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1K8畳亡命記  作者: CoA
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パラサイト・カップル2

 とるものもとりあえず、近所のすこし大きめのスーパーにやってきた朝は。店内地階の一角、女児服コーナーの前で不審者と化していた。

 うろうろ。たまに一着二着手にとって、ためつすがめつ。値札を見てうーむとうなり、ハンガーラックに戻す。またうろうろ。

 おひとりさまで女児服をあさる男子大学生。どこに出しても恥ずかしくない一級の変態である。ランジェリーショップに単騎突入するよりもまだレベルが高い。それならまだしも彼女へのプレゼントとかなんとか、まだ屁理屈もつけられようものを。女児服ではもう言い訳のしようがない。まぎれもなくウラジーミル・ナボコフの使徒である。きっと、買ったその服は夜な夜な彼のオカズになっているんじゃないかと、そんな邪推もできてしまいそうな様子なのだ。


 まあ、実際問題。今日付けで少女を一人、人聞き悪く言えば、飼いはじめたのだから。外観のみならず実態としてもそのそしりは免れまいが。


 とはいえ、いつまでも立ち止まっていてもらちが明かない。こうなったらもう指運だ、と朝は決心した。どうせ今日の一度きり、その場をしのげればいいのだ。サイズさえ合うならそれで十分といえる。あ、いややっぱり値段も。

 そして、意を決して目をつぶり、130cmと表示のついたハンガーラックに手をのばし……


「あの、お客様。何かお探しですか?」

 ぎゃああああしゃべったああああ!?


 よくよく考えてみれば、渡りに船だった。わからないなら人に聞く、それが正着手である。旅の恥はかきすてと言うこともあるし。地元だけど。

 ええ、これこれこういう事情で。女の子向けのをひと揃い。いや、従妹なんですけどね。あ、サイズ、っていうか身長は、これぐらいで。いらぬ弁解もまじえながら、服飾コーナーの担当らしき女性店員に説明する。

 ほどなくして、およそ無難な、急場合わせのコーディネートが完成した。なるほど餅は餅屋、服は服屋といったものだ。なんだかいやそうな、少なくとも面倒だとは思っている様子で、おまけに不審そうな視線には辟易したけれど。客商売としてどうなのかとは思ったけれど。朝はちょっと感心して、レジで税込2740円を支払った。

 

 まあでも。もうこの店にはいかないだろうなと、少なくともペルを連れては絶対に無理だなと、そんなことを考えながら自動ドアをくぐり。歩道脇に止めた自転車の鍵を外し、前かごに服の入ったビニール袋を放り込んで、サドルにまたがり。そこではっと気がついた。

 靴。忘れてた、と。

 追加出費、1499円。


 帰宅して戦利品一式をペルに手渡すと、彼女は実にうれしそうに折りたたまれた服をひろげた。薄グレーのパーカーを両手で抱えて、ぺこりとおじぎ。

「ありがとうございます。大事にしますね」

 たかだか野口英世ひとりでおつりがくるような普及品に、こうまで喜ばれると。どうにもこうにもかわいらしくていじましくて、しかしあざといと朝は感じた。


「いいから早く着がえろよ。結構時間くっちまったしな」

 照れ隠し混じりに、朝は少し早口で言った。生着がえを見たいわけでもなし。

「俺はちょっとコンビニで金おろしてくるから」

 言って、玄関へ行こうとする。

 待って、と声がかかり、立ち止まると。ペルに服のすそを掴まれた。

 朝がふり向くと、ペルはさっと視線をそらし、さくらんぼのような唇をもごもごさせ、それから。恥ずかしそうに小声で。

「手伝って……手伝ってください。これ、自分じゃ脱げないんです」

 

 どこのお姫様だよ、と思って見ると。異世界のお姫様が、そこにはいた。ティアラはないけれど、すてきなドレスの残骸をまとったペルは、確かにそういう身分である。少なくとも彼女自身の言によれば。

