓋を開けてみれば二人とも当選かよ。」

「笑いが止まらんな。」


 しかし、誰も分かっていないのだ。それの考えている事など。

 そして、扉は開かれた。


『いらっしゃいませ、こんばんはー』


「いらっしゃいませー。」

「らっしゃいませー。」

「って、お客さんだな。おい、もう二時だぞ……」

「ダルいな。」

「なぁ。」

「とりあえず、明日は10時にVR ステーションで。」

「オッケー。」


 世界は誰を中心にして回るのか。はたまた、回しているのか、回されているのか。

 全より個、個より全。

 数千に分かたれた星屑は何を願うのか。


『新規オーダー頂きましたー』

『ハーイ、ヨロコンデー』


 明日、5万人の冒険が始まる。

 未だ誰も見たことの無い舞台には何があるのか。

 ともかく、二人はこのあとも他愛ない雑談をしながら夜勤を越えるのであった。



 チュンチュンと聞こえてきそうなほど爽快な朝、宗二は買うときにえらく時間を掛けて選んだマイチェアーに浅く腰掛けつつ、眠たそうに目をこすっていた。


 結局、夜勤を上がった後もそのまま掲示板に目を通したり、音楽を聴いたりしては、相良との待ち合わせ時間、もといVRステーションの開店時間が気になってしまい、落ち着かないので起きていた。


「今日日聞かないが、まさに遠足前の小学生かよ。」


 自分でも分かっていたようだ。子どもっぽいと常々言われているのも否定できないよなぁ、と独り言ちるがなんとも虚しい。決して、身長を言われているのではないと信じている。


「宗~。起きてる~?」


 扉の向こう側から、ノックの音と共になんとも間延びした、可愛らしいソプラノボイスが宗二を呼んでいる。

 一方、呼ばれた張本人はその声に「んー」と生返事。直後に大欠伸をかますのだから、夜勤の疲労は確実に蓄積されている。その耳に扉の開く音が聞こえた。


「なに、大きく口なんか開けて。ずっと起きてたの?」


 可愛いと言うよりは綺麗と称したほうが良い顔立ちに、困った表情を浮かべた女性が嘆息している。頬に手を当てる仕草は上品で、低い身長なれど、『お姉様~』と、一部には受けることだろう。しかして、その実態は――


「母さん。今日の為に俺がどれだけ情熱を注いできたか知っているでしょ。眠気なんてぶっ飛ぶよ。」


 坂之下陽子四九歳。彼女は肩まで伸ばした黒い綺麗な髪を持ち、瞳も黒く純日本風美人である。ただ、彼女の異端な所は年齢に反した若々しさだ。見た目は「二〇代後半、強いて言うなら、ええっと、アラサー……?」と普通なら逆だろってなってしまう程で、最近ようやく豊麗線が気になりだしたという脅威の肌年齢を持つ女性が、宗二の母親である。

 二人が並んでいると彼女か姉、一度は妹かと勘違いされた事もある。流石にそれは言いすぎだろと突っ込んだが。

 ともあれ、宗二のベビーフェイスは確実に陽子譲りである。


「大きな欠伸しておいてよく言うわ。」


 いつまでも子どもねぇとでも思っているのか、呆れている母、陽子。


「んでんで、朝早くになにさ。今日は仕事でしょ?」


 こんな会話をするのも気恥ずかしい年な宗二なので強引に話を変える。それにしっかり乗ってあげるのが陽子である。


「いやね、さっきお父さんから連絡があって、出張長くなるそうなのよ。これから私出勤だし、宗は外に出るじゃない。戸締りとかしっかりしていってねって。」


 宗二の問いかけに対して、どこか不安そうな表情で小学生を相手にするようなことを話す陽子。あまり話の土台は変わっていなかったようである。


「……母さん。わざわざ言わなくても成人した大人に言う事じゃないよ、それ?」


 どう見られているのか、若干以上に悲しくなる宗二はハァと肩を落とす。

 だが、心配されてもしょうがない。おっちょこちょいで抜けている所のある宗二は既に何度かやらかしている。


「まあまあ気にしないの。目的半分はそれだけど、本当は、出勤する前にわが息子を見ておきたくてね。」

「半分はそうなんだ……。」


 日本人には難しいといわれるウインクを完璧に決めるアラフィフ。身内、それも母親であっても可愛いと感じるのは流石だと宗二は思う。伊達に、ファッション誌のカリスマ編集部長をやっているだけはある。パリッとしたリクルートスーツ姿は伊達じゃない。


「何か、変な事考えてない?」


 一瞬、陽子の目が鋭くなると宗二の背筋に冷や汗が落ちる。

 あ、アラフィフとかそんなこと考えてないですよー。やだなー。


「い、いえ、滅相もございません。」

「なら良いけど。」


 陽子は息子の機微に鋭いのだ。……母親だからね。多分、母親だから。


「はっ。ってほら、もうこんな時間だよ。早く行かなくちゃ遅刻じゃないですかお母様。」


 状況を打開するため部屋の時計に目をやった宗二は、立ち姿の決まったスーツ姿の母親に時間を指摘した。そしてそれは効果覿面だったようで、慌てた様にサラリーウーマン陽子は廊下に置いていたカバンを手にすると、玄関に向かい、乱暴に靴を引っ掛けるようにして扉を開く。


「じゃ、戸締りお願いね。いってきますっ!」

「はいよ。いってらっしゃ~い。」


 宗二は手をひらひらと振り、慌しくでていった陽子を見送ると、玄関の鍵を閉める。これは遅刻かなとため息。

 ちなみに、遅刻はしなかったと彼女の名誉の為にここで言おう。


「じゃー、ごはんでも食べて、行く準備でもするかー。」


 廊下を歩き腕を伸ばしつつ宗二はそういうと、朝食を求め、リビングへと向かうのであった。


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