 黙っていればなんとやら。妙なことを口走らなければ疑わずにすむのだが、と朝は思う。チキンラーメンとか。など。みたいな。


 かんばしい反応が得られず、不利をさとったのか、ペルはさらにアピールを重ねた。朝に背を向け、指をさして言うことには。

「構造的な問題なんですってば。ひも留めのひもに手が届かないんです」

 ほらほら、とぎりぎりのところで手をふってみせる。なるほど確かに。

「人にやってもらう前提のデザインなんだな」

「そうですそうです。貴族や王族のドレスってそういうもので……」

 でもこれは、と先の小声よりもっと小さくつぶやくペル。朝はうまく聞き取れなかったけれど。私が何ひとつ自力でできないようにこうなっているんですけどね、と、そんなふうに聞こえた気がした。


 それならば手伝うのもやむなしと朝は考えて、ペルの背後に手をのばす。下着はつけているだろうし、そもそも子供の身体である。見て、それでどうこうなるものでもあるまい。

「脱がすぞ」

 うなじより少し下、左右の肩甲骨のちょうど中央にある結び目をほどく。編み上げの目を一つずつ外していくと、少しずつペルの背中があらわになっていき。それと同時に朝の表情が硬くこわばっていく。

 ついに最後の穴から結びひもを抜き取ると、絹製の襤褸はするっと流れるように床に落ちた。朝に背を向けたペルの全身があらわになる。肩のラインからお尻のまるみまで、余さずすべて。ペルのいたいけな裸身が、部屋の中、午後の陽光をバックライトに浮かび上がる。

 

 下着をつけていないとか、そんなことが些細に思えるぐらい、衝撃的な、その身体は。

 白磁のごとき。という形容は、衣服に覆い隠されていた部位でもなんら異議なくあてはめられるのだが。

 ひび割れはがれ欠けた、まさしくそれは疵物だった。

 幾条もはしる鞭の痕は、肉までとどくほど深い。古傷の様相であるのに、引き裂かれた皮膚は繋がっておらず、見る者に痛ましい記憶を想起させる。骨にそっていくつもあけられた穴は、ペル自身の小指の太さほどもある。それも、一時は骨に届いていたかもと思わせるほど残虐にえぐられた痕だ。やけど痕もそこかしこに、白地に赤をにじませている。

 

 虐待ではない。戦争でもない。それよりもはるかに残虐で、執拗で、狂気をはらんだ拷問のあとだ。ペルを傷つけ、苦しめること以外に何の目的も持たない、純真性の悪意。人間の奥底に眠る獣性を、ヒトの理性で訓練し得られた、霊長の具現たる暴虐にさらされた証だ。

 ペルは死ぬことすらゆるされず、ひたすらにいたぶられたのだ。那由他の彼方の世界で。この平和なアパートの一室の、限りなく隣あった世界で。


 ペルは両手で顔を隠している。涙をみせないためでなく、きっと朝の顔を見ないために。声をのみ、ふるえながら、朝の心の中の情動を肌身で感じようとしているのだ。

 それは怖いからだ。辛かったより、恐ろしかったより、いまここで朝に拒絶されるのが怖いからだ。責を負うべきはペルであるはずがないのに。この傷を咎だと思われるなどという、理由すらない強迫観念を、しかしそのゆえに捨て去ることができないのだ。


 ならば、行動で示すしか、朝にはできない。

 だから。素肌に直接着せるのはどうかとは思ったけれど。ペルの右腕をとってパーカーの右そでに通し、左腕を左そでに通し、頭からかぶせてやった。ちらと見えた鎖骨のくびれも、むきだしのわずかなふくらみも、そのてっぺんの桜色のぽっちも、肋骨の浅く浮き出たわき腹も、それらすべてを蹂躙する無数の傷も。なにも見なかったことにして。

 そうしてはじめて、ペルの目から一滴のしずくがこぼれた。朝がそれをそっとぬぐってやると、ペルは首だけで後ろをふり向き、まなじりをさげてはにかんだ。


 ……ちなみに。いい話風の余韻を台無しにして誠に申し訳ないのだが。

 このあいだ、ペルは下半身裸のままである。白桃のようなヒップも、毛の一本すらはえていないあそこも、正々堂々お天道様のもとでみせびらかしているところだ。

 早くショートパンツをはくように伝えたところ。ペルは顔を真っ赤にしてしゃがみこみ、緑眼ひとつをうらめしそうに上目づかい。もーもー牛さんになった。

 結局、そんな雰囲気である。

 

 おあとがよろしいようで。

 


 


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